俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ビートルズ

2010-12-10 15:59:57 | Weblog
 30年前の12月8日にジョン・レノンは射殺された。生誕は70年前で、ビートルズの解散は丁度40年前だ。
 ジョンの作品が改めて発売されているが、ビートルズは一体いつまで売られ続けるのだろうか。解散後にアルバム「レット・イット・ビー」が発売され、その後も「赤盤・青盤」「アンソロジー」「リミックス」「オリジナル」などと何度でも新アルバムが発売されている。
 ビートルズの魅力はレノン&マッカートニーの作詞・作曲として捕らえられ勝ちだが私はレノンvs.マッカートニーだと思う。ジョンとポールの好みは全然違う。私はかなり早い時期から作詞・作曲のレノン&マッカートニーは嘘だと見抜いていた。「イエスタデイ」は明らかにポールの個人プレイであるにも関わらずレノン&マッカートニーの作品とされていたからだ。
 その後のシングルの「ペーパーバックライター/レイン」辺りから明らかに毛色の違う組み合わせが目立ち始めた。「ペニーレイン/ストロベリーフィールズ・フォエヴァ」や「ハロー・グッドバイ/アイ・アム・ザ・ウォルラス」に至っては完全にレノンvs.マッカートニーの状態で表面と裏面で喧嘩をしていた。
 ジョンが「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」で指摘したとおりポールの好みがmuzak(軽音楽)であることは解散後に明らかになった。ロックが好きでリズムを重視するジョンとメロディメイカーであるポールとの異質な組み合わせだからこそ1+1=10とも言えるような奇跡が起こったのだろう。
 異質な組み合わせは多くの場合失敗するが時には大成功する。中山美穂&ワンズの「世界中の誰よりきっと」は日本では珍しい成功例だし、ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏も異なった才能を生かす素晴らしい組み合えせだ。

ジャポニカ米(2)

2010-12-10 15:41:27 | Weblog
 もし日本がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加したらカリフォルニア州などで栽培されているジャポニカ米はさぞかし高騰することだろう。輸出入市場においてジャポニカ米のシェアは1%も無いだろう。殆んどがインディカ米だ。日本人がジャポニカ米を輸入しようとすれば需給バランスが崩れて暴騰することになるだろう。結局、国産米と同程度の価格に落ち着くのではないだろうか。
 日本の米は世界の米とは違う方向に品種改良された。食品におけるガラパゴス化とも言えよう。ジャポニカ米は粘り気が強くもちもちした食感の香りの乏しい米だ。「始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな」という炊き方が通用するのはジャポニカ米だけだ。香りの乏しいジャポニカ米は香りを逃がさないように炊く必要がある。日本式の炊き方をマイコンで自動制御する炊飯器でインディカ米を炊いたら香りが強過ぎて臭いご飯になってしまう。
 多くの芳香は過剰になれば悪臭に変わる。麝香は微量なら芳香だが濃い麝香臭は悪臭だ。香水もプンプン匂えば悪臭であり仄かに香るのが好ましい。大便に含まれるインドールは悪臭の元だが微量なら芳香になり多くの香水や香料に使われている。
 インディカ米を正しい方法で炊けば決して「臭い飯」にはならない。蓋の無い鍋で煮てから湯を捨てて蒸せば香りはジャポニカ米と大差は無い。但し食感は全然違う。日本人ならパサパサしていると感じるし外国人ならサラサラしていると表現するだろう。この食感は炒飯やピラフには合う。慣れ親しんだ物だけを良い物と考えて異質な物を排除しようとするのは日本人の悪い癖だ。

議論の罠

2010-12-10 15:19:05 | Weblog
 議論は3つの方向に歪み易い。①単純化②過激化③否定。この歪みが発生するのは人間が分かり易さを求めるからだ。その意味では「分かり易さ化」と言っても良いかも知れない。人は正しさよりも分かり易さを好む。
 例えば「中国共産党が悪い」という命題だけで多くの問題が分かったような気になってしまう。日本経済の停滞も環境破壊も人権問題も食と生活の不安も北朝鮮問題もこのたった1つのキーワードだけで解けたような気になってしまうから困ったものだ。当たり前の話だが中国共産党が諸悪の根源である訳ではない。
 穏健な主張は過激な主張に押し切られ勝ちだ。かつて浅間山荘で連合赤軍は穏健派を「プチブル」と非難して粛清した。現実的な考え方は理想に背くものとして否定され易い。
 否定することは易しいが肯定することは難しい。粗探しをするだけで否定は可能だ。逆に何かを実施するためには必ず何かを犠牲にせざるを得ない。その犠牲を針小棒大に騒ぐだけで否定できる。
 胡錦濤主席は実は穏健な親日派だと言われている。しかしその面を表に出すと反日路線の江沢民派に絶好の口実を与えて攻撃されることになる。江沢民前主席は国内問題の不満の捌け口として反日教育を推進した。これは先程の「中国共産党が悪い」と同様に外国に責任を押し付けて自らの責任を逃れるずるい手口だ。ナチスにおけるユダヤ人問題も同じだ。
 議論をする場合、最初に挙げた3項目の逆を心掛けるべきだろう。①問題は単純ではなく複雑な要因が絡み合っている。②過激で非現実的な主張よりも穏健で現実的な路線を選ぶ。③否定する人には必ず代案を出させる。
 この3つが実践されたら議論は実りあるものになるだろう。