節電がほとんど無駄だということが、この動画を見ると分かる。エネルギー問題に興味がある人は必見。
昨日、参院本会議で民主党の議員が菅総理の退陣を求めたらしい。自分たちで菅総理を選んでおいて、やめろってどういうことだよと思ってしまった。次に選ぶ総理も支持率が下がったらまたやめさせるのだろう。
日本は緊急事態になっても満足な意思決定が出来ず、ほとんど民主主義のシステムが機能していない。こんな事なら独裁制のほうがいいのではないかと頭をかすめるが、やっぱり独裁制よりまだ民主主義のほうがいい。独裁的な国家は、事故車両を現場に埋めたり、被害者の遺族を別々のホテルに泊めたりめちゃくちゃなことをするからだ。
日本人は、建前上はその場の空気を読み、多数派の意見に合わせようとするが、本音の部分では違うことを考えている。だから、ある問題について何かを決めようと思ってもなかなか意見がまとまらない。まぁ、意思決定に時間がかかってしまうのは日本だけではないのかもしれない。そもそも民主主義は手間のかかるシステムなのだ。
では、民主主義ってなんなんだということであるが、簡単にいうと多数の意思をまとめる技術であり、ポイントは二つある。討論と投票である。討論は、さまざまな意見があることを前提に、それに妥協したり修正したりして意見を集約していく。投票は、一応、その意見を支持しているという意思表明であり、その根拠付けになる。
この民主主義を採用する前提として、誰も正しいことを知らないというコンセンサスが必要である。もし、ある意思決定について誰かが(例えば神様とかがいて)正しいことを知っているなら、多数決をするまでもなくその正しいことを実行すればいいからだ。しかし、人々は正しいことを知らない。だから、みんなが正しいと判断したことを一応正しいと考えて実行していこうというのが、民主主義の考え方である。
ただ、このような考え方は、例えば、議員が正しいと思う政策に投票することが前提になるが、果たしてそうだろうか。議員は、選挙の際に、ある利益団体からお金をもらったり、一定のイデオロギーをもった団体や宗教団体などからの支援をうけたりして、当選している。だから、議員は正しさより利害関係によって投票しているのである。いわゆる「しがらみ」である。そうであれば、国会は正しい政策を実行するためにあるのではなく、利害関係を調整する場所で、結果的に金があり集票力の強い者が、ゴリ押しして政策を実行していく権力闘争の場所なのである。だから、国会は、原則的に、自分や選挙区の利害のことを考えている議員の集まりで、正しい政策が実行されることはなかなか難しい。
ここまで書いて、ふと、学生時代に習ったロールズの「無知のヴェール」を思い出した。無知のヴェールとは、意思決定する際、利害を一切考慮しないことが正義の実現に必要だという考え方である。例えば、私が子ども手当について、意見を求められているとしよう。私には子供はいない。だから普通に考えれば、私には利益がないので反対ということになるだろう。しかし、意思決定する際に、自分の立場、状況を一切考慮せずに、その政策の良し悪しだけを見て判断するなら、別の判断もありうる。たしかに、このような無知のヴェールをかぶって判断出来れば、公平で正しい政策が実行されやすくなるだろう。
ただ、このような判断は現実的にできないのではないかと思う。人は、結局、自分の利益抜きで、物事を判断するのは難しいから。
原発をどうするか、財政・税制をどうするか、福祉政策をどうするか、経済政策をどうするか、などこれらの政策を待ったなしで決定していかなければならない。いろんな人がいろんな角度からいろんな事を言っている。どれが正しいのか迷うことが多い。そのなかで、政治家はスピードを上げて意思決定していかなければならない。そのためには徹底的に問題を考えておかなければならないし、意思決定をするための力もなければならなし、人々を一応説得させるための言葉もなければならない。そして、利害関係者に対しても配慮しなければならない。
東浩紀氏が、日本の政治について考えると絶望しかないと言っていた。確かにそうだが、それでも前に進んでいかなくてはならない。民主主義が成熟していけば、いろんな人の意見に配慮するのだから、何も決まらなくなっていくのは当然である。日本は、待ったなしで、意見を収斂し意思決定していく技術を磨いていかなくてはならないだろう。