「2009年12月にヘイトスピーチ集団が京都の朝鮮学校を襲撃したとき、恐怖に震えていた子どもたちのことを思うと、今でも胸が張り裂けそうです。

2023-12-16 08:52:43 | 日韓友好親善
 

「朝鮮学校差別」に共に立ち向かう日本の市民たち…

「北朝鮮核問題は生徒とは無関係」

登録:2023-12-16 07:07 修正:2023-12-16 07:46

 

「高校無償化排除反対」 15日、500回目の叫び声 
「日本人BTSファン」佐野さん、「子どもたちへの差別は恥ずかしい」
 
 
日本政府による朝鮮学校の高校無償化排除に抗議する朝鮮学校の生徒・学生たちが15日、文科省前で500回目の金曜行動を行っている。彼らは2013年5月から10年以上毎週集まり「前代未聞の不当な民族差別を絶対許さない」と叫んだ=東京/キム・ソヨン//ハンギョレ新聞社

 「日本でともに生活して働き、税金も払っているのに、なぜ朝鮮学校の子どもたちの権利だけを奪い取るのか、政府が情けなく恥ずかしい」

 4日、コリアタウンのある東京都新大久保で会った佐野さん(38)は、「日本の高校で無償教育が施行され13年が経過したが、朝鮮学校は今も恩恵を受けられずにいる」と声を強めた。彼女はグループ「防弾少年団」(BTS)のファンクラブのメンバーである日本ARMYだ。2人の子どもの母親であり保育士として働く佐野さんは、「日本社会の成人として(朝鮮学校の生徒たちに)本当に申し訳ない気持ち」だとしたうえで、「子どもたちを差別したり攻撃対象としてはいけない」と語った。

 佐野さんが朝鮮学校問題に本格的な関心を持ち始めたのは、今年3月に公開されたドキュメンタリー映画『差別』(キム・ドヒ監督・キム・ジウン監督による共同演出)を観てからだ。『差別』は、日本政府が2010年4月から施行した高校無償化政策から朝鮮学校(朝鮮高校10校)を排除した事件を扱った作品だ。韓国統一部が先月22日、監督らに対し、ドキュメンタリーを作る課程で「朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)や朝鮮学校の要人に接触した」として警告の公文書を送付した。まさにその映画だ。佐野さんら日本ARMYの数人が意気投合し、日本で3月・4月・7月の3回にわたり一般人を対象にオンライン上映会を開催した。合計254人が観た。収益金の70%は朝鮮学校に寄付した。

 朝鮮学校は、1945年8月の解放(日本の敗戦)後に帰国をあきらめた在日コリアンたちが、子どもたちに祖国の言葉や文化を教えるために自発的に作った教育施設だ。最盛期の1960年には生徒数が4万6294人に達したが、いまでは8000人程度にとどまっている。1950年代末から北朝鮮が教育援助費と奨学金を送金し(2021年時点まで167回)成長したが、いまでは時代が変わり、生徒の50~60%は韓国国籍を持つ子どもたちだ。

 「今年3月初め、親しいARMYの1人が東京朝鮮学校で行われた『差別』の上映会に参加しました。ARMYのなかには在日コリアンもいますが、その方たちと交流し、私たちはあまりにも無知だったと思いました」。映画を観た佐野さんは衝撃を受けた。「日本が子どもたちを相手に『このように差別しているんだ』と思うと、胸が張り裂けました。スクリーンのなかの子どもたちが苦しみ悔しがる姿をみて、心がとても痛みました」

 朝鮮学校問題をきっかけに歴史の勉強もしている。「ミサイル発射や北朝鮮の日本人拉致問題は明確に誤りです。しかし、朝鮮半島の植民地や南北分断など、日本もその責任から逃れられません。また、朝鮮学校が北朝鮮の支援を受けているのは、日本や韓国が彼らを冷遇したことも大きいと思います」

 
 
2人の子どもの母親であり保育士として働く日本ARMYの佐野さん(38)が韓国の男性アイドルBTSのメンバー「JIN」のポスターの前でポーズをとっている。ARMYはBTSのファンクラブの名前だ=東京/キム・ソヨン特派員

 佐野さんが話したとおり、日本の朝鮮高校の無償化排除問題は、13年たっても未解決状態にある。日本は民主党政権時の2010年4月、高校授業料を国家が負担する高校無償化政策を始めた。その際、朝鮮学校のように正規の学校ではない「各種学校」に分類された日本国内の他の外国人学校もすべて支援対象に含まれた。北朝鮮と日本の間での難題である日本人拉致問題などのため、朝鮮学校だけを除外し、適用を保留したのだ。

 その後、朝鮮学校問題に対して結論を出せない状態で、2012年12月に第2次安倍晋三内閣が発足した。日本政府はその直後の2013年2月、関連の行政規則の根拠条項を削除する方法によって、朝鮮学校を無償化対象から完全に除外してしまった。下村博文文部科学相(当時)は記者会見で、「拉致問題の進展がないこと、総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政に影響を与えている点」などを理由に挙げた。

 在日コリアン社会は強く反発した。2013年から東京・大阪・名古屋・広島・福岡など朝鮮学校5校の生徒たちが直接原告になり、「朝鮮学校無償化除外処分の取り消し」と「国家賠償」請求訴訟を起こした。しかし、2021年7月まで続いた裁判は、大阪地裁(一審)で一度勝訴した以外は、すべて敗訴した。日本の裁判所は、朝鮮学校が総連と密接に関係しており、支援金が違う用途に使われる恐れがあり、日本政府が無償化対象から除外したことは「国家裁量権の範囲内にある」とする判決を下した。

 在日コリアン社会は裁判闘争と並行して抗議運動も始めた。朝鮮高校の生徒たちの先輩にあたる朝鮮大学校の学生たちが中心となり、2013年5月から東京都霞が関にある文部科学省の前で「朝鮮学校に対する差別の是正を要求する金曜行動」を開始したのだ。今年10年目をむかえた金曜行動は、朝鮮学校の生徒や学生、保護者などの在日コリアンと日本の市民たちが参加し、毎週行われている。今月15日で500回目の叫びとなる。

 10年間闘ったが、状況は悪化している。「無償化排除」とともに各地方自治体などが朝鮮学校に支給してきた補助金を削減したり、支給を中断しているためだ。文部科学省の内部資料を引用した産経新聞の報道によると、朝鮮学校63校(6校休校)が所在する地方自治体が支出した2021年の補助金総額は1億8879万円で、1年前より1955万円減少した。資料がある2012年以降、補助金が2億円を切ったのは初めてだった。

 しかし、闘いは孤立しているのではない。長きにわたり朝鮮学校と共にする日本の市民社会があるからだ。5日に東京で会った「朝鮮学校無償化排除に反対する連絡会」の長谷川和男共同代表(75)は10年間ほぼ毎週、金曜行動に参加している。

 「北朝鮮の核実験や拉致問題が、在日コリアンの子どもたちの教育と何の関係があるのでしょうか。政府は『国民の理解を得ることができない』と言うけれど、人権は多数決で決めるものではありません」。40年間東京で小学校教師を務めた長谷川代表は、「子どもたちが差別なく教育を受けることは基本的権利」だと述べ、「1~2年なら解決できたが、すでに13年が経過している」と深いため息をついた。

 長谷川代表は、朝鮮学校に関する最初の判決(一審)を前にして、2017年6月から12月までの半年間「この問題を知らせるためには、何でもしなければならない」という気持ちから、福岡から北海道までの1100キロメートルを156万歩歩き、日本全国の朝鮮学校67校をすべて訪問した。70代の老人が20キログラムのリュックサックを背負って全国を歩いたため、各地で話題になった。

 「先生たちの給与も滞り、雨漏りするとバケツを廊下に置く学校もありました。引退した校長がボランティアで学校のバスを運転するなど、多くの人たちの献身のもとで学校が維持されていました」。長谷川代表は「学校に使われる資金は決められている。朝鮮学校への支援金が総連などの他の場所で使われる可能性があるという日本政府の主張には現実性がない」とし、「疑わしいのであれば、直接調査すればいい、このように排除する問題ではない」と強調した。「朝鮮学校は開かれているので、人々が必ず一度は直接行ってみてほしい。朝鮮語と彼らの民族文化を守るための努力だけでなく、子どもたちと教師の間にの深い信頼関係など、私たちが習うことが多い」

 
 
日本・アジア関係史、植民地や在日外国人問題などを研究した一橋大学の田中宏名誉教授(86、写真左)。「朝鮮学校無償化排除に反対する連絡会」の長谷川和男共同代表(75、写真右)=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 4日に東京で会った一橋大学の田中宏名誉教授(86)も頼もしい友軍だ。日本・アジア関係史、植民地や在日外国人問題などを研究したた田中教授も、朝鮮学校訴訟や金曜行動、講演・記者会見などで、この問題を解決するために10年以上にわたり東奔西走している。

 「2009年12月にヘイトスピーチ集団が京都の朝鮮学校を襲撃したとき、恐怖に震えていた子どもたちのことを思うと、今でも胸が張り裂けそうです。2021年にも(在日コリアンの集団居住地の)ウトロで放火事件がありました。そうした事件が民間による差別であるとすれば、朝鮮学校の無償化排除は、国があからさまに差別するものです」。田中教授は「国連もこの問題は差別であり是正するよう数回勧告したが、びくともしない」とし、日本政府を強く非難した。

 「日本政府の態度は、民族教育を認めず、大変なら日本の学校に通えという話と同じです。同化主義です。過去の植民地時代と何も変わっていないのです」。田中教授は「岸田文雄首相が北朝鮮と日本の首脳会談に意欲を示しているが、それを可能にするためには、朝鮮学校問題から解決しなければならない」と強調した。「私がもし100歳まで生きるとすれば、残りは14年です。それまでには解決されなきゃならないが、できないのではないかと心配です。でも、絶対にあきらめないでしょう」

東京/キム・ソヨン (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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