俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

薬のリスク(5)

2011-03-04 15:47:02 | Weblog
 肺癌治療薬のイレッサの訴訟で原告側弁護士の1人がイレッサを「欠陥薬品」と呼んだがこれは間違っている。もし本気で欠陥薬品だと主張するのなら使用禁止を求めるべきであり、現在この薬を使用している日本人16,000人から取り上げねばならない。それができないのはこれが薬として有効だからだ。
 何度も書いたことだが薬の本質は人体に異常な反応を起こさせる毒物だ。血圧を下げる薬は高血圧の人には薬だが低血圧の人には毒物だ。血圧を上げる薬は低血圧の人には薬だが高血圧の人にとっては死に繋がりかねない猛毒だ。
 消毒薬は善玉菌まで一網打尽にする毒物であり、頭痛薬は一時的に痛覚を麻痺させる鎮痛剤でしかない。薬の使用によって弊害が生じるのは当然のことだ。これはコンロの火に手を触れれば火傷をするのと同じくらい当たり前のことだ。
 私は輸入販売元のアストラゼネカ社に賠償責任があるとは思わない。欠陥薬品ではないからだ。もし誰かが責任を問われるべきならば、「夢の新薬」と報道して肺癌患者の期待を煽り立てたマスコミにこそ責任がある。綺麗な薔薇には棘があるように特効薬には重い副作用があることを正しく報道すべきだった。しかしマスコミが自らの責任を追及することはあり得ない。従って販売元と国の責任だけをマスコミは追及する。マスコミこそ加害者だ。

ウグイス(2)

2011-03-04 15:32:20 | Weblog
 「江戸のウグイスの声は訛っておじゃるのぉ」と言ったかどうかは知らないが、京から江戸の寛永寺に赴任した公弁法親王は江戸のウグイスの鳴き声に憤って何と3,500羽のウグイスを京から取り寄せたと言う。その甲斐有って江戸のウグイスも「ホーホケキョ」と鳴くようになったそうだ。この地は今では鶯谷と呼ばれている。
 ウグイスは教わらないと正しく鳴けない。多分正しく鳴けば繁殖において有利なのだろう。個体数が多い土地では皆が正しく鳴くが、個体数が少なければ泣き声がバラバラになるらしい。訛っていたウグイスも正しい声を聞けばすぐにその真似をするらしいから、多数決ではなく「正しい鳴き声」という基準があるのだろう。
 人間も正しい行為を見れば不正な自分が恥ずかしくなる。何が正しいかを定義することは難しいが「悪の否定」としてなら定義できる。子供向け番組の「正義の味方」は犯罪組織や怪獣をやっつけることでしか自らを正義の味方と位置付けられない。
 平和や繁栄や秩序などを脅かすことが「悪」であってその悪を倒すことが「正義」とされる。正義とは何とも消極的な概念だ。ハーバード大学のサンデル教授も「正義でないこと」について話すばかりで正義については殆んど話していない。正義とは一次的な概念ではなく二次的な概念だ。

続・議員報酬

2011-03-04 15:18:09 | Weblog
 昨日(3日)の大阪府議会で府議の議員報酬の30%削減案が可決された。4つの会派の案が相次いで否決された後、最後に採決された民主党案に、公明党以外の4会派が賛成して可決されたそうだ。
 1日の私の記事はたった2日で覆された訳だが、これは予言のパラドクスなのかも知れない。私の記事を読んだ府議がホンネを見抜かれたことを知って対応した可能性はゼロではない。
 人が予言を聞きたがるのは予防するためだ。「今日、自動車事故に遭う」と占われた人は自動車を運転しないだろうし外出も極力控えるだろう。もし未来が変えられないのなら占など要らない。
 こんな実例がある。
 日経新聞がある有名企業の社長交代をスッパ抜いた。その企業は記者会見を開いてその記事を否定した。そして実は既に決定していた社長人事を1年遅らせることにした。
 つまりその企業は、本当は正しかったスッパ抜き記事を否定するために、決定していた社長人事を変更した。その結果、日経の記事は誤報になった。このことによって公式発表以外を報道すれば報復をするという企業姿勢をマスコミに知らしめた。
 その時点では正しかった予言も、予言された人が適切に対応すれば覆すことができる。するとその予言は的中しなかったから正しくなかったということになる。正しい予言だったからこそ違った結果になるということが予言のパラドクスだ。