俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

憑依

2016-02-17 09:45:24 | Weblog
 最も好まし医療は完治だろう。たとえ多少後遺症が残ってもその病気ときっぱりと縁が切れることが望ましい。
 次に良いのは延命だ。意識の無い状態でのチューブ巻きは論外だが、生きていなければ他の治療は不可能だ。とは言え、苦痛を伴う延命は患者にとっては有難くない。患者が「死なせてくれ」と訴えるような延命は誰のためにもならない。微妙なのは抗癌剤であり、副作用で苦しむ割には延命効果は乏しい。悪性リンパ腫に対しては特効薬があるらしいが固形癌に対する延命効果はせいぜい数か月らしい。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とのバランスを測る必要があるだろう。
 最低は対症療法だ。症状を軽減するだけだから病気は悪化する。時には下痢止めのように、症状の緩和と引き換えに命まで奪う愚かな治療もある。
 いざ自分が食道癌の患者になって、不本意ながら対症療法を選んだ。完治は全く望めそうにないないから、よりマシと思えるほうを選らばざるを得なかった。もし完治できる可能性がもう少し高ければ命を賭けた大手術を選んだかも知れないが、成功してもせいぜい5年ほどしか生きられないようだ。そんなギャンブルよりはたとえ3年で死ぬことになろうとも、症状だけを改善することによって通常の生活を営めることのほうが好ましい。
 これまでは多分80歳ぐらいまで生きるだろうという思惑に基づいて15年間のライフプランを立てていたが3年ともなると大幅な見直しが必要だ。充分な時間があるつもりで広いジャンルの勉強をしていたが今後は癌を中心とした医学にかなり偏ることになるだろう。
 綺麗事を言う気は無いが、長く生きるか正しく生きるかを選ぶなら私は迷わずに後者を選ぶ。最悪の生き方とは虚偽に基づいて生きることだろう。私は犯罪者となったオウム真理教の信者に深く同情する。誤った信仰を持ったことは自己責任かも知れないが、麻原彰晃という狂人に振り回された挙句、取り返しの付かないことをしてしまった彼らが幾ら悔やんでも覆水は盆に返らない。しかし誤った信仰を持つ人は彼らだけではない。妙なイデオロギーを盲信することも悪霊に憑依されるようなものだろう。一生を無駄にしないためにも、今の自分の考えが本当に自分本来のものであるかどうかを検証する必要がある。誤った信念に基づいて生きればオウム真理教の信者のように一生を棒に振りかねない。

代替品

2016-02-17 08:57:49 | Weblog
 「旨い塩」とも呼ばれる割と知られたジョークがある。
 「塩を一番旨く食べる方法を知っているかい?知らない?じゃ、抜群に旨く食べられる方法を教えてやる。まず肉屋に行って上等のステーキ用の牛肉を買う。これを鉄板で焼きながら、ごく薄く満遍なく塩を振る。こうやって食べる塩が一番旨い。」
 牛肉の旨さは圧倒的だ。そのため世界中の食文化は、いかにして牛肉の旨さを最大限に引き出すかという方向で進歩した。つまりあらゆる食材が牛肉の引き立て役の位置に立たされた。
 神聖な動物として牛を崇めるインド人は牛を食べない。私はインドに行ったことが無いので詳しくは知らないがインドには様々なカレーがありそれぞれ違った美味しさを味わえるそうだ。その一部がイギリスに伝わりビーフカレーが生まれるとこれは絶品となった。
 神道と仏教の双方から肉食が否定された日本では更に独自の食文化が生まれた。魚と海草による「旨み」の創造だ。これがカツオと昆布を頂点とする「出汁」文化だ。主役の不在によって脇役のレベルが極限まで高められた。
 出汁やカレーは単なる代替品ではない。確かに当初は代替品に過ぎなかったが極められることによって頂点に立った。人によっては牛肉以上の美味と評価するだろう。
 「神」という理念は極めて便利だ。共通の神を信じることによって個人の悩みは解消され社会は秩序付けられる。余りにも便利な理念だから人類はそれぞれの神を手放すことができなくなってしまった。中世ヨーロッパではトマス・アキナスによって「哲学は神学の端女(ハシタメ)」とされた。完璧と思われる「神の意思に基づく世界」と不完全で矛盾に満ちた人間社会との差は歴然としている。勿論、神を想定しても現実が変わる訳ではない。しかし人智を超える叡智が存在してそれが万物を支配していると考えれば、人間にとって理解不可能であることこそ神の叡智の現れと解釈できる。こうして世界は全面的に肯定された。
 しかしこれは牛肉信仰とどこか似ている。余りにも旨い牛肉のために他の食材の価値が蔑ろにされたように、余りにも便利な神という理念のために哲学は神学に奉仕させられていた。
 アジアには西洋や中東のような絶対神は無い。だからこそ独自の倫理観が生まれる。その頂点に立つのがガラパゴス化した日本だろう。神という嘘に頼らない倫理を確立したことにおいて日本は世界の模範たり得るのではないだろうか。
 日本の倫理が何であるのかを伝えることは和食を広めることよりも遥かに重要な課題だろう。世界でも稀な神を持たない民族による「神無き社会の高度な倫理」こそ、神を失いつつある総ての文明人にとっての救済になるだろう。