前回のブログの続き。前回、私は物語において「動機」が重要だと言った。動機とは、行動を起こすことになった原因である。
私が今日ご飯を食べたのは(行動)、お腹が空いた(動機)からである。
ご飯を食べる「目的」は生命を維持するためである。
ちょっとややこしいが、この太字に注目してほしい。
「ご飯を食べたのはなぜですか?」という質問に対しては、「お腹が空いたからです 」と答える。
何のために食べたのですか?という質問には、「生きるためです」との答えが対応する。
なぜ=why
何のために=what for である。
「なぜ」は行動の動機をきいているのに対して、「何のために」は、行動の目的をきいている。
動機はスタート、目的は結果、と考えると分かりやすいかもしれない。
そこで、もう一度スピノザの言葉を引用してみよう。
「われわれをしてあることをなさしめる目的なるものを、私は衝動と解する」(エチカ第4部定義7)
この言葉は、どう考えてもおかしいように思う。行動する目的が、衝動なんてことがあるのだろうか。むしろ、行動の動機が衝動なのではないだろうか。
だから、このように言い換えると、しっくりくる。
「われわれをしてあることをなさしめる動機なるものを、私は衝動と解する」と。
ただ、スピノザは「目的は衝動だ」と言っているので、それに従うしかない。
このわけの分からない言葉の使い方を、一応、理解するためには、「コナトゥス」について考えなくてはならないだろう。
それについては、次のブログで書いてみようと思う。だんだん、物語論から離れていくようだが、戻ってくるのであしからず。