しばらく前まではミャンマーの民主化運動をあれほど熱心に報じていたメディアも、このことについては(少なくとも日本で見ている限り)わずかな関心しか示していない。つまり、すでに「陳腐化」したのだ。

2022-08-16 04:58:11 | 今の大本営=首相官邸
 

[徐京植コラム]

忘れられてゆく、ミャンマーも香港も…陳腐化の暴力

登録:2022-08-13 07:03 修正:2022-08-13 07:22
 
 
                 jaewoogy.com //ハンギョレ新聞社

 日本では過酷な暑さが続いている。コロナ禍も鎮静化の気配がない。私は去る8月5日、長崎市を訪れて、日本26聖人記念館会議室で講演した。当地で開かれた「平和学習フォーラム」の企画で、講演のタイトルは「いま、求められる想像力−戦争と絵画」というものだ。1945年の原爆投下から今年で77年、長崎市とその周辺では例年どおりその関連行事が行われ、マスメディアも多くの特集を組んだ。「忘却に抗う」という言葉が目についた。それでも、私の脳裏には、執拗に「戦争の陳腐化」という文言が浮かんでいた。

 戦争が陳腐になるという意味ではない。戦争は人類の歴史とともにあり、少しも陳腐化しない。戦争の記憶が陳腐化し、戦争をめぐる語りが否応なく陳腐化する、という意味である。急いで付け加えておくと、私はこうした陳腐化をやむを得ないこととして認めているわけではない。だが、実際には、この「忘却に抗う」闘いの形勢は思わしくないことを認めざるを得ないのである。

 ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって半年、その戦争はいまも継続中である。それなのに、どうだろうか。戦争をめぐる語りはどこか「落ち着いて」きてはいないか?どこかに「飽き」のような感情がにじんでいるのを感じることもある。

戦争にせよ大災害にせよ、はじめは憤り、悲哀、同情といった感情が溢れ出す。しかし、せいぜい数ヶ月を過ぎると、そういった感情に働きかける報道や言説は、タテマエとしては支持されても、急速に「陳腐化」していく。「記憶せよ」という呼びかけは必要であり正しい。だが、それが人間の多くにとって有効かどうかは疑問である。「原爆」しかり、「ホロコースト」しかり、コロナ・パンデミックしかり。ウクライナやベラルーシは「地獄」と称される独ソ戦の戦場となった。それなのに、その同じ場所で、同じような戦闘行為、残虐行為が反復されている。そこで叫ばれているスローガンはスベトラーナ・アレクシエーヴィチの著作タイトルそのままに、すべて「セカンドハンド(中古品)」である。しかも、現代は、その過酷さを説明する「理念」そのものが失われた時代なのだ。

 これは人間性の本質的な限界に関わる問題なのだろうか。人間は現実の過酷さがある限界線を超えると、それを直視したり、記憶したりすることができない存在なのか。その限界線の範囲は、通常考えられているよりははるかに狭いようだ。そうだとすれば、私たちに求められているのは、「大衆」や「若い人」に受けれられる新奇な語り口を工夫するといった、それこそ陳腐な対案などではなく、「想像力」や「共感力」といった人間本来の潜在能力を擁護し、育て、より深く考察し、根気強く語り続けることでしかないであろう。

 講演のため長崎に旅立つ直前、ミャンマーでの死刑執行の報道があった。7月23日にミャンマー軍政はアウン・サン・スー・チー氏が率いていた与党「国民民主連盟(NLD)」の元国会議員と民主化運動活動家の2氏を含む4人の政治犯の死刑を執行したのである。正直に告白すると、この知らせは、私をかなり動揺させた。死刑そのものが人道に反する残虐刑であることはもちろんだが、それが全世界の衆人環視の中で平然と強行されたのであった。しかも、しばらく前まではミャンマーの民主化運動をあれほど熱心に報じていたメディアも、このことについては(少なくとも日本で見ている限り)わずかな関心しか示していない。つまり、すでに「陳腐化」したのだ。ベラルーシや香港の民主化運動も急速に陳腐化された。

 この報道は、私の心理を急速に半世紀前に引き戻した。あの頃、私は体調不良に苦しんでいた。病因には、私自身の不摂生は別にして、思い当たる事情があった。あの頃、韓国に母国留学中であった私の兄二人が政治犯として逮捕投獄され、兄の一人(徐勝)は軍事裁判で一時は「死刑」まで宣告されていたのである。(のちに「無期懲役」が確定、もう一人の兄(徐俊植)は「懲役7年」)私は日本にいて、ただ精神をすり減らす日々を過ごしていた。心が騒いで熟睡できない夜が続いた。暗い部屋に横たわって「眠らなければ」と自分に言い聞かせるのだが、心臓の動悸音だけが延々と耳に聴こえ続ける。兄たちはいまどんな目に遭っているのか、どこに希望を見出せばよいのか、答えのないそんな問いを限りなく繰り返した。私の心をさらに消耗させたのは、そういう想像世界と、私の周囲で展開する日本社会の「日常生活」とのギャップだった。知人たちは「将来はどうするの?」「就職は?」「結婚は?」などと屈託なく私に尋ねた。私にとっては、そのような「日常生活」が虚構であり、暗い想像の中の監獄や刑場こそが真実だった。

 報道(News Week日本版7月25日配信)によれば、いまミャンマーには117名の死刑確定囚がおり、その家族たちは政府から連絡が来ることを恐れているという。連絡があればそれが最後の別れになると戦々恐々としているというのだ。この気分には憶えがある。維新独裁時代の1975年、人革党の被告8名は判決の18時間後に処刑された。私は、言いようのない嫌悪感とともに、どんな無残なことでも、どんな理不尽なことでも、こうして実際に起こるのだと自分に言い聞かせた。その時の酸鼻な気分が、半世紀後の現在、まざまざと甦る。その時代は終わっていない。世界各地でいまも続いている。

 半世紀前の、あの私が真実であり、その後のどうにか平和に暮らしてきた私は虚構の産物に過ぎない、そう思える。世界中で人々が殺され、病み、苦しんでいる時、真実はそちらにある。私がいるのは虚構の側だ。私にできることは、どんなことがあっても、「陳腐化」の暴力に抵抗し続けることでしかない。

 
//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1054430.html韓国語記事入力:2022-08-12 02:39

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