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今市日記 ( 納豆有時心和 )

いまいちすっきりしない納豆関連情報をメインにして日々の状況を書いています。

道南平塚食品の「道産納豆厳選大粒」

2014年07月15日 | 納豆
この納豆はどこのお店で買ったのかほとんど記憶がなくなっていたので改めてお店毎の納豆棚の写真を見直してみると、
ここに出てきました。


幌別の納豆屋さん道南平塚食品の道産納豆「大粒」と「厳選大粒」が上の段に並んでいます。
従ってこのお店はコ-プさっぽろということになります。

今回買った道産納豆「厳選大粒」はこちら。


そして以前買った通常の大粒がこちらです。


全体的な雰囲気は似ていますが厳選大粒は「ゆきほまれ大豆100%使用」と明記されていて明らかに新種でした。


ついでながらこの道産納豆には「たれ付き」と「たれ無し」の2種類あって、両者では微妙に配色を変えています。
上のコ-プさっぽろの納豆棚の写真の道産納豆大粒はたれ付きタイプで、今回出した以前買った通常の大粒というのは
たれ無しタイプのため両者を単純比較はできませんがそれを加味しても通常の道産納豆「大粒」自体もマイナ-
チェンジしていることを本日改めて納豆棚の写真を見て気づきました。

今回買い洩らしてしまったことは残念ですが、次回室蘭へ行ったときの明確なタ-ゲットができた、ということで
慰めたいと思います。

> 納豆LABELの小部屋 > 道南平塚食品

7月15日 今日のおにぎり&観察日記

2014年07月15日 | 観察日記
ナスは3本の苗それぞれに2~3個の花芽をつけ、そのうち2つの苗で1個ずつ花を咲かせました。
このまま順調にいけば8月5日前後が最初の収穫時期でしょうか。




この花はちょっとだけ雌しべが長いようです。
栄養状態は微妙ですね。


< 今日のおにぎり >
131 スリ-エフ(7)・・・おにぎり紅鮭

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< 蝋梅 >
一番上の18層目の二葉の成長の鈍化は相変わらずですが少し膨らんできたような気もします。


< 今日のクローズアップ! >
裸体原画の第1号。黒田清輝逝く
1924年(大正13)のこの日、黒田清輝が58年の生涯を終えた。黒田は法律を学ぶためにパリに留学し、画家に転向したという変わり種。
1895年内国勧業博覧会にパリの展覧会で入選した『朝妝』を出品したが、ヌード(後姿の)画ということで批判され、裸体原画取締第1号となり裸体画論争を引き起こした。
鹿児島県鹿児島市出身。薩摩藩士黒田清兼の子として生まれ、のちに伯父の子爵黒田清綱(江戸時代の通称は嘉右衛門)の養子となる。
1872年(明治5年)に上京。小学校卒業後は漢学塾二松學舍(現二松學舍大学)に通う。1878年、高橋由一の門人・細田季治につき、鉛筆画ならびに水彩画を学ぶ。
上級学校進学を意識し、当時の受験予備校であった共立学校、すぐに築地英学校に転校、その後は東京外国語学校を経て、1884年から1893年まで渡仏。当初は法律を学ぶことを
目的とした留学であったが、パリで画家の山本芳翠や藤雅三、美術商の林忠正に出会い、1886年に画家に転向することを決意し、ラファエル・コランに師事する。
1893年に帰朝すると、美術教育者として活躍する。1894年には芳翠の生巧館を譲り受け久米桂一郎と共に洋画研究所天心道場を開設し、印象派の影響を取り入れた外光派と呼ばれる
作風を確立させ、1896年には明治美術会から独立する形で白馬会を発足させる。また同年には東京美術学校の西洋画科の発足に際して教員となり、以後の日本洋画の動向を決定付けた。
1898年、東京美術学校教授に就任。1910年10月18日には洋画家として最初の帝室技芸員に選ばれ、また帝国美術院院長などを歴任した。1917年には養父の死去により子爵を襲爵する。
第5回貴族院子爵議員互選選挙にて当選し、1920年に貴族院議員に就任している。(Wikipedia他)