俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

赤の女王

2011-08-19 17:09:36 | Weblog
 「鏡の国のアリス」に「同じ場所に留まるためには全力で走り続けねばならない」という言葉がある。まるでルームランナーのような話だ。
 私はこの言葉を長い間ルイス・キャロル一流のジョークまたはナンセンスと思っていた。最近になってようやくこの言葉を真面目に捕えられるようになった。老化が始まると体力・知力を維持するためには目一杯努力する必要があるからだ。
 若いうちは現状を維持することは容易いことと思えた。週に1・2度鍛えれば現状を維持できるし、全力で鍛えれば現状よりも向上できる。
 しかしこれは二流人の世界観だ。一流人は全力で鍛え続けないと現状には留まれない。アスリートは努力を怠れば忽ち力を失う。美女は生活の総てを犠牲にする覚悟をしなければ今の美を維持できない。
 恥ずかしい話だが私は二流の世界に甘んじていたから維持することの難しさに気付いていなかった。
 老化という現実に直面すると現状を維持することがどれほど大変なことなのかよく分かる。まるで下りエスカレーターを昇っているようなもので昇ることを怠れば忽ち下降してしまう。
 生物学では「鏡の国のアリス」のこの言葉を「赤の女王仮説」と呼んでいる。自然界はそれほど厳しいということだろう。それと比べて人間界は何と安楽な世界だろうか。全力で努力しなくても現状に留まれる微温湯社会は人間を堕落させる。

ニセ医師

2011-08-19 16:53:20 | Weblog
 石巻市の被災地でニセ医師が見つかった。このニセ医師を「ボランティアの専属医」として10日付けの「ひと」欄で紹介した朝日新聞は赤っ恥をかいた。詐欺師グループを慈善団体として紹介したようなものだ。マスコミ史に残る恥晒しだろう。
 「複数回にわたって面談と電話で本人を取材」してなぜニセ医師と見破れなかったのだろうか。これが日本の新聞の体質だからだろう。新聞は事実を報道するための努力を怠っている。官公庁の発表を記者クラブで受けてそれを垂れ流すのが今の本業だ。たとえ官公庁がデタラメの発表をしてもそのまま垂れ流す。少しは突っ込んで貰いたいものだ。仮に嘘であろうとも「こう言った」ということは事実であるから誤報にはならない。そんな責任回避体質が染み付いているから政府の御用報道ばかりを繰り返しているのだろうし、ニセ医師の言い分を鵜呑みにして記事にしてしまったのだろう。批判精神は欠片も無い。
 医師という特殊性も一因だ。プロの医師は殆んどいない。「風邪気味です」と言われたら風邪薬を処方し、「気分が晴れない」と言われたら抗鬱剤を処方する。検査で血圧が高ければ降圧剤を、血糖値が高ければ血糖低下剤を処方する。まるで自動販売機だ。これが医療行為と言えるのなら素人の私でも勤まるし、多分このヤブ医者よりもマシな対応さえ可能だろう。
 医師は資格という特権に胡坐をかいて医療を聖域化している。研鑽を怠るヤブ医者がウヨウヨいるからこそニセ医師を識別できないような状態になっているのだろうか。

潮岬

2011-08-16 14:35:22 | Weblog
 この夏、近畿地方で最も涼しいのは潮岬だ。本州最南端の潮岬が最も涼しい。近畿の各地で37℃を記録しても潮岬だけはせいぜい31℃だ。
 こんな奇妙なことが起こるのは三方を海に囲まれた潮岬が海洋性気候になっているからだ。水は温まりにくく冷めにくい。夏の水辺は「涼しそう」なだけではなく実際に涼しい。海水温が30℃を超えることは殆んどないし、0℃以下になることは絶対にない。そのため潮岬は夏涼しく、冬暖かいという理想的な気温になる。沖縄の夏も涼しい。せいぜい33℃ぐらいまでしか上がらない。
 夏暑いのは内陸部だ。東の熊谷と西の枚方は東西の猛暑都市として名高く、どちらも内陸にある。
 だからと言って潮岬が住み易いという訳ではない。かつてウォーターフロントがブームになった時に海辺に転居した知人がいた。彼は軽率だったと悔やんでいた。海辺住まいには大きな問題がある。塩害のために自動車も家電もすぐに傷む。鉄製品は錆びるし洗濯物は塩臭くなるそうだ。
 涼しい海辺での生活はパラダイスではない。気温だけで住居を選べば酷い目に会いかねない。

所得格差

2011-08-16 14:22:39 | Weblog
 経済成長をしていれば働く場所は幾らでもある。企業はオフィスや工場や店舗を増やし続けるから常に求人中の状態になる。求人難なら雇用条件は上昇する。職を失ってもすぐに新しい職を見つけられる。
 オフィスなどの法人需要と労働者の個人需要があれば都市の土地の価格も上がる。こうして賃金も資産も上昇した。
 不況になると状況は一変する。企業はオフィスも工場も店舗も削減しようとする。人余りになれば雇用条件は悪化する。これが土地余りを招けば地価も下落する。
 かつて1億総中流と言われた時代があった。この時の所得階層は独楽(コマ)型だったと思われる。つまり中流が極端に厚く、上流や下流は独楽の軸のような少数者だった。普通のピラミッド型とは全然違う世にも稀な社会だ。こんな格差の無い社会を経験していると正常と思えるピラミッド型でさえ社会問題になる。
 良い悪いは別にしてアメリカなどのような所得階層のピラミッド型が普通なのではないだろうか。独楽型は経済成長が生んだ奇跡であり、中国のような富士の裾野型にさえならなければ容認されるべきだろう。

ダイオキシン

2011-08-16 14:04:52 | Weblog
 ダイオキシン類対策特別措置法は稀に見る悪法だ。悪法と言うよりも、危機を煽るマスコミと世論に迎合する無知な政治家が作った天下の愚法だろう。
 もともとはプラスチックゴミの焼却時に発生する有毒ガスが問題だった。ところがいつの間にかガスの成分の一部に過ぎないダイオキシンだけがクローズアップされた。なぜ有毒ガス問題がダイオキシン問題に摩り替えられたのかは全く不可解だ。そして家庭や学校のゴミ焼却炉や焚き火までもダイオキシンを出すとして問題視されるようになった。そのうちゴミ焼却炉に近い所沢市の野菜(実は茶葉だった)がダイオキシンに汚染されているとニュースステーションが報じて大騒ぎとなった。こんな騒動の中でダイオキシン類対策特別措置法が制定された。
 現在ではダイオキシンの有毒性は低いとされている。科学ではなく偏見に基づいて作られた無意味な法律だ。家庭でゴミを燃やせなくなったので自治体が回収するゴミは大幅に増えた。庭の落ち葉までゴミとして回収するようになったからだ。
 もしダイオキシンが本当に危険なら、かつてのイギリスの煙突掃除夫のように焼き鳥屋や蒲焼屋で職業病が発生していた筈だ。焚き火や焼き鳥で発生するダイオキシンがもしサリンの数百倍も有毒なら人類はとっくに死滅していただろう。ダイオキシンと比べれば自動車の排気ガスのほうがずっと有害だ。
 日本憲政史上に残る集団ヒステリーが生んだ愚法はいつになったら廃止されるのだろうか。このまま放置すれば「平成の生類憐みの令」として将来、揶揄されることになるだろう。

今年の真田山プール

2011-08-12 14:40:09 | Weblog
 私の行きつけの真田山プールの担当者は今年から代わったようだ。
 何年も前に撤去されたシャワー室のドアの代わりにカーテンが付けられて随分使い勝手が良くなった。
 昨年突然廃止されたラジオ体操も一時復活した。しかし僅か一週間ほどで廃止されて今ではハワイアンが流されている。事情は分からない。
 開場時刻についても融通を利かしている。去年までは9時まではシャッターを開けなかったが5~10分前に開けるようになった。暑い屋外で待たされることと比べればずっと快適になった。
 戴けないこともある。開場してから掃除をしていることだ。こんな変なやり方は他所では見られない。準備を終えてから開場するのが当たり前なのだが、開場してからトイレ等を掃除している。コスト削減のために清掃時間を開場から閉場までと定めたのだろうか。
 BGMも戴けない。一日中ZARDの曲が流されている。決してZARDが嫌いな訳ではない。むしろ好きなアーチストなのだが、肺癌で苦しんで自殺した(と私は考えている)坂井泉水さんの無念さを思うと暗い気持ちになってしまう。

共通の敵

2011-08-12 14:21:39 | Weblog
 7日の守口市長選は奇妙な選挙だった。立候補者は2人。一人は橋下知事の率いる大阪維新の会推薦、もう一人は民・自・公・共・社民推薦だ。結果は維新の会推薦候補の圧勝だった。
 不思議なのはなぜこんな相乗りが可能なのかということだ。昔、自・社・公・民推薦の候補者はいたが日本共産党まで相乗りするとは前代未聞のことだ。大政翼賛会よりも凄いオール与党体制だ。
 結局、既成政党とは1つ穴のムジナだということだろう。既成政党は政治団体ではなく既得権益に巣くう利益集団に過ぎない。このことは94年の自・社・さきがけ連立政権によって証明されたことだ。権益に群がる輩は権益を害する共通の敵に対しては共闘する。
 昔こんなテレビドラマがあった。「アウター・リミッツ」という1話完結式のSFで、世界平和を願う団体が宇宙人による侵略をでっち上げるという話だ。宇宙人という共通の敵があれば地球人として大同団結できると考えて偽宇宙人による地球侵略のメッセージを捏造した。
 偽宇宙人を演じたのは当時「0011 ナポレオン・ソロ」に出演していたデヴィッド・マッカラムだった。主人公の相棒のイリヤ・クリアキンの役でどういう訳か主人公よりも人気があった。
 ドラマのオチは覚えていないが偽宇宙人の筈のデヴィッド・マッカラムがどんどん怪物に変わって行く姿が印象に残っている。
 既成政党にとっては、議員定数や報酬を削ろうとするような既得権益に背く者は宇宙からのインベーダーのようなもので、それと戦うためならイデオロギーも放棄して付和雷同できるということだろう。

均一でない集団

2011-08-12 14:05:19 | Weblog
 夏のプールには様々な人が集まる。泳ぐ人、歩く人、遊ぶ人、涼む人の4種類だと思う。前の2者はプールをスポーツ施設と位置付け、後の2者は娯楽施設と位置付けている。
 前の2者はプールを縦に使う。50mのコースに沿って動く。後の2者は横切ったり、ランダムに動いたり、留まったりする。前者と後者は始めから目的が違うので利害は一致しない。午前中は前者が多いが、午後には後者が多く押し寄せてすっかり遊技場になる。後者が多数者であるからだけではなく、悪貨は良貨を、無秩序は秩序を駆逐するからだ。このことはほんの数人が騒ぐだけで授業が崩壊するのと同じことだ。
 先日来、イギリスで暴動が続いている。黒人の青年が警察官に射殺された事件がきっかけとなり、ロンドンから各地に飛び火して、略奪や放火を伴う暴徒と化している。
 しかし映像を見ればすぐに気付くことがある。デモ隊が略奪をしている訳ではない。略奪する人は最初から覆面を被って一目散にショーウィンドーに向かっている。デモ隊が暴徒化したのではなくデモのドサクサに乗じて略奪者が紛れ込んでいるのだ。群集は組織ではない。政治活動の人々と略奪・放火犯とは全く別の集団だ。こんな均一でない集団を一括りにして扱うべきではない。デモ隊ではなく覆面をした犯罪目的集団だけを徹底的に取り締まるべきだろう。

賢い猿

2011-08-09 14:16:23 | Weblog
 人は猿を獣として扱うが猿は思いの外賢い。
 幸島に住む猿の「イモ」は芋を海水で洗うことを考案した。芋を海水で洗えば土やゴミを落とせるだけではなく塩味が付いて美味しくなることに「イモ」は気付いた。しばらくはたった一匹で芋を洗っていたが子猿が真似をして、その後、島全体の食文化として定着した。猿は新しいことを考案できるし、その知恵を社会として共有することもできる。
 京大霊長類研究所のチンパンジーの「アイ」は天才として有名だ。色を見てそれに該当する漢字を選べるし、数という概念をある程度理解できる。パソコンを使えば簡単なコミュニケーションさえ可能だそうだ。数年前に逃げ出した時には仲間の檻の鍵を開けてから逃げた。つまり鍵と鍵穴の関係を理解しているということだ。
 タイのカニクイザルは道具を使う。名ともなっている「蟹食い」においては石を使って甲羅を割る。また小石を使って牡蠣の殻を割る時には、身のある真ん中を叩かずに周辺部だけを破壊する。
 人間と猿の知能の差は人間が思っているよりもずっと小さい。類人猿の賢さが証明され始めてから却ってマスコミはこのことを報じなくなった。人間と動物との間に大きな隔たりを設けたがる心理は進化論を否定する人と同根だろう。
 残念ながら重度の知的障害者や認知症の老人よりも猿のほうが賢い。

間引き放送

2011-08-09 14:03:57 | Weblog
 東電の大口事業者需要に占める私鉄のシェアは2%に過ぎない。一方、民放は7%を占めるそうだ。なぜ間引き運転を要請して間引き放送を要請しないのだろうか。
 日本のテレビ番組の質の悪さは誰もが認めることだろうが、昼間と深夜の番組は特に酷い。電力不足が懸念される昼間でのテレビ放送こそ電力の無駄遣いだ。テレビ番組さえ減れば昼間の視聴者も減るから、法人・個人の両面での節電となる。
 テレビ局は節電を呼び掛けるが他者に節電を促す前に自らの責任を果たすべきだろう。テレビ局と新聞社は大半がグループ企業だから、両者が結託すればテレビ局批判は生まれない。これでは中国並みの言論統制だ。
 テレビ局としては番組を減らしたくない。スポンサーが着いているのだから放送さえしていれば儲かるという仕組みだからだ。もし放送を止めればせっかく掴んだスポンサーを逃がしかねない。
 マスコミを敵に回したくない東電がテレビ局を優遇してそのことをテレビ局側が当然と考えているのなら大問題だ。マスコミ優遇を当然と考えるマスコミは特権階級として益々増長して更に一層堕落する。