君主にとって、術策などを弄せず公明正大に生きることがどれほど賞賛に値するかは、誰もがわかっていることである。
しかし、われわれの経験は、信義を守ることなど気にしなかった君主の方が偉大な事業を成し遂げていることを教えてくれる。
この理由を探るには、まず次のことを頭に入れておく必要があるだろう。
すなわち、成功を収めるには二つの方法があるということだ。第一の方法は法律であり、第二の方法は力である。第一の方法は人間のものであり、第二の方法は、野獣のものである。
たいていの場合、人間の方法だけでは不十分だから、野獣の方法も使わざるを得ない。だから、君主は野獣と人間をうまく使い分ける方法を会得しなければならない。
野獣の振る舞いを学ぶには狐とライオンの双方を見習うべきである。ライオンだけならば、罠から身を守ることはできず、狐だけならば狼に勝てないからだ。狐であることによって罠から逃げられ、ライオンであることによって、狼を追い散らすことができるからである。ライオンであるだけで満足している君主はこの点がよく分かっていないし、狐であることだけで満足している君主についても同様のことがいえる。
ただし狐的な性質は、巧みに使われなければならない。非常に巧妙に内に隠され、しらばっくれてとぼけて行使される必要がある。人間というのは単純な動物だから、目に見えることに引きずられやすいのだ。だから、だまそうとする者は、だます相手に不足することはないのである。 「マキアヴェッリ 君主論」