俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2015-10-28 14:15:58 | Weblog
 WHOが26日に「加工肉を1日に50g食べると癌に罹るリスクが18%高まる」と発表した。いつものことながら医学情報のオカルト性には呆れ返る。ベジタリアンによる偏見としか思えない。
 公表されたデータによると、90%以上の人が肉を食べるオーストラリアとアメリカでは癌患者が多く、5%以下の人しか食べないエチオピア、インド、バングラデシュでは癌が少ないとのことだ。
 これらの国の2011年の平均寿命を見てみよう。肉を過剰摂取する国とされたオーストラリアは82歳で世界4位、アメリカは79歳で33位だ。一方、肉を余り食べない、つまり癌に罹りにくい国は、エチオピアが60歳で157位、インドは65歳で138位、バングラデシュは70歳で115位だ。つまり肉食の多い国とは長寿国であり、肉食の少ない国とはことごとく短命国だ。
 WHOとは違って私は、肉食によって寿命が伸びる、などといった軽率な結論は出さない。肉類を充分に摂取できるほど豊かな国だからこそ寿命も長くなると推定する。
 ではなぜ長寿国では癌が多く短命国では癌が少ないのだろうか?癌が老人病だからだ。人が癌に罹るのは細胞のコピーミスが原因だ。正常細胞が変異したものが癌細胞だ。コピーミスはある程度の頻度で必ず起こる。だからコピーの回数が増えるほどコピーミスも増える。つまり長生きすればするほど癌が発生する可能性が高まるということだ。短命の人は「癌適齢期」を迎えるまでに他の病気で死ぬから癌には罹れない。
 医学のオカルト性について私は腹に据えかねるほど憤っている。EBM(Evidence-Based Medicine)が唱えられるのは根拠に基づかない医療が氾濫しているという事実の裏返しだ。
 医療においては「木を見て森を見ず」という事態が頻発する。全体を見ずに部分だけを見るから健康を損なう偽医療が横行している。血圧が少し高いだけで降圧剤が処方されるが、そのせいで脳に充分な血が回らなくなって認知症のような症状を表す患者がいる。藪医者はこれを認知症の初期症状だと思い込んで、効かないだけではなく有害な認知症治療薬を処方する。
 パソコンが普及したせいで誰にでも簡単にデータ解析ができるようになった。以前であれば統計学の知識を持った人しかしなかったことをド素人がやる。だから無茶苦茶な発表が乱発される。癌と食物にしか注目しないからもっと重要な年齢という要因が無視されてトンデモ研究が世に溢れ返る。
 こんな低レベルな研究を無批判で報道するんHKなどのメディアもWHOに負けず劣らず低レベルだ。

哲学の効能

2015-10-28 10:32:16 | Weblog
 哲学は本来、役に立たない学問だ。生きることの意味とか善悪の基準とかいったどうでも良いことを問う。関心の無い人にとってはこれほどくだらない暇潰しは無かろう。ところが哲学はこんな難問を解決するために高度な論理性を要求する。これが非常に役に立つ。日常生活では因果性と相関性は殆んど区別されないし、カラスは黒いに決まっている。哲学を学んだ人はこれらを疑う。すると常識がいかにデタラメなのかが分かる。
 「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を理解する必要は無いが、「対偶は常に正しく、逆や裏は必ずしも正しくない」ということぐらいは知っておいたほうが良い。巷に溢れるくだらない詭弁は大半がこのことだけで否定できる。
 私が主に攻撃するのはそんな常識だ。ウィルス性疾患の治療は可能か、大日本帝国は極悪の社会だったのか、科学の中にオカルトが混じっていないか、報道は公正か、こういったことに対して哲学的思考法は大いに役立つ。
 哲学を通して学んだ教訓も有効だ。私がカントの「純粋理性批判」を絶賛するのは、この本によって理性の僭越について知らされたからだ。知覚に依存する理性には世界の真の姿を知ることはできない、という事実は重い。乏しいデータから性急に結論を出すこと、主観的な印象に基づく判断、こういった誤りがしばしば生じるのは知恵に対する過信があるからだ。知恵を過信するからこそ、できないことをできると言い、分からないことを分かると言う。老人病とされている病気の大半が老化現象であって治らない。人造物である橋やビルがいつ壊れるかさえ分からないのに地震や噴火がいつ起こるかなど分かる筈が無い。
 天気予報も予報が困難な状況がある。私は天気図や雲の動きなどに基づいて自分で予想をしているからよく分かることなのだが、春と秋の季節の変わり目の予報は難しい。それは他の季節とは違って大気のバランスによって天気が決まるからだ。普段の天気は西から東へと移動するが、季節の変わり目の天気は寒気団と暖気団の力関係によって決まる。予報が難しい時に普段と同じように予報をしていれば外れる確率が高くなる。降水確率だけではなく予報の信憑性もランク付けして発表したほうが良かろう。
 できることとできないことを識別して、できることに全力を注ぐべきだ。永久機関や不老不死およびそれに類する研究など無駄にしかならない。理想を追及することを否定しないが、それが叶わない妄想であれば理想家ではなくドン・キホーテのような狂人になってしまう。

再生力

2015-10-28 09:46:52 | Weblog
 ヒトデやイモリほどではないが人間にも再生力が備わっている。多少の怪我であれば自力で修復できる。胃で起こっていることはもっと凄い。胃酸が胃壁を溶かす以上のスピードで再生するからこそ胃が消化されずに済んでいる。まるで、右足が沈む前に左足を出す水上歩行術のような凄技だ。
 怪我が治るのは自然治癒力に依存する。医療にできることはその補助と一時凌ぎだけだ。切り傷であれば傷口を縫合して出血を防ぐ。あとは自然治癒力によって癒着することを待つ。骨折すれば骨を正しい位置に戻して固定する。やはり待つだけだ。
 関節痛であればしばらくは酷使を控える。この間、極力、鎮痛剤は使わないほうが良い。鎮痛剤は治療薬ではなく痛覚を麻痺させるだけだ。実際には傷んだ状態のままなのに痛まなければ傷が治ったと勘違いして通常通りに使って患部を悪化させかねない。鎮痛剤を使わない痛み止めもある。オフセット鎮痛と呼ばれている。これは現状よりも強い痛みを与えることによって現在の痛みを感じにくくさせる。いきなり42℃の湯に浸かれば熱く感じるが44℃の湯に入った後であれば熱く感じないのと同じ錯覚だ。より強い痛みを感じさせることによってそれまでの痛みを忘れさせる。勿論これは知覚上での錯覚であって治療効果は全く無い。この錯覚を利用した有害なマッサージもある。
 老人の慢性関節痛は怪我ではなく劣化だ。だから自然治癒力は働かない。それなのに藪医者は、鎮痛剤で痛みを和らげることを治療だと思い込んでいる。たとえ痛みが緩和されても関節は傷んだままだから劣化が進む。こんな偽医療は患者のためにならない。
 白髪を染めれば皮膚や毛髪を傷める。眼鏡を使えば水晶体の調節力が衰える。柔らかい物しか食べなければ咀嚼力が低下する。鎮痛剤もこれらと同じように、現在の快適さを求めることによって将来の不具合を招く。
 怪我や病気であれば治せるかも知れないが老化は治せない。そんな現実を認めないから対症療法に頼り続けて健康を害する。老化を誤魔化す薬は一時凌ぎに過ぎない。
 老人の関節痛に有効なのは鎮痛剤ではなくリハビリだ。関節の劣化は治らないが筋肉を鍛えれば関節の負担を軽減できる。筋力が弱いと外部の力が直接関節に掛かるが、筋肉と関節で力を分散させれば関節の負担が減る。かつて横綱千代の富士関は肩の脱臼癖を克服するために筋肉の鎧を身に纏った。野球では「投手の肩は使い減りする」と言われているが、使い減りするのは関節の軟骨だ。だから投げ込みよりも筋力トレーニングのほうが有効だ。それと同じように、関節に負担を掛けない水中ウォーキングなどによって筋肉を鍛えることが関節痛の対策として有効だろう。