俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ウソvs.ウソ

2009-03-14 14:34:46 | Weblog
 捕鯨に反対する人は主に次の2つの理由を挙げる。①家畜ではない野生動物をむやみに捕獲すべきではない②鯨は賢い。
 この2つはどちらも本音ではなくタテマエに過ぎない。彼らの本音はこちらだ。①旧約聖書でモーゼが鯨を食べることを禁じたし食べる習慣も無い②ホエールウォッチングによる観光収入を守りたい。
 一方、日本も調査捕鯨というウソで対抗している。もし調査が目的なら捕獲する必要は全く無い。パンダの生息数を調べるために射殺するようなものだ。調査が目的なら尻尾にでも発信機を取り付ければ充分だ。
 IWC(国際捕鯨委員会)では捕鯨賛成派も反対派も本音ではなくタテマエを掲げているから議論が全く成立しない。議論が成立しないから票集めのためのネマワシばかりが横行して金で票を買うことになる。
 議論が成立しない国際会議など意味が無い。建設的な意見が出ない会議など国際会議だろうと社内の会議だろうと時間と金の無駄遣いでしかない。
 議論はもっと真面目に取り組まねばならない。ウソに基づく議論からは何も生まれない。その意味では国会も無意味かも知れない。本音で議論する気が無くただ多数決だけで物事を決める場所は少なくとも「議事堂」とは呼べない。

13日の金曜日

2009-03-14 14:14:35 | Weblog
 昨日は3月13日の金曜日だった。縁起をかつぐ人には最も嫌われる日が2月・3月と2ヶ月続いた。
 13日の金曜日が続くのは閏年でない年の2月・3月にしか起こり得ない。2月13日が金曜日に当たる確率は1/7で、閏年でない確率は3/4だから、13日の金曜日が2ヶ月続く確率は3/28となり、28/3年に1度(約10年に1度)しか起こらない。
 ところで「13日の金曜日」というホラー映画ではジェイソンという怪人がチェーンソーを振り回して暴れる。エンディングでは「さすがのジェイソンもこれで死んだだろう」と安心するが次回作ではまた蘇って大暴れする。
 西洋の怪人や妖怪には必ず弱点がある。例えば最強の妖怪のドラキュラでさえ光や十字架や聖水やニンニクに弱い。なんだか弱点だらけだ。
 一方、日本の妖怪には弱点が少ない。特に幽霊は既に死んでいるのだから殺すことは不可能だ。争っても無駄だから恨みを鎮めて成仏してもらうしか無い。日本人は大国主命や菅原道真などの怨霊に対しても退治するのではなく、祟りをなさないように大規模な神社を作って鎮魂を図った。
 これは「自然」に対する姿勢と同じだ。と言うよりむしろ自然に対する姿勢が「超自然」に対しても同じように守られたと言うほうが適切だろう。西洋人は自然に対して立ち向かい征服しようとする。日本人は自然には敵わないと考えて崇拝する。自然を崇めること、つまり自然に対して忠誠を誓うことによって許されることを目指した。どちらが正しい対応なのかは分からない。

整った顔

2009-03-14 13:53:12 | Weblog
 整った顔とは平凡な顔のことではないだろうか。特異な顔は醜い。麻生首相のような曲がった顔やアザやコブや傷のある顔は美しくない。
 こんな明らかに違和感のある顔は論外としても、鼻の下が長いとか目と目の間隔が広ければ美しくないし、唇が厚いとか鼻がほんの少し上向いていれば変な顔になってしまう。
 しかしよく考えればこれらは相対的な評価に過ぎない。鼻の下が長いとか鼻の穴が上向いているかどうかは標準的な顔と比べて少し違っているに過ぎない。もし日本人全員の鼻の下が現状より2割長ければ日本人にとっての「整った顔」の鼻の下も2割長いものになるだろう。
 「顔の美のイデア」は経験の外ではなく経験の中にある。経験に先立って存在するのではなく経験が「整った顔」という標準を作る。
 要するに人は標準的な顔を「整った顔」と感じ、標準から外れた顔を「崩れた顔」と感じる。「整った顔」とは結局のところ「当たり前の顔」であり「標準的な顔」にすぎない。各個人が毎日見る「見慣れた顔」が基準となりその基準から外れると変な顔と評価される。
 標準的な顔は日常的に見慣れた顔だから民族によっても異なり、分厚い唇や異様に長い首に「美」を感じる民族もいる。国内でも生活圏によって日常的に目にする顔は異なるので小学生には小学生だけが感じる「整った顔」があり政治家には政治家ならではの「整った顔」があるのだろう。
 「整った顔」にほんの僅かのプラス要因が加わると「美しい顔」になる。例えば目が大きいとか口が小さければ美しいと評価され易い。
 しかし目が大きいとか口が小さいとか顔が小さいといった「標準から外れること」が美にとってのプラス評価に繋がる理由はよく分からない。多分、白人に近いとか童顔に似ているといった別の基準が働いているのだろう。