風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

賄賂文明2 ~民間企業もみな腐敗(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第152話)

2013年01月26日 06時41分42秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 腐敗しているのはなにも政府に限ったことではない。
 民間企業もことごとく腐敗している。
 中国の企業では、担当者がキックバックをもらうのが当たり前だ。商談を成立させるためには、相手の責任者へ賄賂を渡すことが欠かせない。中国では紅いポチ袋に入れてお祝いのお金やお年玉を渡すのだけど、このポチ袋が紅い色をしていることから「紅包《ホンバオ》」という。もちろん、賄賂もこの「紅包《ホンバオ》」に入れて渡すことがよくあるので、賄賂を渡すことを「紅包《ホンバオ》を渡す」といったりする。中国人でも清廉潔白な人物はいるけど、ごく少数に過ぎない。
 キックバックを要求するのはたとえば部長といった決定権のあるポジションにいる人間ばかりではない。いちばん下っぱの担当者さえもあからさまに要求してくる。ほかにも、企業が備品類を購入する際は、担当者がどんな些細な品物にもキックバックを要求する。たとえば、総務部が五元(約六〇円)のボールペンを購入する時には、文具店から一本当たり一元のキックバックを受け取ったりする。本来、五元のボールペンがたとえ六元になったところで、日本人の総務責任者は気づかない。そもそも、中国のそのボールペンの値段が五元なのか六元なのかもわからない。中国人総務部員は、そんな日本人の脇の甘さを突いて、賄賂をかすめとる。
 ある日系メーカーで勤めている中国人の友人からこんな話を聞いたことがあった。
 彼女はある顧客Z社からいじめとしか思えない注文やクレームをたびたび受けた。
 納品先は一〇〇〇キロ以上も離れたところにあるというのに、明日製品を発送して明後日納入しろと緊急オーダーとはいえかなり無茶な要求を突きつけられた。困った彼女は一〇〇〇キロ以上も離れた場所へ翌日納品するのはむずかしいからせめて二日後にして欲しいとその顧客に頼むと「我が社が客を失ったらどうするんだ。脅す気か」などと怒鳴られ、その手配に奔走中には経過を逐一報告しているのにもかかわらず「対応が悪い」とさんざん文句を言われた。挙句の果てに、なんとか手配し終えたところで「値段があわないからキャンセル」と注文を取り消されてしまった。一日中ほうぼうへ電話をかけ続け、「いきなりそんなことを言われても無理」と渋る下請け会社や運送会社と交渉して顧客の要望に応えようと一生懸命手配したのに、努力が水の泡になってしまった。
 語り終えた彼女はやるせないため息をついた。やさしくて、すこし気の弱いところのある子だから、よけいにこたえたのかもしれない。
「お客さんの担当者には紅包《ホンバオ》を渡したの?」
 僕は訊いた。
「渡してないわ」
 彼女は首を振る。
「やっぱり。だからいじめられるんだよ。むちゃくちゃな話だろ」
「下請けの人にも言われたわ。さっさと紅包《ホンバオ》を渡しちゃいなさいって。そしたら無茶なことを言ってこないからって。結局、渡すしかないのかな」
 彼女は気弱く笑う。
 賄賂を渡すことはいけないことだ。
 でも、その「常識」が中国では通じない。誰も彼もが紅包《ホンバオ》を期待しているのだから。中国人の論理では、
「儲けさせてやっているのだから、すこしは俺に分け前をよこせ」
 とこうなる。会社として仕事をしているという意識は中国人にはほとんどといっていいほどない。会社は賄賂をせしめるための場ととらえている。賄賂がいけないことと思って紅包《ホンバオ》を渡さない人間は、彼女のように回りから総スカンを食らってさんざんにいじめられてしまう。
 ある日系企業の日本人の総経理(社長に相当)は、
「私もね、最初は賄賂が大嫌いだったよ。とんでもないことだって思ってた。だけど、こちらにいるうちにわかってきたんだ。賄賂を渡さないことには仕事にならないんだよ。クレームの嵐になってしまって振り回されてにっちもさっちもいかなくなってしまうんだよ。ほんとにとんでもないことを平気でいってくるからね。道理もへったくれもありゃしない。だから、今は賄賂を渡せって部下には言ってある。賄賂さえつかませておけば、相手はにこにこしてくれるからね。もっとも、賄賂はなにかの口実をつけて経費で落とさなきゃならんから、いろんな領収証をかき集めなくちゃならない。それがちょっと大変だけどね。それでも、領収証を集める苦労なんて、客の担当者にわけのわからない嫌がらせされることに比べればたいしたことないよ。日本でそんなことをやったら後ろに手がまわっちゃうけど、こちらではそうするしかないんだよな」
 と、しょうがないなといった顔で言う。
 彼のいうことは、こちらでは「常識的な意見」だ。賄賂を渡しておけばスムーズに仕事できる。多少のミスや手違いがあっても笑って許してもらえる。日系企業では日本から派遣された日本人管理職の知らないところでいろんな賄賂がやりとりされている。
 もちろん、これにも落とし穴はある。
 賄賂をどれくらい渡したのかは、当事者以外は誰も知らない。だから、賄賂を渡す役目の担当者が実際には八〇〇元しか渡さなかったのに、会社には一〇〇〇元渡しましたと申告して会社から一〇〇〇元を受け取り、二〇〇元を抜いて自分の懐へ入れてしまうということもよくある。
 中国人が、
「あの会社の人たちとはうまくやっている」
 という場合、賄賂の受け渡しがスムーズで、相手はこちらが渡した賄賂に満足しているということを指す。
 賄賂を渡さなければ仕事にならないというのでは、情けない。無論、ほんとうの意味でいい仕事ができるはずもない。腐敗は仕事の質を低下させる。賄賂を受け取ることが仕事の目的になってしまえば、道理が通らなくなる。不正が横行する。だけど、それが中国のやり方なら、こちらは黙って見過ごすよりほかにない。いくら賄賂はいけないと言ってみたところで、多勢に無勢だ。変人扱いされるのがオチだろう。
 とはいえ、今は中国経済に勢いがあるからいいようなものの、こんなことがいつまでも続くとはとても思えない。それとも、「紅包《ホンバオ》」という目の前にぶら下がったにんじんのために、中国人たちはひたすらがんばり続けるのだろうか。

 中国政府の腐敗振りはあちらこちらで報道されたりしているから、ご存知の方も多いかもしれない。どこもかしこも汚職だらけだ。あまりにも汚職が多すぎるので、「反貪汚局」という行政機関があるくらいだ。市内バスが走っているほどの規模の町なら、必ずといっていいほどみかける。「貪汚」とは漢語で「汚職」という意味。つまり、汚職取締り局というわけだ。こんな行政機関が町々にある国は世界でもほとんどないだろう。安定していて、しかも賄賂のもらえる公務員は人気の就職先だ。
 二〇一一年、新幹線脱線転落事故を起こした鉄道省では、大臣が汚職で逮捕された。
 鉄道大臣はなんと、集めた賄賂で十数人もの妾を囲っていたという。ほんとうにハーレム状態だ。羨ましいなんて書いたら怒られそうだからやめておくけど、想像もつかないほどの賄賂を集めたようだ。中国の人口は桁違いに多いけど、汚職の規模も桁違い。
 汚職事件と事故の影響によって、中国の高速鉄道の建設計画はほとんどストップしてしまった。中国国鉄は軍隊を輸送することから、解放軍との結びつきが強い。中国国鉄は解放軍をバックにつけているので、やりたい放題やっている。汚職と事故を理由に彼らの賄賂の種を断ってしまおうという共産党の意図もあるようだ。ただし、これを単なる反腐敗キャンペーンととらえるわけにはいかない。共産党のなかには、鉄道利権を自分たちのものにしたいと考えている者も当然いる。利権を巡って壮絶なバトルを繰り広げているのが、中国のかたちだ。

 




(2012年1月20日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第152話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

賄賂文明1 ~中国のかたち(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第151話)

2013年01月19日 10時10分10秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 中国政府の腐敗振りはあちらこちらで報道されたりしているから、ご存知の方も多いかもしれない。どこもかしこも汚職だらけだ。あまりにも汚職が多すぎるので、「反貪汚局」という行政機関があるくらいだ。市内バスが走っているほどの規模の町なら、必ずといっていいほどみかける。「貪汚」とは漢語で「汚職」という意味。つまり、汚職取締り局というわけだ。こんな行政機関が町々にある国は世界でもほとんどないだろう。安定していて、しかも賄賂のもらえる公務員は人気の就職先だ。
 二〇一一年、新幹線脱線転落事故を起こした鉄道省では、大臣が汚職で逮捕された。
 鉄道大臣はなんと、集めた賄賂で十数人もの妾を囲っていたという。ほんとうにハーレム状態だ。羨ましいなんて書いたら怒られそうだからやめておくけど、想像もつかないほどの賄賂を集めたようだ。中国の人口は桁違いに多いけど、汚職の規模も桁違い。
 汚職事件と事故の影響によって、中国の高速鉄道の建設計画はほとんどストップしてしまった。中国国鉄は軍隊を輸送することから、解放軍との結びつきが強い。中国国鉄は解放軍をバックにつけているので、やりたい放題やっている。汚職と事故を理由に彼らの賄賂の種を断ってしまおうという共産党の意図もあるようだ。ただし、これを単なる反腐敗キャンペーンととらえるわけにはいかない。共産党のなかには、鉄道利権を自分たちのものにしたいと考えている者も当然いる。利権を巡って壮絶なバトルを繰り広げているのが、中国のかたちだ。

 


(2012年1月18日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第151話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

帰省列車の切符(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第148話)

2013年01月12日 09時51分11秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 
「帰れなくなっちゃった」
 四川人の友人ががっかりしたように言った。春節(中国の旧正月)に故郷へ帰るための列車の切符が取れなかったのだという。広州へ出稼ぎにきている人たちは、ほとんど列車で帰る。それも寝台ではなく座席に何十時間も坐って。広州から四川省の省都・成都までは三十一時間の快速と四〇時間の臨時列車があるそうだけど、気の毒なことにどちらも売り切れ。四川から出稼ぎに来ている人は多いから、一日二本の列車ではとても足りない。
 彼女は、今年三十一歳。四川のとある町の出身で、実家に子供を預けている。子供に会えるのは年に一回、春節の時だけだ。彼女のような出稼ぎのお母さんはけっこういる。日本人にはちょっと信じがたいことかもしれないけど、こちらではごく当たり前だ。彼女は一か月ほどの休暇をもらう予定だった。春節の間はゆっくり休む。そのかわり、普段はほとんど休まない。一説によれば、広東省だけで一億四千万人が省内へあるいは省外へ里帰りするそうだ。広東省の帰省者だけで日本の人口を超えるのだから、めまいがする。
「それでどうするの? 休みをずらして春節明けに帰るとかするの?」
 僕は訊いた。
「やっぱり、春節に帰りたいわよねえ」
 彼女はさびしそうに唇を尖らせる。中国人にとって春節は家族や親戚が集まる大事な行事だ。とくに田舎へ行けばいくほど、春節を大切にする。それは、社会も国も信用できないため、家族で結束しなければ生きていかれないことの裏返しでもあるのだけど。
 列車の切符は十日前から売り出される。この時期になると切符の仲介業者が出て、切符の手配を請け負い、依頼人のお金と身分証(国内パスポート)をあずかって駅の行列に並ぶ。駅前は五六時間待ちは当たり前のすさまじい行列だ。彼女も仲介業者に頼んだそうだけど、硬座(普通座席)も、硬臥(B寝台)も軟臥(A寝台)もだめだったのだとか。切符の電話予約の番号にもかけてみたけど、すべて売り切れだった。
 ちなみに、広州駅で切符を買う時は、窓口で身分証を提示しなければいけない。切符には身分証の番号が印刷される。偽切符、業者の買占め、テロ、反政府活動を防ぐための措置だ。毎年、この時期になると大量の偽造切符が出回って新聞の紙面を賑わしたものだった。
「飛行機を予約するしかないかなあ」
 どうしても春節に帰りたいようだ。
 飛行機なら広州から成都まで二時間ほど到着するけど、チケット代は列車の何倍もする。航空チケットは出稼ぎ労働者にとっては今でも贅沢だ。飛行機に乗ったことがないという人もわりあいいる。高額のエアチケットを買うくらいなら、そのぶん節約して家族にお金を渡してあげようとする。彼らはお金でしか自由を買えないから、お金を大切にする。それがいいかどうかはともかくとして。
 里帰りの鉄道切符がなんとか手に入ればいいのだけど。




(2012年1月10日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第148話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

肚をくくる(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第147話)

2013年01月05日 20時31分38秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 気の持ちようでいろんなことが変わる。
 とりわけ、気が滅入っていたり、重い課題を抱え込んでいるときは、そうしてみたくなる。
 たしかに、気を軽く持つということも、生きていくうえでは欠かせないテクニックだ。重い気分をひきずってばかりいては、やりきれなくなってしまうから。落ち込んでばかりもいられないから。誰でもほっとひと息つきたいから。
 ただ、気の持ちようを変えれば、目の前で起きている現象そのものが変わってくれるのかといえば、決してそうではない。お酒を飲んでリラックスするのはいいけど、ずっと酒が入ったままでは困る。それと同じだ。
 気の持ちようを変えたからといって、空を舞い、大地を穢す放射能が消えるわけでもない。若者を路上へ放り出す残酷な社会システムが変わるわけでもない。一部の利権団体からもらった献金のために政策を立案する「金で買われた民主主義」が変わるわけでもない。己の野心が世の中で一番大切なものと勘違いして人を傷つけても平気な人間を生み出す功利主義が消えるわけでもない。家族、友人、職場の人々との人間関係の軋轢や葛藤がなくなるわけでもない。
 自分が抱えた課題を解決したいと思えば、まずその課題の本質を理解しなければならない。
 つらくても、しんどくても、眼《まなこ》をしっかり見開いて現実を直視し、その背景にある本質的な課題を見据えなくてはならない。もちろん、自分のことを棚に上げ、自分ひとりだけ「安全地帯」にいるわけにもいかないから、冷徹な自己解剖も必要だ。すべてはそこからはじまる。
 あれこれと悩むのは迷いのなかにいるからだ。
 完全に迷いから抜け出せることはないかもしれないけど、人として生まれてきたからには、せめて迷いから抜け出すための努力をしたい。あべこべの世の中で、あべこべのまま暮していたのでは、つまるところ、自分自身を痛めつけるだけになってしまう。気の持ちようを変えて難題をかわすより、肚をくくって目を見開いたほうがよほどいい。いささか歳を重ね、ようやくこんなことを学んだ。




(2012年1月8日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第147話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

プリンスメロン

2013年01月03日 13時15分53秒 | 詩集

 坂の途中のフルーツショップ
 甘い香りのプリンスメロン
 白磁色した鼻を果実にあて
 君はくすぐったそうにほほえんだ

 青空にかかげて見くらべて
 君が選んだプリンスメロン
 ふたつを僕のリュックに入れて
 もうふたつは君が袋に提げて

 愛の重さはふたりでわかちあい
 重すぎず
 軽すぎず
 バランスよく
 ちょうどいいくらいになるように

 重すぎる愛は
 いつか疲れてしまう
 たとえ健やかな香りがただよって
 おいしい味わいだったとしても
 相手の存在そのものが重荷になるから

 軽すぎる愛は
 いつかむなしくなってしまう
 おたがいの存在を確かめ合わなければ
 ほどよい手応えがなければ
 いっしょにいる意味がなくなるから

 坂の途中のフルーツショップ
 雨上がりの冴えた陽射しが
 プリンスメロンに照りかえる
 ふたり ほほえみかわして
 それから 手をつないで





 「小説家になろう」サイト投稿作品。
 http://ncode.syosetu.com/n3240bh/

ツイッター