風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

戦争の跫音(あしおと)がする

2012年12月23日 16時42分32秒 | エッセイ

 時代の闇がまたいちだんと濃くなった。

 先の総選挙で中道リベラル勢力が壊滅してファシズム勢力が躍進したことにより、戦争への道が開かれてしまった。
 戦後、日本がこれほど右傾化したことはない。しかも、左翼、中道をあわせても衆議院の議席数は全体の10%にもおよばず、野党がほとんどいない状況だ。個人の生命や人権を平気で踏みにじるファシストたちがやりたい放題にできる。
 サミュエル・ハンティントンは『文明の衝突』のなかで日本と中国を別の文明に分類したが、日本文明と中華文明が衝突する(というよりもむしろ、むりやり衝突させられる)危険性が現実味を帯びてきた。非常に危ない。

 日本は隣の中国と紛争になりかけの事件を抱えている。
 例の島の問題だ。
 日本と中国は互いに挑発を繰り返し続けており、両国の政府が和解する見通しは立っていない。どちらかが下手を打てば、一気に軍事衝突へ進んでもおかしくはない。

 国境の領土問題は決着がむずかしい。ましてや、無人の離島ともなればなおさらだ。そこで、解決のつかない問題は手を触れずに先延ばしにしておこうというのが、日中国交回復にあたった双方の政治家たちが出した智恵だった。日本の歴代内閣はこの方針に基づいて対処してきたのだが、数年前から、前原、石原といった一部の政治家がおかしな対応をとるようになった。決定的だったのは、もちろん、石原慎太郎が言い出した例の島の国有化問題だ。実効支配しているのは日本なのだから、中国を刺激せずに、つまり中国の面子を立てながらもそのまま黙って実効支配しておけばよかったものを、わざわざ騒ぎ立てて問題を大きくしてしまい、野田内閣が胡錦涛の面子を潰す形で国有化を強行した結果、日中関係に深刻な亀裂を入れてしまった。従来の日本政府の立場は、「領土問題は存在しない」というもので、以前は実効支配を盾にして中国側の要求を無視することもできたのだが、これだけ騒ぎが大きくなれば領土問題が存在することを認めてしまったも同然で、そうもいかなくなった。国有化は愚策としか言いようがない。

 この問題の背後には、日中を衝突させたいとするアメリカの凶暴な軍事路線勢力の思惑がある。いわゆる「中国封じ込め論」の尖兵として日本を利用し、中国を牽制しようとする動きだ。例の島の問題を騒ぎ立てる日本の政治家は、口先では勇ましいことを言いながらも、実はこのアメリカ勢力に踊らされている。もっとはっきりいえば、彼らの指令を受けて行動している。石原慎太郎がアメリカの某財団に招待された際、その記者会見の場で例の島の国有化を発表したのがいい例だろう。つまりアメリカの某財団の操り人形になって動いているわけだ。橋下もアメリカの言いなりになって動いている。以前、大阪維新の会が発表した「維新八策(船中八策)」の内容は、新自由主義の推進、TPP参加、医療保険の混合診療の完全解禁、日米同盟堅持などとアメリカの要望がほとんどだ。「維新の会」は維新でもなんでもなく、改革の皮をかぶった擬似改革政党にすぎない。自民党の補助勢力であり、アメリカが立ち上げた操り人形政党だ。

 自民党が『日本国憲法改正草案』の2012年版を発表したが、これは中国との戦争を実行しやすくするためのものにほかならない。そのためにまず憲法九十六条を改正して、衆参両院で3分の2以上の賛成が必要という改正手続きのハードルを下げ、その次に国民の主権を制限した憲法へ再改正して戦時体制を容易に作り上げることができる態勢を整えることを狙っている。

 自民党の改憲草案では、現憲法の「公共の福祉」という言葉が、「公益及び公の秩序」に置き換えられている。「公共の福祉」という概念は、みんなで力を合わせて暮しやすい社会を作るということだ。これに対して「公益及び公の秩序」はまったく反対の概念になる。公益とは国家の利益、公の秩序とは国家の秩序のことだ。つまり、国家の命令にはすべて従わなければならないということにほかならない。

 自民党の改憲案では国民の生命、人権、主権、財産、表現の自由はすべてこの「公益及び公の秩序」の制限を受ける。国家の戦争に協力しないものは、戦前のように「非国民」扱いすることができるわけだ。戦争反対のデモをしようとすれば、「公益及び公の秩序」に反するとして解散させられ(あるいは逮捕され)、戦争反対の文章をブログに発表すれば同じ理由で削除され(あるいは逮捕され)、財産は戦争のために供出させられるだろう。当然、命も「公益及び公の秩序」の制限を受けるわけだから、戦場へ駆り出されても国民は文句は言えない。国家が国民を徴兵できるということだ。

 自民党草案の憲法第九条案は、表面上は現憲法と同様に戦争放棄を掲げつつ戦争をしやすいように様々な修正が施されているが、なかでも目を引くのは次の条文の新設だ。

 (領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 わざわざ「領土等の保全等」の条文を追加し、しかも「国民と協力して」と書いてある。この条文が例の島を念頭に置いてあることは明白だろう。「その資源」とは例の島の周囲に埋蔵された石油のことだ。そして、「国民と協力して」とは、戦争のために国民の主権を制限し、場合によっては徴兵する可能性もあるということにほかならない。

 現憲法と自民党の改正草案の根本的な発想の違いは、天賦人権説に基づくか、国賦人権説に基づくかが大きなポイントだ。天賦人権説は、人権は神様から与えられたと考える思想だ。神様を抜きにして、人間は生まれながらに人権を持っていると考えてもいい。これに対して、国賦人権説は人権は国家が与えるものと考える。第十九条を比較してみればすぐにわかる。

(現憲法)
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

(自民党改憲案)
 思想及び良心の自由は、保障する。

 一見、似たようなものに思えるが、「侵してはならない」と「保障する」では意味合いがまったく違う。
 人は生まれながらにして思想及び良心の自由を持っているとする思想では、国家が人権を侵してはならないと考える。人権は聖なるものだからだ。これに対して、国家が思想及び良心の自由を与えるとする思想では、これらの自由は国家が保障すると考える。当然、国家が与える自由は、国家にとって都合のいい場合に限られる。ちょうど、戦前の日本や現在の中国と同じように。ちなみに、第二十九条の財産権の条文でも、「これを侵してはならない」が「保障する」に書き換えられている。場合によっては財産を召し上げることもありうるということだ。

 今はまだ日本が戦争を始めるだなんてとんでもないと思っている人のほうが多数派かもしれない。戦争なんてないほうがいいに決まっている。平和がいいに決まっている。が、もし例の島で軍事衝突でも起きれば、これほど右傾化が進んで極右(ファシスト)が幅を利かせている状況では、あっという間に戦時体制ができあがってもおかしくはない。戦前と同じように大手マスコミが戦争の方向へ世論を誘導するだろう。外国と軍事衝突を起こして混乱した時ほど、為政者にとって国内の統制を強めるチャンスはほかにない。人々が最も団結しやすいのは外に「敵」がいて、それに立ち向かわなければならない時なのだ。軍事衝突が発生すれば国民が国家の統制を受け容れやすい状態が出現して危機感に駆られた人々やナショナリズムを煽られた人々が戦時体制に同意することは大いにありえる。これは日本であろうと、中国であろうと、他の国であろうとどこの国でも同じだ。

 歴史の転換点は、一九八九年にベルリンの壁が崩壊した時のようにあっけないほど急にやってくる。そして、ベルリンの壁が壊れたのと逆のこともまた、あれよという間に起きてしまうだろう。
 戦争の跫音(あしおと)が後ろから聞こえてきた。



 了


蜀犬、日に吠ゆ (エッセイ)

2012年05月21日 02時03分33秒 | エッセイ

 バックパッカーをしていた頃、八月末から十二月の初め頃まで成都に滞在したことがあった。いわゆるパッカー用語で言う「沈没」で、のんびり日々を過ごした。
 僕は、小学校五年生の時に岩波ジュニア文庫の『三国志』(抄訳《しょうやく》版)を読んで以来、大の三国志ファンだ。NHK人形劇『三国志』の初放送は欠かさず見ていたし、岩波文庫の『三国志』(こちらは全訳版)も、吉川英治の『三国志』も読んだ。お向かいのおじさんに湖南文山版の挿絵つき三国志を借りて読んだ。大人になってからは、北方謙三の『三国志』にはまり、DVDになったNHK人形劇『三国志』はタバコ代を削って全部そろえた。コーエーのゲームも初代から八代目くらいまで毎回買って、中国大陸を二百回以上、征服した(今から思うと、むだに征服しすぎたと反省している)。
 諸葛孔明や蜀の将軍が大好きなので、成都がどんなところなのか、この目で見て、肌で感じてみたかった。
「めっちゃ大都市やん」
 それが初めての印象だ。
 成都の市街地へ入ったバスは、どこまでもビルの谷間を走る。
 実際、成都市は人口一千万人の大きな街だけど、山ばかりで人がまばらな四川省西部のチベット族居住地域を抜けて成都入りしたから、よけいに都会に見えたのかもしれない。
 八月の末はまだ雨季なので、一日中雨がしとしとふっている。一瞬やんだかと思うと、また雨が降る。
 雨の武候祠(孔明の祠、劉備の墓もある)や杜甫草堂は、なかなか風情があってよかったのだけど、困ったのは洗濯物だった。四川盆地一体に湿気がこもっているので、干してから二日経っても乾かない。そのうち、水分が腐ってへんな臭いを放つ。しかたがないので、洗濯した後はホテルの部屋の扇風機を全開にして、その前に洗濯物をぶら下げて乾かすことにした。これだと二三時間で乾いてくれる。なにせバックパッカーなので、ホテルのクリーニングサービスなんて高くてとても利用できない。十円、二十円を節約する貧乏旅行だ。
 九月の末くらいに雨季が終わり、乾季になった。
 だけど、ずっと曇り空が続いてなかなか晴れてくれない。日本でいえばうす曇りの天気が毎日続く。
 洗濯物はそこそこ乾いてくれるようになったし、激辛の四川料理にも慣れてきた。四川料理の辛さは、「麻辣(マーラー)」と呼ばれる。「麻」は、痺れるという意味で、山椒をたっぷり使うので舌がピリピリする。「辣」は唐辛子の辛さ。初めはとても食べられなかった。痺れすぎて辛すぎて、舌ばかりか、唇や口の感覚すらもなくなってしまう。だけど、慣れれば四川料理のピリピリ・ヒリヒリ感に中毒になる。なんとなく舌をピリピリ・ヒリヒリさせたくなって、夜、ふらりと横丁の屋台へ行っては串焼きを買って食べたりする。きのこに山椒と唐辛子をふったバーベキューが好物だった。
 閑話休題《はなしをもとへもどして》。
「蜀犬《しょくけん》、日に吠ゆ」
 という諺がある。
 四川省、つまり蜀の地はなかなか晴れず、太陽をほとんど見ることができない。だから、たまにお日様が顔を出すと、犬が「なんか変な奴がいる」と怪しんで太陽に向かって吠えるというものだ。ここから意味が転じて、浅知恵の者が優れた人物の立派な言行に対して軽率に非難・攻撃するということにたとえられるようになった。テレビに出演しているコメンテーターたちの言動を見るとわかりやすいだろう(もちろん、なかには優秀な人もいるけど)。あるいは、不当な国策捜査を繰り返す東京地検特捜部もこの範疇に入るかもしれない。
 三か月すこし成都にいて、快晴になったのは一度だけだ。
 あの時は、ほんとうに青空がまぶしかった。うれしさのあまり日光浴したほどだった。太陽がこんなに貴重なものだとは、思わなかった。だけど、その一日以外は、雨かうす曇。
 司馬遼太郎が『街道を行く』のなかで、この「蜀犬吠日《しょくけんはいじつ》」のことを書いている。司馬先生はうす曇の天気を見て、地元の四川人に、
「この天気は晴れでしょうか。それとも、曇りでしょうか?」
 と尋ねたところ、
「晴れですよ」
 と、こともなげに返事が返ってきたそうだ。
 僕はこの話を確かめたくて、太陽のありかがぼんやりとわかるくらいのうす曇の天気を指しながら友人の成都人に訊いてみた。
「この天気は晴れ、それとも曇り?」
「晴れに決まってるじゃない。当たり前でしょ」
 彼女は、なんでそんなことを訊くのかと不思議そうに答えてくれた。
 司馬先生の書いた話はほんとうだったんだ。僕はうれしくなった。司馬先生が嘘を書いたとは思わなかったけど、自分の目と耳で確認できて心底納得した。四川人は、うす曇を晴れだと感じている。
 十一月へ入って気温がさらに下がると、よく霧が立ちこめるようになった。
 ロマンティック、あるいは幻想的な雰囲気なのだけど、湿度が高い分、寒さが骨身にしみる。心底しみる。
 インナーを着込んで、ジャンパーを羽織っても寒くてたまらない。
 ホテルの部屋には暖房がない(中国の長江以南は基本的に暖房を使わない)ので、ベッドへ入ってもがたがた震えてばかりでなかなか寝付けなかった。掛け布団は冷たく湿っぽいし、冷蔵庫のなかにいるようだ。
 こんな気候の蜀で劉備を皇帝にするために激務をこなしていた諸葛孔明は、さぞ体を痛めたことだろう。さすがの張飛や趙雲もすこしばかり気分が滅入ったに違いない。
 そんな寒くて凍える夜は、激辛料理がいちばん効く。
 屋台まで行って串焼きを買いたかったけど、寒がりの僕はとても外へ出られなかったので、ホテルの部屋で激辛インスタントラーメンを寝る前に食べることにした。
 効果覿面《こうかてきめん》。
 体がほくほくしてぐっすり眠れるようになった。
 汗もかくので、湿気でだるくなった体もしゃきっとする。
 四川人が激辛料理を常に食べるのには、わけがあった。
 太陽をなかなか拝めず、雨が降り続いたり、霧が立ちこめたりして、おまけに四方を山に囲まれた盆地なので、その湿気が風で吹き飛ばされることのないじめじめした気候では、体を温め、発汗作用のある唐辛子と山椒は彼らにとって生活必需品なのだ。激辛料理なしでは、彼らは元気になれない。
 それにしても、と思う。
 三国志の時代はまだ唐辛子がなかったはずだ。
 蜀の諸将はいったいなにを食べて体を温めていたのだろうか。やはり、塩分の濃いものをとっていたのだろうか?
 張飛は、酒で温まっていたのだろうな。
 塩を肴にして、くびくび酒を飲み干す張飛の姿が目に浮かぶ。





成都・武候祠に飾ってある張飛像。


 了


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作品の構造と作家の人生

2012年03月17日 10時00分15秒 | エッセイ
 
 作品と作者を切り離して考えてよいと教わった時、とても興奮した。
 教授は「従来の文学研究は作家研究であって、かならずしも作品研究にはなっていない。作品は作者から切り離して考えるべき」と主張し、構造主義による文学研究を講義した。
 それまで僕は、文学研究というものは作家の人生を調べ、その人生のなかからどのような小説が紡ぎだされたのかを解明するものだとばかり思っていた。たとえば、芥川の生い立ちが作品にどのような影を落としているだとか、太宰と誰それとの心中がどこの作品に描かれているといったことだ。
 ファン心理というものがあるので、好きな作家のことはいろいろと知りたくなるものだし、それはそれで面白いのだけど、物足りなさも感じていた。作品の分析が作者の人生にとどまっていて、それ以上の広がりや深みがない。有名作家の人生は調べつくされているから、新しい事実も新しい角度からの見解もなかなか出てこない。
 名作と呼ばれる作品には、人類の普遍的なテーマが描かれている。だからこそ、ドストエフスキーやトルストイといった十九世紀ロシアの作家が書いたものを読んでも感動するわけだし、同じ日本でも、漱石や芥川といった明治・大正の作家の作品を読んで共感を覚えもすれば、そこに自分の課題が描かれていると感じ入ったりもするのだ。とりわけ、漱石、芥川、中島敦、太宰といった作家が抱えた孤独感(孤立感)は、解消されるどころか、ますます広がっている。自傷(リストカット)の問題はまさにそうだろう。漱石は『こころ』のなかで、

 自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないのでしょう

 と書いている。この小説で漱石が「現代」と書いたのは大正時代の初め頃だが、二十一世紀の今でも充分通じる。現代的な課題だ。孤独感(孤立感)など感じず「この淋しみ」のない人はリストカットなどしたりしない。漱石が描いた課題は、今でもずっと続いている。「自由と独立と己れ」と「この淋しみ」は普遍的なテーマだ。
 ところが、作家研究では、その普遍性に対する分析が甘くなってしまう。触れられていないわけではないが、往々にして通り一遍のものになってしまう。作家という一個人の人生物語にこだわるあまり、大きなものを見逃してしまっているような気がしてならなかった。

 物事にはある一定の構造があるのだと教わった。
 そして、物語にもある一定の構造がある。
 一番解りやすかったのは「父親殺し」のテーマだ。これは文学作品のみならず、さまざまな物語で繰り返し表現される人類の普遍的なテーマの一つだ。
 映画『スターウォーズ』には、ルーク・スカイウォーカーとダースベイダー親子の決闘シーンがある。教授がビデオでそのシーンを流した後、これは「父親殺し」のテーマだと解説し、ギリシャ神話の『オイディプス王』からオイディプスコンプレックスと名付けられているものだとも話した。
 男は父親を乗り越えることで大人になる。
 この課題を端的に表現したものが、オイディプス王の父親殺しなのだとか。
 神話には物語の原型があり、神話を解明すれば人間の心に潜むある一定の構造がわかる。なんだか、人類の秘密が解き明かされるようでわくわくした。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』やファーストガンダムの最後のほうでもこのテーマが語られている。「父親殺し」の例をあげれは枚挙に暇がない。
『スターウォーズ』の「敵を倒して姫を獲得する」、逆に言えば「敵を倒さない限り姫を得ることはできない」というストーリーも、よくある物語の構造だ。身近な例で言えば、ゲームの『スーパーマリオブラザーズ』はクッパ大王を倒さなければ姫を獲得できない。『古事記』のスサノオノミコトはヤマタノオロチを退治した後で、大蛇《オロチ》の生贄になるはずだった少女クシナダヒメを獲得する。英雄《ヒーロー》の在り方を示したものと言えるだろう。
 神話や物語だけではなく、近代文学にももちろん構造がある。
 ドストエフスキーの『悪霊』は、帝政ロシアで実際に起きた社会主義の秘密サークルのリンチ事件を題材にして描いた作品だが、一九七二年の日本赤軍浅間山荘事件でも同様の事態が起きた。地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教でも、同じような事態が発生していたことがわかった。革命を志向する過激な秘密結社では、誰かをスケープゴートにして殺害し、メンバーがその秘密を共有することで結束の強化を図るものらしい。これも構造の一つだ。もっとも、ここまで極端な例でなくとも、秘密を共有することで絆が深めようとするのは日常生活でもよくあることだろう。
 漱石の『こころ』は、己の心に地獄を見つけてしまった人間の自己との壮絶な戦いだ。そして、「自由と独立と己れ」という近代的自我を確立するための物語でもある。この作品に描かれているように、近代的自我とは罪の意識、それも全人類に対する罪の意識と人間全般に対する不信感を通じて、それと格闘することによって確立するもののようだ。これも構造の一つだろう。
 歴史は繰り返すとよく言うが、物語も繰り返されている。人は時を超えて、民族を越えて、同じ構造の物語を繰り返し語るものらしい。人の心にある一定の構造がある限り、人は同じことを繰り返すのだろう。もう懲りたはずの悲しい過ちさえも。
 作品から作者を分離して作品のみを取り上げて研究する構造主義的文学研究は刺激的だった。目を開かされた感じがした。
 もっとも、なにぶん難解な用語がたくさん出てくるから、むずかしすぎて僕の頭ではよくわからないことも多かった。だが、作品にひそむ構造を解き明かすことで見えることがいろいろある。構造主義は、ある問題を一個人の枠のなかや、民族の枠のなかや、時代の枠のなかに閉じこめるのではなく、もっとスケールを大きくとって、時空を超えて変わることのない人類の普遍的な課題としてとらえるということだ。文学作品を比較することで構造が浮き彫りになる。構造主義による文学研究は物の見方を教えてくれた。

 ただし、構造主義は万能ではない。
 構造はただの骨組みに過ぎない。骨組みばかりに目が行き過ぎると、作品に通っている人間の魂や血潮といったものを忘れることになる。いわば、人間を研究するつもりが、人間の骨格ばかり研究するようになってしまう。人間には死ぬまで鼓動し続ける心臓もあれば、体を巡り続ける血もある。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるといった五感は骨格には現れない。骨格標本だけを調べても人間のことがわからないように、構造だけを見ていたのでは大切なことを見落としてしまう。
 文章の味わい、といったものは構造主義ではとらえることができない。たとえば、「どくとるマンボウ」こと北杜夫先生の詩情やユーモアに溢れた文体を構造主義的に分析しようとしてもむりだ。感覚や感性に属するものを構造主義によって分析するのはかなりむずかしい。たとえ分析したとしてもこじつけになってしまうだろう。文章の味はいわく言いがたいものだが、作家それぞれにそれぞれの文体があってそれが読者を惹きつける。小説の大切な要素であるにもかかわらず分析は困難だ。
 プーシキンの文体にはロシア人の心を躍らせる独特のなにかがあるらしい。僕がロシアを旅行した時に出会ったロシア人は、じつに楽しそうに「自由」という詩を朗読した。このことなんだなと僕は感じた。だが、プーシキンを研究して何十年という研究者でも、なぜプーシキンの文体がロシア人の心のつぼを押すのかはわからないそうだ。プーシキンをプーシキンたらしめているものを構造主義では分析することはできない。
 分析できないものは文体ばかりではない。
 ありとあらゆる構造を究めたとしても、「なぜ生きるのか」「なぜ恋をするのか」「神は存在するのか」「私の魂はどこからきたのか」といった根源的な問いかけには答えてくれない。構造の分析はこういう仕組みになっているということを明かすだけであって、その構造を突き動かす根源的な力までは分析できない。
「なぜ彼女のことが好きなのか?」
 と問いかけてみても、その答えは出ない。たとえ、「恋をするのは人間の本能だ。なぜなら、子孫を残そうとする本能に突き動かされているのだから」といった答えが返ってきても、それは問いかけに対する答えにはなっているようでなっていない。
 人は誰でも恋をする。
 だが、誰にでも恋をするわけではない。
 先の骨格と血肉の例えでいえば、「恋は誰でもする」というのは構造にあたり、「なぜ彼女なのか?」というのは、血肉や感覚の問題に当たる。数多《あまた》いる異性のなかで、その人だけを選ぶのだから、なぜ彼女なのか、というのは非常に重要な問題だ。なぜ彼女でなければいけないのか、そこにその人の人生にとって大切なことを解き明かす鍵がある。いささか大袈裟な言い方をすれば、人生の神秘がある。
 なぜ、彼女なのか?
 なぜ、彼なのか?
 だが、この謎は容易には解明できない。
 だからこそ、時代や民族を超えて数多くの恋愛小説が執筆され、大勢の人々に読まれるのだろうけど。
 さらに、
「私《わたくし》の存在の意味は?」
 と問いかけても、なんにも答えてくれない。
 構造主義は、この世の仕組みや存在の仕組みを教えてくれても、存在の意味までも明らかにしてくれるものではない。構造主義は機械論だ。世の中を機械仕掛けの時計ととらえている節がある。人間の心やその心が紡ぎだす物語のメカニズムを理解することは大事だが、人間は完全な機械仕掛けではない。機械は意味を問いかけたりはしない。時として、意味を問わずにいられないのが人間だ。もっとも、人生の意味といった根源的な問いかけに対する答えを見つけようとするのは、もはや宗教的な領域になるのだろうけど。

 作家は血の通った人間だ。
 そして、作品は血の通った人間によって書かれるものだ。
 もちろん、読み手である「私《わたくし》」も血の通った人間だ。
 構造論だけでは割り切れないものを抱えている。それだけでは解き明かせない魂を持っている。作品を機械仕掛けのもののようにとらえるわけにはいけない。
 作家には作品を書くために血反吐を吐くようにして格闘した人生があり、作品はそうした格闘から生まれてきたものだ。そう考えれば、作家の伝記的文学研究を読み、作者の人生や想いを理解してから作品を読み返せば、また違う味わいが出てくる。構造主義は非常に有効な方法だが、作品と作者を完全に分離したままにすることはできない。
 要はバランスなのだろう。作品の構造と作家の人となりや人生をバランスよく見ることができれば、つまり、人類の普遍的なテーマとそれに対する作家という一個人の格闘を同時に見ることができれば、もっと深くておいしい小説の読み方ができるのではないだろうか。



日本人は無宗教という誤解

2011年12月05日 06時40分00秒 | エッセイ

 もうすぐお正月だ。
 友人からくるメールを読むと日本は慌しそうだが、中国にいると師走の感じを肌で感じられない。中国も一応元旦を休日にしているが、漢民族は元旦を祝わずに春節(中国の旧正月、来年は二月十四日)を祝うので、町はクリスマスの飾りがちらほら残っているだけでいつものままだ。物足りないような気もするし、忙しさを免れてほっとしたような気もする。
 こんな風に外国で暮らして、外から日本を眺めていると、日本にいた時には当たり前だと思っていたことが、じつはおかしなことだと気づいたりする。
 日本人は無宗教という通説がそうだ。
 特定の宗教を篤く信仰している人は別として、大多数の日本人の日常に宗教的な要素はほとんどないようにみえる。たとえば、イスラム教とくらべてみると、その差は対照的だ。中国には新疆に住むウイグル族のほかに、全国的に散らばっている回族(※注)というイスラム教を信仰する民族がいるので、私が住んでいる広東省・広州にもイスラムの寺院がある。ラマダン(断食月)になるとイスラム寺院からお経らしき音楽が流れて、門からなかをうかがうと男女別々の部屋にわかれた信者が熱心に礼拝している。日常においても、頭からすっぽりスカーフをかぶって髪を隠した女性を寺院の近くではよく見かけるし、イスラム教徒は豚肉を食べてはいけないというタブーを守っている。結婚式の披露宴に行くと、会場の片隅に回族料理をならべたイスラム教徒専用テーブルが用意されていて、そこに回族の客人がかたまって坐っていることもある。宗教の掟にしたがい、比較的団結して暮らす彼らとくらべてみると、そのような掟のない日本人は無宗教のような印象をうける。が、日本人はまったく礼拝や参拝といった宗教活動をしないわけではない。そこに大きな誤解がひそんでいるように思える。
 日本人の代表的な宗教活動の一つは、やはり「初詣」だろう。
 正月になれば、大晦日から大勢の人が神社や寺院へ出かける。
 子供の頃、京阪沿線に住んでいたので、『紅白歌合戦』が終わると家を出て、京阪電車が終夜運行する急行に乗って岩清水八幡宮や八坂神社などへ初詣に行ったものだった。夜中の満員電車に乗るとわくわくしたし、境内の賑わいが好きだった。おみくじはかならず引いて、待ち人来るなどと書いてあるとうれしくなった。日本人は初詣をとくに宗教行事としてとらえることもなく、あるいはうすうすそう思っていてもその意識が希薄なまま、習慣として参拝している人が大多数ではないだろうか。ここで断っておきたいが、私はべつに初詣がいけないといっているのではない。初詣をして気持ちがさっぱりしたり、心が落ち着いたり、晴れやかな気分になるのなら、とてもいいことだと思う。人間にはそんな行事が必要だから。
 ただ、日本人のことをなにも知らない外国人が、この初詣を見たらどう感じるだろうか。いささか大袈裟だが、日本という国を人類学的に調査しにきた宇宙人の目で見てみるとどうなるだろう?
 元旦の三が日の間に、日本人のほとんどといっていいほどの大勢の人が参拝する。賽銭を投げてお祈りするだけではなく、わざわざ社へ入ってお祓いをうける人もいる。ニュースでは初詣の映像が繰り返し流れ、参拝者数の多い神社や寺院のランキングが発表されたりする。あの人波を見れば、やはり、初詣は日本人の宗教行事だと完全に思ってしまうのではないだろうか。
「日本人の宗教はなに?」という質問を中国人やほかの外国人から何回か受けて、こんなことを考えるようになった。家の仏壇が頭に浮かんだので仏教と答えようとしたのだが、仏壇には位牌が置いてあるし、別の部屋には神棚も祀ってある。どう答えてよいのか迷ってしまった。宗教のことばかりでなく、外国へきて外国人に日本のことを尋ねられると、いかに自分の国のことを知らないのかということを何度も痛感させられる。
 御釈迦さんの伝記や手塚治虫の『ブッダ』を読むと釈迦は親を敬えと言ったり、先祖を拝みなさいと言ったことは一度もない。むしろ、釈迦が悟りを開いてから里帰りした時に王族の兄弟や親戚をかたっぱしから引き抜いて修行させようとしたので、釈迦の父親が「これでは国を継ぐものがいなくなってしまう。これ以上は勘弁してくれ」と泣きを入れたりしているくらいだ。こんなのは、いいか悪いかは別にして親不孝に違いない。
 本来、仏教には先祖信仰の要素はなかったのだが、大雑把に言えば、仏教が伝播する際に親孝行をなによりも大切にする中国で先祖信仰の要素が仏教へ混入してそれが日本へやってきたのと、日本自体がもともと先祖信仰の国だったので神仏混淆となり、仏壇に位牌を置いて仏と先祖を一緒に拝む宗教が定着してしまった。
 いろいろ考えた挙句、「日本人の宗教はなに?」と外国人に尋ねられた時は、「主に仏教と神道、それからキリスト教の人もすこしいる」と答えるようにした。あいまいな答えなので、もうすこしすっきり言えないものかと自分でも思うが、あいまな島国のあいまいな人間だからしかたがない。仏教か神道のどちらかだけだと言ったのでは不正確な答えになってしまう。
 おそらく、日本人は無宗教なのではない。無宗教なのでなく、宗教にたいして無自覚なだけだ。初詣することがきわめて自然なように、仏教式で葬式をすることがきわめて自然なように、それがごく当たり前の習慣として身についているために、自身の宗教について深く考える機会がないだけのことだろう。鏡の前に立って自分をつぶさに観察したことがないだけのことだ。
 無自覚からくる誤解を紐解くこと。日本の世間、日本人、日本人である自分を突き放してじっくり観察すること。当たり前だと思っていることをそのままにしないで、なるべく客観的に論理立ててとらえるようにすること。そうすることによってはじめて、日本人の行動原理を読み解くことができるようになり、自分も含めた日本人がどのような人たちであるのかを理解することができるようになり、日本人や自分自身が抱えている課題を正面から分析することができるようになるのではないだろうか。ひいては、それが物を書くことにつながる。
 日本人が無宗教というのは、無自覚からくる誤解だ。
 初詣の習慣がすたれずに残っているということは、日本人に精霊信仰=先祖信仰という宗教が根付いていることの証左だろう。それも、そうとは自覚しないほどの深さで。空気のように当たり前に。そこに日本の世間や日本人の奥深くを読み解く鍵があるはずだ。



※イスラム教を信仰する人々。信仰の篤い人が大多数だが、戸籍上回族になっているものの、世俗化して漢民族と同じような暮らしをしている人たちもいる。


本エッセイは2009年12月30日に「小説家になろう」サイトで発表したものです。
http://ncode.syosetu.com/n1999j/

おいしいトマト卵炒めの作り方 (エッセイ)

2011年03月13日 11時22分06秒 | エッセイ
 
 ラーメン、餃子、麻婆豆腐、回鍋肉などなど、中国にはおいしい料理がたくさんあるけど、僕のいちばん好きな中華料理はトマト卵炒めだ。略してトマタマ。
 日本の中華料理店ではほとんど見かけないから、ご存知ないかたも多いかもしれないけど、トマタマは中国ではごく一般的な家庭料理だ。トマトと卵を鍋で炒めるだけ。いたってシンプル。
 初めて中国を旅したバックパッカーはたいていトマタマを食べて感激する。こんなおいしい料理があるのかと驚いてしまうのだ。僕も初めて食べた時はびっくりした。ちょっぴり甘くておいしい。日本人の口によくあう。トマトを炒めてしまうところがまたおもしろい。生まれてこのかた、トマトは生のまま食べるものだと思っていた。トマトに熱を加えるという発想がなかった。
 僕はトマトが大好きだ。トマトを見るとむしょうにはちみつをかけて食べたくなる。愚弟もとろりとはちみつをかけたトマトが好物だ。ある日、彼といっしょにむさぼるように食べていたら母が笑った。
「離乳食やねえ」
「なんやそれ?」
 弟が訊いた。
 僕は黙って食べている。弟と囲む食卓は団欒《だんらん》の場ではない。食物を争う戦場だ。話をすれば、そのぶん、料理を取られてしまう。話しているひまなどないのだ。愚弟といっしょにテーブルにつくと、彼が人類を滅ぼそうとする怪獣か悪のショッカーに見えてくる。大人になってからもその癖が抜けない。
「離乳食のとき、いつもトマトにはちみつをかけて食べさせてたのよ。ふたりとも好きやったからねえ」
 母はなつかしそうだ。
 なるほど、これでトマトが好きな理由がわかった。僕と愚弟にとって、はちみつトマトは生まれてはじめておいしいと感じた食物なのだ。だから、トマトを見るとはちみつをかけて食べたくなってしまう。ゼロ歳児の体験はおそろしい。体の奥深くにしっかりすりこまれてしまっている。
 長旅から日本へ戻った僕は、実家の台所でさっそくトマトと卵を炒めてみた。だけど、まったくおいしくない。中国で食べたあの味とはまったく違うものができてしまう。何度かためしてみたけど、だめだった。調味料が違うからだろうと見当はついたのだけど、なにを使えばよいのかわからない。
 捨てるのももったいないから、しかたなくできそこないのトマタマを食べた。だけど、そんなまずいトマタマもどきを食べるとよけいに本場のトマタマが恋しくなる。
 そんなある日のこと、啓示が頭にひらめいた。
 そうだ。中華街があるじゃないか。
 中華街なら、ほぼ本物に近いトマタマを出してくれるレストランがあるはずだ。
 つぎの休みの日、僕はJR神戸線に乗って元町の中華街へ行った。
 漢方薬や饅頭《まんとう》の蒸籠《せいろ》が並んだ商店街の奥に中華レストランのショーウインドウがあった。僕はわくわくしながら覗きこんだ。
 見つけた!
 蝋で作ったトマタマの模型が置いてある。これでついにトマタマを食べられる。
 だけど、値段に視線を移した僕は思わずたじろいでしまった。なんと七百円もする。日本では当たり前の価格かもしれないけど、中国の田舎町では一皿六〇円くらいで注文できた。物価の差は頭では理解できるけど、体では納得できない。同じものを十倍以上の値段を払って食べるのかと思うと、深く考えこんでしまう。考えこみすぎて迷っているうちに食欲がなえてしまった。やっぱり、本場の田舎町で安くておいしいトマタマを食べたほうがよさそうだ。
 なんだかなあ。
 割り切れない思いを抱いて中華街を出た。
 その後、中国に留学した僕は思う存分トマタマを食べた。トマト卵炒めだけではなく、トマト卵スープもなかなかいけることを発見した。
 留学中のある日、語学クラスのおばあちゃん先生が留学生を自宅へ招いて手作りの料理を振舞ってくれた。彼女は初級クラスの「基礎漢語」を担当していた。
 初級クラスは、教え上手の教師が担当する。おばあちゃん先生も教えるのがうまかった。中国語をまったく話せない生徒を相手にして、すべて中国語で説明するのだからたいへんだ。話が通じないことなんてしょっちゅうだから、我慢強くなければ務まらない。おばあちゃん先生は上級クラスの中作文も受け持っていた。外国人が書いた作文を読んで、朱を入れなければならないので手間がかかる。経験豊富でベテランの彼女はむずかしい授業ばかり担当していた。
 おばあちゃん先生は品があってほがらかな人だった。毎年海外旅行へ行くのが楽しみで、そのためにがんばって英語を勉強しているそうなのだけど、
「Everyday study , everyday forget」
 と言って、からから笑う。
「もう歳だから暗記できないのよ。わたしたちの世代は社会主義の教育を受けてロシア語が第一外国語だったから、基礎的な英語力もないし。でも、ほんのすこしでも話せたら楽しいわ」
 テーブルには、鯉の姿揚げ、鴨の丸焼きのぶつ切り、冬瓜のスープといったご馳走のなかに僕の大好物のトマタマもならんでいた。
 とろとろの半熟の卵にこまかく刻んだ真っ赤なトマトがまじっている。トマトから染み出た赤い汁がいかにもいい感じだ。一口食べると、ふわっと味が広がる。卵の炒め具合もちょうどいいし、なによりトマトの完熟した甘さがいい。今まで食べたなかで最高のトマタマだ。
 僕は、こんなおいしいトマタマをどうやったら作れるのかと質問した。
「そうねえ。普通に作っただけなんだけど」
 先生は、なんでそんなことを訊くのかと不思議そうだ。
「トマトをよく選ぶことね。ちゃんと熟したのでないとおいしくないでしょ」
「素材を選ぶのはたいせつですよね。それで、調味料はなにを使っているんですか?」
 問題の核心へ切りこんだ。
「ラードで炒めるからラードの味はついているわよね」
「そうかあ。ラードだったんだ」
 僕は嬉しくなった。やっと答えを見つけた。
「自家製の普通のラードだけど。あとはちょっと塩を振るくらいかしら。特別なことはなにもしてないわ」
「先生、ありがとうございます。僕は中華料理のなかでトマト卵炒めがいちばん好きなんですよ」
 思わずカミングアウトすると、彼女は愉快そうに笑った。
「トマト卵炒めは今日のおかずのなかでいちばん安上がりの料理よ。作り方だっていちばん簡単だし」
「いや、もちろん、鯉も鴨も好きですよ。日本だと食べる機会がめったにないですし」
 まずいことを言ってしまったかなと思いつつ、僕は取り繕った。
「まあいいわ。好きなんだったら、たくさん食べていきなさい」
 おばあちゃん先生の作った料理はトマタマにかぎらず、どれもおいしかった。旦那さんが料理が上手で、彼から作り方を教えてもらったのだとか。先生は次の料理を出すために、厨房へ入った。次から次へといろんな料理を出してくれた。
 先生の様子が落ち着いたところで、
「ところで、先生の旦那さんは今日はいらっしゃらないんですか?」
 と、僕は訊いた。
「お寺へ行ってるわ」
「お参りですか?」
「寺に籠もっているのよ。うちの亭主は回族なの。今はムスリムの断食月《らまだん》でしょ。今頃、張り切ってお祈りをしているでしょうね」
 回族はイスラム教を信仰する民族で、外見は漢族とほぼ同じだ。僕が留学していた雲南省は中国のなかでも回族が比較的多い地域だった。中国では歴史上何度かイスラム教徒の弾圧や粛清があったので、その際にほかの地域から逃げこんできた回族が多いらしい。
「旦那さんは、ラマダンの間、ずっとお寺にいるんですか?」
「そうよ。彼がいないと羽を伸ばしてのんびりできるわ」
 彼女はほっとした顔をしている。昔、日本では「亭主元気で留守がいい」というCMのフレーズが流行ったことがあったけど、どこの国でも同じようだ。
「先生の旦那さんがイスラム教ということは、先生もイスラム教なんですか? イスラム教徒は同じ信者同士で結婚するか、片方が信者でない場合はイスラム教に改宗するっていう話を聞いたことがあるんですけど」
 僕は、彼女は漢族だったはずだと思いながら訊いた。
「イスラム教徒じゃないわよ。断食してお寺に籠もったりするのなんて、やりたくないもの。退屈でしょ。改宗するかどうかは人によるけど、わたしは宗教に興味がないから改宗なんてごめんだわ。彼が寺籠もりしたりするのは好きでやっていることだから、それでかまわないけど。彼は彼で好きなことをすればいいし、わたしはわたしでやりたいことをやるわ。ただ、ふだんは豚肉料理を作れないわね。べつに作ってもいいんだけど、彼は食べないし、わたし一人じゃ食べきれないもの。だから、どうしても鶏肉や牛肉ばかりになるわね」
「それだと、ラードはなんの脂で作ったんですか? 牛ですか?」
「豚よ」
「旦那さんがいらっしゃるときは料理にラードは使わないのでしょうか」
「使うわよ。厳密にいえば、だめなんだけどね。まあいいじゃない。彼も気にしていないから」
 夫婦の宗教が違うと生活のこまかいことまで厳格に戒律にしたがうのはむりがあるのだろう。杓子定規にやらずに、あいまいにしたほうがうまくいくのかもしれない。イスラム教といえば、つい厳格なものを想像してしまうけど、いろんな形があるようだ。仏教やキリスト教にもいろんな信仰の作法があるように、イスラム教もそうなのだろう。
 おばあちゃん先生は自分は無宗教だと言っていた。お墓参りもしない。父母のことは愛しているけど、自分の胸のなかにそんな想いがあればそれで十分。自分はお墓も要らないから死んだら散骨してくれればそれでいいと。熱心なイスラム教徒の亭主と無神論者の妻が夫婦生活を営むという中国は面白い国だ。いろんなものがよくも悪くもいっしょくたに同居して、想像のつかない取り合わせがいっぱいある。なんでもありのカオス的な面白さといえばいいだろうか。
 さて、自家製のラードを作りたいところだけど、それがわからない。市販品のラードも売っているけど、味がいまいちだ。化学調味料や添加剤が自然の味を損ねている。一言で言えば、味の素くさい味だ。おばあちゃん先生に頼めばラードをわけてもらえるだろうけど、やっぱり自分で作りたい。そこで、地元の友人にラード作りを手伝ってもらうことにした。
 近所の農業市場へ行って豚の脂身を買う。
 豚肉コーナーでは新鮮な豚の切り身を売っている。それぞれの店が豚一匹をまるごと解体して売るので、ロース、ヒレといった肉以外にも、レバー、腎臓、心臓、豚足、耳、尻尾などなどあらゆるものがならんでいる。もちろん、脂身も置いてあった。
 市場にはずらりと店がならんでいるけど、いつも買う店は決めておく。そうでないと高い値段をふっかけられるからだ。何軒かまわって良心的な値段の店で買い、信用できると思えばかならずそこで買うようにする。こっちはお得意さんだから、向こうはだますような真似はしない。僕は気の好さそうな亭主が開いている店で豚肉を買っていた。肉の選び方をよく知らない僕がまずい肉を選んだりすると「やめときな。こっちのほうがいいよ」などと助言してくれたりする。
 手頃な白い脂身を二キロほど買った。
 下宿の流し台できれいに洗って皮を剥ぎ、包丁でぶつ切りにする。どんぶりに山盛りになった脂身をあらかじめ温めておいた中華鍋にざっと放りこむ。
 じゅわっと脂の弾ける轟音といっしょにものすごい油煙があがる。
 中国人に部屋を貸すと部屋中が油だらけになるので嫌だというマンションの家主が多いという話を聞いたことがあるけど、どうして油だらけになるのかわかった。中華料理は油の使い方がはげしいこともあるけど、自分でラードを作ることも大きな原因だろう。
 もうもうと立ちこめた煙でむせる。僕は急いで台所の窓を全開にした。
 やがて煙は落ち着いて、脂身はとろりととろけだす。友人は豚肉をこまかく切って鍋へ入れた。肉がすこしあればラードに肉の旨味がついて香ばしくなるのだとか。ラードで中華スープを作ったりした時、肉のかけらがすこしあるとスープの味もぐっとおいしくなるという。肉が傷んでしまわないかと気がかりなところだけど、問題はない。ラードでからからに揚げてしまうので保存がきく。なるほど、生活の知恵だ。
 中華鍋の中身をアルミ製の小鍋へ移した。脂身はまだ溶けきってはいない。弱火にしてとろとろ煮込む。
 氷のかけらがちいさくなるように白い脂身のかたまりが溶けて、あめ色の油がだんだん増える。脂がすっかり溶けて完全な液体になったあとも、数時間かけてじっくり煮込んだ。夜、火を消してそのまま置いておいた。
 翌朝、アルミ鍋の蓋を取ると、脂はすっかり冷えて白いラードができあがった。いい感じだ。
 その夕方、さっそくトマタマ作りに挑戦した。
 熟れたトマトと地卵を市場で買ってきた。
 トマトを刻んで塩をふっておく。卵を溶いて準備完了。
 おたまでざくっとラードをすくいとる。けちけちせずにたっぷり使うのがコツ。
 ラードを炒めると香ばしい香りがたちのぼる。さきに溶き卵を入れてふわっとふくれさせ、トマトを放りこむ。さっと弱火に落とした。横着せずにせっせとおたまでかきまぜる。
 三分もたたないうちにトマタマができた。今度こそ、ちゃんと仕上がったようだ。
 アツアツのうちにいただこう。
 ほっこりと湯気の立ったトマタマを口へ運んだ。
 めちゃくちゃおいしい、と言いたいところだけど、まずまずだ。おばあちゃん先生がこしらえてくれたトマタマにはかなわない。だけど、ちゃんとトマタマの味がする。形になっている。初心者にしては上出来といったところだろうか。あんまり欲張ってはいけない。自分の手でトマタマができただけでも大進歩だ。僕は満足した。
 おいしいトマト卵炒めの作り方の秘訣は、ラードにあった。おいしいラードをたっぷり使えば、トマタマは上手に仕上がる。ほかのおかずにしても、肉野菜炒めでもなんでも中華料理の味になる。
 考えてみれば、ラードは中華料理の基本だ。日本の料理でいえば、みりんの使い方を覚えるようなものだろう。みりんを使わなければ、煮物にしろ炒め物にしろ日本料理の味がでないのと同じように、ラードを使わなければ、中華料理の味にならない。どうやってトマタマを作るかという目先のことばかり考えて、そもそも中華料理のベースになる調味料はなにかという初歩的なことを考えていなかった僕がうかつだった。
 スポーツは足腰の動作、文学は日々の読書と思索、中華料理はラードの使い方、なにごとも基本がたいせつ。
 三年がかりの謎解きがようやく終わった。

 

あとがき

 2010年3月6日執筆作品です。 
 「小説家になろう」のマイページでもごらんいただけます。URLは以下のとおり。
 http://ncode.syosetu.com/n1672k/
 

富国貧民の時代に (エッセイ)

2011年03月05日 17時02分51秒 | エッセイ
 
 万葉歌人の山上憶良の代表作に『貧窮問答歌』という作品がある。国語の教科書に載っているので習った人も多いだろう。
 貧困にあえぐ農民が、

 天地《あまつち》は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる
 日月《ひつき》は 明《あか》しといへど 我がためは 照りやたまはぬ

 と嘆く。食べ物がなく、鍋にくもの巣が張っているありさまだというのに、村長が税金を取り立てにやってきては怒鳴りたてる。

 かくばかり すべなきものか 世間の道

 と、主人公は途方に暮れてしまう。
 民から奪い取れるだけ奪い取るというこのようなむごい政治が行われていたのははるか昔のことだと思っていたのだが、二十一世紀の日本に似たような状況が出現した。

 二〇〇一年に小泉・竹中政権が発足して以来、日本国政府は「新自由主義」という名の「棄民政策」を取り続けている。自国民を貧窮のどん底へ突き落とす過酷な政策だ。
 当時、日本中が小泉純一郎の口にする「改革」という言葉に期待したが、実はとんでもない欺瞞だった。
 ご存知の通り、小泉・竹中コンビが「改革」を実行して以来、日本人の大多数は貧しくなる一方で、フルタイムで働いても食うや食わずのワーキングプアが大量に増加した。もちろん、ネットカフェ難民、ホームレスも大幅に増えている。フルタイムで働いているにもかかわらず、月給が生活保護の満額にも達しない労働者が大勢いるというのは、どう考えてもおかしい。日本は衰えているとはいえ、まだGDP世界第三位(二〇〇九年の一人当たりGDPでは世界十七位)の経済力を誇っている。ごく真面目に働いて真面目に暮している人がこれほどおおぜい食うや食わずの状況に置かれるはずがない。まったくおかしなことだ。日本人が貧しくなったのはこの小泉・竹中コンビの「改革」が元凶にほかならない。彼らはペテン師だった。
 経済的困難から家庭が崩壊したり、自殺者や精神を病んでしまう人々が続出する一方、企業は法人税減税などの恩恵を受け、二〇〇七年のミニバブルの頃には史上最高益をたたき出す企業が続出した。しかし、その時も日本人の暮らしは楽にならなかった。
 自由で公平《フェア》な競争というのが、新自由主義の建前だが、本当の目的は、政治屋・高級官僚といった特権階級や企業が国民を生活できないほどの低賃金でこき使ってしぼれるだけしぼりとること――つまり、搾取することにある。
 たとえば、今年、日産のカルロス・ゴーンは八億円もの報酬を手に入れて話題になったが、日産の社員の平均年収は約百万円も下がったという。つまり、カルロス・ゴーンは日産の社員の給与を奪い、自分の懐に入れたのである。とんでもない話だが、これが新自由主義の実態だ。
 新自由主義とは、国や一部の企業を富ませ、国民を貧しくする富国貧民政策にほかならない。このような政策のおかげで自殺者まで出るのだから、公権力を濫用した合法的な殺人といっても差し支えないだろう。小泉・竹中コンビは人殺しだ。昔の映画に「一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄だ」というセリフがあった。それになぞらえれば、彼らは英雄ということになるのだろうが。
「最大多数の最大幸福」が政治の目的だとすれば、それとはまったく逆の政策が実行され続けていたのである。このために日本は疲弊してしまった。民主党の鳩山政権では軌道修正が試みられたものの、大手マスコミや霞ヶ関をはじめとする既得権益擁護勢力の抵抗に遭い、短命に終わった。鳩山首相の後を継いだ管直人は再び新自由主義へ舵を切り、その後、野田、安倍も新自由主義による富国貧民の方針に従って政府を運営している。ついでにいえば、菅直人も、野田佳彦も、安倍晋三も、みな人殺しだ。命の大切さを一顧だにしない。
 新自由主義による害悪は、なによりも社会が破壊されてしまったことだ。
 人は一人では生きていかれない。かならず、誰かと助け合って生きなければならない。だから人間は社会を作る。アリストテレスが「人間は社会的動物である」と言ったゆえんは、ともに生き、そして助け合うことにある。本来、社会には助け合いの機能が備わっており、それが社会の中核をなす機能ともいえるのだが、それがすっかり壊されてしまった。
 無意味な競争が過度に助長され、人の絆が壊された。家庭内の親殺し、子殺しが激増した。コミュニケーション能力がもてはやされ、以前にもまして口先ばかりの人間がのさばるようになった。ごくありきたりな、だがかけがえのない日常生活が壊され、人間の良質な部分が破壊され続けている。新自由主義は「弱肉強食」そのものだ。理性とやさしさを持った人間をただの肉食動物へ変えてしまう。
 現代の国家は福祉国家の形態を取っている。つまり、助け合いという社会の機能を肩代わりするようにできているのだが、それも機能麻痺に陥っている。代表的な例が年金や生活保護といった福祉政策だ。
 たとえば、生活保護を申請した場合、窓口でなんだかんだと文句をつけられて申請さえできない場合が多い。だが、生活保護を受け付けてもらえなかった人や申請を却下された人が行政訴訟を行なった場合、その勝訴率は約九割にものぼるという。一般的にいって行政訴訟で勝訴することはかなりむずかしいので、いかにでたらめなことがまかりとおっているかがわかるだろう。
 今の日本政府は、自分で背負いきれるはずのない責任を「自己責任」という名のもとに個人へ押し付け、たんなる「搾取装置」へと変貌してしまった。ちょうど、山上憶良の時代の政府のように。
 もし拙文を読んでいる人のなかで、ワーキングプアやネットカフェ難民になったり、仕事がないためにニートやひきこもりになっている人がいたら、よく聞いてほしい。
 あなたたちが今のような状況になったのは、決してあなたたちの責任ではない。本来は社会全体で負うべき責任が、あなたたちに押し付けられているだけだ。あなたたちに罪はない。自分の責任でもない。だからどうか、自分を責めることだけはやめてほしい。
 困った状況にあるのなら、派遣村で有名になったNPO法人「もやい」をはじめ、多くの労働・福祉関連の団体が活動を行なっている。そのような団体へ相談してみるのも一つの手だろう。専門的な知識と援助を得ることができる。
 とはいえ、自分の置かれた状況を打破するのは自分自身でしかないのもまた事実だ。誰も自分のかわりに生きてくれるわけではないのだから。
 個人が抱えている問題は、じつは社会と密接に結びついている。
 その日の糧を得るだけで精一杯な時は、得てして目の前のことをこなすだけで周りを見渡す余裕もないものだ。ひきこもりになっていれば閉ざされた空間でひとりぼっちで生きているように感じてしまうだろう。だが、山奥で暮らす世捨て人でもない限り、世間のなかで生きていることには変わりない。どんな境遇にあったとしても、あなたも社会の一員だ。
 一人ひとりがすこしずつなにかをなすことで世の中を変えることができる。本エッセイのようにつたないながら声をあげてみるのも一つの方法だ。ツイッターでもいい。生きていくためのサバイバル情報を交換することも一つの手段だろう。投票へ行くことで政治へ働きかけてみるのもいい方法だ。
 幸いなことに、日本はまがりなりにも民主主義の国家だ。これが今の中国のような一党独裁国なら、声を上げることも行動を起こすこともむずかしい。だが、日本にはとりあえず独裁国家のような縛りはない。比較的楽に声を上げられる。それを実行することもできる。
 希望は自分自身のすぐそばにある。
 だいじなことは、自分にできることを負担にならない範囲で手がけてみることだ。
 あなたが動かなければ、社会は変わらない。
 社会が変わらなければ、あなたも変われない。
 ほんのすこしのことでもいいから声を上げてみる。誰かへ働きかけてみる。ささかなことでもそれを積み重ね続ければ、いつの日かこのむごい状況から抜け出せると信じている。



あとがき

 2010年10月4日に執筆したエッセイです。
 http://ncode.syosetu.com/n1255o/

新鮮素材が決め手の中国の鍋料理(エッセイ)

2011年02月23日 20時35分26秒 | エッセイ
まえがき

中国・広東在住の僕は、中国人の友人に招かれて鍋パーティーに参加しました。新鮮な鶏肉、新鮮な海鮮でつくった鍋はほんとにおいしかったです。やっぱり、食は広東にありでした。(2009年12月5日投稿作品)
http://ncode.syosetu.com/n8759i/


本文


 しばらく前のことだけど、僕が住んでいる広東省・広州では寒い日が続いた。寒いといっても、亜熱帯地域のことだから、最高気温が十二三度で、最低気温が七八度くらい。でも、一年の半分くらいが夏の広州にいると、これくらいの気温でもとても寒く感じてしまう。風が冷たい。
 こんな時にはあったかいものを食べたいなあ、なんて考えていたら、中国人の友人のエフ君が鍋パーティーに誘ってくれた。
 夕方、エフ君宅へ集合。
 家は2LDKのマンション。エフ君はおしゃれな人なので、男の一人住まいだが部屋はきれいにしてあるし、熱帯魚を飼っていたり、やたらとでかい縦長スピーカーが置いてあって、ジャズを流していたりする。
 中国人は大勢で集まるのが大好きなので、パーティーに参加すると新しい知り合いが増える。エフ君が以前の同僚を招いていたので、あいさつをしてちょっと話しこむ。彼は芸術家肌の人で、日本の映画にも興味があるようだ。『歩いても歩いても』や『菊次郎の夏』が好きだと言う。日本に興味を持ってくれている人だと話しやすい。中国の世の中ではコネがすべてといっていいくらい重要視されるのだけど、中国人はこんな風に食事会を利用して自分のネットワークを広げるのだろう。
 メンバーがだいたいそろったところで、みんなで連れ立って食品市場へ。
 まずは鶏肉を買うことにした。
 ちいさな「鳥肉店」がずらりとならんでいる。七八軒あるだろうか。どの店にも檻が置いてあり、そのなかに生きた鶏がひしめいている。鍋をする時、中国人は素材の鮮度にこだわるので、たいてい活きたまま買う。「鳥肉店」と書いたのは、鶏以外にも、いろんな鳥を扱っているからで、檻のうえには羽を切られた食用の鳩がすわっていた。食用に飼育した鳩だけあって、ダウンウエアを着こんだようにまるまると肥えている。ほかにも、ウズラに似た鳥や、ずいぶん小ぶりの鵞鳥も売っていた。
 檻に入った鶏を眺めていると、店のおばちゃんが飛び出してきた。おばちゃんが檻からかわるがわる鶏を取り出して見せ、エフ君が「ちょっとちっちゃいな。あっちがいい」、「見た目がよくないな。やっぱり、あっち」などと言って品定めしている。鶏冠《とさか》につんつんした毛の生えているかわいらしい烏骨鶏《うこっけい》(肌の色が黒いのでこんな名前がついた)と茶色い毛をしたブロイラーが一羽ずつ選ばれた。おばちゃんは、ばたばたと羽ばたきする鶏の脚を掴んで逆さ吊りにしたまま店の裏へ駆けこむ。あとは残酷だから、書かないでおこう。
 次に水産物コーナーをぶらぶら歩く。
 こちらも活魚がほとんど。さすが食の広州だけあって、川魚以外にいろんな生き物が浅い水槽に入っている。
 ワニガメ、すっぽん、どじょう、田ウナギ、川ヘビ、牛蛙などなど。ちなみに、広州では食用蛙を「田鶏」、つまり田んぼの鶏と呼んで日常的によく食べる。鶏のささ身みたいでなかなかいける味だ。
 水槽のすっぽんは逃げ出そうとして、必死に前脚と後脚を踏ん張ってガラスの壁を乗り越えようとする。水槽の横の台には、ぶつ切りのワニが置いてあった。さすがに生きたワニは物騒だから店におけないようだ。逃げ出しでもしたら大騒ぎだ。ワニがうろついている市場なんて怖くて行けない。こっちが食べられてしまう。
 カニを食べようという話になり、河蟹《かわがに》を買った。大きさは文庫本を一回り小さくしたくらいで、見た目は上海蟹とよく似て、僕には見分けがつかないけど、種類が違うらしい。今の季節がいちばんおいしいとのこと。店員が生きた河蟹を一匹ずつ紐を十字にかけて縛ってくれる。こうしないと、はさみでお互いを傷つけてしまうそうだ。
 店のなかでは、魚屋の亭主が人間の身長くらいある長いヘビをさばいていた。ヘビの腹をナイフで切り、両手でヘビの肉をビリビリっと大きな音を立てながら真っ二つに裂く。さばきたてだから、まだ筋肉が動く。ベルトみたいになったヘビの片割れは、とぐろを巻こうとしてか丸くなる。見物していて、ちょっと怖くなってしまった。中国にいるうちにいろんな食材を見慣れたけど、やっぱりヘビだけは苦手だ。
 海の魚は、残念ながら活魚では売っていない。日本の市場と同じように砕いた氷の上に死んだ魚が並べてある。さんま、太刀魚、イトヨリをもっと派手にした赤い魚なんかがおいてあった。日本だと結構いい値段のする舌平目が普通の魚と同じ値段で売っている。ムニエルにしたらおいしいけど、今回は鍋料理だから買うのは見送り。
 今度は豚肉コーナーへ進む。
 解体した豚の一部が骨付きのまま生々しく吊るしてあって、下の平台には切り身、内臓、豚足やらがならんでいる。こちらもさばきたてだから新鮮だ。日本では肉とモツ以外はほとんど食べないけど、中国の場合、耳も、尻尾も、脳味噌でさえも、あますところなくまるごと一匹食べてしまう。豚料理でお目にかかったことがないのは、目玉くらいだろうか。
 豚肉コーナーの並びには、ほかの四足の肉を売っていた。
 毛をむしった文字通り赤裸々なウサギが丸ごと一匹吊るしてある。さすがにこんな姿を見るとかわいそうだ。古事記に出てくる因幡《いなば》の白兎もこんな風にされてしまったのだろうか、とつい想像してしまう。
 兎のとなりには、血まみれになった山羊の頭がでんと置いてあった。角はもちろんついたまま。ヤギの生首はいささか迫力がある。ちょっとたじろいでしまった。どんなふうに料理するのだろう。鍋でぐつぐつ煮込んでスープを取るのだろうか? 食べるところはあんまりなさそうだけど、売れるのだろうか? こんなものを見るといろんな疑問が頭のなかで渦を巻いてしまう。でも、生首は三つもある。それだけ店にならべるということは、やはり需要があるのだろう。
 ヤギの隣は狗肉。つまり、犬の肉だ。
 中国ではあたりまえのように食肉用の犬を売っている。別の地方で檻に入れられた食用犬を見たことがあるけど、毛の色は黒か灰色で痩せた犬だった。芸術家肌の彼の話によると、広州でも同じ種類の犬だそうだ。独特の臭みがあるけど、寒い冬に食べると体が温まる。子供のおねしょにもよく効いて、狗肉を食べるとおねしょをしなくなることから、子供の頃、親に狗肉を食べさせられたという人は割合にいる。だけど、最近の若い中国人は、かわいい犬を食べるのはかわいそうだと言ってあまり食べない。豊かになって古い習慣がすたれつつあるようだ。
 日本では中国の食用犬としてチャウチャウが有名だけど、中国の南方でチャウチャウを食べたことがあるという人にまだ出会ったことがない。友人知人の広東人に片っ端からチャウチャウを食べたことがあるかとたずねてみても、みんな首を振る。狗肉をとくに好むのは中国の北方人だそうだから、チャウチャウは北方で食べるのだろうか。
 エフ君の家へ戻り、鍋の準備を始める。
 台所やバスルームで肉や野菜を洗い始めた。みんな、自分の家のように使っている。日本では、他人が自宅の台所へ入るのを嫌がる傾向があるし、逆に他人の家の台所へ入るのは遠慮するけど、中国ではまったくといっていいほどそんなことはない。このあたりは中国人特有の人の距離の近さだ。
 僕も手伝おうとしたのだが、いいから座って待っててくれよと言われて、参加させてもらえない。どうも、外国人は特別な客だからそんなことをさせてはいけないという意識が彼らにはあるようだ。ちょっとさびしいけど、しかたない。もっと打ち解けた間柄になれば、スムーズに参加させてもらえるようになるのだろう。
 テーブルに電気コンロを用意して鍋を置き、鍋のなかへ中華流鍋の素の袋を開けて鍋に入れる。甘草などの漢方薬や干した棗《なつめ》をワンセットにしたもので、これがないと中国の鍋の味にならない。出汁に漢方薬を入れるところが中国らしい。どうせ食べるのなら、より健康的にということだ。
 ワゴンに切った肉や野菜をならべて、おおかたの支度ができたところで、ジェイ女史が持参した自家製の梅酒を味わう。いい白酒《バイジュウ》を使ったようで、上品な甘い味がして飲みやすい。ジェイ女史によると、青梅を乾かしてからセイロで蒸して表面のあくを抜くのがおいしい梅酒をつくるコツだとか。
 九人でテーブルを囲んだ。賑やかだ。
 乾杯してから、前菜のゆで河蟹を食べる。
 カニ味噌が甘くてうまい。箸の先ですみずみまですくって食べる。河蟹だから身はさほどないのだが、味はわるくない。中国人たちは器用にしがんでいる。食べ方が上手だ。
 カニを食べているうちに、鍋のなかの烏骨鶏がいい感じになってきた。
 烏骨鶏の肉は栄養満点だ。
 僕の祖母がこんな話をしてくれたことがある。
 祖母は子供の頃に大病をわずらってしまったのだが、その時、祖母の祖父が烏骨鶏まるごと一匹をお酒にひたし、一か月間毎日、七輪のうえでぐつぐつと煮込んでまるであめのようになった滋養剤を作った。それを毎日すこしずつ食べた祖母はすっかり病気がなおって元気になり、体も丈夫になってその後は病気知らずになったのだそうだ。
 烏骨鶏の肉は、濃い味がしておいしい。いかにも栄養がありそうな味だ。僕は普通の鶏肉よりも、烏骨鶏の肉のほうがずっと好きだ。中国ではどの市場でも売っているし、値段も鶏よりすこし高いだけだけど、日本であまりみかけないのはどうしてだろう。飼育がむずかしいのだろうか? おいしくて栄養もあって、いい食材だと思うのだけど。
 烏骨鶏を平らげてから、普通の鶏を鍋へ放りこむ。さばきたてだから、こちらも味がいい。冷凍ものとはやはり違う。味の濃い烏骨鶏を食べた後に鶏肉を食べて、すこしばかり口がさっぱりした。
 第三ラウンドの海鮮鍋へ突入。エビ、イカ、カキをどっさり鍋へ入れた。
 烏骨鶏、鶏で出したスープに海鮮の味が加わってぐっと美味になる。僕は具を小鉢に取らずにご飯の上へおいた。汁がご飯にしみて二度おいしい。
 ここらあたりでいい感じにお腹がふくれてきて、余裕が出てきた。もう鵜の目鷹の目でどの素材が煮えたかを探さなくてもいい。なにせ九人で一つの鍋を囲んでいるから、うっかりしていると食べるものがなくなってしまう。
 お酒も回ってきていい気分になった僕は、芸術家肌の彼といろいろ話をした。
 彼は四川省成都からチベットのラサまで自転車で旅をしてみたいという。手つかずの大自然がそのまま残っていて途中の景色は抜群だから、このルートに魅せられる旅人は多い。来年の五月あたりに実行するつもりなので、その夢に備えて週末は自転車で遠出したりして訓練しているのだとか。チベット行きとなれば標高四千メートルクラスの高山をいくつも越えることになるので今からしっかり鍛えておかなければならない。結婚して小さな子供もいるのだが、奥さんは「行きたいのなら、行ってらっしゃい」とあっさり賛成してくれたそうだ。いい奥さんだ。
 話題の方向を変えて、今の中国についてどう思うかとたずねると、今は高度成長で発展しているけど楽観はできないなどとわりと突き放した意見を述べる。外国の文化をいろいろ吸収した彼は、自分の国のことや自分自身のことを客観的に見られるようだ。
「今の世の中は、拝金主義が蔓延しすぎちゃってるからどうかなって思うよ。お金さえ儲かればいいってもんじゃないだろう? でも、自分自身で公共の利益になるようなことをするのって、この国ではむずかしいんだよな。昔は社会のことなんかもいろいろ考えて、福祉団体を作ったりしてなにか社会のために役立てることができないかなって真剣に思ったんだけど、結局、自分の生活を考えることにしたよ。僕がいろいろ考えたところで、中国では一般の庶民の意見は反映されないんだ。なにせ一党独裁だからね。君たちの国なら、いろんなことを自由にできるんだろうけど」
 彼はあきらめたように言う。
 たしかに、日本では結社の自由が認められているから、好きに福祉団体を作ることができるけど、中国ではなかなかむずかしい。その団体が反中国共産党組織になりはしないかと政府から警戒されるためだ。こんな話を聞くと、日本は恵まれた国なんだと思う。保障された自由を活かしきれているかどうかは別にして、だけど。
 気がついたら、鍋へ入れるものがなくなっていた。
 食べきれるかなと思ったくらい用意した肉も、海鮮も、野菜もみごとになくなっている。だけど、まだみんな食べたりない。
 こりゃ大変とエフ君が厨房へ入る。
 日本では出されたご馳走をすべて平らげるのが作法だけど、中国ではほんのすこし残して「もう食べ切れません。じゅうぶんにいただきました。ご馳走をたくさん用意していただきましてありがとうございます」と主人の顔を立てるのが作法だ。中国へきた当初は、なんてもったいないことをするんだろうと違和感があったけど、どちらももてなしてくれた主人に感謝をあらわすという礼儀は一緒で作法(表現方法)が違うだけだということに気づいてから、あまり気にならなくなった。郷に入りては郷に従え。
 ただし、招いた客が用意した食事をすべて食べきってしまうと主人は大変だ。中国では主人がきちんともてないしていない、つまり、無礼をはたらいたということになるので、主人は面子にかけても招待客全員が満腹になるまで料理を作り続けなくてはならない。
 エフ君は冷蔵庫にあった卵でスクランブルエッグを山盛り作った。彼の料理の腕はなかなかのものだ。でも、おいしいからみんなあっという間に平らげてしまう。
「うっひゃー。もう食べたの?」
 エフ君はうれしい悲鳴をあげ、厨房へ逆戻り。スクランブルエッグをもっと食べたいというリクエストに応えて、彼はもう一皿作った。ただ、もう卵がないとのことで、量は三分の一に減った。これもすぐに片づけてしまった。
「エフ君、もっと食べるものはないの?」
 エフ君の幼馴染という女の子がねだる。
「もうしわけない。冷蔵庫が空なんだよ。デザート用にこしらえたゆで栗ならあるんだけどさ」
「それそれ、早くもってきてよ」
 みんなにせきたてられてエフ君は大きなボールにいっぱいのゆで栗を運んできた。素朴な味だ。なんにも足さない自然の甘みがいい。
 ジェイ女史が僕の手相を観た。
 手相を観ているうちになにか気になったようで、彼女は僕の手の甲の骨をさぐる。
「野鶴さん、あなたはちゃんと食べていないでしょう。だめよ、栄養を考えて食べなきゃ」
「なんでわかるの」
 たしかに、残業で忙しくて夜はマクドナルドですませることが多い。日本にいた頃はあんまり食べなかったけど。それに、中華料理は油がきついので胃に負担がかかる。
「骨ががたがただわ。胃腸が弱ってる証拠よ」
 そう言って、ジェイ女史はマッサージを始めてくれた。手の甲の骨をまっすぐ伸ばすようにしてもみほぐす。気持ちいい。すねも同じようにもんで、胃腸に効くという腰のつぼを押してくれた。彼女がぎゅっと力をこめて押した時、僕の腸がくねっと動いた。正常な位置からずれた腸があるべきところへ戻った証拠だ。僕は学生の頃、ひどく腸を痛めたことがあって、一週間ほど下痢がとまらなくなったことがあった。医者へ行ってもひどくなるばかりだったので整体へ行ったところ、整体師さんは彼女が押したのとまったく同じつぼで完全になおしてくれた。彼女の知識は正しい。物知りでいろんなことを器用にこなせる人だ。
 この後、試練が待っていた。
 ジェイ女史は大酒豪だ。アルコール度五十数%の白酒でも、ウイスキーでもなんでもぐびぐび飲み干してしまう。まるでうわばみのようにとは、この人のためにある言葉だ。
「胃腸もよくなったことだし、さあもっと飲みましょ」
 彼女はグラスをかかげる。中国式乾杯攻撃が始まった。
「乾杯《カンペイ》」
 みんなでグラスをあわせる。乾杯とは、文字通り杯を乾すことだ。歴史小説の『西門豹《せいもんひょう》』でもそんなシーンを描いたけど、開けたグラスを逆さにして飲み干したことを証明するのが作法。飲み干さないと、さあ全部飲んでと催促される。ウイスキーで何度も乾杯しているうちにふらふらになってしまった。ただジェイ女史とみんなに合わせて乾杯するだけで、もうウイスキーの味もわからない。
 いつの間にか、僕は寝こんでしまっていた。
 エフ君が僕を叩き起こす。
「お開きなの――」
 それじゃ、今日はありがとうと言おうとすると、
「これから砂鍋粥を食べに行くんだ」
 と、エフ君ははしゃいでいる。みんな、かなり盛り上がってわいわい話している。
「えっ、まだ食べるの?」
「だって、お腹すいたじゃない。もう夜中の一時だしさ」
 エフ君は僕の腕をがっちり掴んだ。絶対に離してくれそうもない。
 一度乗ってしまうと中国人はとめられない。
 僕は、夜中も営業している砂鍋粥店まで拉致されてしまったのだった。


 了


否定してはいけない(エッセイ)

2011年02月20日 19時18分33秒 | エッセイ
2010年 02月 03日に投稿したエッセイです。今は別の仕事をしていますが、自分としては思い入れのある作品です。お暇にでもどうぞ。
「小説家になろう」サイトでもごらんいただけます。
http://ncode.syosetu.com/n6880j/

まえがき

出会った人から大切なことを教えてもらいました。それは、「相手の考えを否定してはいけない」、「いいところを伸ばそう」ということです。簡単にできることではありませんが、それができるようになれば、いろんなことがずいぶんよくなるような気がします。


否定してはいけない

 中国語通訳という仕事をしていると、いろんな人の話を聞くことができる。というよりも、興味があろうとなかろうと全身全霊をかたむけて真剣に聞かなくてはいけない。ぼんやり聞いていたのでは通訳などできないから。これがまたいい勉強になる。自分の世界を広げるのに役立ってくれる。
 日系広告企業の中国現地法人で勤めていた僕は、去年、広告クリエイティブの技術指導のために日本の本社から派遣されてきた講師の通訳を半年間ほど勤めた。講師のAさんは活きのいい優秀なクリエイターだ。日本へ戻った今は、本職のアートディレクターへ復帰して活躍している。アートディレクターとは、簡単に言えば美術表現といったヴィジュアル面での総合広告演出者のことだ。Aさんは美大出身だった。
 彼とは馬が合った。
 同世代だったこともよかったのだろう。
 一緒に町を歩いていると、Aさんは驚くほど実によく観察する。広告の看板やポスターはもちろん、町のたたずまいや人の様子をよく見ている。そして、Aさんは僕が思ったこととまったく同じことをよく口にした。同じ日本人だからということもあるけど、それだけではない。彼と僕は似たところがずいぶんあった。不思議な縁もあるものだな、といつも心のなかで思っていた。自分と似たような感受性の持ち主に出会えることはごくまれだ。貴重な出会いだ。
 初めて中国で暮らしたAさんは、かつて僕がそうなったように、誰でもそうなるように、カルチャー・ショックに悩んだ。
 日本と中国では土壌が違いすぎる。
 この二つの国は文明の種類が違うと言ってもいいくらいだ。
 チームワークを重視して周囲を見回しながら物事を進める村社会の日本人と、周囲のことなど眼中になく自分が世界の中心と信じている中国人とでは、仕事の進め方がまったく違う。当然、クリエイティブという仕事に対する考え方も異なる。Aさんは中国とは水が合うようで、中国の生活そのものは楽しんでいたけど、中国人の同僚はいったいなにを考えているのかと、よく相談を受けたものだった。僕は通訳以外に、いわば中国社会学入門の講師を務めたようなものだ。クリエイティブの先生は彼だけど、僕は中国についての先生だ。そんな気分も手伝って、Aさんにはなかのいい従兄弟のような親しみを覚えた。
 彼から学んだことはたくさんある。
 そのなかでもいちばん心に残っているのは、彼が、
「否定してはいけない」
 と、言ったことだった。
 クリエイティブのミーティングでは、どんな広告を創ればよいのかということについて、アートディレクター、コピーライター、デザイナーといったクリエイターそれぞれがさまざまなアイディアを出してみんなで話し合う。ミーティングではもちろん、各人が言いたいことを言って活発に討論すればいいのだけど、その時、他人のアイディアを否定するのではなく、どこを伸ばせばもっとよくなるのか、あるいは、もとのアイディアを発展させてどう工夫すればよいのかを言うべきだとAさんは主張するのだ。
「他人のアイディアを否定しちゃいけないっていうのは、私が会社へ入った時、いちばん最初に先輩に言われたことなんです。それで、先輩方の発言をよく聞いていると、優秀な人はやっぱり否定しない。優秀な人ほど否定しません。かならず、そのアイディアのいいところを見つけて、そこを伸ばそうとするんですよ」
 熱く語るAさんの話を聞きながら、いいことを教えてもらったと思った。やはり、彼のほうが先生だ。
 Aさんは、ミーティングの時に中国人クリエイターのアイディアを見ると、面白い部分を見つけ、もとネタから発展させていろんなアイディアを繰り出した。アイディアをどう練り上げるかだけを考えている。Aさんがいる間に、世界的に有名なクリエイターの大御所とベテランクリエイターのコンビが日本からやってきて研修会を開いたのだけど、彼らはもっとすごかった。おもしろいアイディアを褒めるのはもちろん、僕が素人目に見てもどうかなと思ったアイディアでも、かならず即座にいいところを見つけて褒める。決して否定しない。彼らはいいところを見つけ出す達人だった。研修会が終わった後、
「さすがですねえ」
 と、Aさんと僕は二人でうなずきあったものだった。
 もちろん、なんでもかんでも肯定すればよいというものでもない。仕事である以上、幼稚さや粗雑さは許されない。基本はしっかり押さえなくてはならない。Aさんは、若い人に向かってなんども口を酸っぱくして基本的なことを指導していた。
 否定してはいけないという考え方は、とてもストイックだ。
 誰しも、自分のアイディアがかわいいものだろう。アイディアというのは自分の子供のようなものだから、当然かもしれない。他人のアイディアを見ると、それを否定して自分のほうがもっといいと言いたくなるのも、自然といえば自然だ。だけど、そこはぐっとがまんして、いいところを見つけ出すように努力する。いったん相手の意見を飲みこんだうえで、いいところを咀嚼《そしゃく》して、どうすればもっとよいものになるのかを考える。なかなかできることではないし、かなりの修練が必要だけど、それがすっとできるようになれば、こんなにすてきなことはない。
 この否定してはいけない、という禁欲的な考え方は人生のいろんなところで応用できるのではないだろうか。仕事だけではなく、日常の暮らしのなかで家族が言ったことについても、友達が言ったことについても、恋人が言ったことについても。
 思えば、今住んでいる世の中には「否定」が満ちあふれている。日本経済はデフレだそうだけど、日本の世間は「否定」のインフレだ。
 大人は世間で「ダメ」と言われ続け、子供は学校や家庭で「ダメ」と言われ続け、どれだけの人々が傷ついているだろう。どれだけの「いいところ」が損なわれていることだろう。競争社会だからしかたないと言う人もいるかもしれないけど、実際の世間では「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦います」というようなことにはなかなかならない。競争社会と言いながら、実際に行なわれていることは、足の引っ張り合い、つまり「否定」合戦であることが多い。自分が努力を重ねていい結果を出すよりも、相手を否定して自分の踏み台に使ったほうが楽だから。相手を「否定」しなければ、逆に自分が「否定」されてしまうから。こんなふうでは、鬱病にかかったり、引きこもりになったり、リストカットしたりする人たちが大勢出るのもむりもない。そうなるなというほうがむりというものだ。
 もちろん、さっきも書いたようになんでも肯定して認めればいいというものではない。
 この世には悪意の塊のような人もいるから、彼らを認めることはできない。悪意を肯定しては、善意が損なわれるだけだ。昔から言われている。悪貨は良貨を駆逐する、と。仕事の場合、技術的な未熟さを肯定するわけにもいかない。いささか大袈裟なたとえになるけど、この飛行機のエンジンは火が噴くかもしれないけどいいよね、では困る。だけど、よいものを目指そうという心から生まれたアイディアや意見なら、それを否定せずに、どうすればいいところを伸ばせるのかを考えてみればどうだろうか。
 簡単にできることではない。
 かなりの包容力が必要だ。
 他人を「否定」したくなる気持ちは誰だって持っている。それも心の奥の根深いところにあるかなり強い感情だ。負けたくないという意地だ。こんな偉そうなことを僕は書いているけど、果たして自分にできるのかとも思う。それに、よいところを伸ばすつもりで意見を言ったとしても、相手に否定したと受け取られることも多々あるだろう。
 だけど、
「否定してはいけない」
 と、時折、心にささやきかけてみるだけでも、ずいぶん違ってくるのではないだろうか。
 ほんのちょっとしたストイックさが、自分自身やこの世界に広がりを与えてくれるような気がする。いいところを伸ばせそうな気がする。否定しないということが、ひいては愛や慈悲の心が芽生えることへつながるのかもしれない。
 否定してはいけない。
 人のことも、それから、自分自身のことも。


  了

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