俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

飢餓と肥満

2010-07-20 15:29:20 | Weblog
 世界の飢餓人口は約10億人だそうだ。一方、肥満人口は20億人だそうだ。全く馬鹿げた話だ。先進国で全く無駄に消費されている食物を最貧国に回すだけで飢餓問題と健康問題が同時に解決できる。食資源の配分を見直すだけで30億人が健康体になれる。
 肥満は単に美醜の問題ではない。健康の問題だ。
 肥満していれば生活習慣病にかかり易い。また腰や膝も痛め易い。わざわざ金を使って不健康体になるまで太るのは食欲中枢が壊れているとしか思えない。
 但し私は現代社会の「やせ願望」も異常なものだと思っている。BMI(体重÷身長÷身長)22を理想として25未満に収めることが奨励されているが、実は男女共BMI18.5未満が最も短命で、23~27が最も長命だそうだ。つまり理想値とされる22ではやせ過ぎで理想値を少し越えたぐらいが最も長命だということだ。なぜ厚生労働省は基準値を見直さないのだろうか。
 今のところ富の偏りが飢餓を生んでいるが、近い将来、人口が増え過ぎて食料の絶対量が足りなくなることは確実だ。食物の絶対量が足りなくなっても金さえあれば何とかなると考えているのは日本人だけだろう。全く成金趣味者の発想だ。

ドン・キホーテ

2010-07-20 15:15:59 | Weblog
 通常ドン・キホーテ型人間とは猪突猛進する人を意味し、ハムレット型人間は優柔不断な人を指す。
 私はドン・キホーテを全く違った意味に捉える。狂った理想主義者だ。
 騎士道精神の衰退に憤った主人公は騎士ドン・キホーテとして騎士道精神を発揮しようとして騒動を起こす。親族は彼の狂行を止めさせるために「鏡の騎士」となり「お前は騎士ドン・キホーテではなくただの老いぼれだ」と思い知らせて連れ戻す。
 「ドン・キホーテ」によって騎士道という理想の空虚さが暴露されて「騎士道物語」は一挙に衰退したそうだ。
 「かくあるべし」という思いの暴走を食い止めるのは鏡(「かくあり」)だ。「かくあるべし」は言わば演繹法だ。一方「かくあり」は帰納法だ。演繹は常に帰納によるチェックを受けねばならない。
 理想は経験に基づいて築かれるのだから一方的に振り回すのではなく現実による検証が必要だ。検証を欠いた理想は狂気になる。
 「かくあるべし」の素性を問うことが必要だ。つまりなぜ「かくあるべし」と主張するのかが問われるべきだ。多くは偏見に過ぎず、偽りの価値に基づく。

逆累進性

2010-07-16 15:01:37 | Weblog
 消費税は逆累進性があると言われているが本当にそうだろうか。もし年収1,000万円の人と300万円の人がいて、どちらも300万円ずつ使ったとする。消費税負担額はどちらも15万円だ。年収に差があっても負担額は同じだから、年収1,000万円の人の税率は1.5%で年収300万円の人の税率は5%となり逆累進性だと言われている。
 こんなのは無意味な割り算だ。消費税は消費に課する税だから所得との関係で論じるのは無意味だ。
 先ほどの年収1,000万円の人が前年使わなかった700万円と合わせて翌年1,700万円使ったとする。消費税額は85万円だ。さっきの無意味な負担率を計算すれば8.5%となる。
 金は使って初めて価値を発揮する。金は必ず使われるという前提に立てば消費に課税するのは公平なことだ。
 増して今後消費税の増税が予想される。今消費すれば5%で済む消費税が、貯蓄した分は10%以上になるかも知れない。全然逆累進的でない。
 脱税が横行している所得税や法人税を増税することは正直者いじめにしかならない。それと比べたら脱税が著しく困難な消費税の増税は公平だ。なぜマスコミは消費税の公平性を評価しようとしないのだろうか。

人口と食料

2010-07-16 14:49:34 | Weblog
 1900年に17億だった人口が2009年には68億人になった。109年で丁度4倍になった。この間、地表の面積は増えていない。
 厳密には土地は拡大している。日本では八郎潟が干拓され諫早湾には河口堰が作られた。世界ではアラル海が干上がり黄河は痩せ細った。しかしそれ以上に砂漠が拡大した。
 マルサスは人口は等比級数的に増加するが農業は等差級数でしか拡大できないから必ず食料不足に陥ると指摘したが、現在では農業を等差級数的に拡大することは不可能だ。農業生産高は拡大しないという悲観的見通しに立つ必要がある。
 これ以上人口を増やさないようにするか、無闇に増え過ぎた動物(つまり人類)を食料資源として活用するかの二者択一を迫られている。
 世界を見ない日本では少子化を問題視しているが、少子化は歓迎すべきことだ。食料自給率が40%しか無い日本人がこれ以上増えることは世界の食料危機を招く。
 CO2排出量を25%減らすことよりも、日本の人口を25%減らすほうがずっと世界に貢献することになるだろう。

無限連鎖

2010-07-16 14:38:05 | Weblog
 親は子のために生きる。子は孫のために生きる。孫は曾孫のために生きる。では結局、人は誰のために生きているのだろうか?見えない子孫のために生きているだけだ。
 人は他人のために役立つと嬉しい。他人を喜ばせると自分に存在価値があると感じる。他人によってしか価値を見つけられない自分とはそもそも何なのか?
 全員が無意味な穴掘り作業をしていたらその穴掘りに貢献することは価値のあることだと信じられている。そんな穴掘りなど止めてしまったらどうだろうか。
 もし個人が社会という機械に役立つ歯車だとしたら、問われるべきなのはその社会という機械の存在意義だ。機械に意味が無いのなら歯車にも存在価値は無い。
 繋がっているという感覚が錯覚を生む。繋がっているだけで何か意味があるように思い込む。しかし意味も無く繋がっているだけだ。繋がる先が「無」であるなら繋がる意味も無い。繋がる先が無ければ自己満足に過ぎない。
 社会貢献や社会参加によって周囲から意味付けを貰うのではなく、自分で自分に意味を与えるべきではないだろうか。まやかしの価値に奉仕するよりは唯一確実な自分の意思に従うべきだろう。

人生80年

2010-07-13 16:34:13 | Weblog
 一生が80年とすれば、最初の20年は教育のために使われる。次の40年は現役世代として、最後の20年は老後として使われている。
 この最後の20年には最大5回死ぬ。まず60歳で社会人として死ぬ。次に生殖能力が死ぬ(女性の場合はもっと早い)。その次には自由に生きる能力が死に他者による介護が無ければ生きられなくなる。同じ頃には知力が死んで痴呆老人になる。そして最後に生物として死ぬ。
 人生60年の時代ならこの5つの死はほぼ同時に訪れていたから悩む暇など無かった。しかし人生80年の現代ではこの5つの死がジワジワと順次訪れる。自分の体が腐って行くのをじっと見つめているようなものだ。これでは長寿の楽しみは何も無い。
 1回目の死は個人にはどうしようもないことだ。企業や社会が勝手に決めることだ。2回目から5回目までの死をいかにして遅らせるかということが個人が取り組める課題だ。
 最後の20年は本来最も自由に生きられる期間の筈だ。年金の支給もあるのであくせく働く必要も無い。それにも関わらず、最初の社会人としての死で生き方を見失って何をやったら良いのか分からないまま時間を浪費してしまっている。何とも勿体無いことだ。

児童虐待

2010-07-13 16:15:29 | Weblog
 児童虐待について我々はマスコミを通じてイメージを持っている。継父や内縁の夫による虐待というイメージだ。
 2006年版の警視庁生活安全局の資料を見るとイメージとは随分違うということが分かる。虐待数が最も多いのは実母で96件、次いで実父が86件、以下養父・継父が56件、内縁の夫が52件、養母・継母が8件となっている。
 多分子供の9割ほどが実父母に育てられているのだから実父母による虐待が多いのは当然だが、こと殺人に限ると事情は異なる。実母34件、実父10件、内縁の夫3件、養父・継父2件と極端に実母のシェアが高いことに驚かされる。なぜこんなことになっているのだろうか。
 詳細なデータが無いので憶測でしかないが、2つの要因が考えられる。
 1つは母子家庭だ。実際に何人かの人を知っているが、母一人で子供を育てるのは大変なことだ。心中未遂で子供だけが死んだというケースも少なくなかろう。
 もう1つは後夫や内縁の夫に迎合するケースだ。丁度公判中の西淀川区での実娘衰弱死事件はどうなのかは分からないが、後夫や内縁の夫に嫌われたくないために一緒になって我が子を虐待するということは大いにあり得る。
 シンデレラ姫は継母による継子いじめがモチーフになっているが、このケースはどうやら余り多くないようだ。怖いのはやはり、虐待数において異常なほどにシェアの高い継父と内縁の夫だろう。子連れで再婚する女性は慎重に相手を選ぶ必要がある。夫による児童虐待だけではなく、自ら我が子を殺してしまうという最悪のケースも想定する必要がある。

中国史

2010-07-13 15:58:48 | Weblog
 中国史の本を読んでいてうんざりすることがある。王朝の末期がワンパターンだからだ。徳を欠いた皇帝が放蕩に耽り悪政を働き、過酷な徴税に怒った農民が新興宗教団体と協力して反乱を起こし国は大混乱に陥る。ここまでは全くワンパターンだ。その後は少し違う。易姓革命を成功させて権力を握るのは豪族や異民族であったりたまには山賊であったりする。
 歴史に学ぶ筈の中国人がなぜこんな同じ過ちを繰り返すのだろうか。権力を奪った側が歴史を書いているから歴史が歪められている。実は長期間の気温の推移を見ると王朝の衰退期には必ず気温が低下しているということが分かる。
 気温が低下すると海水の蒸発が減るので雨が少なくなる。これが飢饉を招く。飢饉になると納税が困難になる。新興宗教はこれを「皇帝が徳を失ったから天に見放された。易姓革命を起こさねばならない」と主張する。
 つまり本当の因果は①気温の低下②飢饉の発生③皇帝不信、の順番で起こっている。一方史書では①皇帝の徳の欠如②飢饉の発生③過酷な徴税、と解されている。
 王位を簒奪した側としては天災である「気温の低下」を理由に反乱を起こしたということでは革命を正当化できない。あくまで「皇帝が徳を失ったから飢饉が起こった。それにも関わらず過酷な徴税を改めなかった」という理由にせざるを得ない。
 権力の奪取を正当化するためとは言え因果関係はデタラメだ。

還付

2010-07-09 15:30:41 | Weblog
 菅首相は市民運動家出身なので庶民感覚を持っていると思っていた。しかし「年収300万円、400万円以下の人の消費税の還付を検討する」と言った瞬間完全に幻滅した。菅首相の意識では年収400万円なら貧乏人だということだろう。
 400万円以下の世帯は全世帯の46.5%を占めているそうだ。日本国民の46.5%が還付を求めたらどんな事態を招くだろうか。
 還付を受けるためには領収書を提示することが必要だ。一人分の領収書だけでもとんでもない量になる。税務署でこれをチェックするためには現在の10倍以上の職員が必要になるだろう。それでも意図的に混入された他人の領収書を識別することは殆ど不可能だ。
 また年収400万円以下かどうかをどうやって判定するのだろうか。前にも書いたが(6月29日付け「弱者と悪人と善人」)所得税は全くデタラメな税制だ。自営業者や農林水産業者は大半が400万円以下の年収と申告しているから、彼らは所得税だけでは飽き足らず、消費税までも脱税することになる。所得税を脱税している者に消費税も脱税する権利を与えるべきではない。
 消費税の還付などは税の不公平を拡大するだけであり絶対にやってはならないことだ。

ボランティア

2010-07-09 15:16:06 | Weblog
 私はボランティアを有害だと考えている。本来有償であるべき業務を無償で行うことによって雇用機会を奪っているからだ。
 阪神大震災のような非常時のボランティアを否定する気は全く無い。問題なのは平常時のボランティアだ。
 仮に誰かがボランティアでタクシーを始めたとしよう。彼は収入よりも社会参加が目的なのだからガソリン代の実費程度しか請求しないだろう。消費者からは格安タクシーとして歓迎される。しかしタクシー業界にとっては営業妨害以外の何物でもないし、タクシーで生計を立てている人にとっては生活権の侵害だ。
 シルバー人材センターも有害だと思っている。日曜大工の仕事を請け負えば工務店の仕事を奪うし、教師を派遣すれば教育産業のビジネスチャンスを奪う。
 世間にはその仕事で生計を立てている人がいる。ここに道楽で働く人が参入すれば本職の人の収入が減る。
 その仕事で生活費を稼がねばならない人と道楽でやっている人とは土俵が違うので競争は不可能だ。またボランティアや老人や外国人を低賃金労働者として積極的に利用している企業も実際にある。ボランティアやシルバー人材センターなどが雇用を奪っているから失業率が高止まりして賃上げが困難になっているとさえ言える。
 社会に役立ちたいという個人的な欲求のために、働いて稼がねばならない人の生存権を奪うべきではない。雇用機会を奪う道楽を称賛すべきではない。