俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

疑わしきは

2016-02-13 10:49:18 | Weblog
 刑法では「疑わしきは罰せず」が大原則だ。99%有罪と思えても1%の疑惑があれば有罪にはできない。それにも拘わらず冤罪が絶えないのはこの原則が守られていない証拠であり裁判官には猛省を促したい。冤罪判決を下した裁判官には有罪判決を下したいとさえ思う。
 その一方で医療の世界では「疑わしきは罰す」がルールになっておりこれもまた困ったことだ。癌を良性腫瘍と診断すれば誤診として告訴され、良性腫瘍を癌と診断して手術をしても咎められることは滅多に無い。だから殆んどの病理医がごくごく薄いグレーを黒と判定する。早期発見・早期治療によって完治したとされる症例の殆んどが薄いグレーを癌と判定したものだ。本物の癌の治療は今尚、かなり厳しい状況だ。
 「念のために」は医療に蔓延る悪弊だ。風邪の患者に抗生物質を処方するから多剤耐性菌が増える。これは決して患者に対する配慮ではなく、自らの保身のためだ。「肺炎を見逃した」と非難されないために、風邪には全く効果の無い抗生物質を処方して自分の身を守っているだけだ。
 癌の過剰治療の問題はもっと深刻だ。欧米であれば良性と診断される腫瘍まで癌と判定されている。良性腫瘍を癌と判定して手術をすることは医師にとって多大なメリットがある。医療収入の増加だけではなく手術の成功率も高くなる。だから白に近いグレーの患者は「呼ぼう医療」にとっては最も有難いお客様だ。
 癌かどうかを判定する権限を握っているのは病理医だ。残念なことにこの病理医のレベルは余り高くない。病理医の多くが臨床医ではなく研究医であり、患者を診るよりも基礎研究のほうが好きな人が大半だ。そんな病理医は厄介なことを嫌う。少しでも疑わしければ迷わずに黒(=癌)と判定する。仮に患者に訴えられても癌の可能性がゼロでない限り責任を問われることはないし、手術後に執刀医が「発見が早かったから完治できたと思います」とでも発言しておけば一生感謝されるだろう。
 こんな病理医の判断に頼っているから、日本の癌患者の生存率はどんどん高くなっているのに、日本人全体の癌死亡率は上昇し続けている。これは決して高齢化だけが原因ではあるまい。健康な患者を幾ら治療しても病人は減らない。本当の患者を治療しなければ無駄な医療が増えるだけだ。

不治の病

2016-02-13 09:51:55 | Weblog
 自分が患者になり当事者として調べれば調べるほど、癌が今尚、不治の病だと痛感させられる。こんな発言は患者の希望を挫くと非難されそうだが、患者の一人として、事実に基づくべきだと強く主張したい。
 国立がん研究センターの1月19日の発表に基づけば癌の10年生存率は58.2%だ。この発表を鵜呑みにすれば患者の半分以上が10年以上生きていることになり、克服とまでは言えないまでも治療可能な病であるかのように期待させられる。
 しかしこの10年生存者の大半が転移していない癌の患者だ。転移した癌であれば、幾ら手術をしても次々に新しい癌が出現して、まるでモグラ叩きのように手術を重ねた挙句、死に至る。
 では転移する・しないは何によって決まるのか。現在の常識においては、早期の癌であれば転移しておらず、長期間放置された癌だけが転移するとされている。だから早期発見・早期治療によって癌の転移を予防できると信じられている。転移すればお手上げになるから転移する前に切除することが推奨されている。しかしこの論理には大きな矛盾がある。初期の筈の小さな癌が既に転移していることもあれば、かなり大きく成長していながら転移していない癌もある。この事実に基づくなら癌には2種類あり、転移性の癌と非転移性の癌があると考えるべきではないだろうか。転移性の癌であればどれだけ早く発見しても助からず、非転移性の癌であれば病状が現れてからでも治療できるということだ。前者が本物の癌であり、後者が近藤誠氏の言う「がんもどき」だろう。癌であれば治療不可能であり、がんもどきなら元々良性腫瘍なのだから簡単に除去できる。従って癌検診で早期発見することは無意味であり、逆に検診で浴びる放射線によって発癌リスクを高めることになる。
 私は決して癌患者の希望を奪いたい訳ではない。事実に基づくべきだと考える。この世を理不尽と考える人はありもしない来世や神の裁きを捏造して満足を得ようとする。IS(イスラミック・ステート)のテロリストが平気で残虐な犯罪を繰り返すのは聖戦(ジハード)についての勝手な解釈に基づく。独善的な宗教は他の信仰を否定するから宗教間・宗派間での対立を招く。嘘に基づいて生きるよりも事実に基づくべきだ。神による救済があり得ないように本物の癌の完治もあり得ない。癌を不治の病と認めないから無駄な医療によって苦しい思いをして時には却って死期を早めているのが現状だろう。不治の病であるという事実を直視した上で、残された時間を最も有意義に使うべきであり、無駄な足掻きは貴重な時間と金の浪費にしかならない。