フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

オリンピックを観ていて思ったこと

2014年02月18日 09時00分25秒 | 日々の出来事・雑記

 体を動かすことが好きなので、なんでもスポーツは好きだ。ただ、この好きだという意味は、観戦ではなく自分でやる場合である。それほどスポーツ観戦はしない。
 スポーツ観戦の楽しさは、二つある。自分の応援している個人もしくは団体が勝つことによって、高揚する感情を満たすという感情的側面。もう一つは、戦いにおけるプレーや作戦の凄さを楽しむという知的側面である。
 応援したいという感情的側面は、それほどその競技に精通している必要はないが、技術面の観戦はその競技自体をよく知らなければならない。

 ところで、日本はソチオリンピックでいくつかメダルと取った。とてもめでたいことである。そのテレビの報道の仕方について、さっき述べたことに関連して考えてみよう。
 まず、選手自体を応援したいと思わせるためには、その選手が好きにならなければならない。そのためには、その選手がどのような性格なのか、どんな苦労をしてきたのか、過去にどのような事件があったのかなどのプローフィール中心の報道になるだろう。
 もう一つは、競技のルールや技術を丁寧に説明した上で、その選手が技術的にどれだけすごいのかを解説する方法である。
 もちろん、テレビは両方のアプローチを取っているが、感情的側面を中心に報道をしているように思う。なぜなら、そのほうが視聴率が取れるし、一般の人たちはそれほど技術的な難しいことを理解しようと思っていないからである。
 ただ、人の感情は泡のように消えてしまう。だから、オリンピックが終われば、ウィンタースポーツのことはすぐに忘れ去られてしまう。
 問題は、応援の質である。というのも、ウィンタースポーツを続けるためには、お金が必要なのだが、人々の応援がなければそれを維持するための金を確保できないからである。たとえば、野球ならたくさんの人が観戦するので、お金になる。
 このような応援の質を高めるためには、その競技を深く知ることがどうしても必要になるのである。
 別にテレビ報道を批判するつもりはない。テレビにそこまでする義理はないからである。
 だから、手っ取り早くその競技人口を増やしてその競技を維持するために、メダルを取ることが求められる。それが一番の広告だからである。
 マイナースポーツの選手たちの苦労は、プレーの技術を高めること以外のところにも及ぶ。厳しい世界である。選手たちの涙には、いろいろな意味がある。

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