俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自由人

2010-09-28 15:18:09 | Weblog
 サラリーマンを辞めてから性格が変わり始めた。我儘で気紛れになったとはっきりと自覚できる。つまり従順さが失われて、自分で決めた予定をしばしば変更するようになった。
 サラリーマンは組織に従順でなければならない。不本意な指示であろうともその指示に基づいて部下を指導せねばならない。
 組織人は計画的に生活せねばならない。仕事のスケジュールに基づいて仕事に支障を来さないように生活せねばならない。休日は英気を養うための日であり、休日明けは休日前よりも元気になっていなければならない。
 サラリーマンを辞めるということはこんなしがらみからの解放でもある。組織人をやめればそれまでの習慣を改めて新たに自由人となる必要がある。組織人をやめるだけでは何の束縛も無くなるだけなのでややもすれば怠惰な生活に陥りかねない。せっかく自由人になったのにその結果がぐうたら生活では余りにも虚しい。
 こんな事情から私の性格が変化したのだろう。自我が強くなり欲望に忠実になった。多分、自由人から更には自然人へと変化しつつあるのだと思う。
 人間は本来、自由人だ。組織と折り合わねばならないから組織人とならざるを得ないが、組織人であることをやめるなら自由人としての価値体系を身に付ける必要がある。そうしなければ行動力を失う。
 事前に慎重に検討した上で決めたことを刹那的に変更することは不都合を招くかも知れないが、状況の変化に迅速に対応できることは決して悪いことではない。

決断者

2010-09-28 15:01:35 | Weblog
 尖閣諸島で衝突事件を起こした船長を釈放することを決めたのは誰だろう。
 タテマエ上では検察庁が判断したことになっているが、もしそうなら越権行為だ。検察の仕事は犯罪者を起訴することであって国内法に基づいて手続きを進めるべきだ。そもそもこの事件は領海侵犯という政治事件ではなく、巡視船への体当たりという刑事事件であり、検察は政治的判断などするべきではない。
 こんな越権行為が許されるのは行政(内閣)の承認または指示を受けているからだろう。検察庁は少なくとも大臣の認可を受けている可能性が極めて高い。従って最終的な決断者は法務大臣か官房長官か総理大臣ということになる。
 政治的決着の責任を検察庁に押し付ける内閣の姿勢は卑怯だ。これでは汚職の責任を秘書に押し付けて責任逃れをする某金権政治家と同じだ。
 民主党は情報開示を党是としている筈だがこんな失態で馬脚を露わしてしまった。都合の悪い事実は隠蔽して党利のためなら国民を欺いても構わないとする秘密主義政党であることを露呈してしまった。
 今更とは思うが、政治的決着のポイントは12日の5度にも及ぶ、中国政府の丹羽中国大使の呼び出しだっただろう。深夜にも呼び出されたことを中国の傲慢さとして報じられたが、それだけ中国側が切羽詰っていたと解すべきだっただろう。会談内容は余り報じられていないがこの時に落とし所が明示されていたと思える。それが無視されたから強行外交に至ったのだろう。

合衆国と支那

2010-09-28 14:43:04 | Weblog
 なぜアメリカを合衆国と呼ぶのか理解できない。The united states of Americaはどう捻くれた解釈をしてもアメリカ「合州国」であり合衆国とはならない。こんな翻訳が許されるのだろうか。
 未だかつてアメリカに抗議されたという話は聞いたことが無いので、多分、アメリカも公認しているのだろうが全く不可解な話だ。ヨーロッパではどう翻訳されているのだろうか。
 一方、中国は日本人が「支那」と呼ぶと必ず抗議する。これも理解し難いことだ。支那は秦を語源とする古典語であり決して差別語ではない。
 英語および西洋各国語のChinaも日本語の支那と同じく秦を語源とする。それなのに西洋人がChinaと呼んでも抗議せず、日本人が支那と呼ぶと怒る。どんな判断基準なのだろうか。
 インドシナ半島という名称に抗議したという話も聞いたことが無いからこの名称にも不満は無いのだろう。
 日本にだけ異常な反応をするのは、言掛かりを付けるたびに弱腰の対応をする日本政府を嘲笑っているとしか思えない。
 尖閣諸島近海での衝突事件を恫喝外交で押し切った中国は日本政府の弱腰ぶりにすっかり味を占めて益々高飛車な態度になるだろう。実際、全く理不尽な謝罪と賠償まで迫っている。まるで泥棒に追い銭のような話だ。
 こんな弱腰外交は中国との領土問題を抱える各国にとっても迷惑な話だ。日本政府は領土問題について曖昧にせず毅然とした態度を取るべきだろう。