ニュージーランドのクライストチャーチで地震が起きた。現地の人たちの生命の安全を願うばかりである。ただあまり他人事とは思えない。そのうち東京にも大きな地震が来そうな感じがするからである。東京ならもっとひどいことになるだろう。
大聖堂が崩れたことをどのように捉えるかは人それぞれ違うと思うが、自分にコントロールできないわけの分からないもの(災害とか)に触れたとき、はじめて人間は自分というものを考え始める。その自己をおびやかすものとの接触が、まさしく宗教的体験なのだ。また、自分の安全を多少犠牲にしても他人を助けようとすることは、宗教的な行為だろうと思う。
大聖堂が崩れてから本当の意味で宗教が表出してくるというのは、興味深い現象である。