先月の1日から失業者になった。勤務先が希望退職を募集したのでそれに応募した。
それなりに蓄えもあり金銭的には不自由していないので、読書三昧の高等遊民の生活を夢見ていたが理想は叶っていない。社会から分離することで軽い鬱状態に陥ってしまった。
もともと私は自分を社会の歯車にしようなどとは考えていない。如何にして自立するか、個人主義をどこまで貫けるかを信条とする。それでも組織から離れることによって気力が低下した。
人間は同僚を必要とし、同僚の賞賛を求める動物であるということを改めて痛感した。
私のような個人主義者でさえ社会との絆を失うことで気力を損なうのだから、「生きるとは社会に貢献すること」と無邪気に信じる「社会的人間」が失業した場合はどれほどショックを受けることだろうか。彼らにとっては仕事をすることを通じて社会に貢献するということこそ自分の存在理由なのだから。彼らが生きる意欲を失うのも無理は無い。
4月以降の私のブログの記事は少なからず質が下がっているように思える。軽い鬱状態が災いしているようだ。いずれは克服できるとは思っている。
自由は決して全面的に快適なものではない。自由を犠牲にしてでも連帯を求めようとするのは群居動物である人間の本能のせいかも知れない。
それなりに蓄えもあり金銭的には不自由していないので、読書三昧の高等遊民の生活を夢見ていたが理想は叶っていない。社会から分離することで軽い鬱状態に陥ってしまった。
もともと私は自分を社会の歯車にしようなどとは考えていない。如何にして自立するか、個人主義をどこまで貫けるかを信条とする。それでも組織から離れることによって気力が低下した。
人間は同僚を必要とし、同僚の賞賛を求める動物であるということを改めて痛感した。
私のような個人主義者でさえ社会との絆を失うことで気力を損なうのだから、「生きるとは社会に貢献すること」と無邪気に信じる「社会的人間」が失業した場合はどれほどショックを受けることだろうか。彼らにとっては仕事をすることを通じて社会に貢献するということこそ自分の存在理由なのだから。彼らが生きる意欲を失うのも無理は無い。
4月以降の私のブログの記事は少なからず質が下がっているように思える。軽い鬱状態が災いしているようだ。いずれは克服できるとは思っている。
自由は決して全面的に快適なものではない。自由を犠牲にしてでも連帯を求めようとするのは群居動物である人間の本能のせいかも知れない。