俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

なし崩し

2010-12-17 15:32:26 | Weblog
 地方博覧会の売店管理の仕事をしたことがある。私にとっては初めての業務なので以前の博覧会で実績のある人を尋ねて色々と教わった。その中で特に印象に残ったのは「店舗からのはみ出し営業を黙認するな」ということだった。
 ある日10cmはみ出す。それを黙認すると翌日には20cmはみ出してそのうち通行の邪魔になるほど売り場を広げるようになる。これが「覧会屋」と呼ばれるテキ屋の常套手段だとのことだった。
 その教えに従って私ははみ出し営業を厳しく取り締まった。博覧会終了の1ヶ月前までは秩序が保たれた。
 ところが地元の一部の業者が、県庁職員でもある博覧会の幹部に規制緩和を申し入れた。何も知らない彼は緩和を約束して私に融通を利かせるように指示した。不服だったが所詮余所者でしかない私は指示に従うしか無かった。
 ところが僅か1週間で問題が生じた。規制緩和を申し入れた業者だけではなく他の業者もこぞってはみ出し営業を始めたので通路が狭くて通行に支障を来たす状態になった。客からのクレームがあったのだろうか、規制緩和を命じた幹部職員が急遽私に再規制を命じたが、一旦崩れた秩序を取り戻すのは大変だった。
 中国のやり方はこれと似ている。わざと違法行為をやって相手国の出方を見て、弱腰と見れば付け上がる。中国共産党はテキ屋のようなものだ。柳腰などと馬鹿な言葉遊びをしている場合ではない。明確に意思表示をしなければなし崩しにされる。

雪が融けたら

2010-12-17 15:19:59 | Weblog
 「雪が解けたら○になる」という問いに何と答えるだろうか。
 「雪が解けたら水になる」では当たり前で面白くない。多分理科系の人か常識人の答えだろう。
 「雪が解けたら川になる」ならちょっと変わった答えだ。多分「おお牧場は緑」をイメージしているのだろう。
 私の一番好きな答えは「雪が解けたら春になる」だ。多くの雪国の人はこれを実感していることだろう。
 このように答えは1つではない。「○肉□食」の穴埋め問題の答えは弱肉強食だけではなく焼肉定食という答えもある。「アンテナショップ」は情報集めのための店とは限らず、アンテナの専門店の可能性もある。
 学校教育は「正解は1つ」という幻想をバラ撒いた。答えが1つしかない設問を解かせることによってこんな偏見を日本国民に植え付けた。この弊害は大きい。
 問題に対する答えは多数あるのが普通だ。多数の答えの中から、メリットとデメリットを考慮してどれかを選ぶことになる。
 正解は1つしか無いという偏見を植え付けられた人は快刀乱麻の答えがある筈だと考えて現状分析を怠る。答えは多数あって当然だ。「正解」という概念こそ幻想だ。
 

欲望の顕在化

2010-12-17 15:01:27 | Weblog
 私は決してフロイト主義者ではないが、欲望は抑圧するよりも顕在化させるべきだと考えている。勿論、顕在化と言っても欲望の赴くままに行動せよなどと主張するつもりは毛頭無い。自分の欲望を正しく把握することが必要だと言いたい。自分の欲望など自分が一番分かっていると思っていないだろうか。その自分でさえ自分の欲望を理解できていない。歪められた欲望を自分本来の欲望と思い込んでいることが少なくない。
 将来どんな大人になりたいかに答えられない子供が多いらしい。これは草食系男子と同様に欲望を見失っているのではないだろうか。
 欲望は曖昧なものだ。明確な目標を持つことは少ない。
 例えば性欲。何が正しい性欲なのかは本人でさえ分からない。「変態」と呼ばれる人がいる。他人にとっては気持ちの悪い行為であっても本人にとっては気持ちの良い行為なのだろう。
 食欲は比較的普遍妥当性を持つ欲望だ。快・不快が民族の壁を越えて共有されている。日本料理の出汁文化は余り西洋人には理解されないが、それ以外はある程度共有可能なのだから、食欲における快・不快は余り歪められていないのだろう。
 運動することは楽しい。しかし嫌いな人もいるし、冬山登山やマラソンの楽しさは私には理解できない。
 「蓼食う虫も好き好き」と言われるように人の好みは様々だ。この多様性が自発的に現れているならそれで構わない。しかし実際には教え込まれた受け売りであったり歪められた欲望であることが少なくない。自分の本来の欲望に気付かぬまま御仕着せの欲望を信じて一生を終えるのは虚しいことだ。自己実現などと大層なことを考える前に今の欲望が本当に自分のものなのかを検証する必要がある。