俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

作業の効率

2010-09-13 12:47:12 | Weblog
 ある大きさの穴を掘るのに一人で一時間掛かるとする。同じ穴を同程度の力量の10人がそれぞれ掘れば一時間で10個の穴が掘れる。
 しかし10人掛かりで1つの穴を掘っても6分では掘れない。狭い場所に10人も集まれば作業効率は低下する。多分2人か3人で掘れば最も効率良く掘れるだろう。
 先日JR西日本の踏み切りで7人掛かりの作業を見た。踏み切りにある柵のペンキを塗り替える作業だった。ペンキを塗るのは2人だけで、あとの5人は見ているだけだった。どうやら3人ずつが1チームで、作業をする人と上り線を見張る人と下り線を見張る人に担当が分かれているようだった。その2チーム6人以外の1人は全体を統括しているようだった。
 こんな作業は2人で充分だ。場所は踏み切りだ。電車が近付けば警報機が鳴るから線路を見張る必要は無い。警報機に頼るのは危険だと言う人もいるかも知れないが、通行者は警報機を信じて通っている。信じてはいけないほど警報機の信頼性が低いのならそれは通行者に対する背任行為だ。
 とっくの昔に民営化されたJRでさえこんな有様だ。お役所仕事は屋上屋を架し勝ちでそれが大きな無駄になる。
 作業は多分JRの退職者が天下りして役員を勤める下請け企業に任せているのだろうが、その際、安全基準だけは厳しく指導しているのだろう。必ず電車の監視員を置くとか、何名以上の作業なら管理責任者を設けるとか。机上のルール通りにやるから無駄だらけになる。

黒い食べ物

2010-09-13 12:30:25 | Weblog
 日本人は黒い食べ物に対して抵抗を感じない。普段からご飯や魚のコゲや海苔や黒豆などを食べているからだろう。
 西洋人は概して黒い食べ物を嫌う。第二次世界大戦中に西洋人捕虜の食事に海苔を出したことが捕虜に対する虐待として東京裁判で裁かれたのは黒い色のせいだろう。
 海外では巻き寿司も海苔の黒い色が嫌われて、ご飯や具を外にしたrollが主流だ。
 黒い色が嫌われるのは多分腐ったものを想起させるからだろう。日本人でも黒豆で作った枝豆に「腐っている」と文句を付ける人がいるらしい。
 一方、日本人は赤い液体に対して長い間拒絶反応を示した。幕末の日本人は赤ワインとトマトジュースは気味悪がって飲まなかったそうだ。
 日本では長年、赤ワインより白ワインのほうが人気があった。白ワインには生臭さがあるが魚を常食する日本人には抵抗が少なく、赤ワインの渋さは日本人の味覚には合わなかった。ところが「失楽園」がヒットした頃から赤ワインに含まれるポリフェノールには抗酸化作用があり老化やガンや心筋梗塞の予防に繋がると言われてから急激に人気が高まった。
 「気味が悪い」という主観的な嗜好は「健康」という実利的かつ普遍的な価値には敵わなかったようだ。

化粧品

2010-09-13 12:18:49 | Weblog
 今でも売られているかどうか知らないが、かつてキューイというメーカーの靴クリームがあった。この靴クリームを使うと靴がピカピカになった。ロウのせいだ。ロウは靴の表面に膜を作りピカピカに光らせる。しかしロウは革にとって有害だ。ロウが付いたまま長時間放置すると革が壊死してしまう。一時的な美しさを求めてキューイの靴クリームを使えば靴はすぐに駄目になってしまう。
 化粧品の多くはこのキューイの靴クリームのようなものだろう。顔に有毒物を塗り付けて無事で済む筈が無い。今の美しく見える肌は将来の醜い肌を約束しているように思える。まるで麻薬かサラ金のようなものだ。
 恐ろしいことには、化粧品によって荒らされた肌を取り繕うために化粧品が使われているということだ。これは二日酔いの人が迎え酒をするよりも悪く、二日酔いを紛らすために麻薬を使うようなものだ。
 化粧品の後遺症について公的機関は全く警鐘を鳴らしてはいない。化粧品の多くは、食品添加物や薬品と同様、市販されている毒物なのだから危険極まりない。

ギャンブル

2010-09-13 11:32:58 | Weblog
 日本のギャンブラーは阿呆ばかりだと思う。なぜなら世界一配当率の低いギャンブルをやっているからだ。
 宝くじは46.4%、競馬・競輪などの公営ギャンブルは75%しか配当に回されていない。大相撲の力士が大勢参加した野球賭博は非合法なので配当率は分からない。仮に配当率が高くても不払率もかなり高そうだ。
 一方、欧米のギャンブルの配当率は高い。ルーレットやスロットマシーンは95%、サッカーなどのスポーツ賭博は98%だ。
 日本の場合、ギャンブルの利権を国や自治体が独占しているから、強欲な役人共は暴利を貪って世界に類を見ない低配当率になっている。
 多分、役人共は、ギャンブルで儲けるような不道徳な人ができるだけ多く生まれないようにするという親心も0.01%ぐらいあるだろう。しかしもし親心があるならギャンブルのせいで生活が破綻する人を救済すべきだろう。
 大阪府を含む幾つかの自治体ではギャンブル特区という構想が検討されている。しかしもしギャンブル特区を作るならこんな低い配当率は不当だ。欧米並みの配当率に変更すべきだろう。
 その場合、無駄遣いの多い「公」による運営では採算が合わない。すぐに赤字経営になってしまうだろう。従ってギャンブル特区は民営化されねばならない。
 たまたま先日、「宝くじドリーム館」という施設を見た。利用者は殆どいない。正に無駄遣いそのものだ。「公」は無駄遣いが大好きだということを改めて実感した。

偽エビデンス

2010-09-13 11:17:32 | Weblog
 エビデンス主義とは証拠に基づく医療だ。結果に注目して治療法の妥当性を検証するという科学的な思想に基づいている。
 これは「結果オーライ」とは全く別のものだ。今、良い結果が出ているから正しいと判定するのではなく、長期的・統計的に分析してその治療法の妥当性を問うものだ。
 鬱病に対するSSRIの長期間投与は偽エビデンス主義の典型例だろう。鬱状態の人に麻薬や覚醒剤を投与すれば症状が軽減したように見えるのと同じことだ。
 アルコールを大量に摂取させても同じような効果が得られる。憂さを忘れて陽気になれるだろう。二日酔いによって症状が悪化すれば迎え酒で症状は治まる。こうしてアルコールの大量摂取→二日酔い→迎え酒、というプロセスで鬱病患者は唯のアルコール中毒患者になる。
 鬱病患者に対するSSRIの投与は対症療法でしかない。鬱状態を克服するためには根本原因に対処するしかない。その根本原因は人によって千差万別であり分かりづらいものだが、医師なら真面目に取り組まねばならない課題だ。
 SSRIを安易に投与する医者は、風邪に抗生物質と解熱剤、痛みに鎮痛剤を投与する医者と同レベルのヤブ医者だろう。これは治療ではない。最低レベルの対症療法であり問題の先送りに過ぎない。

罰金

2010-09-13 11:01:15 | Weblog
 100万円を盗んだ者に対する罰金が100万円以上であるべきだということには誰も異存は無いだろう。100万円盗んで罰金がもし90万円なら盗り得になる。
 発覚した犯罪が100万円でも実際の犯罪はその数倍である可能性もある。その意味では罰金が200万円でもおかしくない。
 しかしこの理屈を殺人罪にまで敷衍すると妙なことになる。殺人犯に対しては死刑以上の刑罰によって報いなければならないということになる。
 江戸時代の日本はこのことを実行していた。殺人犯には様々な残虐な刑が行われた。時代劇でお馴染みの市中引き廻し獄門晒し首以外にも、磔、鋸挽き、牛裂き、簀巻きなどが行われた。
 しかしここで疑問が生じる。100万円を盗んだ者に100万円を超える罰金を課することは原状回復となるから経済的にも理に適っている。その意味では本来なされるべきことは殺された人を蘇らすことではないだろうか。しかし残念ながらそんなことは神様にしかできない。
 ハンムラビ法典では「目を奪った者は目を以って償え」と記されているが、これを自らの目を潰して償えと解すべきだろうか。むしろ被害者の目となって償うほうが合理的ではないだろうか。
 金のような代替の利くものなら幾らでも返せる。返せないものを奪ってしまったならば一生を掛けて償うことが加害者の義務だろう。死刑は償いの機会を奪う安易な刑罰ではないだろうか。