昨日から、ArrowというSNSをやり始めた。けっこう面白い。どういうものかというと、200字以内の短い言葉を投げかけると、ランダムに知らない誰かに突き刺さって(矢のように、つまりアロー)、その誰かが何か返事してくれるというものである。また、ほっておくと誰かの言葉がわたしに向けられ、わたしもそれに返事することになる。
ほのぼのとした雰囲気で、多分、ツイッターと違って荒れることはないと思う。
ツイッターが場の共有だとすれば、このアローは軽い自己承認をめぐるコミュニケーションツールだと思う。
ツイッターはつぶやいたとしても、基本的に返事は帰ってこない。もちろん反応があることはあるが、ない場合がほとんどである。それで何が楽しいか分からないかも知れないが、ツイッターの面白さは、ハッシュタグなんかを使って、ある事柄について、場を共有し、そのトピックについて意見を交わし合うところにある。その場に加わっている感じが楽しいのである。
これに対し、このアローは自分のつぶやきを誰かが必ず受け止めてくれて、返事を返してくれることに楽しさがある。どんなにつまらないつぶやきであっても、それを受け止めましたよ、という承認が与えられるわけである。
人間の欲望を分析していくと、その本質は自己承認をめぐるものなのではないかと思っている。たとえば、人が実用的なものをこえて必要以上に高価なものを所有したいと思うのは、人に認めてもらいたいからである。このように、自己承認を得るために人間は無駄な努力をしていることが多い。もちろん、わたしも。
アローは強力にわたしを認めてくれるツールではないが、軽い自己承認の欲望を満たしてくれる。だから、このSNSはけっこう受けるのではないかと思う。
ただ、宗教の本質は、自己承認を得られない場所で、またそれを求めないで、どのように人間はやっていくのかを考え実践していくことなのではないかと思っている。
だからナンなんだと言われれば困るが。アローとは関係ない話になってしまった。