夏の高校野球が、今日、準決勝を迎えている。第一試合では駒大苫小牧高校を一回戦で破った広島の広陵高校が勝ち、明日の決勝戦へ進んだ。この時期、夏の風物詩とも言える高校野球が終わると、北海道には秋の訪れが近い。
昨日、今回、駒大岩見沢高校に随行取材した北海道新聞のW記者が来訪し、開会式に感動したことや、もう少し甲子園に居たかった(勝ってほしかった)、などの話を聞いた。今、テレビでは長崎日大高校と佐賀北高校の準決勝が放映されている。九州勢同士の対戦である。駒大苫小牧高校の活躍で、一気に地域間格差が無くなった感がある高校野球、いずれ北海道勢による準決勝、決勝戦も夢ではない。
合唱の世界も同じことが言える。近年の札幌市立真栄中学校合唱部の活躍は素晴らしく、昨年の「NHK全国学校音楽コンクール金賞」(日本一)、「全日本合唱コンクール全国大会中学の部金賞」(日本一)は画期的な快挙である。高校野球にたとえるならば、春と夏と同一校が連続優勝するに等しい快挙であると断言できる。完全に地域間格差は無くなった。と言いたいが、現実は厳しい。若者(小・中・高生)に合唱を指導(熱心に)する人が少ない現実を何とかしたいものである。
私は中学生まで野球少年であった。夏は野球に明け暮れる毎日で、雨で練習ができない時には悲しい思いで帰宅したものである。高校に入っても一時期だけ野球部に籍を置いた。結局、当時、通学に片道一時間以上かかる状況であったことや、夢と現実の狭間に出会い野球を断念した。私が少年時代に憧れた場所は、甲子園球場ではなくて神宮球場であったことが今考えても不思議である。確かに、大学野球(東京六大学)の人気は今とは比較にならないほど高かった。とにかく、中学生の頃から、将来K大に入学して神宮球場でプレイすることが大きな夢であった。しかし、諸般の事情から将来東京へ、かつ私立大学への道は断念せざるをえないこととなり、8703の夢ははかなく消えてしまった。
少年時代の夢が実現し、神宮球場でプレイすることになっていれば、8703の今の人生は無いこと、確実である。しかも、絶対に音楽の道には進んでいなかったはずである。人生には、何度か岐路があるものだ。右へ進むか、左へ進むかでその後の人生が大きく変わる。8703少年の岐路は、必ずしも積極的、主体的選択ではなかったが、結果としては「とても良い選択」であったと思っている。今の夢は「日本中(世界中)に合唱の輪を広げ、平和な社会、美しい地球を守る」ことであり、特に「若者に期待し、応援し、名実共に豊かで美しい日本を託す」ことである。
昨日、今回、駒大岩見沢高校に随行取材した北海道新聞のW記者が来訪し、開会式に感動したことや、もう少し甲子園に居たかった(勝ってほしかった)、などの話を聞いた。今、テレビでは長崎日大高校と佐賀北高校の準決勝が放映されている。九州勢同士の対戦である。駒大苫小牧高校の活躍で、一気に地域間格差が無くなった感がある高校野球、いずれ北海道勢による準決勝、決勝戦も夢ではない。
合唱の世界も同じことが言える。近年の札幌市立真栄中学校合唱部の活躍は素晴らしく、昨年の「NHK全国学校音楽コンクール金賞」(日本一)、「全日本合唱コンクール全国大会中学の部金賞」(日本一)は画期的な快挙である。高校野球にたとえるならば、春と夏と同一校が連続優勝するに等しい快挙であると断言できる。完全に地域間格差は無くなった。と言いたいが、現実は厳しい。若者(小・中・高生)に合唱を指導(熱心に)する人が少ない現実を何とかしたいものである。
私は中学生まで野球少年であった。夏は野球に明け暮れる毎日で、雨で練習ができない時には悲しい思いで帰宅したものである。高校に入っても一時期だけ野球部に籍を置いた。結局、当時、通学に片道一時間以上かかる状況であったことや、夢と現実の狭間に出会い野球を断念した。私が少年時代に憧れた場所は、甲子園球場ではなくて神宮球場であったことが今考えても不思議である。確かに、大学野球(東京六大学)の人気は今とは比較にならないほど高かった。とにかく、中学生の頃から、将来K大に入学して神宮球場でプレイすることが大きな夢であった。しかし、諸般の事情から将来東京へ、かつ私立大学への道は断念せざるをえないこととなり、8703の夢ははかなく消えてしまった。
少年時代の夢が実現し、神宮球場でプレイすることになっていれば、8703の今の人生は無いこと、確実である。しかも、絶対に音楽の道には進んでいなかったはずである。人生には、何度か岐路があるものだ。右へ進むか、左へ進むかでその後の人生が大きく変わる。8703少年の岐路は、必ずしも積極的、主体的選択ではなかったが、結果としては「とても良い選択」であったと思っている。今の夢は「日本中(世界中)に合唱の輪を広げ、平和な社会、美しい地球を守る」ことであり、特に「若者に期待し、応援し、名実共に豊かで美しい日本を託す」ことである。