コントロールできないことについては諦めるというスタンスが、ストア派の哲学です。
それで、自分でコントロールできないことの代表が、死です。
生まれた瞬間から、死ぬことが運命づけられている。
僕は親しい人に、「絶対自殺しないから、もし僕が自殺したら、それは他殺だ」と言っています。
僕は自分で命を絶つつもりはありません。
しかし、死ぬのがあんまり怖くないなと思う時があります(勇敢な男にありがちな、笑)。
でも、人の死には耐えられないかも。
これは、ほんと僕にとって深いテーマです。
自分の死については、まあ、何とかできるが、他人との死別に耐えられない。
どうしましょうかね。
愛することと、悲しみの影が心の中でセットになっている。
君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には
心の底から 誰かを愛することができるはず
と浜省が歌っていましたけどね。
僕は逆ですね。深く愛するからこそ、悲しみが深くなる。
今日はちょっと湿っぽくなったかな。雨ですからね。
毎回、、興味深い内容にうぅ~んなるほど!!と
唸っている毎日です!!
今日のタイトル「死について」は唯一人間にとって
平等なこと・人は必ず死ぬ・・
お墓参りに行った彼岸明けの今日は亡くなった大切な人々の死に想いを馳せておりました。
あなた様の今朝のブログで浜省に触れていたのを思い出し
YouTubeで聴いていたら時間を忘れるくらい・・・
昔・大大フアンだったのよ~💛💛
あの頃の自分と時を経た今の自分の狭間で生きることの意味を
思いながら・・「もうひとつの土曜日」を飽きることなく
聴いております。おやすみなさい~💛
元気になられて、本当に良かったです。
浜省、いいですよね。心に響きます。
こうして、ちょっとしたコメントでkarinさんと心を通わせられることを嬉しく思っています。
ではまたです。
お元気かしら?と、ふと思い、お忙しいとは知りつつも、コメントを書いております。
フリードリヒさんに愛される方々は、シアワセだろうなぁ…と、
私個人は、思ってしまいますねぇ。
お久しぶりです。
もうちょっとしたら、またブログ再開しますね。
よろしくです。