前回、移乗(いじょう)の話をしました。
私が、母を移乗するのに、母が椅子やベッドの手すり等を握って離しません。
そのようにされると、移乗がうまくいかないので、「椅子やベッドの手すりを持たないように」と説明するのですが、なかなかできません。
何かを持っていないと不安なのかな?と思います。
私が、帯かベルトを巻いて、それを持ってもらうと、うまくいきそうな気がしました。
そこで、ネットで、「介護用ベルト」と検索すると、いろいろと出てきました。
介助を受ける側にする場合と介助をする側にする場合とあります。
私は、両方できるものを入手してみました。
これです。
移乗の際は、私がベルトを巻いて、母には、ベルトを持ってもらうようにしています。
うまくできました。できています。
介助をする側も、介助を受ける側も、勉強、経験です。
庭のアジサイが、花を付けてくれました。
一時は、枯れてしまうのではないかという状態になりましたが、復活してくれました。
ありがとうね。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
生活でも、仕事でも、毎日、同じことの繰り返しが多いのではないかと思います。
ときどき、イヤになることはありませんか。
私はありました。
今も、あります。
そのようなときは、「この同じことの繰り返しの中に、自分を長期的に成長させる何かを見出せ」と自分に言い聞かせるようにしています。
知識の習得でも、仕事で重要な内容や地位に就くことでも、生活を理想の形にするのも、人格を向上させるのも、一足飛びにはできません。
時間をかけて、経験することが必要だと思うのです。
考えて、やってみて、反省し、また、やってみる。
この繰り返しです。
その中で、自分の成長を実感できるようになれば、良いと思います。
これを意識するかどうかの違いは大きいと思います。
何事も、カップヌードルのように、お湯を入れて、数分で完成という訳には、いかないのです。
このことに気が付いたのは、最近で、もっと若いときに分かっていて、実践できていればよかったと思っています。
でも、その後悔も、また、勉強です。
こんなことを考えている私の5月1日から8日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。
1日休みました。
今回は、24時間断食でなく、夕食抜きの12時間断食にしました。
生活をしながらの24時間断食は、結構きついのです。
ところで、私が、カップヌードルと出会ったのは、小学生のころです。
私の住む大分では、地元のデパートでしか扱っていなかったように思います。
小学生には、少し高い値段だったと記憶しています。
大人になるにつて、よく食べました。
今は、「どんべぇ 鴨だし そば」を、夕食のおかずにして、母と2人で食べています。
できれば、昆虫食は入れないで、いただきたい。
我が家のサツキです。
まだ、一輪ですが、今年も咲いてくれました。
今から次々に咲いてくれるはずです。
心が和らぎます。
ありがとうね。
正しい目標に向かって、正しい方法で努力をしている皆さん。
未来はあなた方の手の中にあります。
コロナは終わったようで、終わっていない。
でも、負けるな。
道を切り開いて行ってください。
オッサンも頑張ります。
皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
会計においては、決算書類を見て、この企業は、「よい」とか、悪いという判断をします。
この場合の「よい」とは、「成績や資産の状況が好ましい状況にある」という意味に用いられることが多く、「良い」という漢字が充てられると考えます。
要は、「利益が出ている」ということが、「良い」ということになります。
一方、「よい」には、「道徳的に正しい、善(ぜん)である」と意味もあり、この場合は、「善い」という漢字が充てられると考えます。
会計が表現するのは、「成績や資産の状況が好ましい状況にある」という「良い」か、悪いか、であって、「道徳的に正しい、善(ぜん)である」という「善い」か、悪いか、ではありません。
では、企業の成績や資産の状況が「良い」というのと、企業が正しいという「善い」というのは、全く別のものなのでしょうか。
私は、全く別のものではないと考えています。
企業は、世の中の役に立つ、世の中に必要な、物やサービスを顧客に提供し、顧客から対価を得ます。
そして、提供する物やサービスが、本当に世の中の役に立つ、世の中に必要であると、つまり、それほどの価値があると、顧客からの評価を受ければ、「成績や資産の状況を好ましい状況」にすることもできます。
このような物やサービスを提供することで、世の中の発展や向上や繁栄に貢献しているということは、「道徳的に正しい、善(ぜん)である」であると思うのです。
この場合、「良い」と「善い」は一致すると考えます。
ところが、欠陥があったり、害があったりする物やサービスを提供して、短期的に、「成績や資産の状況が好ましい状況にあった」企業もありましたので、すべての場合、「良い」と「善い」は一致するわけではありません。
残念ながら、決算書類を見ても、この「良い」と「善い」が一致している企業なのか、一致していない企業なのかを判断することは難しいと考えます。
会計で表現するのは、企業が「良い」か、悪いかであって、「善い」か、悪いかではないからです。
個人的には、「良い」企業は、「善い」企業であってもらいたいと考えています。
会計に関連した私の考えについて、書こうと思います。
できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
会計は分からないけど興味がある方、会計を勉強したいと思っている方、会計に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
人格が向上するように努力をしてくるべきだった。
私の後悔から出てきた言葉です。
人格の向上は、心、つまり、思いの向上とその思いから出る言動や行動の向上とも言えると思います。
人生の目標は、いろいろな経験をしながら、人間としての人格を向上させるということがあるのではないかと考えるに至りました。
幼いころ、若いころに、このような人生の指針に触れていれば、もっと早いうちから人格の向上に向けた努力をすることができたか?
いえ、私の場合、できなかったと思います。
凡人である私には、理解できなかったと思います。
それなりに、いろいろな目標を掲げ、実行したり、しなかったり、できなかったりしました。
その中で、今から思えば、情けない、恥ずかしい、人には言えないような言動や行動も多くしてきました。
でも、その後悔も、一つの経験だと、今は、思っています。
そういう経験があったからこそ、今の考えがあるのです。
凡人ならではの回り道です。
そのようなことを考えている私の4月25日から30日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。
人格の向上の尺度は、いろいろあります。
優しさ、寛容さ、穏やかさ、不動心、感化力、認識力、利他の思い 等々です。
これらを目指して、毎日、コツコツと努力を続けています。
これからも、続けるつもりです。
最近、スズメが活発に動くようになりました。
歩いていると、すぐ近くを飛んでいきます。
カメラを向けるとすぐ逃げるのですが、このスズメは、草むらから出てきてくれました。
見ていると、ホンワカした気持ちになります。
ありがとうね。
正しい目標を持ち、正しい方向で努力を継続している皆さん。
未来は、あなた方の手の中にあります。
厳しい時代は、まだ続きそうです。
でも、がんばれ、負けるな。
皆さん方こそ、未来を照らす光となっていただきたい。
オッサン、いや、もうジイサンですが、私も、せめて自分の周辺ぐらいは照らせるように、頑張ります。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。