激しい雨音で目が覚めた。
亜熱帯のスコールが窓の向こうの裏路地を容赦なく叩きつける。すきま風が薄いカーテンを揺らす。なにもかもが、自分の心でさえもが打ちのめされるようだ。頭がじんと痺れ、喉の奥がこすれたように痛んだ。分厚いビニールをひっかいたような嫌な咳が出た。
肌寒さのせいで風邪を引いたのかもしれない。この地は服の調整がむずかしかった。短パンではいささか寒い。だが、長ズボンでは暑くて眠れない。生き延びるためにはこの地に適応しなくてはならない。それはわかっている。わかってはいるのだが、とはいえ、服に限らずいろんなことが合わなかった。慣れだろう。そのうち慣れるのだろう。ただ、亜熱帯のこの地にどう適応すればいいのか、はじめてのことばかりでなんとももてあました。
黴の匂いが濃密に漂い、喉に刺さる。まるで黴だらけになった雑巾を口に押し込まれているようだ。さっきの咳はこの黴のせいだったのだと、逃れようもないぬかるみの心の隅でぼんやり想った。
私は広東省広州市の郊外に住んでいた。
旧市街地の中心部から地下鉄で二十分ほどのところにある住宅街だ。
四階建ての一軒家が狭い路地にびっしり並んでいるなかの、ある家の一階を間借りしている。六畳くらいの部屋が二間に小さな流し台と狭いトイレがある。シャワーはトイレのなかについていて、跨座式の便器をまたぎながら瞬間湯沸かし器のスイッチをひねり湯を浴びた。二階から四階には大家の老夫婦と乳飲み子を抱えた娘夫婦が住み、時折、赤子の鳴き声が聞こえた。真夜中になると、裏路地から若い女の号泣が響いた。その声は強姦された後に嘆き悲しむ人ようでなんとも不気味だった。女がとぼとぼとさまよい歩きながら泣き叫ぶ時、決まって彼女を慰める男のささやき声も聞こえた。私はふと、ドストエフスキーが描いたペテルブルグのスラム街もあるいはこうだったのかもしれないと想像してみたりもした。
この地は湿気が猛烈に強く、なんにでも黴が生えた。
食物はいうまでもなく、勤めに履いていく革靴は二日間も放っておけばうっすらとした綿のような黴で覆われた。竹製の耳かきが黴に包まれたこともある。ほんのすこし生乾きのまま洋服ダンスに入れた木綿のシャツは一週間後には黴がびっしりと生え、二度と着られなくなってしまった。ある時、勤め先の中年の掃除婦と雑談をしていて一階に住んでいると話したところ、彼女はひどく驚いた表情をした。そんなところに住むものではないと眉をひそめ、「早く引越しなさい。病気になっても知らないわよ」と真顔で忠告してくれた。地元の人間は一階には住まないものなのだそうだ。つまりは、一階に住むのは私のような出稼ぎの人間たちだった。
このままでは黴が肺に入ってしまう。
なんとなくそんな焦燥が心の底にこびりつき始めた。
肺のなかいっぱいに黴が生えてしまったらどうなるのだろう? そんなわけのわからない妄想が頭のなかに拡がる。肺の内側が黴で腐ってしまい、咳をする度に濃緑色した黴の胞子が口から飛び出し、そのうち息ができなくなってしまうのだろうか。そんなばかなことをつらつら考えているうちに、口のなかが黴でざらつくような気がしてきた。
勤めへ出る支度をしなくてはいけない。
ようやくのことで硬いベッドから起き上がり、枕をひっくり返した。
――やれやれ。
私は深いため息をついた。枕の裏側とシーツのその部分に黴がびっしりと生えていた。
おとといは特別蒸し暑くて寝苦しい夜だった。
息苦しさに目覚めた私は寝汗でぐっしょり濡れた枕をひっくり返した。その汗が原因となって黴が生えてしまったのだろう。枕カバーをはがしてみると、枕の本体にも黴がうつっていた。これでは使い物にならない。私はやりきれない思いで枕カバーを外し、重い心を引き剥がすようにしてシーツをめくった。抹茶の粉をぶちまけたような黴が零れ落ちないようにそっと便所まで運び、プラスチックのたらいへ放り込んだ。勤めから帰ったらとりあえず熱湯消毒して漂白剤に浸けこんで洗ってみようかと、落とし穴へ自らおりてゆくような深い疲労と倦怠を覚えながら、こんなことをしている己に嫌悪を感じながら呆然とした。
ひとしきり降りしきった雨はやがて小降りになった。
汗がじっとり皮膚に張りつき、脂がまとわりついてねちねちする。亜熱帯のせいだ。日本では考えられないような暑さと湿気のせいだ。
部屋を出た私はドアを閉め、蛇腹式の鉄格子を引いて南京錠を掛けた。
裏路地のあちらこちらに水溜りができている。普段でも陽の当たらない路地には水垢や黴や油の匂いが入り混じり、段ボールや押し潰したペットボトルを載せた廃品回収のリアカーが音もなく私とすれ違った。
傘を差して表通りを歩く。
この町に住み始めてから半年が過ぎようとしていた。
以前、私は中国の片田舎で三年ほど暮らしたことがあり、ひととおりの漢語を操れた。私はバックパック一つ背負って広州へ来て、ユースホステルの相部屋に泊まりながら仕事を探した。ここへきた理由はといえば、とくに広州に興味があったからではなく、中国のなかでは日本人現地採用社員の待遇がまだましなほうだったからだ。
どうなることかと不安だったが、日系の人材会社で登録したところ幸いにもある日系商社の通訳の仕事がすぐに見つかった。なにはともあれ、収入の道が見つかったのは嬉しかった。もうこれで日本から持ってきたわずかばかりの一万円札を人民元へ両替しなくて済む。お金が減っていくだけの生活はやはり心細かった。
中国で働くのも、中国人に混じって仕事をするのも、今回が初めてだ。しかも、職場は日系企業とはいえ、社長以下、全スタッフが中国人だった。
アウェイの戦い。
敵陣にぽつんと私一人だけ日本人がいた。
習慣や考え方の違いは三年間の中国生活でおおよそ掴んではいたものの、仕事となればその差は予想以上にきつかった。中国人はよく働く。が、彼らは自分の眼前にあるものしか見ず、段取りを考えない。自分の前と後ろの工程の人間がどんな仕事をしているのかを知ろうともしなければ、周囲を見渡した上で自分がどのように物事を処理してどのように振る舞うべきかといったことも気にかけない。目の前の状況が変わるがままに任せて互いに振り回しあい、そしてそれは当然のことながら私にも及んだ。ただ不思議だったのは、彼らが互いに振り回しあうことを当然のことと思い、誰も怒ったりしないことだった。
数人の同僚とはそれなりに仲良くなれた。が、棘草(いらくさ)に腰掛けるような奇妙な居心地の悪さが常につきまとった。日本人現地採用の給与は中国人社員のそれと比べれば三倍ほどはある。もっともそれは日本の生活保護にも満たない金額なのだが、世界中のどこへ行っても中国と同じだと信じこんでいる彼らにはそれが理解できない。そのために妬まれたり疎まれたりもした。
中国人たちは陰へ回ると誰それが出入りの業者から賄賂をいくら貰っているだとか、某(なにがし)が幹部に取り入って裏の利権の分け前にあずかっているだとか、そんな類の噂話を好んで話した。中国では職権を使って賄賂を稼ぐことは当然の役得とみなされる。もちろん、なかには賄賂を受け取るなどとはいただけない話だと憤る中国人もいるが、裏を返して彼の本音を解剖してみれば、賄賂を稼ぐポジションにいない自分を嘆き、賄賂が欲しいと叫んでいるにすぎないことがほとんどだ。ここで働くということは、私とはなんの関係もない裏の利権を稼ぐための駒として使われるということでもあった。到底納得できるものではないが、中国で働くとはそういうことなのだと割り切るよりほかにない。
ある時、日本の本社から監査役がきた。
前髪の禿げ上がった日本人の監査役は、人の好さそうな、それでもどこか頑固さを宿したまなざしをしていた。彼の任務は海外の現地法人を訪れて経営状態を調べ、組織上の問題点がないかどうかを確認することだった。私は通訳として中国人幹部たちとの面談に立ち会った。
監査役が到着する日の朝、総経理(社長)、副総経理、財務部長といった幹部たちはみな顔を強張らせ、ぴりぴりとした表情を隠そうともしなかった。中国人の総経理は先月出張で行ってきたというフランス土産のチョコレートを休憩室に置き、みんなで食べてくれと言う。出張から帰ってきた直後に渡すのではなく、監査役到着の日に配るところに彼の怯懦(きょうだ)が看て取れた。総経理はあることないことを監査役に密告され、地位を失うのを恐れていた。荒っぽい権謀術数を使って激しい下剋上ばかり繰り返している中国の組織のなかにあっては、彼の懼(おそ)れは当然すぎるほど当然のことではあったが。
驚いたのは、監査役との一対一の面談の際、副総経理が、
「私のことをお認めください」
と平身低頭しながら何度も懇願したことだった。
副総経理は三十代半ばの女だった。狆(ちん)のような平べったい顔に脂ぎった強欲さをいつも浮かべ、水色やピンクの花柄といった華やかで肌の露出の多い服を好んで着た。そんな派手な服装は彼女の自己顕示欲の強さを物語っていた。
頭を下げる彼女の姿を冷ややかに見ながら私はふと、テレビドラマの時代劇に出てくる悪徳商人を想い起こした。それほどわかりやすかった。あるいは、彼女は己の働いた悪事がばれ、それで監査役がやってきたのだと思いこんでいたのかもしれない。
「そんなことを言われてもねえ」
と、困惑した表情を浮かべた監査役は額に皺を寄せ、
「今面談で行なっているのは監査であって、私はこの現地法人が会社組織としてきちんと機能しているかどうかを調査しているだけなのだよ。だから、あなたのことを認めるとか認めないといったことは、私が取り扱うテーマじゃないんだ。あなたを認めるかどうかは、総経理があなたの仕事振りをみて決めることだがねえ」
と首を捻る。
解しかねるという監査役の表情を見た彼女は、自分が認められていない、つまり苦労して築いた地位も会社を喰い物にした裏の利権も失ってしまうと焦った。怯えが狆の目に走り、顔を蒼ざめさせた彼女はテーブルにぶつけんばかりにして続けざまに頭を下げる。今にも泣き出しそうだった。
監査役は、会社の監査の役割とその目的について噛んで含めるようにしてもう一度丁寧に説明した。私はただ淡々と監査役の言葉を漢語に置き換えて通訳した。が、彼女はもうなにも聞こうとはせず、ひたすら、監査役が「お前を認めてやる」と言うのを待っていた。監査役があなたを認めるとひとこと言えば、素敵なプレゼントでも贈るつもりでいたのだろうか。
面談を終えた彼女は憎しみに満ちた一瞥を私にくれ、ぎざぎざした歯を歯軋りさせながら会議室を出た。
彼女は、通訳である私が監査役にとりなさなかったことを怒っていた。私は自分に謂れのない憎しみを向ける彼女を憎み、己の心に掻き立てられた憎悪に途惑い、自分の心に宿した冷酷さに己自身が突き放されるのを感じた。そうして、得体の知れないものに蝕まれる自分をなす術もなく見つめるよりほかになかった。
周囲と接すれば接するほど、自分が異邦人であることを思い知らされた。
中国語を話して相手の言うことが聞き取れても、彼らの理屈がわからない。逆に、私がいくら中国語で道理を説明しても彼らは理解しようさえしない。それは日本と中国の文明の差異だった。どうしても乗り越えられない一線がある。受け容れられない一線もある。なるべく周囲に溶け込もうとは心がけた。が、私は中国人になりたいわけではなかった。私は私になりたいだけだった。
どういったあてがあってこの町へきたわけでもなかったとはいえ、こんなはずではなかった。
毎日が自己嫌悪の繰り返しだった。
こんな日々を送っていて、果たしていつかどこかへたどり着けるのだろうか? ディスコミュニケーションを繰り返すだけのこんな仕事にどのような意味があるのだろうか? ただの徒労ではないのだろうか?
どうしようもない想いが心の底でからからと空回りする。
私一人、行き場がなく、袋小路の行き止まりでもがいているような気がした。そんなことは決してないはずだが、どうしてもそんな想いを振り払えない自分がいる。夢が痩せ細っていくばかりのやるせなさに足元をとられる日々だった。
小雨がスニーカーを濡らす。
つま先が凍え、冷気が足から遡(さかのぼ)って体を震わせる。
大通りの交差点の信号は壊れてしまったようで暗く沈黙したままだった。交通整理の巡査の姿は見当たらず、交差点は我先にと突っこむ乗用車やバスでごったがえしていた。クラクションがそこかしこで飛び交う。ほんの少しばかり機転を利かせて互いに道を譲りあえば少しは車が流れそうなものだが、誰もそうしようとしない。混乱はますますひどくなるばかりだ。私は車に轢かれないよう用心深く大通りを渡った。
歩道に敷き詰めた正方形のコンクリートブロックはところどころ壊れ、どす黒い汚水がたまっていた。私はそれを踏まないよう足元に気をつけ、右へ左へと蛇行しながら歩いた。
ガス店の前では日焼けした男たちが柿色のガスボンベを小さなトラックへ積みこみ、銀行の前にとまった現金輸送車のそばでは、分厚い防弾チョッキを着た警備員がショットライフルを構えてあたりをいかめしく睨んでいた。この国ではこうして現金を護衛するのが当たり前なのだが、この風景だけは何度見ても慣れない。心臓がきゅっと締まり、厄介なできごとが持ち上がって流れ弾が飛んでくるようなことになりはしないかと思わず周囲を見渡してしまう。
十五分ばかり歩き、地下鉄駅の入口に着いた。
街路樹の芒果(マンゴー)の下に雨合羽を着た客待ちのバイクタクシーが数台並び、屋台の大きな蒸籠(せいろ)から湯気が立ちのぼる。車の雨を轢く音だけがあたりに響きわたった。コンクリートの軒下には新聞売りの自転車がとまっていて、若い男が籠に入れた新聞の束をじっと両手で押さえていた。私は傘を畳み、入口へ入った。
人影もまばらな薄暗い階段を降り、改札口のゲートでカードを当てた。
コンビニでチャージしておけば地下鉄とバスの両方で使え、スーパーの買い物にも利用できる便利なカードだが、インターネットの新聞にはこのカードにまつわる横領事件の記事が何本も掲載されていた。数名の職員が共謀して信じられないほどの大量の金額を不正チャージし、遊興に使い込んだらしい。かなり荒っぽい手口だ。この国では、大きな金銭が動くところには大きな醜聞(スキャンダル)があり、小さな金銭が動くところにもそれなりの醜聞(スキャンダル)がある。そんなふうに騙し合い奪い合う中国人は他者に対する猜疑心が異常に研ぎ澄まされている。そして、この私もそんな色に知らずしらずのうちに染まり、警戒心ばかりが心を埋めるようになってしまった。
あいにく、地下鉄は出たばかりだった。私はホームの天井にぶらさがったテレビ画面をぼんやり眺めた。
朝のニュースは、裁判所が偽札犯への判決を下したと伝える。手錠のかかった犯人たちが法廷にずらりと並び、男女合わせて十人くらいの顔が映し出されていた。画面はふと切り換わり、法廷を出てきた主犯らしき人物へのインタビューになる。彼は憤った顔を隠そうともせず、運が悪くて捕まっただけだといったことを早口でまくし立てた。
くぐもったこだまが幾重にも重なり、トンネルから汽笛が響く。
風切り音とともに列車がホームへ滑りこんできた。
車内はいつものように空いている。鈍く光るステンレスの座席に腰掛けた。
私は鞄から文庫本を出した。吉田兼好の『徒然草』だ。切りのない不安や苛立ちに苛まれていた私は、貪るようにして何度もこの本を読み返した。ある時は黙読して、またある時は声に出して音読して。『徒然草』を読んでいる間だけ居心地の悪い現実を忘れ、自分が自分でいられるような落ち着きを取り戻した。中国人に囲まれて自分を見失いかけていた私は、己の拠り所を生まれた国の古典に求めたのかもしれない。『徒然草』だけがぐらつきふらついた私の心を支えてくれた。
ふと視界の端に傘が揺れる。
横目で隣を見遣ると、黄色いTシャツにデニムのショートパンツを履いた二十歳くらいの女の子が股を広げながら坐り、安物の折り畳み傘を下げて意味もなくぶらぶらさせていた。彼女の連れなのだろう。襟と袖にフリルのついた白いワンピースを着た同い年くらいの女の子が寄り添うようにして隣に坐り、ぽかんと口を開けて携帯電話の画面を眺めている。
私は再び文庫本に視線を落とした。やはり、眼の端を傘がちらちらする。傘に跳ね返る光が目を刺す。
いつもなら揺れる傘は気にもならなかっただろう。が、今の私にとってはそれだけで集中力を失わせるには十分だった。次の駅を告げるアナウンスがスピーカーからけたたましく響く。私は険しい感情を心の底に抱き、ぐったりとしたうっとうしさを覚えた。
窓が明るくなった。
地下鉄は通勤客が列を作るホームへ到着した。
ドアが開き、人民がどっと流れこむ。二人の女の子は私のほうへ席を詰める。黄色いTシャツの女の子はやはりぶら下げた折り畳み傘を振り子のように揺らし続ける。
――もう本を読めないな。
私はどこか意地悪い気持ちをこめて傘を見つめた。
彼女が悪いわけではない。
それはわかっている。
今朝はなんとも気持ちの悪い目覚めだった。それが今も続き、神経が荒くささくれだっている。
私はこの街にいるべきではないのだろう。
どこかへ立ち去るべきなのだろう。
黴の生えないからっとした土地を求めて。
心穏やかに話せる人々を求めて。
がら空きだった席はすべて埋まり、白髪の老夫婦がドアの近くに立った。
七十過ぎとおぼしき老婆があたりを見回す。老婆の背中はいささか曲がり、顔には深い皺が刻まれていた。
揺れる傘がとまった。
黄色いTシャツの女の子が白いワンピースの友達の肩を叩き、見てごらんとあどけない目で合図する。老夫婦を見上げた二人はすくっと立ち上がり、老夫婦に声をかけ席に坐らせた。
「唔該晒(ムンゴイサイ)」
老人は広東語で二人にどうもと礼を言った。老婆の顔には安堵の表情が浮かんでいる。女の子の二人連れは会釈してドアまで歩き、華やいだ声でお喋りを始めた。
ふっと、なごやかな気持ちが私の心の底に湧いた。
この国にはこの国の流儀のやさしさがある。
私がこの国に住み着くようになったのもそれを感じてのことだった。
きついことが多々あるのは、日本でも中国でもどこでも同じことだ。ましてや、生活の糧を得るために働くとなれば。
女の子たちはなにがおかしいのか楽しそうだ。
私は肩や背中に入りすぎていた力が自然と緩むのを感じ、身体を深く席に沈めた。
目覚めた時から激しく続いていた疲労と倦怠が、ほんの束の間、鳴りをひそめた。
了
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