一生が80年とすれば、最初の20年は教育のために使われる。次の40年は現役世代として、最後の20年は老後として使われている。
この最後の20年には最大5回死ぬ。まず60歳で社会人として死ぬ。次に生殖能力が死ぬ(女性の場合はもっと早い)。その次には自由に生きる能力が死に他者による介護が無ければ生きられなくなる。同じ頃には知力が死んで痴呆老人になる。そして最後に生物として死ぬ。
人生60年の時代ならこの5つの死はほぼ同時に訪れていたから悩む暇など無かった。しかし人生80年の現代ではこの5つの死がジワジワと順次訪れる。自分の体が腐って行くのをじっと見つめているようなものだ。これでは長寿の楽しみは何も無い。
1回目の死は個人にはどうしようもないことだ。企業や社会が勝手に決めることだ。2回目から5回目までの死をいかにして遅らせるかということが個人が取り組める課題だ。
最後の20年は本来最も自由に生きられる期間の筈だ。年金の支給もあるのであくせく働く必要も無い。それにも関わらず、最初の社会人としての死で生き方を見失って何をやったら良いのか分からないまま時間を浪費してしまっている。何とも勿体無いことだ。
この最後の20年には最大5回死ぬ。まず60歳で社会人として死ぬ。次に生殖能力が死ぬ(女性の場合はもっと早い)。その次には自由に生きる能力が死に他者による介護が無ければ生きられなくなる。同じ頃には知力が死んで痴呆老人になる。そして最後に生物として死ぬ。
人生60年の時代ならこの5つの死はほぼ同時に訪れていたから悩む暇など無かった。しかし人生80年の現代ではこの5つの死がジワジワと順次訪れる。自分の体が腐って行くのをじっと見つめているようなものだ。これでは長寿の楽しみは何も無い。
1回目の死は個人にはどうしようもないことだ。企業や社会が勝手に決めることだ。2回目から5回目までの死をいかにして遅らせるかということが個人が取り組める課題だ。
最後の20年は本来最も自由に生きられる期間の筈だ。年金の支給もあるのであくせく働く必要も無い。それにも関わらず、最初の社会人としての死で生き方を見失って何をやったら良いのか分からないまま時間を浪費してしまっている。何とも勿体無いことだ。