最も好まし医療は完治だろう。たとえ多少後遺症が残ってもその病気ときっぱりと縁が切れることが望ましい。
次に良いのは延命だ。意識の無い状態でのチューブ巻きは論外だが、生きていなければ他の治療は不可能だ。とは言え、苦痛を伴う延命は患者にとっては有難くない。患者が「死なせてくれ」と訴えるような延命は誰のためにもならない。微妙なのは抗癌剤であり、副作用で苦しむ割には延命効果は乏しい。悪性リンパ腫に対しては特効薬があるらしいが固形癌に対する延命効果はせいぜい数か月らしい。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とのバランスを測る必要があるだろう。
最低は対症療法だ。症状を軽減するだけだから病気は悪化する。時には下痢止めのように、症状の緩和と引き換えに命まで奪う愚かな治療もある。
いざ自分が食道癌の患者になって、不本意ながら対症療法を選んだ。完治は全く望めそうにないないから、よりマシと思えるほうを選らばざるを得なかった。もし完治できる可能性がもう少し高ければ命を賭けた大手術を選んだかも知れないが、成功してもせいぜい5年ほどしか生きられないようだ。そんなギャンブルよりはたとえ3年で死ぬことになろうとも、症状だけを改善することによって通常の生活を営めることのほうが好ましい。
これまでは多分80歳ぐらいまで生きるだろうという思惑に基づいて15年間のライフプランを立てていたが3年ともなると大幅な見直しが必要だ。充分な時間があるつもりで広いジャンルの勉強をしていたが今後は癌を中心とした医学にかなり偏ることになるだろう。
綺麗事を言う気は無いが、長く生きるか正しく生きるかを選ぶなら私は迷わずに後者を選ぶ。最悪の生き方とは虚偽に基づいて生きることだろう。私は犯罪者となったオウム真理教の信者に深く同情する。誤った信仰を持ったことは自己責任かも知れないが、麻原彰晃という狂人に振り回された挙句、取り返しの付かないことをしてしまった彼らが幾ら悔やんでも覆水は盆に返らない。しかし誤った信仰を持つ人は彼らだけではない。妙なイデオロギーを盲信することも悪霊に憑依されるようなものだろう。一生を無駄にしないためにも、今の自分の考えが本当に自分本来のものであるかどうかを検証する必要がある。誤った信念に基づいて生きればオウム真理教の信者のように一生を棒に振りかねない。
次に良いのは延命だ。意識の無い状態でのチューブ巻きは論外だが、生きていなければ他の治療は不可能だ。とは言え、苦痛を伴う延命は患者にとっては有難くない。患者が「死なせてくれ」と訴えるような延命は誰のためにもならない。微妙なのは抗癌剤であり、副作用で苦しむ割には延命効果は乏しい。悪性リンパ腫に対しては特効薬があるらしいが固形癌に対する延命効果はせいぜい数か月らしい。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とのバランスを測る必要があるだろう。
最低は対症療法だ。症状を軽減するだけだから病気は悪化する。時には下痢止めのように、症状の緩和と引き換えに命まで奪う愚かな治療もある。
いざ自分が食道癌の患者になって、不本意ながら対症療法を選んだ。完治は全く望めそうにないないから、よりマシと思えるほうを選らばざるを得なかった。もし完治できる可能性がもう少し高ければ命を賭けた大手術を選んだかも知れないが、成功してもせいぜい5年ほどしか生きられないようだ。そんなギャンブルよりはたとえ3年で死ぬことになろうとも、症状だけを改善することによって通常の生活を営めることのほうが好ましい。
これまでは多分80歳ぐらいまで生きるだろうという思惑に基づいて15年間のライフプランを立てていたが3年ともなると大幅な見直しが必要だ。充分な時間があるつもりで広いジャンルの勉強をしていたが今後は癌を中心とした医学にかなり偏ることになるだろう。
綺麗事を言う気は無いが、長く生きるか正しく生きるかを選ぶなら私は迷わずに後者を選ぶ。最悪の生き方とは虚偽に基づいて生きることだろう。私は犯罪者となったオウム真理教の信者に深く同情する。誤った信仰を持ったことは自己責任かも知れないが、麻原彰晃という狂人に振り回された挙句、取り返しの付かないことをしてしまった彼らが幾ら悔やんでも覆水は盆に返らない。しかし誤った信仰を持つ人は彼らだけではない。妙なイデオロギーを盲信することも悪霊に憑依されるようなものだろう。一生を無駄にしないためにも、今の自分の考えが本当に自分本来のものであるかどうかを検証する必要がある。誤った信念に基づいて生きればオウム真理教の信者のように一生を棒に振りかねない。