風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

空飛ぶクジラはやさしく唄う 第10話

2012年01月31日 16時00分15秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』

 希望はすぐそばにあるから自分を信じて


 渓谷に湯煙があがっている。
 シビックは急な坂を登る。
 谷間の細い山道だけど、シビックは賢くてしっかり者の車だから無難にこなしてくれた。ハンドルを切るたびにイグニッションキーのコロポックル人形が振り子のように揺れる。傾きかけた陽射しが檜林をやわらかく照らす。ひなびた温泉街に着いた。
 急斜面の狭い峡谷の中腹に木造の温泉宿が五つほど軒を連ねていた。僕は、そのなかの山月館という名の宿に車をとめた。のんびりしたいのならここがいいとオカマさんが勧めてくれた宿だった。黒い木板と白い漆喰が古めかしい。時代劇に出てくる陣屋のような建物だ。
 玄関へ入ると湯の花の香りがかすかに鼻をくすぐった。黒光りする柱や床のなかで、すのこだけが真新しい。すのこのそばには泊り客用の白い鼻緒の草履が並び、下駄箱の上にはきれいに色づいた紅葉《もみじ》の盆栽が置いてあった。海老茶色の和服を着た女将《おかみ》さんが迎えてくれる。僕の母と同い年くらいだろうか。いささか厚化粧だけどしっとりと目の濡れた美人だった。物腰がやわらかい。
 記帳を済ませた後、僕たちは二階の川沿いの和室へ通された。
 障子を開け、ガラス窓を開けると、すぐ向かいの山の稜線と川のせせらぎが飛びこんでくる。宿の真下は蒼い崖になっていて、狭い川が流れていた。虫取り網を手にした子供たちが石ころだらけの河原で遊んでいる。
 備え付けの浴衣に着替え、下着とタオルを入れたふろしきを持って宿を出た。温泉街を抜け、檜の匂いが漂う坂をぶらぶら歩く。
「やっぱり、空気がおいしいわね。檜の香りもいいわ」
 遥は気持ちよさそうだ。
「さっぱりした匂いだね」
 そんなたわいもないことを話しているうちにこじんまりとした町営の公衆温泉に着いた。宿にも大浴場があるけど、残念なことに露天風呂がなかった。陽のあるうちに町営温泉の露天風呂に入っておきたかった。
 さきに体と髪を洗って、誰もいない岩造りの風呂につかった。
 なにもかもがぽかぽか温まる。なんともいえないため息が自然と口からもれる。体中の疲れと毒素が出ていくようだ。山がきれいに見えるから、景色もいい。湯加減もちょうどいい。空が広くてのんびりできる。首を回して、骨をぽきぽき鳴らした。ずっと運転を続けてこわばった体がほぐれた。
「ゆうちゃん。聞こえる?」
 遥が仕切りの竹垣越しに僕を呼んだ。
「聞こえるよ。大丈夫? ほかに人はいない?」
「わたしだけ」
「いくよ」
 僕は、シャンプーのふたがしまっているかを確認してから放り投げた。山なりに飛んだシャンプーが竹垣の向こうの女湯へ消える。
「うわっ、すごい」
 遥がはしゃいでいる。
「どうしたの?」
「やったー。ちゃんと捕ったわよ」
「ナイスキャッチ」
 僕は笑った。
 ふと視線を感じて振り返ると、いつのまにか湯につかっていた老人と目があった。髪の毛のすっかり薄くなった彼は、ひょうきんそうな雰囲気を顔に漂わせている。まるで狂言師のようだ。僕は、照れながらどうもと言って湯池に体を沈めた。
「これはこれは」
 老人は、ユーモラスな笑顔を浮かべる。目尻に寄ったしわが人懐っこくて、素朴であたたかい人柄を感じさせる。東京ではあまり見かけないけど、僕の田舎では似たような感じのおじいさんがいたものだった。人を信用するところから、他者との出会いをはじめるタイプのようだ。
「彼女といっしょにきたの?」
 老人は両手ですくった湯を顔にかけ、気持ちよさそうに拭う。
「ええまあ」
「若い人はいいねえ。わしもばあさんときてるんだけど。やっぱり若いほうがいいなあ。女房と畳はなんとかってね。お兄さんはどこからきたの?」
「東京からです」
「そう。旅行かい」
「そうなんです。いい温泉ですね」
「ここはいいねえ。わしはこの近所に住んでいるもんだから、毎日きてるんだわ」
「いいですねえ。羨ましいですよ」
「いやまあ、湯治なのよ。ほら、ここに傷があるでしょう」
 老人は、自分の右胸に残る手術の痕をなぞった。
「ご病気されたんですか」
「癌なのよ。肝臓にできちゃってね。医者に余命一年って言われたんだわ」
「たいへんですね――」
 その後をどう言えばいいのかわからない。だけど、老人はさばさばした表情でただ温泉を楽しんでいる。つらそうな様子も、悲しんでいる気配も見受けられない。
「まあね。しょうがないわね。歳をとれば、体にがたがくるもんだわ。でもね、医者にそう言われてからもう五年も生きているんだよ」
 老人は、狂言の翁のように嬉しそうに笑った。
「治ったんですね」
「いやあ、治りはしないけどねえ。癌といっしょに生きてるのよ」
 老人は、自分の病気について語り始めた。
「かみさんがうるさいもんだからさ、人間ドックへ入ったのよ。そしたら、見つかっちゃったのよ、癌が。あんなもんに行かなかったら、知らないままですんだのにねえ、まったく。それで総合病院へ行って精密検査を受けたんだけど、手術して抗癌剤《こうがんざい》の治療を受ければだいたい余命一年ちょっと、うまくいったら数年生きられるかもしれないけど、なんにもしなかったら半年もつかもたないって言われちゃったのよ。
 その検査の結果を聞いた時、もめちゃってねえ。えらいことになったのよ。かみさんのいとこが内科の医者をやっていて、それでいっしょについてきてくれたんだけど、そいつが頑固なやつでさ、主治医と大喧嘩をおっぱじめちゃった。あいつは怒ってねえ。『馬鹿言うな。治りもしない手術や治療をやってなにがあと一年だ。威張るんじゃない』って主治医の先生を怒鳴りつけるんだよ。
 あいつに言わせたら、抗癌剤を使ったら死ぬのは当たり前だってことなんだな。ほら、抗癌剤って劇薬じゃない。副作用が激しいしねえ。癌細胞をやっつけてくれるかもしれないけど、正常な細胞まで破壊しちゃうわけよ。あいつは『抗癌剤なんて使ったら、逆に体を痛めつけてぼろぼろにして、命を縮めるだけだ。抗癌剤はぼったくりの人殺しの毒でしかない。あんたは医療行為に名を借りて、患者の体を利用して抗癌剤のデータ収集とぼろ儲けを狙っているだけなんだ。製薬会社にいいように使われているだけなんだ。それがわからないのか。恥ずかしいと思わないのか』って、そこまで言うんだね。先生を犯罪者扱いよ。
 先生はむっとしちゃって、患者を見捨てろって言うのかって怒り出す始末でさ、わしは立場がなかったねえ、ほんとに。お世話になっている主治医にそんなことを言われたら困るじゃない。参ったよ。とはいっても、あいつだって悪いやつじゃないんだよ。むしろ、いいやつだよな。子供の頃はいじめられた友達をしょっちゅうかばってたし、今だって医者のいない山村をまわって往診しているのよ。身寄りのないじいさんばあさんからは治療代も受け取らないしね。飛騨の赤ひげ先生ってとこよ。
 ふたりとも顔を真っ赤にしてさ、もめにもめて大激論。主治医の先生は、世界の医学界で認められたまともな手術と治療をするだけだって主張するのよ。わしだって先生の意見のほうが正しいって思ったもん。ごくオーソドックスだしねえ。ところが、あいつはそれを認めないのよ。『あんたは製薬会社に洗脳されているだけだ。治せもしない高価な抗癌剤を使っていちばん喜ぶのは誰だ? 製薬会社だろう。儲かってしょうがないから、笑いがとまらないだろうよ。でもな、そんなものを使われる患者の身にもなってみろ。病気は治らない。苦労して稼いだお金はぼったくられる。踏んだり蹴ったりじゃないか。治せもしないのは治療じゃない。あんたは医療の本質がわかってない』って譲らないわけさ。先生に言わせたら、あいつはでたらめをいうばかよ。あいつにしてみれば、先生はペテン師よ。もう、しっちゃかめっちゃかよ」
 老人は子供の頃の喧嘩でも思い出すようになつかしそうに微笑み、眉のあたりまで沈んだ。老人は、湯から顔を出していい湯だとつぶやく。
「それでどうなったのですか?」
 僕は訊いた。
「結局、手術して癌は切り取るけど、抗癌剤や放射線治療はいっさいしないってことで話がついたのよ。先生は放置したら全身へ転移するって言うし、わしだって体のなかに癌のかたまりがあったんじゃあ、気持ち悪いものね」
「それだけで五年も元気にしていらっしゃるんですか?」
 以前、僕の親戚が癌にかかったのだけど、次から次へと転移して、手術と抗癌剤治療を繰り返した。最後は管だらけの生ける屍になってしまった。気の毒だった。
「いやいや、手術だけじゃよくはならないわね。酒もたばこもきっぱりやめて、食餌《しょくじ》療法をして漢方薬を飲んでいるのよ。あいつがそうしなさいって言うからね。でも、正解だったね。主治医の先生の言うとおりにしてたら、とっくにお陀仏だもんな。同じ病室にいた癌の人たちは、病状の重い人が集まってたこともあるんだけど、みんな死んじゃった。わしより症状が軽かった人も、あの世へ逝《い》ってしまった。みんな抗癌剤を使っていたからねえ。副作用に耐えられずに死んじゃったのよ。あの人たちを殺したのは癌じゃない。じつは抗癌剤なのよ。生き残ったのは抗癌剤を使わなかったわし一人だけ。
 癌細胞ってね、どんな人にもけっこうできちゃうものらしいんだよ。だけど、人間には免疫系ってやつがあって、そいつが癌細胞をぱくぱく食べてくれるんだな。だから、おどかすわけじゃないけど、お兄さんの体にも何個かあるかもしれないのよ。心配しなくても大丈夫だよ。免疫系が箒とちり取りで掃除してくれるから。ところが、なんかの拍子で癌細胞が異常に増殖することがあって、それがぱあっと広がると癌になっちゃうんだね。
 それでわしみたいになったらどうしたらいいんだって話なんだけど、あいつは『人間には自然治癒力ってやつが本来備わっている。だからそれを引き出してやればいい。それこそが医療の本質だ』って言うんだ。医療の本質なんて言われても、こっちは素人なんだからちんぷんかんぷんだけどさ、でも、むずかしいことはなんにもないのよ。要するに、規則正しい生活をして、体にいいものを食べて、刺激物はできるだけ控えて体に悪いものは食べない。漢方薬で五臓六腑の調子を整えて、軽く運動して、温泉でリラックス。これだけよ。わけのわからない名前のついた高価な薬なんて、なんも要らないの。ただひたすら全身のバランスを整えるように心がけるだけ。そうしたら、癌が消えるわけじゃないけど、そこそこ大人しくしてくれるもんなのよ。副作用で苦しむこともないし、痛みもまったくないしねえ。だから、わしは癌といっしょに生きているのよ。もうこの歳だから、あと何年生きられるかわからないけど、死ぬまでいっしょ。うちのかみさんみたいなもんだ」
 老人は愉快な笑い声をあげた。それからいろいろ話をした。酒を飲めないのがつらいところだけど、日常生活にはなんの差し障りもないし、囲碁のサークルへ入って隠居暮らしを楽しんでいるそうだ。老人はお先にと言って湯を出た。
 僕は湯池の縁に腰かけ、老人がさっき話してくれたことを考えた。
 人間の体には自然治癒力が備わっているそうだけど、心にも同じようにそんな大いなる力があるのだろう。
 遥がいつも気にしている欲望は、言ってみれば癌細胞みたいなものだ。人間の心にはかならず欲望が芽生える。だけど、心の健康な人は心の免疫系がそれを摘み取ってくれる。遥がむりに欲望を抑えこもうとしたのは、抗癌剤を使おうとしたようなものなのかもしれない。それで欲望が小さくなったとしても、正常な心の細胞まで傷つけてしまう。それでは心がもつはずもない。
「遥の心の自然治癒力を引き出すようにしてあげればいいんだな。それが僕の仕事なんだ」
 僕はひとりごちた。
「ゆうちゃん、いつまでつかってるの?」
 遥が女湯から呼びかけてきた。
「ごめん、もう出ようか」
 出る時は合図すると言っておいて、忘れていた。
 道すがら、遥は道端に生えているすすきの穂を手折って髪に挿した。すすきの穂は楽しそうにゆらゆら揺れる。湯上りの頰は赤味がさして艶やかだった。僕たちは手を繋いで宿へ帰った。
 部屋へ運んでもらった川魚のお膳をいただきながら、地酒の熱燗《あつかん》を飲んだ。塩焼きのヤマメと胡麻豆腐がおいしい。
 ふだんの遥はお酒を飲まないし、居酒屋へ行ってもほんの付き合い程度口にするだけだけど、今晩はわりあいよく飲む。さしつさされつするうち、僕はほろ酔い加減になった。遥の耳たぶが赤くなり、白いうなじまで真っ赤に染まる。
「はい、ゆうちゃん」
 徳利を傾ける遥の手つきが妙に色っぽい。
 お膳はさげて、お酒だけ残してもらった。仲居が布団を敷いてくれた。
 部屋の灯りを消して、ガラス窓を閉めたまま障子だけ開けてみた。向かいの山に白い半月がかかっている。月がきれいに見えるから山月館なんだな、といまさらのことをぼんやり思った。しんと冷えた川のせせらぎが耳に心地良い。僕は遥の膝枕に頭をもたせかけた。
「ゆうちゃん、今日はありがとう」
 遥はしんみり微笑む。
「なにが?」
「つかれたでしょ」
 遥は僕の頭をなでた。
「ちょっとね」
「寝ちゃっていいのよ」
「眠くはないよ。いい気分なだけだから」
 僕は目を瞬いた。月光が遥の顔を半分照らしている。きれいな切り絵のようだ。
「僕のかぐや姫」
「なにそれ?」
「遥のこと」
「中学生の時、なんだか遥は月からきたみたいだなって思っていたんだ」
「ざんねん。地球生まれの地球育ちよ。お月さま育ちだったらいいんだけど。悲しいことだって、そんなになかったかもしれないわね。でも、地球に生まれて、ゆうちゃんと出会えてよかった」
「僕もだよ」
「わたしのお母さんは、わたしの物心がついた頃からずっと、自分はもうだめだって一日になんどもため息をつきながら繰り返し言っていたの。それを聞くたびに、わたしはいつもしょんぼりしてしまったわ。悲しかった。そのうち、わたしもだめなんだって思うようになってしまったの。両親が離婚したとき、わたしの人生にいいことはぜったい起こらないって、そう思いこんでしまったわ。ほら、やっぱりだめだったじゃないって。もともとだめで、このさきもっとだめになるだけなんだって。神さまにお祈りして、神さまにすがって、そんな気持ちにじっと耐えていたのよ。
 でも、中三の時、ゆうちゃんと出会って、すこし変わったわ。希望をもってもいいのかなって思いはじめたの。聖書に『今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる』って書いてあるんだけど、ほんとうかもしれないって信じはじめたわ。いろいろあったけど、今は希望をもたなくちゃいけないんだってちょっと思ってる。そんなふうに思えるようになったのは、ゆうちゃんのおかげよ」
「自分のことをだめだなんて思ったらいけないよ。希望はいつでもすぐそばにあるんだよ。それに気づくか気づかないかだけなんだよ」
「わかったわ。今の言葉をこころにきざんでおくわ」
 遥はこっくりうなずく。
 僕は、露天風呂で出会った老人のことを話した。
「そのおじいさんが言っていたんだよ。人間には知らない力がいっぱい眠っているから、自分の力を信じて生きることが大切なんだって。自然治癒力っていうのは生きようとする力だとも言ってたよ。ただ、知らないうちに自分でそれを邪魔してしまうから、おかしなことになってしまうんだって。遥のなかにだって生きようとする力があるんだから、心配しなくても大丈夫だよ。希望をもたなくちゃ」
「そうね。わたしはこんなふうにも思うの。ゆうちゃんがわたしの前に現れたとき、無意識だけど希望に気づいていたのもしれないって」
「僕もそうなんだと思う。初めて遥と机を並べた時にね」
 僕は、制服姿の遥をふと思い出した。あの日から、恋と、夢と、僕の人生そのものが始まったような、そんな気がする。僕の人生は遥との出会いがすべてだ。
「ゆうちゃん、もう悪いことなんて起こらないわよね」
 遥は僕の目をじっと見つめる。祈りを捧げるような、救いを求めるような、せつないまなざしだった。遥はこんなふうに、隣のお兄ちゃんに助けを求めるようにして、神さまにお祈りしていたのだろう。
「起こらないよ」
 僕は手を伸ばし、遥の頰をやさしくさすった。
「ぜったい?」
「約束する」
 これからどんどんよくなる。僕もそう信じたかった。未来は僕たちのものだと。
「遥、酔いは醒めた?」
「もう平気よ」
「ここの温泉に入ろうか。体を流そうよ」
「そうね」
 遥は穏やかに微笑んだ。川のせせらぎがふと高まる。
 僕たちは起き上がり、一階の奥にある大浴場へ行った。



(続く)

毛長牛っ!

2012年01月30日 15時57分09秒 | フォト日記




 ふさふさとした動物は「毛長牛」。ヤクともいう。

 チベット高原に生息していて、チベット族はこの毛長牛を飼っていたりする。

 チベット族の居住地域を旅すれば、毛長牛の群れに出会える。

 ぶさかわいいって感じかな。

 頭だけを見れば、獅子舞の獅子に似ているような気もする。
 
 写真はかなり以前に雲南省の昆明動物園で撮影したもの。

春節前の風景 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第76話)

2012年01月19日 21時00分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 もうすぐ春節だ。
 中国では元旦を祝わずに、今でも中国の旧暦の正月――春節を祝う。中国独自の太陰暦なので、毎年少しずつ日がずれるのだけど、今年は新暦二月三日が春節に当たっている。僕の住んでいる広州では、春節を過ぎれば、寒さがやわらいで暖かくなる。亜熱帯に住んでいるからかもしれないけど、陽射しはもう春。
「明日、帰省するんだ(明日要回家了)」
 などと、知り合いの中国人たちは嬉しそうに言う。
 とりわけ、地方から都会へ働きにきている人たちは春節を心待ちにしている。家族を大切にする中国人にとって、というよりも家族で団結しなければ暮していかれない彼らにとって、家族との再会はなによりの楽しみだ。
 市場の周りをぶらついてみれば、大きなビニール袋を抱えた家族連れがどっさり買い物をしている。買い物袋の中身は多少違っても、年末に人々がすませなければならないことは日本も中国も同じだ。
 街角には屋台が出て、春節用の飾りを売っている。紅地に金色の文字で「福」と書いた張り紙や紅いぼんぼりやふくよかな顔をした童子の絵が並べてある。果物やらお酒の瓶が山盛り入った贈答用の大きなバスケットも置いてあった。
 こちらではみかんの鉢植えを飾る家も多い。市場の通りには、小さなみかんの実をたわわにつけた鉢植えがずらりと並べてあった。鉢の大きさは両手で一抱えほどで、高さは胸くらい。





 これは「大桔大利(ダー・ジュイ・ダー・リー)」という縁起物だそうだ。日本では門松を飾る家は少なくなったけど、日本の門松のようなものだろう。
「桔」は「橘」の俗字で、みかんのこと。みかんの実を黄金に見立て、お金が儲かりますようにという意味をこめているのだとか。みかんの枝に紅色のポチ袋を飾りつけ、みかんの鉢植えを中心にして、その周りに菊の小さな鉢植えを並べるのが定番だ。なにはともあれ、この国の人々は真っ先に金儲けを願う。お金でしか自由を買えないから、と言えば、言いすぎになるだろうか。それとも、お金で買える自由しか知らされていないから、と言ったほうがいいだろうか。
 日本の年末もそうだけど、春節前になると銀行に行列ができる。
 地方から出稼ぎに来ている人たちは、こつこつ蓄えた貯金を下ろして田舎へ持ちかえり、そのお金のおかげで農村の実家は年を越すことができる。貧困から抜け出すことができる。
 この間、昼休みに銀行のATMでお金をおろそうとしたら、ATMが二台ともとまっていた。銀行の職員に訊くと、
「みんな大量におろすからねえ。もうお札が切れてしまったんだよぉ。補充できるのは三時くらいかなあ。でも、その時になってみないとわからないけどねえ」
 とのんびりした顔で言う。彼だけ一足先に春節休みに入ってしまったようにほっこりした顔をしている。
 こりゃだめだと思い、急いで別の支店へ行って行列に並んだのだけど、運悪く、ちょうど僕の順番でお金が切れてATMが動かなくなってしまった。隣の台に並ぼうとしたら、隣のATMのお金も今しがた切れたところで、不思議そうに目を丸くしたおばちゃんが「どうなってんのよ?」と銀行員に訊いていた。僕はあきらめて引き返すことにした。
 お金を引き出すのはなんとかなるけど、この時期、いちばん大変なのは帰省用のチケットの手配だ。一説によると、春節前には四億人もの人々が帰省するのだとか。四億人といえば、日本の人口の三倍以上。気の遠くなる数字だ。



 一番安い交通手段は鉄道だから、やはり列車が人気だ。
 春節の頃に列車に乗った人の話によると、通路にはびっしり人が座っていて、デッキも満員電車なみに人が立っているのでトイレへも行けないほどなのだとか。なかには、座席の下に潜りこんで横になっている人もいるらしい。
 春節休暇中の広州から雲南省の昆明まで、交通手段の値段を調べてみた。
 飛行機のチケットが片道約八〇〇元から一一〇〇元(約一万円から一万四〇〇〇円)、夜行寝台バスが六〇〇元(約七五〇〇円)、夜行列車の硬臥車(日本のB寝台)が三四一元(約四三〇〇円)だ。軟臥車(日本のA寝台)が五三九元(約六七〇〇円)だから、ぼろぼろの夜行寝台バスのほうがゆったり寝ることのできる軟臥車より高かったりする。鉄道の硬座(普通座席)なら一九四元(約二三〇〇円)なので、エアチケットと比べれば四分の一以下の値段だ。
 ちなみに、春節帰省輸送期間の一か月間、中国国鉄は貨物列車の運行を休止して帰省用の臨時旅客列車を増発する。だけど、みんな列車の切符を求めたがるので臨時列車がいくら出たところで鉄道の切符を手に入れるのはとても難しい。なにしろ、四億人が帰省する民族大移動なのだから。
 春節前になると駅の窓口には長蛇の列ができる。五、六時間待ちというのはざらにあるうえに、自分の順番がきたところでお目当ての列車の切符が残っているかどうかもわからない。
 ただでさえ入手しにくいところへ、旅行代理店やある組織が切符を買い占め、高い手数料をのせて転売したり、偽造切符が大量に出回ったりと、春節時期の鉄道切符には問題が多かったため、今年から広州駅やその他の一部の駅では窓口で身分証を提示しないと切符を購入できなくなった。切符には身分証の番号を印刷して、改札や検札の時にチェックするので、その身分証の人しかその切符を使うことができない。
「これで一般の人は切符が買いやすくなるよね」
 僕は、中国人の友人に言ってみたのだけど、
「さあねえ。すこしはましになるだろうけど、どうだろうねえ」
 と、彼は首を傾げていた。お上の対策をあんまり信用していないようだ。ともあれ、普通の人々がふるさとへ帰りやすくなるといいのだけど。
 出稼ぎの人たちが多く住む郊外の店は早々に店じまいしてシャッターを閉じたりと、人通りも少なくなった。朝のラッシュ時のバスもいつもより空いている。職場の同僚も一足先に帰省したりして、くしの歯が抜けるようにがらんとし始めた。
 道行く人々の顔も、春節を前にしてうきうきしたような、ほっとひと息ついたような。
 ここ二週間ばかりは、春節までに片付けなければならない案件やトラブルの処理に追われて目の回るような忙しさだったけど、そんな生活の糧を得るための仕事も一段落ついた。
 なんだか僕も、すこしほっとした気分になりかけている。
  
 
 



(2011年1月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第76話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


中国企業にコピーされた製品をコピーし返すたくましさが必要かも (『ゆっくりゆうやけ』第75話)

2012年01月19日 08時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』


 日本の某文具メーカーは中国で自社ブランドのニセモノ商品が大量に出回っているのを知り、中国でこれだけ偽ブランドが浸透しているのならわが社の本物の製品も絶対に売れると考えて中国へ進出したそうだ。
 中国で買ったその会社のボールペンの質があまりよくないので不思議に思っていたのだけど、この話を聞いてようやくわかった。僕が購入したのはニセモノだったのだ。それにしても、偽ブランドを逆手に取って自社ブランドの本物を売りこむとはなかなか商魂たくましい会社だ。
 ちなみに、中国には大学入試のマークシート対応専用の鉛筆があるのだけど、それも大量にニセモノが出回っているのだとか。HSK(外国人向けの中国語検定試験)もその大学入試用の鉛筆を使わないといけないのだけど、留学中に申し込みに行った時、受付の事務員さんが、
「ニセモノが多いから、なるべくきちんとした文房具店で鉛筆を買ってね。ニセモノだとマークシートをきちんと読み取ってくれなくて、あなたの努力が無駄になるかもしれないから」
 と、注意してくれた。その事務員さんによると、中国の大学入試では知らずにニセモノの鉛筆を買って試験に臨んだばかりに、不本意な成績しか取れなくて志望校へ入れない人がいたりするそうだ。
 でも、そんなことを言われても僕には本物とニセモノの区別がつかない。
 困ったなあと思ったのだけど、用心しておくに越したことはないから検定会場になった大学の近所にある大きな文房具店なら大丈夫かもしれないと思い、わざわざそこへ買いに行った。検定の後で自己採点した結果とHSKの事務局に返してもらった採点結果が同じだったから、たぶん本物の鉛筆だったのだろう。
 閑話休題。
 日本の某文房具メーカーは、中国でどのようにコピーされているのかを知りたくて、その偽ブランドボールペンを試しに分解して調査してみたのだそうだ。
 もちろん、品質は本物に遠くおよばないのだけど、コピー技術のなかになかなかいいものがあって、それを使えばコストダウンできることがわかった。某メーカーはさっそく中国企業のコピー技術を盗んで自社の製品に応用し、コストダウンを図ったそうだ。
 コピー商品や偽ブランドが当たり前の中国では、日本の技術がコピーされると嘆いてばかりいても始まらない。この某日系メーカーのように、中国企業のコピー技術をコピーし返すくらいのたくましさが必要なのかもしれない。なにはともあれ、タフでなければ生き馬の目を抜くような中国では生き残れないのだから。
 

 

(2011年1月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第75話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

書くことでしか自分の存在を証明できないのだから(『ゆっくりゆうやけ』第74話)

2012年01月17日 22時46分07秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 毎回そうなのだけど、小説を書いている間は夢中だ。
 頭のなかにあるもやもやしたイメージのかたまりと格闘して、イメージを言葉の明るみへ引きずりだし、なんとかしてそれを言葉で象《かたど》ろうとする。
 小説を書く前に創作ノートを作って、テーマ、主要登場人物のキャラクター、舞台、問題提起すべきことなどなどをざっと書いておくのだけど、それだけではやはり曖昧なままだから、書いては推敲を重ね、何度も書き直しながら作品にする。
 書いている間にいちばん気をつけないといけないことは、ディテールを考えすぎるばかりにモチーフを見失ってしまうことだ。たとえて言えば、画家がキャンバスに向かって絵を描いている時、キャンバスばかりを見つめて風景や人物や静物といった描くべき対象物を見なくなってしまうようなものだろうか。もちろん、ディテールのしっかりしていない小説は読んでいてもつまらないから、細部をしっかり仕上げることは重要なことなのだけど、僕は主題を大切にしたい。僕がなりよりも格闘すべきなのは、ままならないこの世の現実やままならない自分自身だ。その格闘の成果として作品が生まれる、とそんな風に考えている。僕が尊敬しているドストエフスキー、夏目漱石、芥川龍之介、中島敦、太宰治はそういった作家だった。
 ようやく書き上げた後は、険しい峠の頂きにたどり着いたようだ。見晴らしがいい。気だるい疲労が心地いい。
 書き上げた直後は頭に血がのぼっているから、のぼせあがって興奮していたりするものなのだけど、何日か経つとそれもおさまって心に平静さが戻る。
 気持ちの落ち着いたところで、書き上げた作品をつらつらと反省してみる。勝負を終えた棋士が駒を動かして初手からトレースしてみるように、自作の軌跡を振り返ってみる。毎回、ここはこうすればよかったとか、あそこはああすればよかったとか、反省しきりだ。
 とはいえ、もやもやしたイメージが一個の作品として形になったのを見ると、自分の書きたかったことがよくわかる。自分はこんなことを考えていたんだといまさらながら発見したりする。
 たぶん、これが小説を書くことの一番の収穫なのだろう。もしかしたら、小説を書くということは、自分を知るための作業なのかもしれない。自分の知らない自分に出会うための修行なのかもしれない。
 心のもやもやが晴れて、すっきりした気分。なにはともあれ、一歩前進できた。迷宮のように混沌とした自分の心にすこしばかりまとまりがつく。
 人生は旅。
 書くことでしか自分の存在を証明できないのだから、書き続けるよりほかにない。
 ひと休みしたらまた続きを歩こうと思いながら、山並みの向こうに見える次の峠をぼんやり眺めてみる。人の命は泡沫《うたかた》のようなものだからいつまで生きられるかはわからないけど、歩けるうちにできるだけ歩いておこうと思う。
 



(2011年1月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第74話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

ボクの色に染まれ (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第73話)

2012年01月14日 21時45分24秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 恋は始めたばかりが勝負。
 女の子の心は恋のときめきで溶けているから、わりと素直に男の子のいうことを聞いてくれる。自分の色に染めることができる。冷静に考えれば、どうして僕なんかの言うことを聞いてくれるのだろうと思ったりするのだけど、むずかしいことは考えないことにして、女の子は僕の色に染めてもらうのを待っているんだ、と思うことにしている。
 わざと僕のわがままをいろいろ言ってみる。
 自分の好きな食べ物や好きな映画を勧めた時に、はにかみながらうなずいてくれたりすると、「かわいいなあ」って思ってどきどきしたり、嬉しくなったり。ちょっとした魔法使いの気分になって、
「もっともっとボクの色に染まれ」
 なんて思ってしまう。もちろん、あんまり調子に乗りすぎると女の子は息苦しくなってしまうから、そこは気をつけないといけないのだけどね。なるべくやさしく、やわらかく。フォークダンスでリードするみたいに。
 僕は上手に恋をできるほうではないし、不器用な恋しかしてこなかったのだけど、初めのうちに男の子の色でたっぷり染めたあげた恋のほうが、長続きするような気がする。
 こんな考えは、やっぱり男のわがままかな?
 
 
 
 

(2011年1月16日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第73話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


エビフライの尻尾 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第72話)

2012年01月11日 21時56分03秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 いつの頃からかは忘れてしまったのだけど、僕はエビフライの尻尾を食べるようになった。
 エビフライの尻尾は残すものだと思っていたのだけど、ある時友人が、
「なんで残すの? もったいないやん。カルシウムがいっぱいあるんやで」
 と言い、嬉しそうにエビフライの尻尾を口へ放りこんだ。
 僕は、彼の満足そうな表情に誘われて食べてみた。
 案外、おいしい。
 どうして今まで捨てていたのだろうと不思議に思ったくらいだった。
 今でもごくたまに日本料理屋でエビフライを注文することがあるけど、無性にエビのしっぽを食べたくなる。自炊せずに全部外食で済ませているから、カルシウム不足なのだろう。おまけに外国で暮らしていると日本では自然と摂取できていた栄養分が摂れなくてバランスが偏るのかもしれない。中華料理でも川エビのフライがあるのだけど、それが出てくると、ほかの料理にはめもくれずに川エビを頭から丸かじりばかりしていたりする。身体が自然とカルシウムを求めているようだ。
 尻尾を嚙み砕く時のばりばりとした食感が楽しい。
 なんだか元気になれそうな気がする。
 
 
 
 

(2011年1月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第72話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


好きな人はいるの? (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第71話)

2012年01月06日 22時01分08秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 好きになってしまった人には自分の想いを告げたくなる。
 自分がどれだけその人のことを想っているのか知ってほしい。
 それでもし、自分の気持ちを受けとめてくれたらもっと嬉しい。好きな人にはやさしくしたいし、やさしくされたいものだから。楽しい時間をいっしょに過ごしたいから。
 でも、片想いだったらどうしようと悩んでしまう。
 失うのはやっぱり怖い。
 ふられたら、好きだという気持ちをあきらめないといけない。なんだか気まずくなって、ともだちでさえいられなくなってしまうかもしれない。それがいちばん怖かったりする。
 冗談めかして「好きな人はいるの?」と尋ねてみる。
 相手の何気ない表情を深読みしては、ひょっとしたら自分のことを好きでいてくれるかもしれないって喜んだり、僕じゃダメなのかなあって落ちこんでみたり。
 そんなふうに悩むのも恋の愉《たの》しみ――といえばそうなのだけど。
 
 
 

(2011年1月8日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第71話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


空飛ぶクジラはやさしく唄う 第9話

2012年01月04日 19時45分45秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』
 紅葉は陽の光に透き通り


 シビックは両側を山に挟まれた川沿いの道を走る。川の水は転げ落ちるように走り、岩にぶつかっては白い波を立てる。透き通る青い川床と涼しげな檜林のコントラストがきれいだ。泣いてすっきりしたのか、遥の表情はすっと落ち着いた。晴れた景色をまぶしそうに眺めている。
 幹線道路を右に折れ、橋を渡った。車は再び山道へ入った。
 緑のカーテンをすり抜けるようにして坂をのぼる。山へ分け入るごとに秋が深まる。紅《あか》や黄色のまだら模様が目立つようになった。
 さっと視界が開け、目の前に秋の高原が広がった。牧草地や林が続くその向こうに神秘的な雰囲気を漂わせた山がどっしりそびえる。両側に優美な稜線を描き、真ん中に雪をいただいた峰がいつくも連なっていた。
「あれはなんていう山なの?」遥が訊く。
「御嶽山《おんたけさん》だね」
 僕はカーナビの表示をちらりと見ていった。
「きれいな山ね」
 遥は御嶽山に見とれた。
 展望台で車をとめた。駐車場には観光バスや乗用車が並んでいて、見物客が大勢いた。手軽な撮影ポイントなのだろう、一眼レフのカメラを手にしたアマチュアカメラマンがそこかしこで山を撮っている。ガードレールの向こうの草地には、イーゼルを立てて油絵を描く人や、坐りながら水彩画の筆を執る人たちがいた。僕たちは見物客にお願いして、御嶽山をバックにふたりの写真を撮ってもらった。
 観光客を引率したバスガイドがハンドマイクを片手に説明を始めた。お転婆そうなお姉さんだ。僕たちもそばへ行って彼女の話を聞いた。
「御嶽山は長野県と岐阜県にまたがる標高三〇六七メートルの火山でございます。四つの峰がございますが、あちらから、継子岳、摩利支天山、剣ヶ峰、継母岳の順に並んでおり、最高峰が剣ヶ峰となっております。長い間、死火山と思われていた御岳山ですが、第二次オイルショックのあった昭和五十四年、とつぜん水蒸気爆発を起こしまして、高さ約一千メートルまで噴煙をあげました。その後も小規模な噴気活動が断続的に続いております。
 また、御嶽山は豊かな山の森と独特の容姿のために、古くから山岳信仰の対象となってきました。七世紀に開山されて以来、修験道の行場がいくつも開かれ、今日でも行者さんたちが修行にはげんでおられます。急峻な地形の御嶽山は滝の山といわれるほど滝が数多くあるため、かっこうの修行の場となっています。このほかにも、宗教登山が盛んでして、白装束姿の信者のかたがた、あるいは一般の服装をした信者のかたがたも、毎年、おおぜい登られております。――それではこちらに続いてください」
 よどみなく解説を終えたバスガイドは、澄ました顔で観光客を連れて行った。
「登れるのね」
 遥は、あごに指を当てながら興味深そうに御嶽山を眺める。
「登ってみたい?」
「うん。頂上から景色を眺めたら気持ちよさそうだもの」
「それじゃ、今度の夏にでも登りに行こうか」
「今じゃだめからしら」
「もう寒いよ。山小屋も閉まっているだろうし、この格好で登ったら凍えちゃうよ」
「あ、そうか。それじゃ、夏にしましょ」
「山開きしたら、いっしょに行こうよ」
「指切り」
 遥は小指を差し出す。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本、飲おます、指切った」
 遥は、嬉しそうにくすくす笑った。
 道は一車線になったり、二車線に戻ったりする。森を走り、田畑が広がる狭い盆地を抜け、また山へ戻る。長いトンネルを抜けておだやかな水をたたえたダム湖に着いた。そこでもしばらく景色を眺め、また山道を走った。
 途中、旧国道の入り口があったので、いたずら心を起こして入ってみることにした。道端の看板にはこの先行き止まりと表示が出ている。どこまで行けるかわからないけど、進めるだけ進んで引き返せばいい。
 枯葉が道をおおっている。車はほとんど通らないようだ。もう長い間補修工事をしていないのだろう、アスファルトがひび割れていた。スリップしないように速度を落としてゆっくり走る。落ち葉を踏みしめる音がからから響く。
 何度か急カーブを曲がり、切り立った崖の川沿いに出た。いい景色だ。
 対岸の森は、赤や黄色やオレンジが入り乱れ、色あざやかに燃えている。紅葉はゆるやかな川の流れに照り映え、蜃気楼のように揺れる。たおやかでのびやかな日本の秋だった。遥はほっとしたため息をつく。わずらわしいことはすべて忘れて、この国に生まれてよかったと思える眺めだ。
 旧道は崖の中腹を蛇行しながらのびる。ゆっくりと、できるだけゆっくりと、美しい景色を味わいながら徐行した。紅葉色が心に染みこむようでほんわりなごむ。ごつごつした素掘りの表面をコンクリートで固めただけの素朴なトンネルを二つくぐり、水色の鉄橋の前に出た。道はそこで行き止まりだった。一車線だけの狭い橋の入り口にコンクリートブロックを置いて通せんぼしている。ふたりは車を降りた。
 森は風にそよぎ、川の流れだけが静かに響く。赤茶色したむき出しの岩と紅葉のコントラストが美しい。ここまで民家は一軒もなかった。手つかずの自然がそのまま残っているようだ。
 真っ赤なナナカマドの木の脇に、背の高い紅葉《もみじ》が枝を広げていた。
「遥、こっちへおいでよ」
 川を眺めていた遥を呼んで、幹に手をあてながらふたりでいっしょに紅葉の葉を見上げた。
 こもれ陽が色づいた紅葉のあいだからきらきらとこぼれる。太陽の光に透き通った葉は、ステンドグラスのようだ。赤い葉脈が浮き上がっている。一つひとつの細い筋がまぶしさに脈打つようだった。
「このもみじはここちよさそうね。生きいきしているわね」
 遥はぽつりとつぶやいた。
「そうだね。輝いているよね」
「命は輝くものなのね」
「お日さまの光をあびてね」
「もみじは光を求めて葉っぱを茂らせて、せいいっぱい生きようとするのね。それは許されることなのよね。わたしが生きていることも、もしかしたら許されているのかもしれない。お日さまは、毎日、私を照らしてくれるもの。神さまがそうしてくれているのよね」
 遥の瞳から涙があふれる。そよ風が遥の髪を揺らし、あごの先から滴がしたたり落ちた。僕は遥を抱きしめ、頰ずりした。
「やっとわかってくれたんだね」
 遥はきっかけを摑んでくれた。悲しみの涙ばかり流していた遥が、喜びの涙を流してくれた。駆け出したいくらい嬉しくてたまらなかった。遥の今までの苦しみがちょっぴり報われたんだ。そう思うと、僕まで泣きそうになった。
「ごめんなさい。なにも考えないって約束したのに」
「いいんだよ。なにも考えないでって言ったのは、自分を苦しめるようなことは考えないでっていう意味なんだから。今の気持ちを忘れないでね。もしこれから先、苦しくなったら、ここであったことを思い出そうね」
「ゆうちゃんの言うとおりにするわ」
 遥は僕の胸にしがみついた。
 遥は大切なことを心の底から実感した。それだけでも大きな収穫だ。
 今感じ取ったことを実際の生活で実践するとなれば、たぶん、いろんなことがあると思う。また悲しみの涙を流すことがあるかもしれない。でも、今の気持ちさえしっかり心に刻んでいれば、きっと乗り越えられるだろう。必ず、倖せになれる。僕が倖せにしてみせる。
「ねえ、ゆうちゃん」
「なに」
「しゃぼん玉があったわよね」
 オカマさんがボストンバッグに入れておいてくれたのだった。昔、遥はしゃぼん玉が好きだった。
「ひさしぶりに吹いてみたいな」
 僕がしゃぼん玉セットを出すと、遥は待ちかねたようにさっそく遊び始める。
「遥、橋のうえで吹こうよ」
「だって、通行止めじゃない」
 遥は目を丸くする。
「大丈夫だよ」
「落ちたらどうするの?」
「車は危ないかもしれないけど、人間がふたり渡ったくらいで簡単に壊れるものじゃないよ。それに、もし人が渡れないくらいおんぼろなら、フェンスを張って入れないようにするはずだよ」
「でも――」
 遥がどうしても怖がるから、僕は一人で橋へ入った。
「ゆうちゃん、なにしてるのよ。危ないわよ」
「心配しなくていいから」
 橋をすこし渡ったところで振り返り、準備体操をするように両手をぶらぶらさせてなんども跳んだ。
「ほら、平気だろ」
 僕は両手を広げた。遥は不安そうに眉間にしわを寄せたまま、まだ納得しない。
「大丈夫だって」
 僕は大声で言って、今度は思いっきりジャンプした。橋はびくともしない。長い間使われていないけど、昔は国道だったから、重いトラックが毎日走っていた。頑丈に造られている。
「わかったから、もうやめてよ」
 遥はしぶしぶ橋に足を踏み入れ、あたりをきょろきょろ見回しながら歩いてくる。僕は橋の真ん中で遥を待った。
「なんともないだろ」
「心臓がとまるかと思ったわ」
「おおげさだよ。見てごらん。いい眺めだよ」
 ふたりは断崖の下を流れる川を見つめた。陽光を照り返してきらきら光っている。両岸の紅葉はどこから見ても綺麗だ。澄んだ空気の向こうに遠く山なみが見える。
 遥はしゃぼん玉を吹いた。
 青空を映したしゃぼん玉は風に乗ってふわっと舞い上がる。紙吹雪のように空に散らばったかと思うと、薄くなって消えてしまう。
「ほら、あれ」
 遥が指差す。一つだけ割れ残ったしゃぼん玉が、まるで糸でつりさげたように揺れている。
「がんばれ」
 僕が声援を贈ると、遥は微笑む。なんの気負いも悲しみもなく、ただ自然に微笑んでいる。やさしい森の妖精のようだ。
 僕たちはかわるがわるなんどもしゃぼん玉を飛ばしては、中学生の頃に流行った恋の歌をいっしょに口ずさんだ。

空飛ぶクジラはやさしく唄う 第8話

2012年01月03日 19時45分45秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』

 ふたりで生きようね


 柿が熟した田舎町を抜け、山道を進む。窓をすかすと、ひんやりした風が車内で渦を巻く。冷水で顔を洗ったようで清々《すがすが》しい。
 ヘアピンカーブが連続する厳しい道を想像していたのだけど、比較的なだらかだ。思ったより楽に運転できる。遥は、かくんと首を折り曲げて熟睡したままだった。近頃は寝つきの悪い夜が続いていたけど、今日はよく眠っている。悪い夢にもうなされていないようだ。
 ゆるやかな峠を越えて、狭い盆地へ向かっておりる。ところどころ色づいた林の向こうに、冬枯れた田んぼが広がっていた。細い川が盆地の真ん中を流れている。
 山を降りたところに道の駅があったので、いささかくたびれた僕は駐車場へ入った。まだ早朝だから車の姿はまばらだ。おばさんが土産物コーナーのシャッターを上げている。
 サイドブレーキの音で遥が目を覚ました。
「着いたの?」
 うっすらと目を明けた遥は伸びをする。
「まだだよ。すこし休憩しよう。遥は顔を洗ってきなよ」
 僕はあごあたりを指差した。
「えっ? うん」
 遥は気恥ずかしそうにうなずく。よだれの痕《あと》がついていた。よほどぐっすり眠れたんだなと思って、僕は安心した。トランクを開けてボストンバッグを出した。洗顔セットを手にした遥は、さっそくお手洗いへ行った。
 駅の裏手に和風庭園があった。鯉の泳ぐ池を囲むようにして松や梅が植わっている。きれいな芝生が庭全体を覆っていてさわやかだ。庭の片隅には信楽焼きのたぬきが「いらっしゃい」とでも言いた気に楽しそうな表情で立っていて、名前も知らない小鳥たちが梅の枝にとまっては飛び立つ。
 僕たちは、池のほとりのベンチに腰かけた。遥が寒そうにしたから、僕は自分のジャンパーを脱いで、遥に羽織らせた。
「ゆうちゃんは寒くないの」
「平気だよ。お腹は空いた?」
「ちょっと空いているかな」
「朝ごはんにしよう」
 僕は弁当箱を開けた。おにぎりにお新香をそえただけのシンプルな弁当だ。昨日、僕が作った。
「梅干とかつおぶしとこんぶがあるよ。どれがいい?」
「かつおぶしがいいな」
「この二つだよ」
 僕は真ん中に並んでいるおにぎりをさし、
「お茶はここにあるから」
 と、魔法瓶をふたりの間に置いた。
「いただきます」
 遥は、海苔を巻いたおにぎりをちいさくかじる。
「おいしいわね。ゆうちゃん、上手ね」
「おにぎりくらい僕だってにぎれるよ。ほら、中学校の卒業式の次の日もさ、僕がおにぎりを作ってハイキングに行っただろう」
 あの日、僕は遥を誘って渓流沿いのハイキングコースを歩き、山の中にある池へ行った。遥は入院したお母さんの看病や家事で忙しかったから、僕が弁当をこしらえることにしたのだった。
「あのスクランブルエッグを作ってくれた時ね」
「卵焼きのできそこないのね」
 弁当に卵焼きを入れようと思って挑戦してみたのだけど、うまく作れなかった。卵を折りたたむのがむずかしい。しかたないからかきまぜて、スクランブルエッグにしてしまった。火加減がわからず、いささか焦がしてしまった。
「ふつうにおいしかったわよ」
「それならよかったんだけど」
「そういえば、あの日、ゆうちゃんは元気がなかったわね」
「そう見えた?」
「うん」
「実はね、遥に告白しようと思って、ラブレターを用意していたんだ。僕たちは別々の高校へ行くことになっていただろ。だから、どうしても僕の気持ちを伝えておきたかったんだよ。それで、緊張していたんだ。どきどきし通しだったよ」
 あの日の光景が脳裡によみがえる。遥は紺色のリュックを背負っていた。あの頃のふたりがなつかしい。
「ボートに乗ったとき」
 僕たちはふたり同時に言った。
「遥、なに?」
「いいのよ。ゆうちゃん、言ってよ」
「池でボートを漕いだ時、その手紙を渡そうと思ったんだけど、遥は僕を避けているような素振りだったから、とうとう渡せなかったんだ。なんだか怒っているみたいな感じがしたし」
「怒ってなんかいなかったわ。とまどっていたのはあったかもしれないけど」
「中三の時、誰かほかに好きな人がいたの?」
「ううん」
 遥は首を振る。
「私もね、ゆうちゃんのことが好きだったの。机の引き出しを引いてはゆうちゃんといっしょに撮った写真をなんども眺めたり、一晩中、ゆうちゃんのことを考えて眠れなかったこともあったわ。ゆうちゃんがわたしのことを好きなのはわかっていたから、早く自分の気持ちを打ち明けてくれないかな、なんて思っていたこともあったの」
「ばれてたんだ」
「わかるわよ。だって、ゆうちゃんはいつもわたしのほうを見ていたじゃない。授業中も、掃除の時も、部活で校庭を走っていた時だって」
「なんだ。それだったら、あの時、思い切って渡せばよかったね。あの手紙は一週間くらいかけて何度も書き直したんだよ」
「渡してくれなくてよかったわ。あの時、もしゆうちゃんがわたしに告白したら、いいお友達でいましょうって言うつもりだったの。もしそうしてたら、こうしてふたりでいっしょに過ごすこともなかったかもね。ゆうちゃんはもっと素敵な人を見つけていたかもしれないわ」
「どうして断るつもりだったの?」
「怖かったのよ。男の人がみんな怖かったわ。――じつはね、高校の合格発表があった後、あの人から電話があったの」
「お父さんから?」
「うん。あの人の家でいっしょに暮らさないかって。高校生になるのを機会に、わたしを取り戻そうとしたのよ。もちろん、断ったわ。そんなつもりなんてぜんぜんないもの。お母さんをいじめたあの人を憎んでいた。今も、これからも、ずっとそうよ。あの人をお父さんなんて呼ぶことはないし、許すことなんてないわ。お母さんが鬱病になったのはあの人のせいだもの。
 それでね、たぶん電話じゃすまないだろうなって思っていたら、案の定、あの人はうちへやってきたの。うわべだけの笑顔でわたしを説得しようとしたわ。いっしょに暮らせば経済的にも安定するし、家事はおばあちゃんが全部やってくれるから自分のことだけに専念すればいい、進学塾でも習い事でも好きなことをやらせてやる、将来のことを考えたらそのほうがぜったい得だとかなんとかいいことばかりいってね。まるでセールスマンよ。
 わたしがどうしても首をたてに振らないものだから、あの人はやっぱりキレて怒鳴り始めたわ。でも、わたしに直接怒らずにお母さんの悪口ばっかりいうのよ。お前はお母さんを信用しているかもしれないけど、とんでもない女なんだって。聞いていられなかった。そばで坐っていたお母さんは泣き出しちゃうし。
 あの人は、俺の言うことを聞くまではぜったいに帰らないっていう態度だった。しかたがないから、わたしは警察へ電話をかけて、お巡りさんにきてもらったの。駆けつけてくれたお巡りさんに、お母さんとあの人の離婚協議書のコピーを見せて、困っているから追い払ってほしいってお願いしたら、あの人は急に態度を変えてぺこぺこしだして、それでようやく退散したわ。警察沙汰になったら困るものね。
 そのあとがたいへんだったわ。お母さんはひどく傷ついてしまって、また具合が悪くなってしまったの。結局、入院するよりほかに手立てがなかったわ。あの人がこなければ、あんなことにならなかったのに。わたしはわたしで、どうしようもないくらい落ちこんじゃった。高校に合格してほっとした矢先だったのにね」
 遥は、やりきれなさそうに首を振った。
「そんなことがあったんだ。どうして話してくれなかったの」
「ゆうちゃんにも話せないくらいふさぎこんでいたのよ」
「それにしてもさ、それでどうして僕まで怖くなってしまうの? たぶん、僕は遥のお父さんと正反対の性格だよ」
「わかっているわ。わかっていたのよ。でも、もしゆうちゃんがあの人みたいになったらどうしようって思ってしまったの」
「遥をなじったり、いじめたりするってこと?」
「そうよ」
「そんなことしないよ。今まで一度もないだろ」
 僕は、ついむっとしてしまった。
「怒らないで。わたしはどうかしていたんだわ。素直にゆうちゃんの愛情を受けとればよかったのにね。よけいなことは考えずに、素直に好きだって思っていればよかったのよ。――あの日、わたしはゆうちゃんに悲しい思いをさせてしまったのね」
「そんなことないよ。あの後も、遥は僕と会ってくれたんだし。――むっとしてごめん。遥の気持ちはわかる気がするよ。小さい時にいっぱい怖い思いをしたから、その恐怖感がどうしても抜けないんだよね。でも、遥のお父さんはもうこないから」
 家族のもめ事のせいで自分の人生を思うように生きられない遥がかわいそうだ。家族という名の泥濘《ぬかるみ》に足を取られたのでは、たまったものではない。
「そうだといいけど」
 遥は自信なさそうにつぶやく。立ち直りかけては悪いことが起きてだめになってしまう、そんなことを繰り返しすぎたからだろう。
「遥のお父さんには僕たちの住所も電話番号も教えていないんだろ」
「うん」
「だったら大丈夫だよ。もう忘れていいんだよ」
「忘れたいわ」
「今までのことはみんな忘れていいんだよ」
 僕は遥を抱きしめた。遥の体温だけがあたたかい。
「大切なのはこれからだよ。ふたりで生きていこうね」
 そっとくちづけをかわすと、僕の頰に遥の涙がつたう。遥の唇は、おにぎりの海苔の香りがほのかに漂った。
「ごめんなさい。せっかくの旅行なのに泣いたりして」
「いいんだよ。でもさ、ひとつだけ約束してよ」
「なに?」
「今日はなにも考えないで景色だけを楽しもうよ。ほんとに、なにも考えなくていいんだよ。それから、温泉につかってのんびりしよう。なにも考えちゃだめだよ」
「約束するわ」
 遥は白い手で頰をぬぐいながらうなずく。僕は遥の背中をさすり、大丈夫だからと何度も繰り返しささやいた。


ツイッター