niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

10月21日 紫金山アトラス彗星

2024年10月21日 | その他
21日 18時15分
もう見ることはできないかと思っていた紫金山アトラス彗星。
18時に予約が入っていた仕事がキャンセルになり、大急ぎで海岸へ。
肉眼では見えない。双眼鏡でそれなりの方向を10数分探すと、ほのかな天体が。あれに違いない。
双眼鏡で位置を確認しつつ、カメラのレンズをその方向に合わせて撮影すること10数枚。漸くフレームイン。

人工衛星がコラボしてくれた。
実物見た人はわかると思うけど、カメラがだいぶ右に傾いていた。
ただ、それを直すと二度とフレーム内に捉えるのは無理っぽかったので、そのまま撮影。

17日にも海岸へ行って探そうと思ったが、雲の中。
ただ、反対方向にはスーパームーンが。

それも、
3時間後には雲に覆われてきた。
肉眼で見る雲はもっと綺麗だったが、写真にすると、なんだかおどろおどろしい。
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10月13日 未明の福島潟~日の出~周辺ランニング

2024年10月19日 | 新潟市からの山岳展望
12日、日没後、紫金山・アトラス彗星が見られないかと、関屋分水河口に行ってみた。すでに何人かの天文ファンが待機していたが、水平線近くの雲に隠れて見えないだろうとのこと。
8万年に一度のチャンスを、この後数日のうちにゲットできるだろうか?

カメラの設定は星を写すようになってるし。
最近、一部ではあるが賑わいが戻りつつある古町をちょいと冷やかしてから、福島潟へ。近くのコンビニで買ったアルコール燃料を補給し仮眠。
午前3時半過ぎ目覚める。
野鳥観察舎「雁晴舎」前にて。
車降りるまでに逡巡。
熊怖い。
スマホの音楽を最大音量で鳴らす。他に誰もいないし、民家もない。
 4時を過ぎたころか、まだ漆黒の闇の中、足音が近づいてくるのが聴こえ、緊張マックス。
人だった。真っ暗な中、ライトも点けずに歩いて来た方。キャンプ場から来たのか?こちらの様子はわかってるだろ?一言声かけてくれや。
無言で観察舎に上がり、また無言で帰って行った。
ただ、近くに人がいる、という安心感は有難く頂戴。

いつもの事だが、星空撮影しようと夜空を見上げれば、明るい星が集まっているオリオン座周辺が一番狙いやすい。明るいレンズ買えば、もっと撮影範囲は広がるんだろうが、高いしね。元を取るほど、撮影に出掛けるかどうか?

双子のカストル、ポルックス。
冬の大三角、ペテルギウス・プロキオン・シリウス。

何枚かオリオン座周辺を撮影していたうちの一枚。
水平に軌跡を描くは流れ星か?

5時近くになると、♪もう星は帰ろうとしてる。帰れない、僕を残して♪

5時半。観察舎に上がる。

東の空、二王子岳の背後が明るくなってきた。

二王子岳


ズームイン
二王子山頂小屋がくっきり。

左・菅名山塊  右・粟ヶ岳

朳差岳。サギが舞う。



朳差岳避難小屋もくっきり


湖面でやすむカモ
湖面を影のように暗く染めるのは、枯れたヒシの葉。

もうすぐ6時。
二王子岳


蒜場山

祝瓶山


飯豊・大日岳


黄金色に染まり始め


6時過ぎ、西ノ峰付近から日の出。



一面、黄金色に染まる






白鳥の鳴き声が聞こえる。撮りたかったが、ずいぶん遠くにいるよう。
次の機会に。

明るくなり、自然観察園を歩いていると、

花の落ちた後のハス。

全部、ほぼ東向き。
ハスの花は、まっすぐ上向きに咲くもんだと思っているが、花が落ちたあとは東に向くんだろうか??

鳥が高い木の上に止まる。モズ。


きょう13日は、新潟マラソンの日。入院もあり、エントリー間に合わなかった。
スタート時間にあわせて、福島潟周辺をランニング。


LSDのつもりで20kmは走ろうと思っていたが、タイムリミット。
もう少し、纏まった一人の時間がほしいと思う、きょうこの頃。
いや。充分好き勝手やってるか。
終。

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10月14日 中越・枝折峠~銀山平へ。

2024年10月16日 | 中越の山々
快晴の連休最終日。トレラン後の写真が溜まっているが、取り敢えず、この日の記事を。
紅葉にはまだまだ早いが,山を眺めに、奥只見へ。
当初は、最近行っていない奥胎内をと思ったが、紅葉してなければあまり山岳展望的には面白みがない奥胎内はやめて、奥只見に変更。
もうすぐ魚沼ICに名称変更する小出ICから国道352号線を東進。シルバーライン入口を左に見送り、大湯温泉などを抜け枝折峠へ。
 途中、佐梨川を渡る、銀嶽橋。何度も通っている道だが、この名前知らなかった。銀嶽とはエチコマの事だろう。車を降りて見ると、

橋の上から越後駒ケ岳が望めるのを確認。






快晴の連休では枝折峠に駐車スペースは無いだろうと思っていたが、意外な事に数台分空いていた。
峠の先には



東に


銀嶽橋周辺にウジャウジャいたカメムシも、もうここにはいない。(気づかなかっただけ?)
エンジン切って、降りるよう促してみたが、先ほどのカメムシに辟易したらしく降りようとしない。仕方ない。先に進むか。

峠から少し下って

さらに下ると、視界が開けた。
威風堂々たる荒沢岳。


右に








下りきると銀山平・石抱橋。定番。またか、と言われそうだが、誰もが、必ず、ここで撮影する越後駒ケ岳。









河は眠らない。


右に折れ、この橋を渡ると銀山温泉。橋もだいぶ傷んできたか。以前はもっと赤かったような。



この辺りで新たに食事できるようになっていないかなぁと期待したが、やはり奥只見ダムまで行かないと無いとのこと。あそこまで足を延ばすのは、時間的にちょっと。
帰ってからランニングしたい。


奥只見湖沿いに暫く樹海ラインを進む。
途中、荒沢岳
見る方向が変わるとすぐには同定できないが、

なんとか。



ここから先、道はほぼ直角に折れ南下し、尾瀬に向かう。当分、お山の眺めは無くなるので、きょうはここまでで充分。


奥只見湖。遊覧船がゆっくりと。



荒沢岳






越後駒ケ岳




右に隠れてる枝折峠から明神峠、小倉山経由でエチコマへ。小倉山から先がいかに急登かわかる。

遊覧船の上辺りが枝折峠。



頭上を猛禽が舞った。奥只見だ。イヌワシとか?
トビでした。こんな山の奥まで来ないで、下界に居た方が美味しいもの食べられるのに。


この後、シルバーライン経由で帰宅。
終。











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9月29日 津南町・山伏山登山(トレラン)その2

2024年10月05日 | 苗場山麓ジオパーク
明けて、トレラン大会当日29日。
まずは、オフィシャルの写真。

6kmの部 スタート

まるで、勝利を確信しているかのようなにこやかなスタート。


そしてそのままの笑顔で表彰式。

優勝タイムは約37分。山伏山山頂まで標高差約200m。2周で6kmの周回コースを37分。超人達です。僕が平地を6km走るのとあまり変わらない時間でこの山を2度駆け上がり、駆け降りる。私の写真なんぞ恥ずかしくて載せられない。あくまで、登山ですから。
左端が主催者の松永さん。
日本のトレランの第一人者。この方、朝8時の集合時間前から大会終了までず~とマイク離さず喋り続けていた。喉も超人的。

途中のジオサイト。風穴と山頂展望台。僕の狙いはこっち。タイムなんてはなから期待してない。


スタート前に周囲を散策。キャンプ場内。


お隣さんのターフ。良いね!


完成したばかりのバイオトイレ。
ウオシュレット完備でとても綺麗。

スタート・ゴール地点の山伏山山荘


薬師湖



池の周囲に、ミゾソバ


森の中にカメバヒキオコシ(シソ科)。


葉の先が、亀の尻尾みたいだからカメバ。
ヒキオコシは、臥せっている病人を起こす、の意味で薬草として用いられたとか。


シラネセンキュウ(セリ科)、でしょうか?この手の花は見分けがつかない。


シダ?ワラビ?これも見分けがつかない。



山の秋を最初に染めるウルシ


和の配色。




さて、スタート。



ブナ林の中を駆ける?歩く?

急登の途中に風穴





下まで降りなくてもヒンヤリ。
以下は、「津南学」のほぼ丸写し。ここまでやっていいんかい?
写真もネットで探して拝借。
風穴とは冷たい風が出てくる穴のことです。津南町周辺で見られる風穴は、人が入れるような大きな洞窟ではなく、堆積した岩塊の隙間から冷気が流れ出しているものです。
この地域で見られる風穴は、どれも崩壊地に出現しています。山腹や岩壁の崩落した裾から流れ出す冷気は、冬季に岩塊の間から浸み込んだ水が凍結したものが、雪解け後の気温上昇に伴い、夏にかけて少しずつ解けながら、岩隙の空気を冷したものです。冷えた空気は下方に流れるため、崩壊地裾の隙間から出てくるものと思われます。
堆積した岩塊の上は長い間に土砂や腐植に被われ、いろいろな植物が根を下ろすようになります。ただ、流れ出す冷気の影響で、生育できる植物は限られてきます。窪地などの冷気が溜まりやすいところには、周囲とは異なった北方系、亜高山性の植物が織り成す植生が出来上がります。
風穴で見られる植物は、寒冷期に繁茂していた生き残りと云われています。この地域の昔の植生を考える上で貴重な場所となっています。

山伏山の風穴地
信濃川左岸の山伏山にも風穴があります。山伏山は、長野県境に位置する標高903mの円錐形をした山で貫入した溶岩でできています。この山の東側岩壁下を縁取るようにして風穴地が散在しますが、冷気が顕著なところは二か所です。
北東部にある風穴地(標高780m)は、明治の終わりごろから蚕種貯蔵施設として利用されてきました。現在も石組が残されていて、その隙間から出る冷気を感じることができるクールスポットとして、人気の場所となっています。
 石組の周辺は、斜面の開削や伐採などの人手が加わったため、元来の植生はほとんど残っていません。コミヤマカタバミ、ホスゲなどの草本や、ミヤマメシダ、シラネワラビ、ミヤマワラビなどのシダ類が、当時の環境をしのばせています。
風穴の入口近くにトチノキの大木が二本たっているのが目印です。
 山の南東部岩壁下にある風穴地(標高770m)は大小の岩塊が積み重なったところで、浅い窪みになっていて、隙間から流れ出た冷気が溜まっています。周囲にはサワグルミやミズキなどの亜高木が生え、ハイイヌガヤ、ユキツバキ、アブラチャンなどの低木が枝を広げています。この込み合った枝が冷気の拡散を防ぐとともに、人の立入りを拒んでいます。
 窪地は崩落した岩で凹凸していて、腐植やコケ類で被われています。その隙間を縫うようにエゾヒョウタンボクが枝を伸ばしていますが、ここの個体は結東風穴地のものと比べて全体に背が低く、花つきも少ないように思われます。ただ、小さいながらもたくさんの株が込み合って生えています。
 ほかにミヤマシダレ、コマユミ、エゾツリバナ、ミヤマイボタなどの小低木や、シラネアワビ、ミヤマワラビ、ホソイノデ、オシダなどのシダ類を見ることができます。

注目すべき植物
・エゾヒョウタンボク(スイカズラ科)





・ミヤマシグレ(スイカズラ科)

本州(福島県以南)、四国、九州に分布する落葉低木です。
新潟県では内陸の山岳部に生育していますが、南部県境の谷川岳、苗場山周辺で多く見かけます。津南町では山伏山の他は苗場山中腹、小松原、金城山などの標高1000m以上のところに生育しています。
花は6月から7月にかけて見られます。紅色の小花がたくさん集まってつくのですが、平開することがないのでつぼみにように見えます。果実ははじめは赤色ですが、熟すと黒色になります。

・ホスゲ(カヤツリグサ科)
本州の鳥取県氷ノ山以北の日本海側に分布している日本固有のスゲで、亜高山帯に多く見られます。
津南町では山伏山でのみ確認しています。
 高さ50cmほどになりますが、葉も茎も細いため、あまり人目を引きません。花は淡緑色の控え目な姿で、7月から八月にかけて咲きます。石組された風穴のところで観察できます。

・ミヤマメシダ(イワデンダ科)



北海道、本州の中部地方以北と鳥取大山に分布している、夏緑性のシダです。
新潟県では県境の山岳地に分布していて、亜高山帯に多く見られます。
津南町では見倉と山伏山の風穴地、苗場山、小松原で見ることができます。
高さ80cmほどになり、葉柄に黒くてかたい鱗片がいっぱいつくのが特徴です。


そんなこんなで山頂が見えた。


スタッフは、頑張れ~と先を急がせるが、展望台に寄らなくてなんとする。


遠くはまだ霞んでいるので、イマイチだが越後三山なども見えるはず。


来た道が裏参道で、下りが表参道。


お二人ほど、一般登山者と会う。
勿論、歩いて追い越す。お騒がせしてすみませんと言うと、にこやかな笑顔を返してくれた。まったくなぁ、山中を走るなんて迷惑な話だ。

舗装路が見え、


もうすぐゴール。


疲れた体に八海山醸造の甘酒。

表彰式後、記念撮影やジャンケン大会など続いているが、他にも行きたい場所があるので、すぐに車中の人となった。
続く。
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9月29日 津南町・山伏山登山(トレラン)その1

2024年10月02日 | 苗場山麓ジオパーク
安山岩の貫入岩体 山伏山 と、堰止湖の薬師湖。


津南町周辺のあちらこちらから、一目でそれとわかる特徴的な山伏山。
8月のひまわり広場から。
一度は登ってみたいと思っていたが、熊が怖くてひとりじゃ行けん、と思い、足が向くことはなかったが、ここでトレイルランニングの大会を開くという。大勢の人間が一斉に山を駆け上る。渡りに舟じゃないか。私は、トレランには否定的な意見を持っているが、このチャンスを逃す手は無い。肩の調子もかなり良くなった。早々にエントリー。

実に3年振りの、鳥甲山以来の登山?となった。
28日土曜日、13時過ぎに新潟市を出発。16時過ぎ、無印良品津南キャンプ場に着き、すぐにテントを張る。これは白馬大池以来、5年ぶりのテント泊。
雲行きは妖しい。国道117号のファミマまで買い出しに戻ったりしているうちに次第に雨脚は強くなり、新調した椅子に座って食事のつもりが車内で食べることになってしまった。隣のサイトのターフが羨ましいが、雨がしのげるほどのターフを買っても、今後それを使う機会が訪れる事を想像することはできない。
夜は、満点の星空の撮影を・・・と、これもオジャン(死語?)。

夜半に雨は上がった。29日は次第に回復してゆく天気予報。

その前に、久々に、
苗場山麓ジオパークのお勉強その20
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苗場山麓ジオパークHPより。
 
約220万年前から150万年前には、陸化した関田山脈や中津川・志久見川上流部で火山活動が起きます。溶岩、火砕流、火山泥流などの火山砕屑物は、今の丸山・氷山などの東頸城丘陵の山並みの頂部をつくっています。その1つである山伏山は、信濃川左岸に位置する、標高903mの釣鐘状の山です。この山はかつて大きな火山であり、風化によりそぎ落とされ、最も固い山の心棒とも言える火道の部分が残っています。この山体を構成する安山岩は、魚沼層群に貫入したもので明瞭な柱状節理が形成しています。また、山体主軸に直交する横位に並ぶ板状節理を見ることができます。
 その裾野には、頸城丘陵ジオトレッキングの一つの拠点である無印良品山津南キャンプ場があり、周囲には薬師湖や風穴を利用した養蚕卵保管施設跡などがあります。風穴は山の東側岩壁下部海抜約780mを縁取るように散在しており、養蚕卵保管施設跡はその内の北東部の風穴地にありました。今も石組みが残されていて、岩隙から盛んに冷気が吹き出しています。この養蚕卵保管施設跡は、平成24年3月29日津南町有形文化財に指定されました。
 また、この津南キャンプ場から少し離れたところには、かつて海だったことを示す二枚貝などの化石が堆積している地層を見ることができます。
 

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板状節理って、この右側のか。

早速、実地のお勉強ができた。

産総研HPより



固い火道の部分がUv。
風化によりそぎ落とされた岩屑及び崩積土がC1。
キャンプ場のサイトは、ほぼこのC1の上になる。


記号のUは、UonumaのU。
地質学では、シルトとは泥の一種であり、粒径が1/16mmから1/256mmの範囲のものとされている。
シルトは、河川や湖沼、三角州などで堆積することが多く、土壌の構成要素としても重要。シルトが堆積して固まると、シルト岩と呼ばれる堆積岩になる。





同じ産総研の他の図では、山伏山を、中新世の火成岩である、深成岩の閃緑岩としているものもあり、メールで訊いたら、安山岩でいいと思いますとのこと。ファイナルアンサーでいいですか?

山伏山はこんな場所。そんな事考えながら走ってる奴は他にいるのかな?みんな、登山が目的ではない。トレランの記録更新が最大の目標だよね。

ところで。
大前提として、地質時代を纏めてみた。
中新世とか、鮮新世とか、なかなか覚えられるもんじゃない。

顕生代(けんせいだい)は、地質時代(最上位の区分である累代)の一つ。名称は「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味であるが、実際には三葉虫をはじめとする化石として残りやすい殻や骨格を有する生物などが多く誕生し始めた時代であるカンブリア紀以後を指す。古生代、中生代、新生代を含む。
顕生代カンブリア紀の始めから現在までのことで、約5億4100万年の期間である。地球誕生が約46億年前と考えられているので、顕生代は地球の年齢の約1割ほどである。


新生代(6550万年前から現在までを表し、顕生代を三分(古生代、中生代、新生代)したうちの最後の時代。哺乳類の繁栄で特徴付けられる。古第三紀、新第三紀、第四紀に分類される。)
 
古第三紀(6550万年前から2303万年前までを表し、新生代を三分したうちの最初の時代。漸新世、始新世、暁新世の3つの世に区分される。この時代の暖かい海では大型有孔虫の貨幣石が繁栄した。)

新第三紀(2303万年前から258万8千年前までを表し、新生代を三分したうちの中央の時代。哺乳類の進化・大型化で特徴付けられる時代。中新世、鮮新世に分類される。)

第四紀(258万8千年前から現在までを表し、新生代を三分したうちの最後の時代。人類の繁栄で特徴づけられる。更新世、完新世に分類される。)

新第三紀 
中新世(2303万年前から533万2千年前までを表し、新第三紀を二分したうちの前半の時代。温暖化して海進が進み、また地殻変動が激しかった時代)

鮮新世(533万2千年前から258万8千年前までを表し、新第三期を二分したうちの後半の時代。哺乳類が分化。大型化、特殊化した。)

第四紀 
更新世(258万8千年前から11700年前までを表し、第四紀を二分したうちの前半の時代。氷河期の時代)

完新世(11700年前から現在までを表し、第四紀を二分したうちの後半の時代。最後の氷期が終り、温暖化した時代。)

第四紀は、人類が登場してから、現在までを表す。なので、さらに古い時代の人類の化石が発見される度に、年代が遡って行く。その分、新第三紀が短くなる。

参考までに。
人新世(じんしんせい)とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。正式に採用された区分ではない。

興味の無い方にはなんとも冗漫な記事。かなり長くなってしまったので、その1としてアップ。
続く。

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