風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

曹丕のロックンロール精神

2024年07月20日 08時32分39秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 曹丕は曹操の息子。
 曹操の跡を継いで魏王となり、魏王となった後すぐに漢王朝を簒奪して魏王朝を建て、その皇帝なった。
 曹丕は政治家なのだが、文学にも通じていて『典論』という文学論を書いている。非常に格調の高い文章なので核心の部分の読み下し文を味わってみていただきたい。読み下し文の後ろに、自分なりに言葉を補いながら訳してみた。

【読み下し】
 蓋(けだ)し文章は経国(けいこく)の大業にして、不朽の盛時(せいじ)なり。年寿(ねんじゅ)は時(とき)有り尽き、栄楽(えいらく)は其(そ)の身に止(とど)まる。二者は必ず至るの常期(じやうき)あり、未(いま)だ文章の無窮(むきゅう)なるに若(し)かず。是(これ)を以(もつ)て古(いにしへ)の作者、身を翰墨(かんぼく)に寄せ、意を篇籍(へんせき)に見(あらは)し、良史(りやうし)の辞(じ)を仮(か)らず、飛馳(ひち)の勢ひに託せずして、声名(せいめい)は自(おのづか)ら後(のち)に伝はる。

【訳】
 そもそも文章を書くということは国を治めるための非常に重要な事業であり、滅びることのない偉大な営みである。時がくれば人の寿命は尽きてしまう。その人の栄華や享楽はその人の身の上にあるものだけであってその人が死ねばそれで終わってしまう。寿命、栄華や享楽といったものはしかるべき時に終わるものであって、文章が永久であることに比べれば及びもしない。だから、古来より著述家や詩人たちは詩文に身をささげ、書きたいことを書物に著(あらわ)した。著述家や詩人たちは、優れた史書編纂官たちの言葉を借ることもなく、権力者たちの力を頼ることもなく、その名声が自ずから伝えられるのである。

 この文の初めに「文章がなければ国家が成立しない」と高らかに宣言し、そしてこの文の最後には、「権力者たちの力を頼ることもなく、その名声が自ずから伝えられるのである。」と結んでいる。
 曹丕は中国一の権力者だった。それもただの権力者ではない。足かけ四百年も続いた漢王朝を潰して、中国を乗っ取った男だ。それなのに文学の名声は権力なんて関係ないのだと宣言している。なんだかロックな文章だ。
 

 ※読み下し文は『文選(文章篇)下(新釈漢文体系)』(竹田晃)による。



(2022年2月28日発表)

 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第494話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

見えない道をたどりながら

2024年07月09日 00時18分22秒 | 詩集

 ポケットから
 りんごを出してかじってみた
 誰もいない河原
 ひんやりと風が吹く
 川向こうにそびえる塔
 残りわずかな夕陽を照り返して

 光を失った川は
 滔々と
 黒々と
 急ぐわけでもなく流れる
 青鷺あおさぎは
 浅瀬の窪みに脚を入れたまま
 背筋を伸ばしてじっとたたずむ

  手に入れた夢の数を
  指折り数え
  失った愛の数を
  指折り数えてみる
  人生は
  思いがけないことばかり
  自分の意思で
  歩いているつもりだけど
  ほんとうのところは
  なにかに導かれて
  目に見えない道を
  歩いているのだろう

  この先どこまで行けるのか
  とにかく行けるところまで
  行ってみよう
  つまずきながらでも
  歩けるところまで
  歩いてみようと思う
  進んでさえいれば
  どこかへたどり着くはずだから

 青鷺が飛び立つ
 紅く熟れた残照が消え
 夜の匂いが風にまじる
 言葉にならない言葉が
 心のうちに湧き上がるから
 想いにならない想いが
 身体を突き上げるから
 かじりかけのりんごを
 力一杯
 放り投げた

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