フリードリヒの日記

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剛力彩芽さんのバッシングについて、真剣に考えてみた

2013年07月06日 11時24分38秒 | 日々の出来事・雑記

 タレントの剛力彩芽さんのバッシングが、2hなどのネットを中心に過熱化してきている。
 バッシングの内容をまとめると、「可愛くない、歌もうまくない、それなのにテレビに出すぎ、ゴリ押しだ」というものだ。
 私は個人的には好きな顔で(スタイルは巨乳好きなので好みではないかも)、可愛らしくていい子だと思っている。
 このバッシングについて、まだ社会的タフさを身に付けていない若い子を寄ってたかって叩くのはいかがなものかと思う。
 ただ、なかなか本質的なことを突いているので無視もできない。
 
 
ということで、このバッシングについて考えてみたい。
 この批判の中で本質的なこととは、「ゴリ押し」という点である。ゴリ押しとは、広告代理店、事務所、テレビ局の悪の洗脳トライアングルによって、特別に人気のあるわけでもないタレントを、強引にプッシュし、スターにしていくという手法である。
 これは心理学でいう「単純接触効果」といわれるもので、会う回数が増えれば増えるほど親近感が増すということを利用した手法である。テレビで見かければ見かけるほど、そのタレントが好きになっていくというわけだ。
 この手法の可否はともかく、バッシングの怒りはもう少し別のところにあるような気がしている。それについて突っ込んで推測してみよう。
 
 テレビ電波は、国民の税金で作られた、国民全員のインフラである。だから、テレビ電波は国民が求めるような番組が編成されるべきである。局に、完全な番組編成の権利があるわけではない。
 
 

 では、きちんと民主的手続きがなされているのだろうか。(面倒な人は飛ばしても構いません)
 この民主的手続きについての法的根拠
 テレビ放送は総務大臣から認定されたところのみが放送できる(放送法93条)。一応、総務大臣は国民が選んだ国会議員=内閣総理大臣が任命するから、間接的に民主的コントロールが及んでいると擬制される。
 しかし、本当は民主的コントロールなんか及んでいない、マスコミは表現の自由を盾にやりたい放題で、国民の思惑とは別に好き勝手に国民を洗脳する、という不信が前提にある。
 そして、電波の有限性(デジタル化して本当は無限なのだが総務大臣の認定ゆえ有限)をフルに活用して、アホみたいに金儲けしている、これは許せない、ということだ。
 このようなことが、ほんとうにあるかどうかは別として、この洗脳的な手法に国民は敏感になっている。だから、ゴリ押し的手法に腹が立つのである。

 
 このこととAKB48と対比するとわかりやすい。
 AKB48のアイドルの格付けは総選挙で選ばれる。民主的手法でアイドルの順位が決まる。少なくともゴリ押しではない。
 この子は嫌いだと思っていても、民主的手続きで選ばれた以上、それを認めざるをえない。
 やはり、広告代理店、テレビ局、事務所の思惑で事を進めるやり方と真逆だと言わざるをえない。ネット住民は、本質的に、このことに怒っているのだろう。

 私個人は、テレビはあまりみないから、詳しく彼女のことは知らない。
 だが、剛力彩芽さんのことを応援したいなぁと思っている。
 タレントとはいえ、若い20歳の打たれたらすぐ壊れてしまう生身の人間である。別に、犯罪を犯したわけでもない、不倫をしたわけでもない。そんなに叩かれる理由は全くない。
 
 私は今は全くカラオケに行かなくなったが、昔はよく行った。まぁまぁうまかったと思っている。あるとき、いいなぁと想っている子の前で歌う機会があった。緊張して音程が外れボロボロになってしまった事がある。穴にあったら入りたいくらい恥ずかしかったが、いま考えればいい思い出である。誰だってそういうことはあるだろう。
 
 私もいい歳なので、20歳の子供がいてもおかしくない。だから、自分の子供だと思ってアドバイスしたい。
 自分が特に悪いことをしていない場合で、よくわからないが強い批判を浴びているとき、その批判を浴びれば浴びるほど、必ずそれに反動するように強い支持者が現れる。必ず現れる。経験的に。
 だから、それに負けないでタフに頑張っていきなさい。努力すれば実力はついてくるから。
 

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