niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

9月29日 津南町・山伏山登山(トレラン)その2

2024年10月05日 | 苗場山麓ジオパーク
明けて、トレラン大会当日29日。
まずは、オフィシャルの写真。

6kmの部 スタート

まるで、勝利を確信しているかのようなにこやかなスタート。


そしてそのままの笑顔で表彰式。

優勝タイムは約37分。山伏山山頂まで標高差約200m。2周で6kmの周回コースを37分。超人達です。僕が平地を6km走るのとあまり変わらない時間でこの山を2度駆け上がり、駆け降りる。私の写真なんぞ恥ずかしくて載せられない。あくまで、登山ですから。
左端が主催者の松永さん。
日本のトレランの第一人者。この方、朝8時の集合時間前から大会終了までず~とマイク離さず喋り続けていた。喉も超人的。

途中のジオサイト。風穴と山頂展望台。僕の狙いはこっち。タイムなんてはなから期待してない。


スタート前に周囲を散策。キャンプ場内。


お隣さんのターフ。良いね!


完成したばかりのバイオトイレ。
ウオシュレット完備でとても綺麗。

スタート・ゴール地点の山伏山山荘


薬師湖



池の周囲に、ミゾソバ


森の中にカメバヒキオコシ(シソ科)。


葉の先が、亀の尻尾みたいだからカメバ。
ヒキオコシは、臥せっている病人を起こす、の意味で薬草として用いられたとか。


シラネセンキュウ(セリ科)、でしょうか?この手の花は見分けがつかない。


シダ?ワラビ?これも見分けがつかない。



山の秋を最初に染めるウルシ


和の配色。




さて、スタート。



ブナ林の中を駆ける?歩く?

急登の途中に風穴





下まで降りなくてもヒンヤリ。
以下は、「津南学」のほぼ丸写し。ここまでやっていいんかい?
写真もネットで探して拝借。
風穴とは冷たい風が出てくる穴のことです。津南町周辺で見られる風穴は、人が入れるような大きな洞窟ではなく、堆積した岩塊の隙間から冷気が流れ出しているものです。
この地域で見られる風穴は、どれも崩壊地に出現しています。山腹や岩壁の崩落した裾から流れ出す冷気は、冬季に岩塊の間から浸み込んだ水が凍結したものが、雪解け後の気温上昇に伴い、夏にかけて少しずつ解けながら、岩隙の空気を冷したものです。冷えた空気は下方に流れるため、崩壊地裾の隙間から出てくるものと思われます。
堆積した岩塊の上は長い間に土砂や腐植に被われ、いろいろな植物が根を下ろすようになります。ただ、流れ出す冷気の影響で、生育できる植物は限られてきます。窪地などの冷気が溜まりやすいところには、周囲とは異なった北方系、亜高山性の植物が織り成す植生が出来上がります。
風穴で見られる植物は、寒冷期に繁茂していた生き残りと云われています。この地域の昔の植生を考える上で貴重な場所となっています。

山伏山の風穴地
信濃川左岸の山伏山にも風穴があります。山伏山は、長野県境に位置する標高903mの円錐形をした山で貫入した溶岩でできています。この山の東側岩壁下を縁取るようにして風穴地が散在しますが、冷気が顕著なところは二か所です。
北東部にある風穴地(標高780m)は、明治の終わりごろから蚕種貯蔵施設として利用されてきました。現在も石組が残されていて、その隙間から出る冷気を感じることができるクールスポットとして、人気の場所となっています。
 石組の周辺は、斜面の開削や伐採などの人手が加わったため、元来の植生はほとんど残っていません。コミヤマカタバミ、ホスゲなどの草本や、ミヤマメシダ、シラネワラビ、ミヤマワラビなどのシダ類が、当時の環境をしのばせています。
風穴の入口近くにトチノキの大木が二本たっているのが目印です。
 山の南東部岩壁下にある風穴地(標高770m)は大小の岩塊が積み重なったところで、浅い窪みになっていて、隙間から流れ出た冷気が溜まっています。周囲にはサワグルミやミズキなどの亜高木が生え、ハイイヌガヤ、ユキツバキ、アブラチャンなどの低木が枝を広げています。この込み合った枝が冷気の拡散を防ぐとともに、人の立入りを拒んでいます。
 窪地は崩落した岩で凹凸していて、腐植やコケ類で被われています。その隙間を縫うようにエゾヒョウタンボクが枝を伸ばしていますが、ここの個体は結東風穴地のものと比べて全体に背が低く、花つきも少ないように思われます。ただ、小さいながらもたくさんの株が込み合って生えています。
 ほかにミヤマシダレ、コマユミ、エゾツリバナ、ミヤマイボタなどの小低木や、シラネアワビ、ミヤマワラビ、ホソイノデ、オシダなどのシダ類を見ることができます。

注目すべき植物
・エゾヒョウタンボク(スイカズラ科)





・ミヤマシグレ(スイカズラ科)

本州(福島県以南)、四国、九州に分布する落葉低木です。
新潟県では内陸の山岳部に生育していますが、南部県境の谷川岳、苗場山周辺で多く見かけます。津南町では山伏山の他は苗場山中腹、小松原、金城山などの標高1000m以上のところに生育しています。
花は6月から7月にかけて見られます。紅色の小花がたくさん集まってつくのですが、平開することがないのでつぼみにように見えます。果実ははじめは赤色ですが、熟すと黒色になります。

・ホスゲ(カヤツリグサ科)
本州の鳥取県氷ノ山以北の日本海側に分布している日本固有のスゲで、亜高山帯に多く見られます。
津南町では山伏山でのみ確認しています。
 高さ50cmほどになりますが、葉も茎も細いため、あまり人目を引きません。花は淡緑色の控え目な姿で、7月から八月にかけて咲きます。石組された風穴のところで観察できます。

・ミヤマメシダ(イワデンダ科)



北海道、本州の中部地方以北と鳥取大山に分布している、夏緑性のシダです。
新潟県では県境の山岳地に分布していて、亜高山帯に多く見られます。
津南町では見倉と山伏山の風穴地、苗場山、小松原で見ることができます。
高さ80cmほどになり、葉柄に黒くてかたい鱗片がいっぱいつくのが特徴です。


そんなこんなで山頂が見えた。


スタッフは、頑張れ~と先を急がせるが、展望台に寄らなくてなんとする。


遠くはまだ霞んでいるので、イマイチだが越後三山なども見えるはず。


来た道が裏参道で、下りが表参道。


お二人ほど、一般登山者と会う。
勿論、歩いて追い越す。お騒がせしてすみませんと言うと、にこやかな笑顔を返してくれた。まったくなぁ、山中を走るなんて迷惑な話だ。

舗装路が見え、


もうすぐゴール。


疲れた体に八海山醸造の甘酒。

表彰式後、記念撮影やジャンケン大会など続いているが、他にも行きたい場所があるので、すぐに車中の人となった。
続く。
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9月29日 津南町・山伏山登山(トレラン)その1

2024年10月02日 | 苗場山麓ジオパーク
安山岩の貫入岩体 山伏山 と、堰止湖の薬師湖。


津南町周辺のあちらこちらから、一目でそれとわかる特徴的な山伏山。
8月のひまわり広場から。
一度は登ってみたいと思っていたが、熊が怖くてひとりじゃ行けん、と思い、足が向くことはなかったが、ここでトレイルランニングの大会を開くという。大勢の人間が一斉に山を駆け上る。渡りに舟じゃないか。私は、トレランには否定的な意見を持っているが、このチャンスを逃す手は無い。肩の調子もかなり良くなった。早々にエントリー。

実に3年振りの、鳥甲山以来の登山?となった。
28日土曜日、13時過ぎに新潟市を出発。16時過ぎ、無印良品津南キャンプ場に着き、すぐにテントを張る。これは白馬大池以来、5年ぶりのテント泊。
雲行きは妖しい。国道117号のファミマまで買い出しに戻ったりしているうちに次第に雨脚は強くなり、新調した椅子に座って食事のつもりが車内で食べることになってしまった。隣のサイトのターフが羨ましいが、雨がしのげるほどのターフを買っても、今後それを使う機会が訪れる事を想像することはできない。
夜は、満点の星空の撮影を・・・と、これもオジャン(死語?)。

夜半に雨は上がった。29日は次第に回復してゆく天気予報。

その前に、久々に、
苗場山麓ジオパークのお勉強その20
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苗場山麓ジオパークHPより。
 
約220万年前から150万年前には、陸化した関田山脈や中津川・志久見川上流部で火山活動が起きます。溶岩、火砕流、火山泥流などの火山砕屑物は、今の丸山・氷山などの東頸城丘陵の山並みの頂部をつくっています。その1つである山伏山は、信濃川左岸に位置する、標高903mの釣鐘状の山です。この山はかつて大きな火山であり、風化によりそぎ落とされ、最も固い山の心棒とも言える火道の部分が残っています。この山体を構成する安山岩は、魚沼層群に貫入したもので明瞭な柱状節理が形成しています。また、山体主軸に直交する横位に並ぶ板状節理を見ることができます。
 その裾野には、頸城丘陵ジオトレッキングの一つの拠点である無印良品山津南キャンプ場があり、周囲には薬師湖や風穴を利用した養蚕卵保管施設跡などがあります。風穴は山の東側岩壁下部海抜約780mを縁取るように散在しており、養蚕卵保管施設跡はその内の北東部の風穴地にありました。今も石組みが残されていて、岩隙から盛んに冷気が吹き出しています。この養蚕卵保管施設跡は、平成24年3月29日津南町有形文化財に指定されました。
 また、この津南キャンプ場から少し離れたところには、かつて海だったことを示す二枚貝などの化石が堆積している地層を見ることができます。
 

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板状節理って、この右側のか。

早速、実地のお勉強ができた。

産総研HPより



固い火道の部分がUv。
風化によりそぎ落とされた岩屑及び崩積土がC1。
キャンプ場のサイトは、ほぼこのC1の上になる。


記号のUは、UonumaのU。
地質学では、シルトとは泥の一種であり、粒径が1/16mmから1/256mmの範囲のものとされている。
シルトは、河川や湖沼、三角州などで堆積することが多く、土壌の構成要素としても重要。シルトが堆積して固まると、シルト岩と呼ばれる堆積岩になる。





同じ産総研の他の図では、山伏山を、中新世の火成岩である、深成岩の閃緑岩としているものもあり、メールで訊いたら、安山岩でいいと思いますとのこと。ファイナルアンサーでいいですか?

山伏山はこんな場所。そんな事考えながら走ってる奴は他にいるのかな?みんな、登山が目的ではない。トレランの記録更新が最大の目標だよね。

ところで。
大前提として、地質時代を纏めてみた。
中新世とか、鮮新世とか、なかなか覚えられるもんじゃない。

顕生代(けんせいだい)は、地質時代(最上位の区分である累代)の一つ。名称は「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味であるが、実際には三葉虫をはじめとする化石として残りやすい殻や骨格を有する生物などが多く誕生し始めた時代であるカンブリア紀以後を指す。古生代、中生代、新生代を含む。
顕生代カンブリア紀の始めから現在までのことで、約5億4100万年の期間である。地球誕生が約46億年前と考えられているので、顕生代は地球の年齢の約1割ほどである。


新生代(6550万年前から現在までを表し、顕生代を三分(古生代、中生代、新生代)したうちの最後の時代。哺乳類の繁栄で特徴付けられる。古第三紀、新第三紀、第四紀に分類される。)
 
古第三紀(6550万年前から2303万年前までを表し、新生代を三分したうちの最初の時代。漸新世、始新世、暁新世の3つの世に区分される。この時代の暖かい海では大型有孔虫の貨幣石が繁栄した。)

新第三紀(2303万年前から258万8千年前までを表し、新生代を三分したうちの中央の時代。哺乳類の進化・大型化で特徴付けられる時代。中新世、鮮新世に分類される。)

第四紀(258万8千年前から現在までを表し、新生代を三分したうちの最後の時代。人類の繁栄で特徴づけられる。更新世、完新世に分類される。)

新第三紀 
中新世(2303万年前から533万2千年前までを表し、新第三紀を二分したうちの前半の時代。温暖化して海進が進み、また地殻変動が激しかった時代)

鮮新世(533万2千年前から258万8千年前までを表し、新第三期を二分したうちの後半の時代。哺乳類が分化。大型化、特殊化した。)

第四紀 
更新世(258万8千年前から11700年前までを表し、第四紀を二分したうちの前半の時代。氷河期の時代)

完新世(11700年前から現在までを表し、第四紀を二分したうちの後半の時代。最後の氷期が終り、温暖化した時代。)

第四紀は、人類が登場してから、現在までを表す。なので、さらに古い時代の人類の化石が発見される度に、年代が遡って行く。その分、新第三紀が短くなる。

参考までに。
人新世(じんしんせい)とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。正式に採用された区分ではない。

興味の無い方にはなんとも冗漫な記事。かなり長くなってしまったので、その1としてアップ。
続く。

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5月26日 前倉橋~清水川原~見倉からの「シシ穴の柱状節理」・石垣田、巨木の森。

2024年05月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その19

屋敷から405号を北上。前倉へ。
結東層(約1,800万年前から1,500万年前の日本海ができはじめ頃の地層。中津川流域の逆巻から小赤沢にかけて分布し、おもに海底火山の噴出物である。)が見られる前倉橋。

以前は、ここに茶屋があったのだが、綺麗になくなっていた。(って、教えてもらったはずなのに忘れていた)


グリーンタフという岩石が含まれるが、緑に見える?見えない?

 
さて、萌木の里で蕎麦を、と思ったが、腹が空かないというのでパス。
ただ、ここに来たのは裏手にあるシシ穴の柱状節理を見るため。
受付で尋ねると、対岸から眺めたほうが良く見えると。ならば行くっきゃない。清水川原橋を渡った先に右上に上がってゆく道があるという。

清水川原橋から見る、清水川原と大嵓。


川原は綺麗。この川原に清水が湧いているから清水川原という。

上流側


鈴木牧之が秋山郷の入口と称した清水川原の集落。

この集落の神社の脇に、コハウチワカエデの、目通り1.6m、高さ15mの県内有数の大木があるというが、どれのことかわからない。
北越雪譜にも記載があるコハウチワカエデと同じ木ではないかと言われている。

ほどなく、右に上がる見倉の集落にあがる道。
坂道を上ってゆくと、ビューポイントと表示のある駐車スペース。




左下が萌木の里。左上は高倉山。


HPより。
結東の「シシ穴」と呼ばれる、萌木の里の裏側に見ることができる柱状節理は、約77万年前に噴火した鳥甲山(とりかぶとやま)の溶岩です。前倉(まえくら)溶岩(ようがん)とも呼ばれる鳥甲山の最初の活動の火山砕屑物です。柱状節理が発達した安山岩の溶岩は、布岩山の東から穴藤まで北へおよそ20km以上も流れ、先端は魚沼層群上部に堆積しました。
 遠くから見ると、一枚の平滑な浸食面として見える崖ですが、近寄るとロウソク状に浸食されている様子が観察できます。これは雪崩による浸食の跡です。
 「シシ」とは「アオジシ(カモシカ)」のことで、カモシカのねぐらがあることからこの地名がついたそうです。
 また、この場所は雪が積もることによって岩壁の真下まで近づくことができ、柱状節理の様子を詳細に観察することができます。

火山砕屑物ってなんだっけ?復習。生成AIに尋ねる。
 火山砕屑物(または「火砕物」)は、火山活動の際に放出される固体物質であり、そのサイズと起源によって分類されます。溶岩以外の固形物で、大きく2種類に分けられます1。具体的には次のようなものが含まれます:
1.火山岩塊、火山礫、火山灰など:溶けたマグマ(岩漿)や古い岩石が破片になったものです。
2・軽石、スコリア、火山弾など:溶けたマグマがちぎれてバラバラになったものです。

火山砕屑物が固まってできた岩石を「火山砕屑岩」(または「火砕岩」)と呼びます1。火山砕屑物は、火山噴火の危険性評価や、火山活動の過去の歴史を理解するのに重要な役割を果たしています。
さらに、火山砕屑物は粒の大きさによっても分類されます。最も大きいのは火山弾で、直径が2センチメートル以上の塊状の岩石です。次に火山礫があり、直径は2ミリメートルから64ミリメートルです。最も一般的な火山砕屑物は火山灰で、粒の直径は2ミリメートル未満です。火山灰は非常に細かい粒子で構成されており、遠くまで運ばれることがあります

つい、便利だから生成AIに訊いちゃうが、生成AIのサーバーは物凄く電力を消費するんだって。動画作ったり、感情を込めたような返答を返す進化した生成AIがガンガン稼働したら、結果、電気代があがることになるって。使いながら云うのもなんだが、これ以上進化しなくていいんじゃないか?生成AIを使った巧妙な犯罪も激増するだろうし・・・。


右手に、結東の石垣田。

HPより。(引用ばっかり)
 結東集落の北側には、全国農村景観百選にも選ばれている美しい石垣田が広がっています。長い年月と労力をかけて築かれた石垣は、鳥甲山と苗場山の火山噴出物(柱状節理)の崩れた落石を利用しています。石積みの高さは高いものになると3mもあり、村人の苦労が容易に想像できます。開墾が始まったのは明治25年(1892)頃で、秋山郷は稲作には厳しい環境とされていましたが、村人の強い思いが血と汗をともなってこの石垣田を作りあげました。
 現在は、周囲の農道が狭く大型機械が入れないため農作業が大変なことや村人の高齢化もあり耕作されない田んぼが多くなってきています。そのため、保存会が発足し住民や行政と協力しながら保全活動を行うとともに、エコツーリズムなどと連携し農業体験も行っています。
 この石垣田のすばらしさをたくさんの人に知ってもらうため「けっとの灯影」と題し、田植え後の石垣田に1,000本のキャンドルを灯し、からす踊り(土着民謡)などで春の宵を楽しむイベントも開催しています。
 また、溶岩壁下部のガレ場には「風穴」が点在していて、エゾヒョウタンボクなど希少な植物が生育しています。
 ジオ、エコ、カルチャーが融合した素晴らしいスポットです。

背後には巨木の森。
 
ここより先、見倉トンネル手前の遊歩道を辿ると、新潟県最大級、直径2.6mを誇るトチノキにも出逢える。熊が怖いから、一人では僕は行かんけどね。
この森では、アサノハカエデやウダイカンバ、甘い芳香を放つカツラにも出逢える。春にはウワミズザクラに似た、シウリザクラも。新潟県内でシウリザクラに出逢えるのはここ見倉の風穴周辺だけだそうだ。
その他、ヒトツバカエデ、テツカエデ、ミネカエデ、メグスリノキ、ハウチワカエデなどが、秋山郷を彩る樹木。

河岸段丘広がる中津川下流まで戻ってきた。

田植えの終わったばかりの水田が水鏡に。


収穫の多い一日。
大急ぎで新潟市に戻り、大の里の一番に間に合った。
糸魚川市の、能生中学~海洋高校出身。早々にやめちゃった豊山に変わり、一気に新潟県民の誇りとなった。(石川県の皆さん、スミマセン)
大の里が痩せると、大谷に似てるんじゃないかと思うのは僕だけ?
終。





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5月26日 苗場山麓ジオパーク・苗場山の浸食カルデラ

2024年05月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その18

五宝木トンネルを抜けた後、前倉の集落から国道405号へ入るつもりだったが、通行止め。この通行止めの道を行くと、山の展望台の処の分岐に出ることになる。赤が辿った道。水色が予定していた道。

さて、屋敷へ回って国道405号にでることになったが、途中の苗場山の眺めが良かったので結果オーライ。

この眺め。檜ノ塔から霧ノ塔まで(写真に写ってないがその先の黒倉山まで)爆裂火口や爆発カルデラみたいに弧状に連なる山体。
噴火によりこうなったのではなく、硫黄川と小赤沢川により浸食された浸食カルデラ。もちろん地滑りも頻発したはず。
削り残された(たぶん)のが猿面峰から松ノ峰。
カシミール3Dにて作成。



浸食される前はどんな形だったのか。神楽ヶ峰~霧ノ塔~黒倉山を外輪山として、猿面峰あたりを中央火口丘とする妙高や浅間のような形を想像する。シロートの想像だから信じないように。



車を進める。



奥志賀の山々
湯田中から入って岩菅山~烏帽子岳~笠法師山~秋山郷と辿る健脚向きルートがあるらしい。

白嵓ノ頭
壮大なアバランチシュート。
以下は、みなかみ町が作成しているPDFだが、苗場山麓ジオパークのサイトが、未だに白嵓ノ頭のアバランチシュートを筋状地形(✕きんじょうちけい 〇すじじょうちけい)と掲載している。メールで指摘してみたんだけどね。歯痒い。



屋敷の集落に下る。ここに貴重な、綺麗な公衆トイレがある。覚えとくと役に立つよ。
清水川原やシシ穴の柱状節理に続く。


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5月26日 苗場山麓ジオパーク・前倉トド山の展望台  更新

2024年05月28日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その17 

津南町に着き、すぐに沖ノ原台地へ駆け上がる。
図は、川の展望台辺りの上空から俯瞰した、きょう辿る風景。
龍ヶ窪の後ろが苗場火山熔岩流末端崖。平らな沖ノ原台地へ溢れかえり押し寄せた凹凸の熔岩流。
龍ヶ窪の右側から末端崖を駆け上がる。
冬季間通行止めの道。どんなにか悪路なのかと思っていたが、広くはないがしっかり舗装された快適な道だった。
高野山の右側を通過。高野山ダムも見たかったが、道がわからん。
使われているのかいないのか、牧場と思われる草原も現れる。
暫く進むと、
ブナのトンネル。



エゾハルゼミと、ときおり響く小鳥の囀りに心が和む。

鳥甲山が見えた。

さて、分岐。これを左に辿るつもりだった。グーグルマップでは、展望台への登り口が左の道から続いてたから。
それがなんと通行止め。
歩いて行こうか??でも、標識良く見ると

右の道。展望台の後、引き返して右の道に入るつもりだったので手間も省ける。
登り口はすぐにわかった。駐車スペースも数台分。
他に人影は無く、熊が心配。熊鈴持ってくるつもりだったが忘れた。
スマホの音楽鳴らしながらいこうかと思ったが、カーナビとブルートゥースで繋がってスマホからは鳴らない。ま、しょうがない。

少し登ると展望台。ここは苗場山と中津川の渓谷を眺める展望台。










小さな祠がある。

え?八海山が見えるって?家に帰ってから気づいた。最後まで読んでなかった。不覚。

そこから南西に進むと、不意に広い平原が広がる。
鳥甲牧場跡。

ここでも苗場山が望める。高いサイロも2本ある。牧場っぽくっていいね。


苗場山麓ジオパークHPより
鳥甲牧場周辺にはシルト層を主体とする五宝木湖成層と呼ばれる湖成層が分布することから、湖であったことが推測されます。時代は不明ですが、苗場火山噴出物、鳥甲火山噴出物の堆積と関連して形成されたと考えられます。五宝木から鳥甲牧場に至る県道沿いに分布し、およそ30mの層厚があります。
 魚沼層群の前子無斑晶質安山岩層や屈岨層、高山沢・鬼沢火砕流堆積物を不整合に覆い、苗場山第Ⅳ期噴出物に覆われています。 
 鳥甲牧場があった標高1,100m前後の平坦面は、スランプ構造の発達した白色細粒火山灰とシルト層の互層となっています。
〈スランプ構造〉
 平行に重なった地層のうち一層準だけ、地層の構造が著しく乱されている構造を言います。このような構造は、地層がまだ軟らかいうちに変形したことを示しています。スランプ構造の多くは湖底地すべりによって形成されたものと考えられています。(産技術総合研究所・地質調査総合センター)


産総研のHPから拝借した地質図。水色の部分が湖成層。
4つの湖だったのか、ひとつの大きな湖が地殻変動で別れたのか?
川沿いの緑色が結東層。その右は苗場火山由来の安山岩。左は鳥甲火山由来の安山岩。

右に鳥甲山。


さらに右に台倉山など。


背後に高倉山。地図に登山道はないが、簡単に登れそうな。


牧場の中へ。


遠目ではカッコいい牧場施設に見えたが近づくと廃墟。


サイロの奥へ。無人だと思っていたが、畑を耕している人がいた。
時計回りに山岳展望。










名峰を望める素晴らしいロケーション。野外フェスなんかにゃうってつけの広大な平原。遊ばせとくにはMOTTAINAI!
なにか活用策は?冬場の天候とか、素人が余計な口を挟む事じゃないかもしれないがMOTTAINAI。

この後、五宝木に向かってクネクネした道を下る。このどこかに湖成層が露出してるんだろうが、わかるわけない。

五宝木トンネルを抜ける。
1.2kmほどの長さだが、照明が全くない。なんか出そうな雰囲気。
その後北上して前倉の集落から国道405号に出るつもりだったが、通行止め。
屋敷まで遠回りになった。
千秋楽に間に合うように帰りたい。
続く。





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裸眼立体視

2024年05月01日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その16

これは、津南学vol.8に掲載されている裸眼立体視できる図。
裸眼立体視ってご存知?
左目で左の画を、右目で右の画をみると、平面の画が立体に見える。
すでにやったことがある方は簡単なんだが、初めての方は最長1週間かかるっていうから、すぐできなくてもがっかりしないで。
真ん中にハガキなど置いて、左目では右の画が見えない、右目では左の画がみえないようにすると意外と早くできるかも。
対象までの距離のすくなくとも100分の1ほど平行移動して撮影すると、立体視できるそうだ。
勝手に引用するのは著作権侵害? でも、利益をあげるわけではないから許してください。m(__)m

笹葉峰の地滑り。
注)私はPC画面で見てるが、スマホで見ると大きさはどうなんだろ?

出来た?面白いでしょ?実際よりも高さが強調されるからびっくりするでしょ?
間違いがあったらご指摘ください。
続く。
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4月20日 段丘桜の後は、中子の桜~天代の露頭

2024年04月30日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その15

段丘桜から沖ノ原台地を南西に進み、中子の桜へ。


中子の桜は2度目。

全く雪はない。雪上桜として有名になった中子の桜だが、温暖化の影響はここにも。

本数が少なく寂しげなのは否めないが、綺麗な事には変わりない。

中子の桜を後にし、さらに南西へ。

米原面から車1台しか通れない細い道を脱輪しないよう気を付けながら県境の志久見川へ下り、

北野川沿いの北野天満温泉へ。(この画よりも左)
そこの食堂で蕎麦を頂き、さらに南下し学問の橋を渡り、北野天満宮へ。
北野天満温泉から続く学問の道を歩いてくるとご利益があると。
ここまで車で来たから、ご利益はないのか?💦

写真を見るまで、この彫刻に気づいてなかった。
狛犬や彫刻がなくてちょっと寂しい。



橋を渡り直し、
北野天満温泉へ戻り、写真左の段丘へ上がって行くと、

天代の露頭。私にとっては、流行りの、「聖地巡礼」みたいなもので、どんな風になっているのか期待してやって来たのだが。



う~ん、コレか。表示がなきゃ全くわからず通り過ぎるとこ。

これを目安に、と言われても。


ここが最上部。

・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前) 
等々の火山灰層があるんだろうが。
見る人が見ないとわからない。当たり前か・・・いや、何かプレートなど埋めて、どこが火山灰層なのかわかるようにできないものかなぁ。

登り切った段丘面は朴ノ木坂面なんだそうだ。

野沢温泉スキー場のある毛無山も、もちろん第四紀火山。大量の溶岩が流出した。

台倉山。「コンサイス日本山名辞典」1991年9月30日第8刷に載ってない山。

最新の辞典には載ってるかなぁ?生成AIに訊いてもこの山の事は教えてくれない。
ヤマレコに名前は載ってるが登山記録はなく、「木島平村最高峰。正式な登山道はありません」としか書かれていない。ピラミッドに囲まれた立派な山容。


この後、国道117号まで下り、津南町に戻り、川の展望台から段丘桜を見下ろした。

続く。
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スコリアとは?

2024年04月29日 | 苗場山麓ジオパーク
 
苗場山麓ジオパークのお勉強その14

スコリアは、火山噴出物の一種で、塊状で多孔質なもののうち暗色のものを指す。別名、岩滓(がんさい)とも呼ばれる。
 スコリアは主に玄武岩質のマグマが噴火の際に地下深部から上昇し、減圧することによってマグマに溶解していた水などの揮発成分が発泡したため多孔質となったもの。発泡の程度は一般的に軽石より悪く、発泡の悪い(孔の少ない)ものは火山弾や火山礫に移化し、明確な区別は決まっていない。スコリアの色は一般的に黒色から暗灰色だが、噴出した時の条件によってはマグマに含まれる鉄分が酸化して紫から赤色になる場合もある。軽石ほどは鉱物結晶を含まず、おおよそガラス質である。
 スコリアは火口から放物線を描いて放出され、周囲に同心円状に(風がある場合には楕円形状に)堆積する。ひとつの火口から大量に放出されるとスコリア丘を形成する。また、火山灰や火山礫と一緒に火砕流として山腹の斜面や谷を流下することもある。特にスコリアを主な構成物質とする火砕流をスコリア流と呼ぶ。
(生成AIにて検索。)

 天代の露頭では、新しい順に主なものとして、
貝坂スコリア(妙高火山起源 30000年前 層厚4cm)
相吉スコリア(妙高火山起源 12万~11万年前 ?) 
朴ノ木坂スコリア(黒姫火山起源 ? ?)
谷上スコリア(? ? ?)
が認められる。
谷上スコリアの下にフラッドロームが認められる。

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第四紀と、第四紀火山。現在は第四紀。

2024年04月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その13

 第四紀は、地質時代の区分の一つであり、約258万年前から現在に至るまでの時代を指す。
 
 他の地質時代が生物相の大幅な変化(特に大量絶滅)を境界として定められたのに対し、第四紀は人類の時代という意味で決められた。したがって、古人類学の進展に伴い次々に古い原人が発見されるとともに第四紀の始まる年代も変化していった。現在ではヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。
 
 第四紀は、かつて地質時代を大きく第一紀(Primary)、第二紀(Secondary)、第三紀、第四紀に分けたことに由来している。これらのうち、第四紀のみが現在も公式の名称となっており、第三紀は古第三紀と新第三紀に分割されている。
 第四紀は地球の歴史において重要な時期であり、氷河期や間氷期などの気候変動、生物進化、地形変化などが進行した。この時期に形成された地層は、私たちの地球の歴史を解明する上で貴重な情報源となっている。

 第四紀火山は、第四紀に活動した火山を指す。また、活火山は2003年の火山噴火予知連絡会により再定義されており、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」とされている。
 苗場山、鳥甲山、浅間山、妙高山を始めとして、那須火山帯、富士火山帯、阿蘇に桜島等々、日本の有名な火山はほぼ第四紀火山と考えて間違いないと思われる。
この時期に活動した火山は、第四系と呼ばれる地層を形成した。

 第四紀より古い地層はかつては「三紀層」と呼ばれていたが、今では古第三紀と新第三紀に分かれている。語源的には、第一紀、第二紀、第三紀、第四紀と大きく分けたことに由来している。これらのうち第四紀のみが、現在も公式の名称となっている。
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何万年後かに、新たな段丘面が。

2024年04月25日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その12

中津川下流。
大割野面の秋成本村から石坂橋~石坂トンネルを経て、米原面の沖ノ原台地へ上がる道。

(段丘上に並ぶのが段丘桜。段丘の左端が苗場熔岩流末端崖)
この辺りでは、中津川は流れが緩やかになり、蛇行しつつ川幅を広げる(側方浸食・横刻)。川原全体が氾濫原。
何万年かして、地震や、新潟県を東西に圧縮する力などの原因で地盤が隆起すると、水の位置エネルギーが増えるため、地面を真下に向かって掘りこんでいく(下方浸食・下刻)。
そして、現在の川原は新たな段丘面となり、知的生命体が生存していれば、ホニャニャラ面という名前を付与するんだろう。このようにしてできる河岸段丘を浸食段丘という。
(ただし、現在のこの辺りの標高は300m前後。
水が位置エネルギーを失うのは、海面と同じ高さ(浸食基準面)になった時なので、側方浸食だけでなく、下方にも少しずつは浸食しているはず。)

 因みに。
地層の露頭では、フラッドロームと呼ばれる、段丘堆積物の凹凸を埋める段丘化直前、離水直前の微細な洪水堆積物が認められることがある。
段丘の離水が完了せず、洪水時にのみ河川流が段丘の表面に広がる状態で形成される。
このフラッドローム層は、段丘の対比や編年において重要な指標となる。また、古気候の推定には植物珪酸体などが有効であり、厚い堆積物の存在は氷期における河川の掃流力の低下を示すものとされている。
フラッドロームは試験に出題される可能性があるので要チェック。

 一方、氷期になって気候が寒冷化、乾燥化すると、川の流量が減るため、土砂の運搬能力が減り、埋積が進む。そこから間氷期になると、河川の流量が増え、下方浸食が進むようになる。このように気候変動によって形成される段丘を気候段丘と呼ぶ。

 因みに。
氷河期は、非常に寒い氷期と少し暖かくなる間氷期に分けられる。
氷河期とは、地球上に氷床が存在している時代のことで、南極やグリーンランドなどに氷床が存在する現在は、実は氷河期なんだって。
 例えば、太古のパンゲア大陸では、今、南極大陸になっている場所は、現在のオーストリア大陸あたりにあったので、地球上には氷床がなかった。そういう時代が氷河期ではない時代なんだそうだ。
最終氷期は7万年前に始まって、1万年前に終わった。なので、今は間氷期。
最終氷期が終わり、8000年前くらいになると、陸地化していたところに対馬暖流が流入するようになり、水蒸気量が増え、日本海側に豪雪をもたらすようになった。
間違いがあったらご指摘ください。
続く。



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広大な信濃川の氾濫原が河岸段丘に。

2024年04月25日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その11

津南町の河岸段丘。
30万年以上前に谷上面が、
16万年前以前に米原面が形成された。
他の段丘は、それらより、低く、新しい。
では、谷上面、米原面ができる前はどうなっていたかというと・・・・。

河岸段丘(河成段丘)はなにも津南町だけにあるわけではなく、下図の範囲では十日町市から栄村にかけて主に信濃川右岸に段丘面が広がっている。
黄緑色の部分が段丘面。(産総研HPより拝借)

オレンジ色は、溶岩が固まってできた安山岩など。図の下面、中央のオレンジ色は苗場山、鳥甲山の熔岩流。左は野沢温泉の毛無山の熔岩流。飯士山もしかり。関田山脈も噴いて出来た。

川の展望台付近上空から(高さは強調。カシミール3Dにて作成)

清津川から北(図の左方向)が十日町市。そして、十日町に広がる河岸段丘も米原面と谷上面。
30万年以上前。それよりもっと前。谷上面、米原面が形成される以前は、ここは広大な信濃川の氾濫原だった。

十日町市・信濃川左岸上空から(同じく高さは2倍程度に強調)
当間山を含む魚沼丘陵の隆起や、入間川、当間川の浸食などにより谷上面、米原面が形成された。信濃川右岸に広く形成されたのは、魚沼丘陵の隆起により、中津川同様、信濃川が次第に西側に追いやられたから、と思われる。

この越後山脈、魚沼丘陵、東頚城丘陵を隆起させる東西方向の力によって下の写真のように、北北東~南南西方向に何列も並ぶ山並みを、地学の専門家も「いわゆる新潟方向」と記述しているのが面白かった。
                             (刈羽黒姫山にて撮影)
かなり間違いがあるかも。ご指摘ください。💦(シロートのながら勉強です)
続く。
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4月14日 津南町 川の展望台

2024年04月18日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その10

朝7時頃、津南町着。
歴史民俗資料館や「なじょもん」は、勿論まだ開館していない。
逆光になるのはわかっていたが、道の確認だけでもと思い、「川の展望台」へ。
越後田中駅近くの踏切渡り、山に上ってゆく。

案内板はこれひとつだが、まあ迷うことは無い・・・と思ったら帰りに道間違えた。


展望台着。

だが、やはり眩しすぎて撮影無理。他を回ってから出直す。
石落とし、逆巻の川原、穴藤ダム、資料館など回った後、再度訪れた。


ワクワク。
広すぎて、18mmでは収まりきらない。
北東方向から時計回りに。





木が邪魔なので、展望台から降りて。



津南の河岸段丘は、中津川の右岸に発達している。その理由は、当間山。
当間山の隆起に伴い、その周辺の地盤も隆起。そのため、中津川はどんどん西に追いやられ、右岸側に段丘面が広がったのだそうだ。

また、



再度登場のこの図でわかるが、大割野面Ⅰ、Ⅱ面上にはローム層がなく、正面面から上位の段丘面は貝坂ローム層に覆われている。
大割野面が形成されたのは、およそ1万5千年前と「津南学Vol.4」から学んだ。
つまり、1万5千年前以降には、広い範囲に大量の降灰をもたらすような大噴火がなかった、という事だが・・・。

同じく「津南学Vol.4」の記載されている、
長野県栄村の、北野天満温泉近くの天代(あましろ)の火山灰露頭では、
・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前)
・・・・・・・・・・・・・・・
が確認されている。

これと矛盾する。
隣りの栄村・天代の露頭で確認されているK-Ahが、大割野面では見つかっていないのか?
約8000年程度という、悠久の歴史の中のほんの一瞬の時間だから、離水したばかりの大割野面に積もったK-Ahは、時折降る大雨で増水した中津川の水に洗い流されたのか?
8000年前、というのは、この地が、日本海に対馬暖流が流れ込み始めた事で豪雪地帯になった頃。豊富な雪解け水で増水した中津川の水に洗い流されたか?

また、新たな疑問。
しかも、津南学Vol.8には、大割野面が陸化したのは1万年前以降と記載されてる。

正しいのは何?。
面白過ぎる。

(次は佐渡沖かと思っていたら、愛媛高知か。あちこち揺れるなぁ。夜遅い時間。高知の人々は、津波からの避難行動を取ったのだろうか?)

では、山岳展望を時計回りに。
















写真撮ってると、キャンピングカーがやってきて食事の準備を始めた。
上着が暑く感じられる初夏の陽気の一日。

色々加筆修正するかと。
間違いがあったらご指摘ください。
続く。
(インドネシアでは大規模噴火だって・・・)
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4月14日 津南町 再訪

2024年04月15日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その9

津南のダイナミックな段丘崖

「石落とし」


大嵓(おおくら、かと思っていたが、おおいわとも云うらしい。またの名を屏風岩とも?)


石落としの柱状節理は、苗場山熔岩流単独だが、大嵓は、下に鳥甲火山熔岩流と、上に苗場火山熔岩流の2段の柱状節理になっている。
間には、火山灰などが降り積もった谷上ローム層がはさまり、3段の紅葉になる。
では、苗場熔岩流の上の地層は何だろう?と、お勉強その2の時に思った。
色々調べたが、PC上では見つけられない。もう現地に行くしかない。
津南は、段丘桜が咲いたら行こうと思っていたのだが、気になりだしたら止まらない。
そうしたら。
「津南町農と縄文の体験実習館なじょもん」で、素晴らしい図を見つけた。

谷上ローム層の上に、米原ローム層、さらにその上に貝坂ローム層。

では、米原ローム層が形成されたのはいつ頃か?
生成AIに訊いてみた。(信頼していいのか?)
「米原ローム層は約11万年前から7万年前にかけて形成されたものと考えられています。」

そして、これは「苗場山麓ジオパーク」に記載されているが、
鳥甲山の火山活動は、70万年前以前。苗場山の火山活動は50万年から30万年前で四期に渡った。

つまり、苗場山の熔岩流が流れた後に、米原ローム層と貝坂ローム層が形成された。


これで正解か?

2つの柱状節理の見た目の違い。
苗場山熔岩流

鳥甲山熔岩流
年代の古い鳥甲山熔岩流のほうが、風化が進んで、こうした違いができたのか?そもそも溶岩の性状が違うのか?またまた新たな疑問。また、行かなきゃ、「なじょもん」。
大量の写真を撮ってきて、ぜんぜん整理できないので、おいおい。
ちなみに、
段丘桜の見頃は来週??



大割野面上(たぶん)にある歴史民俗資料館隣の桜は満開。米原面上の段丘桜の開花はこれから。


続く。
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信濃川火焔街道と津南町・沖ノ原遺跡&栄村・長瀬新田遺跡

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その8

岡本太郎が初めて火焔型土器を見た時に「なんだ、コレは!」と叫んだということから、
「なんだ、コレは!」
信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化
というストーリーで新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町の5市町から申請が出され、2016年に日本遺産に登録された。2017年には魚沼市も加わった。
約5000年前に信濃川流域で生み出された火焔型土器だが、この形態の土器が初めて出土したのが長岡市の馬高遺跡で、この土器が火焔土器と命名された。
その後、各地の遺跡から同様の形態の土器が出土し、火焔土器と同様の型ということで、後に続くものは火焔型土器と呼ばれるようになった。
つまり、火焔土器と呼ばれる土器はひとつしかない。
そして、ひとつということで言えば、十日町市の笹山遺跡から出土した火焔型土器「縄文雪焔(ゆきほむら)」が、新潟県ただひとつの国宝。
津南町では米原Ⅱ面上の沖ノ原遺跡から火焔型土器が出土している。
火焔型土器は一見実用的な形ではないが、ちゃんと煮炊きしたあとが残っているものもあるらしい。
沖ノ原遺跡からは他に縄文クッキーと呼ばれるクッキー状炭化物も出土している。木の実と動物の血液などを混ぜて焼いた、縄文時代の食べ物。

信濃川、というから新潟県だけかと思うが、長野県栄村堺の志久見川左岸、標高約520mの朴ノ木坂面上に位置する長瀬新田遺跡でも出土している。まあ、その頃は県境なんて関係ないけどね。
やっぱり、この辺りの遺跡は段丘面上にあるんだねぇ。
中津川右岸の朴ノ木坂面と同じ段丘面が志久見川沿いにもある。スケールが僕のちっぽけな頭の思考範囲を超えている。
長瀬新田は、も少し上流

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アバランチシュートと筋状地形の違いについて。

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その7
苗場山麓ジオパークガイド認定検定は、
-奥信越の火山と川がつくりだした大地・雪に育まれた自然と歴史文化- 
ということで、雪に関する問題も多い。このキャッチフレーズも暗記しとくと1点稼げる。


雪崩地形の分類について Classification of Snow Avalanche Landform 関口辰夫(国土地理院) Tatsuo Sekiguchi(Geospatial Information Authority of Japan)
より抜粋 

日本海側の山地では毎年のように多雪となり、雪崩 や雪崩災害が頻繁に発生している。これらの山地斜面 では全層雪崩による特有の地形が形成されている。全層雪崩によ って侵食されて岩盤が露出した幅の広い直線状で急傾 斜の地形をアバランチシュートと呼んでいる。アバランチシュートと同様に急傾斜で直 線状だが、幅や深さが数mの幅の狭い溝状の地形を筋 状地形と呼び、北海道から山陰地方にかけての日本海 側山地に広範囲に分布している。新潟県内において筋状地形を詳細に調査した結 果、積雪深が1.0~1.5m以上、標高が200m以上、傾 斜が35~45°の斜面に多く、山地斜面や地すべり滑 落崖、火山のカルデラ壁、段丘崖などの急傾斜の地形 で多く分布していることが明らかになった。

こんな図も見つけた。はっきり区分されてる。



「のよさの里」の先の、「鳥甲山の展望台」で2021年10月に撮影した鳥甲山。
豪雪地帯の秋山郷なので、アバランチシュートが、当たり前にみられる地域のように思われるが、意外にもこの黄色で囲った辺りでしか見られない。
他のアバランチシュートは、もしかしたら地滑りでなくなったのかな?

一方、同じ関口氏の別の論文から拝借した筋状地形の空中写真

立体視可能とあるが、やってみたけどこの写真ではイマイチ。ちなみに立体視とは、わずかに撮影場所をずらして撮影した写真を並べて、右目で右の写真、左目で左の写真を見ると、頭の中で合成されて立体的に見える事。最初は難しいが、2枚の写真の間にハガキなどを置いて遠くを見るような視線でやってみると、見えるよ。

上記の抜粋で明らかだが、アバランチシュートと筋状地形は、どちらも雪崩地形だが別の物と理解するのが正しいんじゃないかと思われる。
が、時に混同されて、あるいは一括りにされて使用されていることがあり、認定検定で解答する際は、いかにもそれらしい選択肢を選んで1点損することが無いよう注意を要する。
(凄い遠回しの言い方になってる事をご理解ください💦)

奥只見湖のアバランチシュート(2023年6月撮影)


海谷山塊から望む千丈ヶ岳のアバランチシュート(2020年8月撮影)



見事なU字溝

同じ海谷山塊・鋸岳にて2018年7月撮影。
手前の斜面。木々の間に縦筋が。これぞ筋状地形?
こんな地形は、多雪地域にはどこでもきっとある。


The 筋状地形  2018年11月15日明神岳



これは筋状地形?
アバランチシュートと筋状地形の中間??
2013年6月御神楽岳から撮影

間違いがあったらご指摘ください。
続く。

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