天祖山経由で雲取山に向かっている。今日は水松山付近でテントを張って一泊する。当然、まわりには誰もいない。鹿がピーピー鳴いている。山はもう真っ暗で真夜中のようだ。
まだ寝れないので、持ってきた村上春樹の短篇集を読む。すでに何回も読んでいるのだが、読み返すと、違った感じに読める。人間の中身が変わっているので、当たり前といえば当たり前であるが。
特に印象が変わっていたのが、「眠り」だったので、これについて感想を述べたいと思う。
簡単にいうと、主婦が眠れなくなる話であるが、かなり不気味な話である。もし客観的に主婦に起こったことが本当ならホラー小説としても読める。主婦の主観的世界を描いたのなら、何不自由のない生活を送っている主婦が、精神的におかしくなっていく話になる。
山にいると抽象的な不安を感じている暇はなく、現実的・具体的な問題の処理に忙しい。たとえば、寒いとか腹が減ったとか。ただ、問題の処理に失敗すると、リアルに死に直結する。
都会のぬるい日常で生活していると、漠然とした不安に襲われることがある。この問題は解決不能である。どんなに解決しようと努力しても問題は問題として残る。そもそも理由がよくわからないから。
具体的に危機的な状況にある時、必死でそこから逃れようとする。その時には深いことは考えない。一生懸命問題を処理するだけだ。
しかし、問題がないときに浮かび上がってくる問題が一番の難問である。問題がないにもかかわらず、人はそれで死ぬこともある。これをクールに乗り越えるためには、それなりの宗教的技術が必要である。私は仏教の技術でどうにかこうにか乗り切っている。
これだけは愛する人も助けてくれない。私も愛する人を命懸けで守りたいと思うが、抽象的不安を取りのぞいてあげることはできない。どんなに頑張ってもできない。申し訳ないが。
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