俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

利害

2016-07-01 10:09:24 | Weblog
 人にとって利と害の重要性は対等ではない。人は害と損に過剰に反応する。それは人類の脳が多重構造になっているからだ。
 害と損は本能に直結している。どんな動物にとっても危害から逃れることは最重要課題だ。だから原始的な脳が害と損を評価して、これが感情になる。情報は先に感情として把握された後で大脳皮質に届けられる。
 損得や利害は大脳皮質によって総合的に判断されることが望ましい。しかし理性が判断する以前に感情的な評価が下されている。一旦下された感情的判断を理性によって覆すことは容易ではない。
 行動経済学の研究が多くの事例を報告しているが、人は100円損をしないためにみすみす200円得をするチャンスを放棄するものだ。人が害と損に対して過敏なのは脳の構造に基づく。害と損に基づく判断が先にあるから、利と益に対する理性的な判断は難しい。
 EUに加盟することのメリットは大きいがデメリットも少なくない。まともな状態の人であればメリットとデメリットを秤に掛けて判断できるが、外国人労働者の増加という現実に直面して不満を感じている人はこのことが決定要因となってしまって他の条件については考慮できなくなる。
 「損をしている」という感情が働くと人は冷静さを失って理性レベルでの判断が困難になる。それに付け込むのが政治家、特に野党の政治家だ。「我々は損をしている」と訴えれば大衆は理性を失って感情に支配されたとえ不合理な主張であろうとも平気で受け入れる。減税と各種保険金の減額を実施して福祉を充実させるといった非現実的な公約でさえ受け入れられる。与党とは違って、万年野党の政治家は絶対に責任を負わされないのだから幾らでもホラを吹く。こんなホラに騙されるほうが愚かなのだが、騙されても騙されたということを自覚しないから不満だけが残る。彼らは絶対不可能な妄想が実現されないことに対する不満だけを持ち続ける。ブーブーと不満を言い続ける豚が大量生産される。損に対する過剰な注目が判断力を狂わせる。
 ハイリターンなものはハイリスクでありローリスクなものはローリターンだ。これは当たり前のことだ。ところがあろうことかノーリスク・ハイリターンを求める人が少なくない。そんなあり得ないものを約束するのは詐欺師だけだ。詐欺師だけが詭弁を弄してあり得ないものをあり得るかのように説く。その結果、愚かな人々は超ハイリスク・ノーリターンに群がる。これは彼らが自ら招いた災厄であり自業自得に過ぎない。
 現状に不満を持つことは必要だ。現状に対する不満があるから社会は改善される。しかしその不満が改善へと向かうか妄想へと向かうかによってその後の行動は全く違ったものになる。現実を改善しようとする人は現状を知ろうとするが妄想へと向かう人は悪徳政治家と詐欺師の食い物にされる。
 利益を求める時には損と害にも注目できるが、害と損から逃れようとする人は却って理性を失う。短期的な損害を避けようとして一生に亘る負債を抱え込む人もいる。損害は感情的な判断を促す。感情的な判断を理性によって覆すことは容易ではない。