雲南省昆明で語学留学していた時、七十代後半の日本人のおじいさんに出会った。人間のできたあたたかみのある老人だった。
彼は外国人向けの漢語学習班の初級クラスにいた。僕は彼と同じ教室で発音の基礎から漢語の勉強を始めた。
実は、おじいさんは僕が入学した半年前から留学を始めていて、初級クラスを受講するのは二回目だという。彼の教科書には書き込みがびっしりとしてあった。受験生でもここまではなかなかしないだろうというくらいの熱心さだった。
だが、悲しいかなもう記憶力が衰え過ぎていた。暗記ができない歳になったおじいさんは書き込みをしたそばから書いたことを忘れてしまう。簡単な単語も覚えられない。普通ならめげてしまうところだが、それでも彼はよほど体調の悪い時は別として、ほとんど毎日欠かさず真面目に授業に出席した。
「僕が学生だった頃、日本は戦争をしていたから、授業どころじゃなくて毎日芋掘りばかりやらされていたんだよ。いつも腹ペコでつらかった。旧制中学だって、ちゃんと勉強すれば、昔はたいしたものだったんだけどね」
グランドで立ち話をしていた時、おじいさんはそう言った。
戦争中は芋掘りに動員され、戦後は生活の糧を得て家族を養うのに精一杯で勉強などろくにできなかった。だから、若い頃にできなかったことを今やり遂げたい。そんな想いが強いのだなと僕は思った。
冬になり、春節が迫った。半年間の初級コースももうすぐ終わる。先生は総仕上げにと作文の宿題を出した。宿題を提出すると、先生は生徒に一人ずつ発表させた。
「日暮れて道遠し」
おじいさんの作文のタイトルだ。中国語を習得したいと思ったけれど、思うようには進まない。ゴールに達する前にお迎えがきてしまいそうだ。それでも勉強できてよかったと思う。そんなことが書いてある。聞いていて切なくなったけど、それでも前へ進もうとするところに彼の気骨を感じた。
おじいさんはそれから一年間、つまり初級コースをもう二回繰り返し日本へ帰った。帰国してからもあちらこちらへ旅行へ出かけ元気に暮らしていたそうだが、数年してお亡くなりになったと風の便りに聞いた。
彼は今頃あの世で漢語の勉強に励んでいるのだろうか、とふと思い出したりすることがある。
(2015年11月19日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第340話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/