俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

見殺し

2010-09-10 15:16:33 | Weblog
もし知人が目の前で瀕死の状態になったなら、人はどうするだろうか。誰でも救急車を呼ぶだろう。救急車を待つ間、自分に可能な救急策として人工呼吸や心臓マッサージなどを行うだろう。
 これはたとえ医師であろうと同じだ。医療設備の全く整っていない自宅で蘇生を図ることはあり得ない。一刻も早く病院へ運ぶことを考えるだろう。
 俳優の押尾学被告に充分な医療知識があったとは到底考えられない。従って彼にできる最善かつ唯一の選択肢は救急車を呼ぶことだった筈だ。救急車を呼ばなかったのは己の身を守るためであり、被害者はそのために見殺しにされた。
 ドストエフスキーの「悪霊」に「スタヴローギンの告白」という恐ろしい章がある。少女が自殺することを予見しながら、それを防ぐために何もしなかったことを悔い、自らを殺人者として断罪しようとする話だ。
 見殺しが殺人と同じだというテーマは他の作品でも取り上げられている。「カラマーゾフの兄弟」のイワンや、初期の作品の「主婦」などで見受けられる。
 ドストエフスキー自身が、父が殺されるかも知れないということを予感しながらも何も手を打たなかったことに対して激しく悔やんでいたから何度もこのテーマを取り上げたのだと思う。
 見殺しは自ら手を下さない殺人でありその罪は重い。

続・海岸

2010-09-10 15:00:13 | Weblog
 googleで私のブログを検索すると7月6日付けの「海岸」が真っ先に表示されることが多い。多分多くの人に読んで頂いているのだろう。
 折角多くの人がアクセスしてくれているのに内容に少し不備があった。補足することをお許し願いたい。
 猿は必ず森林に住む。それは物を摑めるという方向に進化した前脚を持っているので、肉食獣と出会ったら木の上に逃げることができるからだ。
 森林を出た人類の祖先にとって草原も岩場も危険な場所だった。木の上に避難できなければ、走力の優位性は無いので、容易に肉食獣に捕獲されてしまう。木に代わる安全地帯を見付ける必要があり、それが海岸だった。
 多くの肉食獣は水中を嫌う。特に猫科の肉食獣は水が苦手だ。肉食獣と出会った人類の先祖は、木の代わりの安全地帯となる水の中へ逃げたのだろう。
 4足歩行しかできない動物と違って、樹上生活を営んでいた人類の先祖は水中では2足歩行が可能だった。つまり同程度の大きさの肉食獣よりも深い水の中でも頭を水上に出して呼吸をすることができた。後ろ足で立てば同程度の体格の豹の2倍以上深い場所でも立って呼吸をすることができるから水中が安全地帯となった。
 もう1つのメリットは涼めるということだ。真冬以外なら水温は気温よりも低い。暑い夏の昼間に水中で涼をとるなら、暑さに弱い変種も生き残ることができる。つまり進化のヴァリエーションが広がったものと思われる。

劣化

2010-09-10 14:42:03 | Weblog
 安静にしていると足の筋肉は1週間で20%、2週間で40%、3週間で60%衰えるそうだ。
 日本人で最長期間の163日間宇宙空間に滞在した野口聡一氏は今でもリハビリに励んでいるそうだ。筋力の低下を防ぐために宇宙船内でのトレーニングを欠かさなかったにも関わらず大きな後遺症に苦しんでいるのだから、そういう自覚を欠いて筋肉を劣化させた人が筋力を取り戻すことは極めて困難だろう。
 私は多くの慢性病は病気というよりは内臓の劣化ではないかと考えている。良からぬ生活習慣のために内臓の機能が劣化して生活習慣病となっているのではないだろうか。
 内臓の劣化にどう対応すべきか。方法は次の2つのどちらかだろう。①内臓のリハビリを図る②低下した機能を薬で補う。
 現在の日本の生活習慣病対策は②に偏っている。内臓が劣化して不足する分泌物を薬で補っている。
 しかしこんなことをしていれば内蔵は益々劣化するだろう。分泌する必要性が薬の補助によって薄まれば内臓は更に一層働かなくなる。これではまるで足の筋肉の衰えた人に安静を強いるようなものだ。
 急性の病気には薬が有効だ。しかし慢性の病気に対応するためには薬ではなく内臓のリハビリが必要なのではないだろうか。回復が不可能なら諦めるしかないが、回復の可能性が少しでもある限りはリハビリに励むべきだろう。