俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

TPP

2011-10-18 15:09:03 | Weblog
 アメリカと韓国がFTA(自由貿易協定)を結んだことをきっかけにしてTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を急ぐべきだという声が高まっているが拙速に推進すべきではない。既に9箇国以上で協議が進んでいる中に割り込むことはバトルロワイヤルに乱入するようなものであり袋叩きに会いかねない。
 TPPにより起死回生を図るよりもFTAを地道に積み重ねるべきだろう。FTAの遅れをTPPで一気に取り戻そうとすることは大博打のようなものだ。これまでの怠慢のツケを大博打で解消しようという発想は余りにも安易で危険だ。
 マスコミは余り報じないがTPPは単なる関税の撤廃ではない。非関税障壁も廃止しようとするものだ。通貨統合こそ無いもののEUに近い経済共同体を目論んでいる。
 増してや我儘大国のアメリカが絡んでいる。グローバルスタンダードと称してアメリカンスタンダードを押し付けられることは確実だ。1858年の日米修好通商条約以来アメリカには騙され続けていることを忘れているのではないだろうか。
 TPPには雇用の自由化も含まれている。極端な話、低賃金のベトナム人労働者を輸入して肉体労働を押し付けることも可能だ。その場合、日本人の雇用機会が失われるだけではなく賃金の低下も起こるだろう。
 工場の海外移転だけではなく、規制の多い農業や養殖業などの移転も起こり得る。これでは日本は空洞化する。
 

ケセラセラ

2011-10-18 14:51:47 | Weblog
`Que sera sera'(スペイン語。英語では`Whatever will be,will be')は「なるようになる」と訳されることが多いが、「あるものはある」とも翻訳できる。
 「あるものはある」の対偶は「無いものは無い」であり、生成は不可能であることを意味する。哲学的思弁とさえ思えるこの命題を証明したのは皮肉なことに科学だった。それまでは湧くと考えられていた蠅が、卵を植え付けられることによって初めて生まれることを科学が証明した。あるいは燃やされた物質がガスと灰になっても原子のレベルでは全く増減していないことをも証明した。生成も消滅も不可能であり、変成だけが可能であることを科学が証明した。勿論、エネルギーも消滅しないし発生もしない。エネルギーは形を変えて残るということを説明するのがエネルギー保存の法則だ。
 ここで当然のことだが疑問が生じる。生命は生まれるし消滅するのではないか、と。
 この謎を解くモデルは霊魂不滅説にありそうだ。霊魂は単体であり分割不可能だから消滅しないと説かれていた。今では元々存在していないと考えられている。
 生命も元々存在せずに、ただ単に自己増殖できる状態と考えれば「あるものはある」と矛盾しない。ということは生命維持機能さえ損なわれていなければ、切断した指が繋がるように、死んだ人間を生き返らせることも可能だということだろう。

くびれ

2011-10-14 15:18:33 | Weblog
 人間は「くびれ」のある動物だ。これは奇妙な体型だ。猿も類人猿も寸胴体型だ。例外は蟻と蜂ぐらいしか思い浮かばない。但し昆虫のくびれは体節であり人間のくびれとは質的に異なったものだ。
 人間のくびれが繁殖適齢期にだけ現れることも奇妙だ。子供の頃は寸胴体型で中年以降も寸胴に戻る。くびれは繁殖適齢期にのみ現れる特異な体型だ。蟻や蜂が生涯を通じてくびれ体型を維持するのとは大きく異なる。
 人間のくびれが生存のために役立っているとは思えない。腹が出ていれば体を捻る時に邪魔になるかも知れないが、くびれと寸胴では差があるように思えない。
 人間のくびれは孔雀の尾羽と同様に種族内での性的淘汰において意味を持つものと思われる。男女ともくびれのある異性が大好きだ。男性は豊かなバストとヒップ、そしてそれを際立たせる細いウェストのグラマラスな女性が好きだ。女性は男性の逆三角形の体格を好む。
 なぜ人間がこんな嗜好を持ったのか分らない。竹内久美子氏なら答えてくれるだろうか。

耐える民

2011-10-14 15:04:41 | Weblog
 日本では暑い夏も30日ほど我慢すれば涼しくなる。寒い冬もやはり30日ほど我慢すれば暖かくなる。残りの300日は比較的快適な気候だ。こんな風土だから耐えることを美徳とする考え方が定着したのだろう。
 インドやメソポタミアではそうではない。暑さは50日経とうが100日経とうが継続する。従って克服することが美徳とされる。これが文明を生んだ。
 島国である日本は疫病の脅威に曝されることが殆んど無かった。地続きであるヨーロッパやアジアではペストやコレラなどにより絶滅の危機にも曝された。病と戦うことは彼らにとって絶対に必要なことだった。日本では大流行そのものが無かったから戦う必要も無かった。
 こんな歴史があるから日本人は戦うことを好まない。我慢して状況の好転を待つ。台風一過を待つようなものだ。そのために「長いものには巻かれろ」とか「出る杭は打たれる」とかいった消極的な格言が根付いた。
 困ったことに日本人は歯の痛みにまで耐えてしまう。鮫とは違って人間の歯には再生力も自然治癒力も無い。痛みが収まるのは実は症状が悪化して一時的に痛みを感じない状態になっているだけだ。我慢しているうちに症状は更に悪化する。歯の痛みは我慢しないほうが良い。同様に、我慢しても良くならないものに対して我慢すべきではない。

消費税増税

2011-10-14 14:51:05 | Weblog
 消費税が増税されることはほぼ確実だろう。反対しても仕方が無いから上げ方にだけ注文を付けたい。分割して上げることだ。毎年1%ずつ上げるか1年おきに2%ずつ上げるかは政治家が勝手に決めれば良いが、大切なことは分割して上げることだ。
 増税前には駆け込み需要が発生する。一時的に景気が刺激される。その特需がその後の買い控え額を上回ることはこれまでの導入・増税前後の実績が証明している。
 私自身、導入前・増税前には多くの商品を買い溜めした。それまで殆んど買ったことのない商品まで買い溜めした。当時買い溜めをした商品の一部は今でも残っている。買い溜めをし過ぎたということだ。
 消費税の増税は増税前の消費を促す。これは国にとっては好ましいことだ。日本の不況感は国民の消費不振が一因と思われるからだ。
 勿論、増税によって消費が拡大する訳ではない。税込購入額が同額なら税抜き購入額は減少する。駆け込み需要は一時の徒花でしかない。それでも、無いよりはマシだ。そして一度ではなく二度・三度と繰り返されるほうが望ましい。庶民にとってはささやかな抵抗による気休めにもなる。

阿呆狙い

2011-10-11 15:39:17 | Weblog
 現代社会では阿呆を狙うことが最優先される。
 なぜ阿呆を狙うのか。阿呆は感化され易い。マスコミを使って情報操作をすればすぐに騙される。情報操作をするまでもない。同じ情報を繰り返して何度も流すだけで彼らはそれを鵜呑みにする。彼らは自ら考えるような面倒なことはせずに誰かが答を出してくれることを待っていて、答が提示されればそこに群がる。今年のファッションはこれだ、と言われれば猫も杓子もそれに飛び付く。
 第二に阿呆は数が多い。自ら考える人は少数派だ。考えるよりもテレビで言っていたことを鸚鵡返ししたほうが大外れしない。テレビの出演者はそれなりに社会的地位があるからお笑い芸人以外はそれなりの理屈を並べる。自分で考えるよりも意見をパクったほうが効率的だ。
 政治家も企業も阿呆を狙い撃ちにする。たとえ支離滅裂のマニュフェストであろうとも「政権交代」という一言だけで票を集めることができる。阿呆の票であろうとも1票であることに違いは無い。企業も阿呆に向けたテレビコマーシャルを流すだけで大きな利益が得られる。
 勿論、芸能界のお得意様も阿呆だ。登場回数が多いだけで人気が出て、人気があるということが更に人気を集める。このようにして阿呆狙いのビジネスは繁栄する。
 阿呆以外を狙ったら大半が失敗する。賢い人はその人独自の拘りを持っているからテレビCM程度では動かない。空気にも流されない。
 こうして社会は阿呆のためのものとなる。

ある

2011-10-11 15:20:01 | Weblog
 哲学を学ぼうとした物好きな人の多くは存在論に出会って辟易したことだろう。西洋哲学に存在論は欠かせない。最近は流行っていないが一時期最も注目されていた実存主義でさえ英語ではexistentialismであり「自覚存在主義」と訳されたこともある。
 西洋哲学が存在論に拘るのはbe動詞(ドイツ語ならsein、フランス語ならetre)のせいだ。`A is B"のisの意味を明らかにしないことには議論が成立しない。日本語では「ある」がそれに該当する。
 日本語で考えればすぐに分かることだが、「ある」は「がある」と「である」に大別できる。存在を表す「がある」と等号の役割を果たす「である」は大きく意味が異なる。西洋語には助詞が無いから「我思う故に我あり」と「吾輩は猫である」の「ある」はどちらも英語では`I am"になる。
 語学が堪能でなかったから私は洋書ではなく日本語訳で多くの哲学書を読んでいたので「存在とは何か」には余り関心を持たなかった。強いて言えば「他者の存在とは何か」という倫理的な問題だけに関心があったかも知れない。むしろ「である」の意味に多くの関心を向けた。パラドクスが大好きなのは多分そのせいだろう。
 哲学を学びたい人には存在論を無視することをお勧めする。大半はbe動詞によって欺かれた空虚な議論に過ぎない。


日本語の特性

2011-10-11 15:04:07 | Weblog
 日本語は論理的でないなどと言い出したのは一体誰だったのだろうか。日本語は論理的であり、非常に伝達力の優れた言語だ。日本語が非論理的と誤解され易いのは省略が多いからだろう。省略が多いのは文化が共有されているから、つまり国民の文化度が高いからだ。常識として共有されていることについてわざわざ論及する必要は無い。
 日本語は情緒的だ、とも批判される。この特性は欠点ではない。逆に情緒まで伝達できる優れた言語だとさえ言えよう。最も論理的な伝達ツールである数式を使えば情報は正確に伝わるが伝わるのは最も抽象的な数値だけだ。豊かな内容は伝えられない。ヨーロッパの言葉とは全く違った文法を持つ日本語には「てにをは」とも呼ばれる助詞があるので微妙なニュアンスまで伝えることが可能だ。「私は」と「私が」とを使い分けるだけで全然違った意味になるし、「がある」と「である」の違いは哲学的でさえある(この件については次の《画面上では前の》記事の「ある」参照)。こんな器用なことは英語などでは不可能だ。
 こんな便利な日本語を否定したがる人は日本語を使いこなせない人だろう。日本語の豊かさが分らないから煩雑なだけだと思い込んでいるのだろう。丁度パソコンを使えない人がパソコンを否定するようなものだ。

連立政権

2011-10-07 15:37:15 | Weblog
 民主党の小沢一郎氏は3日に「今の政治状況で総選挙が実施されればどの党も過半数を取れずに大混乱になる」と言った。小沢氏の見識を疑う。彼は数による支配しか考えていないようだ。
 どの党も過半数を取れないことは望ましいことだ。どこかの党が過半数を取るから4年間に亘って数に頼った暴挙が続く。過半数に満たない政党による連立政権こそ国民のための政権となり得る。
 一党が過半数を占めればその党の党首による独裁が始まる。国民目線を持たない首相の存在こそこの国を大混乱に陥らせるということはここ数年の政治が証明している。
 連立政権ならば政党同士で政策協定を結ぶ必要が生じる。このことによって政策はガラス張りとなり、一方がその協定に背いた場合は連立内閣は解消される。ここに一党支配とは違った緊張が生まれる。1度選挙に勝てば4年間安泰になるのではなく常に世論および他党の批判に直面することになる。
 ヨーロッパでは殆んどの国が連立政権だ。そのために例えばドイツの「緑の党」のような弱小政党がキャスティングボートを握るということも起こる。
 付和雷同の大連立は一党独裁と同じようなものであり国民の利益を損なうが、複数の政党による連立政権は国民の期待を叶えるために最も適した権力構造となり得る。

公務員宿舎

2011-10-07 15:21:55 | Weblog
 朝霞市の公務員宿舎の建設が5年間凍結された。中止した場合には何と40億円もの違約金を払わねばならないために中止ではなく凍結としたらしい。しかし5年間凍結とは5年後には建設するということだ。丁度その頃に消費税の増税が予定されておりそういう状況で建設できるかどうか疑わしい。結局、問題の先送りでしかない。
 総工事費105億円の事業で違約金が40億円とは何とも奇妙な契約だ。担当者の責任が問われるべきだろうし、その契約書の全文を国民に公開するべきだろう。
 契約書を見なければ確かなことは言えないが、違約金を払わない方法があると思う。敷地を売り払うことだ。契約業者に敷地を売って民間の住宅として開発させれば契約先は大儲けできるだろうし地域の活性化にも繋がる。土地の売却益はまるまる復興財源として使うことができる。
 公務員宿舎が問題になるのはその賃貸料が桁外れに安いからだ。何でも昭和24年に作られた法律に基づいて賃貸料が決められているらしい。こんな法律は即刻改正すべきだろう。馬鹿安い賃貸料を改めるだけで数十億・数百億円の増収になるのではないだろうか。
 公務員は税金にたかる寄生虫のようなもので自らの利益を拡大するために国民の資産を少しでも多く掠め取ろうとする。それを制御するのは国民の代表である政治家の仕事だ。60年以上も馴れ合いが続いていたことは政治家の怠慢以外の何物でもない。