俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

命懸け

2011-03-15 15:47:38 | Weblog
 命を守るためには命を懸けることもやむを得ない。警察・消防・防衛などは命懸けの仕事だ。命を守るためなのだから命を懸けることも容認できる。
 しかし原子力発電所を守ることは命を懸けるに値するだろうか。確かに放射能が漏れれば多くの人命を損なうから命を懸けるに値すると言えるが、多くの人命を損ないかねない危険な施設を作ることがそもそも間違いではないだろうか。
 福島第一原発事故で怪我をされた方を貶めるつもりは全く無い。人命を守るための尊い英雄的行為だ。彼らの活躍が無ければとんでもない災害を招いていただろう。
 私が否定したいのは安全を守るためには命懸けで働かねばならない原子力発電所の存在だ。たかが電気を得るために何万人もの命を危険に晒し、爆発を防ぐために職員は命懸けで働かねばならない。これは明らかに欠陥施設だ。
 「ガスタンクも危険な施設だ」と茶化されそうだ。しかしそれとは危険のレベルが全然違う。原発とは直径1kmのガスタンクのようなものだ。誰もそんな巨大ガスタンクなど作らない。危険過ぎるからだ。
 原発の住民および従業員に対する危険性を考えるなら明らかに作るべきでない施設だろう。危険な原発を作ることとCO2の排出量とを秤に掛けてとちらを選ぶべきかは議論の余地さえ無かろう。

支援物資

2011-03-15 15:32:46 | Weblog
 東日本大震災の被災地への支援物資の送付は現時点では慎むべきだ。雑多な品が届いても仕分けができないからだ。
 阪神・淡路大震災の時、全国から大量の支援物資が届いたが堆く積まれた荷物の多くが手付かずのままゴミになったと聞く。保管場所も必要なので文字通り「お荷物」になったそうだ。特に迷惑だったのは生鮮食品だった。仕分けをする前に腐ってしまうので廃棄作業に人手を取られる始末だった。古着も迷惑だ。被災者は乞食ではない。不用品の古着を送り付けても受け取る人がいなければゴミにしかならない。
 送る側は善意なのだろうがこれは独り善がりの行為でしかない。被災地の実状を理解していない。一番良いのは義援金だ。金ならば腐らないし汎用性も高い。
 日本人の常識として現金を贈るよりも品物を贈るほうが奥床しい行為とされている。しかしこんな常識は非常時には通用しない。最も汎用性のある現金こそ被災地では求められている。現金さえあればそれぞれの被災地で最も必要な物を購入できる。被災地の個々のニーズに合った物資を調達できる。
 水が足りない、食料が足りない、毛布が足りない、といった被災者の声を鵜呑みにしてはならない。仕分けし易いまとまった量でなければ支援物資は邪魔なガラクタにしかならない。被災者にとって最も必要なのは現金だ。義援金こそ最良の支援策だ。「同情するなら金贈れ」と声を大にして言いたい。

津波と原発

2011-03-15 15:17:10 | Weblog
 原子力発電所は耐震構造にはなっていても耐津波構造にはなっていない。恐ろしいことには日本の原発は殆どが海岸沿いに建っている。それにも関わらず津波は想定外だ。
 確かに津波の被害を受け易いリアス式海岸には原発は無い。しかしもし今回の東日本大震災の震源地が数十km南だったら福島原発は津波の直撃を受けていたのではないだろうか。
 画像で見る限りでは福島第一原発は巨大津波の直撃を受けたとは思えない。津波による停電と浸水が原因となった事故だ。もし直撃されていたら恐ろしい事態を招いていただろう。
 マグニチュード6以上の地震の20%が日本で起こっているそうだ。国土の狭さを考えれば異常に高い数値だ。こんな危険な土地に制御不能になりかねない原発を建てる必要があるのだろうか。そして職員を命懸けで働かせることは果たして正当と言えるだろうか。
 アメリカでは太平洋岸には原発は無い。安全な大西洋岸に集中している。高層ビルも太平洋側には少ない。高さランキング50位までを見れば僅か4棟しか西側には無い。
 原子力がクリーンエネルギーだなんて嘘っぱちだ。現代の技術では処理できない極悪の放射性廃棄物を出すし事故が起これば大惨事になる。原子力発電は長期的にはとてつもなく有害で高コストだ。原発と心中するよりは薪を燃やした生活をするほうがずっとマシだ。