ねたみは、二人いれば生まれるが、やきもちは、三人いなければ生じない。
性的に独占したいのが恋人で、どうでもいいのが友達だとする。
彼女を口説く男が現れ、ちょっとデートしようかなと彼氏に言う。そのときに感じるのがヤキモチだ。
ヤキモチには愛情を育む役割があり、適度であれば、必ずしも悪いものではない。
問題は、ねたみである。
ちょっとロシアの小話を紹介しよう。
魔法のランプから精霊が出てきて、農夫に願いを叶えてあげるという。農夫は答えた。
「隣の家には牛がいるが、僕の家には牛がいない。だから、隣の家の牛を殺してくれ」
まったくバカな話である。自分になんの得もない。
でも、ちょっと理解できるから不思議だ。
ねたみは、相手と自分を比較することで生まれる。そして、似た人間の間で起こりやすい。
ただ、進化論的に考えれば、ねたみは重要な感情だった。
たとえば、狩りのうまい人に獲物を全部取られたら、自分の獲物がなくなる。
だから、生きていくためには、ねたみの感情が必要で、子孫である僕たちに、その遺伝子が受け継がれているのは当然である。
しかし、現代の社会において、ねたみは不要だ。
飢え死ぬことはないし、むしろ、ねたみがあると人間関係がギクシャクする。
だから、妬まない方法を考えるべきだ。そして、ねたみの感情は、意外とコントロールしやすい。
怒りや恐怖は本能的な感情であるが、ねたみは社会的な感情だからである。
「人はコントロールできない。コントロールできるのは自分だ。自分自身を高めることだけに意識を集中させること」
この考え方が、ねたみをなくすコツである。
ねたみは、不合理な感情だ。それを、強く意識すること。