4日に名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚が享年89歳で獄死した。多分、政府は獄死することを待っていたのだろう。物的証拠の乏しい事件であり自白に頼ったかなり怪しい判決に基づいているから冤罪の可能性が少なくない。だから死刑確定後43年間も死刑にできなかった。勝手に終身刑に減刑していたのではないかとも思える。
イギリスにはとんでもない事例がある。1950年にエバンス氏は妻子を殺した罪で死刑になった。ところがそれから3年後、真犯人が見つかった。これは究極の冤罪事件であり国家による殺人事件だ。イギリスはこれに懲りて1965年に死刑制度を廃止した。
奥西死刑囚を死刑にした後、もし真犯人が名乗り出たら第二のエバンス事件になってしまう。政府はそれを恐れ、どの法務大臣も死刑執行を命じられなかったのだろう。大体そんな疑わしい死刑囚が存在すること自体おかしい。推定無罪、つまり疑わしきは罰せず、であるべきだろう。
私は2人の死刑囚について疑問を持っている。一人は和歌山砒素カレー事件の林眞須美死刑囚であり、もう一人はオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚だ。
林死刑囚は冤罪だと思う。判決文を読んでも、物的証拠が乏しく状況証拠の寄せ木細工で有罪という結論を導いている。「推定無罪」の原則を守るべきだろう。マスコミが犯人と決め付けたことによって裁判官が誤誘導されたとさえ思える。物証とされた砒素の鑑定も不十分であり、近々、再審が認められるのではないだろうか。事件の場に居合わせた人が潔白であることを証明することは極めて難しい。だからこそ有罪とする決定的な証拠が無い限り無罪とすべきだ。
松本死刑囚は狂人だから死刑にできない。刑法第39条には「心神喪失者は、罰しない」と書かれている。現在の松本死刑囚が狂人であることは明らかだ。親族との会話さえできず、所構わずマスタベーションを始めると伝えられている。犯行時、つまり地下鉄サリン事件を命じた時点で既に狂っていたと思える。
この二人は国民から嫌われている。だからマスコミは国民感情を逆なでする報道を避ける。しかし法治国家では感情よりも法を優先する。「悪法も法なり」と言って毒杯をあおいだソクラテスが法治国家の理想であり、全く守るつもりの無い日本国憲法を自らの権力拡張のために悪用し続けている日本共産党は法治国家に巣食う毒虫だ。
イギリスにはとんでもない事例がある。1950年にエバンス氏は妻子を殺した罪で死刑になった。ところがそれから3年後、真犯人が見つかった。これは究極の冤罪事件であり国家による殺人事件だ。イギリスはこれに懲りて1965年に死刑制度を廃止した。
奥西死刑囚を死刑にした後、もし真犯人が名乗り出たら第二のエバンス事件になってしまう。政府はそれを恐れ、どの法務大臣も死刑執行を命じられなかったのだろう。大体そんな疑わしい死刑囚が存在すること自体おかしい。推定無罪、つまり疑わしきは罰せず、であるべきだろう。
私は2人の死刑囚について疑問を持っている。一人は和歌山砒素カレー事件の林眞須美死刑囚であり、もう一人はオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚だ。
林死刑囚は冤罪だと思う。判決文を読んでも、物的証拠が乏しく状況証拠の寄せ木細工で有罪という結論を導いている。「推定無罪」の原則を守るべきだろう。マスコミが犯人と決め付けたことによって裁判官が誤誘導されたとさえ思える。物証とされた砒素の鑑定も不十分であり、近々、再審が認められるのではないだろうか。事件の場に居合わせた人が潔白であることを証明することは極めて難しい。だからこそ有罪とする決定的な証拠が無い限り無罪とすべきだ。
松本死刑囚は狂人だから死刑にできない。刑法第39条には「心神喪失者は、罰しない」と書かれている。現在の松本死刑囚が狂人であることは明らかだ。親族との会話さえできず、所構わずマスタベーションを始めると伝えられている。犯行時、つまり地下鉄サリン事件を命じた時点で既に狂っていたと思える。
この二人は国民から嫌われている。だからマスコミは国民感情を逆なでする報道を避ける。しかし法治国家では感情よりも法を優先する。「悪法も法なり」と言って毒杯をあおいだソクラテスが法治国家の理想であり、全く守るつもりの無い日本国憲法を自らの権力拡張のために悪用し続けている日本共産党は法治国家に巣食う毒虫だ。