俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

白々しい美談

2010-09-21 18:15:43 | Weblog
 水死の報道を見ていて妙なことに気付く。誰かを助けようとして溺れたという話がやたら多い。事実に背いて美談が捏造されているからだろう。
 親子3人が遊泳禁止の川で水遊びをしていたとする。父親が深みに嵌って溺れた場合、母親は事実を告げるだろうか。事実としては阿呆な父親が遊泳禁止の川で遊んでいて溺れたというだけのことだが、正直に言うメリットは何も無い。目撃者もいない。あくまで父親は子供を救おうとして深みに入って、子供を助けたけれど本人は力尽きて溺れたと主張する。マスコミも遊泳禁止の川で溺れた馬鹿の話を伝えるよりも、命を懸けて子供を救ったヒーローの話にしたほうがニュースヴァリューは高まる。
 このように被害者とマスコミの利害が一致するから白々しい美談が大量生産される。特にテレビのワイドショーは積極的に捏造に加担しているように思える。
 暗いニュースよりも明るいニュースのほうが好ましい。それでも白々しいデッチ上げの美談など要らない。マスコミは事実を報道すべきであってすぐに嘘とバレるようなフィクションを報道すべきではない。偽りの美談の乱発は、本当の美談を疑わせることにもなりかねない。

真田山プール

2010-09-21 18:01:39 | Weblog
 昨日(20日)で今年の真田山プールの屋外営業が終わった。大阪市内の屋外プールでは緑地公園のプールが26日までなので、これで私の屋外プールのシーズンは終わる。
 6月11日付けの「真田山プールの怪」で書いたとおり、真田山プールの施設はどういう訳か徐々に減る。まずシャワー室のドアが無くなり、次には喫煙所、その次には公衆電話が無くなった。
 今年は何が無くなるのかと思っていたら、意外なものが無くなった。ラジオ体操だ。
 8月のある日突然ラジオ体操が放送されなくなった。最初のうちは機械の故障かと思っていたが、その後2度と放送されなかった。理由は分からないが、多分誰かのクレームに対応したのだろう。
 元々ラジオ体操の参加者は殆どいなかったので別に構わないのだが、不便なこともある。約5分間沈黙の時間が続くので遊泳再開のタイミングが掴めない。
 ラジオ体操があった頃はあと何分ぐらいか大体見当が付いたのでそれに合わせて準備をしたものだがそれができなくなった。
 次に無くなるのは何か?もしかしたら50分ごとの休憩時間だろうか。もしこれが無くなったら私としては大歓迎なのだが。
 

B級グルメ

2010-09-21 17:44:35 | Weblog
 第5回B-1グランプリで初出場の甲府鳥もつ煮がグランプリに選ばれた。第1・2回が富士宮やきそば、第3回が厚木シロコロ・ホルモン、第4回が横手やきそばがそれぞれ1位だったが、これらのグラプリ受賞経験者は審査対象外となっている。
 過去のグランプリ受賞者を審査から外すことにはメリットもデメリットもある。
 メリットは毎年新しいグランプリ受賞者が誕生するということだ。地域興しという観点では次々と新しい料理がグランプリを受賞することは好ましいことだ。
 デメリットは権威が年々低下することだ。つまりグランプリ受賞者が総て審査対象外になれば必然的にレベルは低下せざるを得ない。
 重複受賞を認めないコンテストは少数派だ。ノーベル賞もアカデミー賞もレコード大賞もオリンピックもボクシングも相撲も重複受賞を認めているという事実を考えるなら重複受賞を認めたほうが合理的なように思える。やはり横綱抜きでの優勝争いでは面白くない。
 ところでB-1グランプリに対する大阪の消極性が気になる。もしかしたら1度も参加していないのではないだろうか。
 「安くて旨い」というコンセプトは大衆料理の理想であり、この理想が最も実現されている地域は文句なしに大阪だと思える。
 たこ焼きやお好み焼きはメジャー過ぎるが、地域の隠れた名品は幾らでもあるだろう。「食い倒れ」の街の名誉にかけて、次回の姫路大会には参加して、少なくとも上位入賞を果たして貰いたいものだ。

業務分担

2010-09-21 16:34:27 | Weblog
 サラリーマン時代「業務分担の明確化」という考え方が大嫌いだった。どんなに厳密に分担表を作っても必ず隙間ができてポテンヒットが生まれる。そのため私が分担表を作ると必ず最後の項目に「その他」と記入した。
 草野球を楽しんでいた頃、私はセンターが大好きだった。最も守備範囲が広い野手だからだ。レフトの球だろうとライトの球だろうと、あるいはセカンドやショートの球までアシストできる。センター一人が駆け回るだけでポテンヒットを大幅に減らすことができる。
 サラリーマンになってもこの考え方は変えなかった。自分のポストがあろうとポスト外の仕事も喜んで引き受けた。多分、多くのポテンヒットを防いだと思う。
 欧米人は平気で「それは私の仕事ではない」と答えると言われている。定められた責任範囲さえ守っていれば仕事を全うしたことになると彼らは考える。
 日本的な考え方だが、仕事はまず全体(および顧客)を考えるべきだ。全体をうまく運営するために部分があるが、部分を繋ぎ合わせても全体にはならない。
 医療の世界では専門医ばかりが増えたために全体を診なくなったと言われている。内科医は「コレストロールを減らせ」と指導するが、低コレストロールの人は癌や鬱病になる危険性が高いという事実には目をつぶる。分業が専門馬鹿を横行させる。

適材適所

2010-09-21 16:18:33 | Weblog
 私は地産地消など奨励すべきではないと考えている。
 りんごは青森産を、さくらんぼは山形産を、梨は鳥取産を、マンゴーは宮崎産を、日本中で消費すれば良い。
 南北に長い日本列島は気候も水利も土壌も様々だ。それぞれの土地でその地に最も適した野菜や果物を作って日本中に出荷してこそ、豊かな農業と豊かな食生活が実現できる。これを適材適所と呼んで差し支え無かろう。
 地元の作物を優先的に選ぶことは危険でさえある。その地域には特有の有害物が潜んでいる可能性があるからだ。
 かつて水俣湾の近くに住んでいた人が、地元の新鮮な魚介類を沢山食べたために有機水銀中毒症になった。
 今でもカドミウムに汚染された土地がある。この近郊に住む人が地元の米ばかり食べさせられたらイタイイタイ病になりかねない。
 バナナやパイナップルなどは輸入に頼れば良い。こんな物を国内で作ろうとすれば巨大な温室が必要となる。そのために使われる石油は、海外からの輸入のために必要な石油量を遥かに上回る。フードマイレージなどといった戯言など糞食らえ、だ。
 実は私が今一番不信感を持っている省庁は農林水産省だ。食料の自給率が40%しか無いと騒いでいるが焼け太りを狙っているとしか思えない。いずれ記事にすべく勉強中だが、世界に類を見ないカロリー換算での自給率を算出することに恣意性を感じる。低カロリーの野菜の自給率が幾ら高くてもカロリー換算してしまえば自給率は低いということになってしまうからだ。

推定無罪

2010-09-21 16:01:39 | Weblog
 押尾学被告に対する一審判決が17日に下された。保護責任者遺棄致死罪とはならず保護責任者遺棄罪となった。
 個人的には不満が残るが、法的には正当な判決だろう。なぜなら刑法は「推定無罪」を原則とするからだ。押尾被告が救急車を呼ばなかったために被害者が死んだと証明することはほぼ不可能だ。呼んでいれば助かった可能性は高いが、これはグレーの理屈でしかない。そもそも確率(可能性)はグレーに関する理論であり、可能性について論じられた時点で判決の方向性はほぼ決まってしまった。裁判は白か黒かを決める場所なので、グレーは白として位置付けられる。
 但しこれはあくまでも法律上での話だ。限りなく黒に近いグレーでありながら、黒と証明することが不可能なために白と判定されただけのことだ。死人に口無しなので密室での事実が解明できなかっただけだ。瀕死の被害者を目の前にして、自らの罪を逃れたい一心で見殺しにした被告の罪は重い。
 私はこれまでアメリカ式の司法取引には批判的だったが、この事件に関しては司法取引があったほうが良いように思える。
 グレーにするために必死で責任逃れに終始する被告の姿は醜く、もし「見殺しにするつもりは全くありませんでしたが、結果的に亡くならせてしまったことに大きな道義的責任を感じています」と言って泣いてくれれば(元俳優の被告にとって嘘泣きなど容易いことだろう)被告に対する憤りはこれほど大きくはならなかっただろう。
 ところで推定無罪の原則があるのだから小沢一郎氏の政治資金規正法違反容疑は最終的には不起訴とならざるを得ないだろう。