中国人のある船乗りの若者が中国のある会社と労働契約を取り交わした。
若者はスペインへ行き、そこでコンテナ船に乗り込むはずだった。若者は会社の手配した飛行機に乗り、フランクフルト経由でスペインへ向かったはずだった。
しかし、着いたのは小さな島。でも、町の名前はスペインシティ。なにかがおかしい。もっとおかしいのは、タコ部屋へ放り込まれ、木造船に乗って漁へ行かされたことだ。
若者は持ってきたなけなしのお金で中国の家族へ電話をかけた。
「お兄ちゃん、僕はどこにいるのかわからないよ。船乗りになるはずだったのに、漁師をさせられているんだ。コンテナ船なんてどこにもないよ」
家族は電話会社にどこから電話がかかってきたのか、調べてもらった。カリブ海に浮かぶある島から電話がかかってきたことがわかった。家族は慌てた。若者は苦力(クーリー)として売られてしまったのだ。奴隷売買とおんなじことだ。
若者から家族へまた電話がかかってきた。
「お兄ちゃん、僕がどこにいるのかわかった?」
「スペインじゃない。カリブ海だ。中米のあたりだよ」
「ええ? やっぱりスペインじゃないの?」
「スペインシティというのは町の名前がそうなっているだけで、ぜんぜん別の国だ。早く帰ってきなさい」
「そんなこと言われても、ここの言葉もわからないし、お金もないし、どうしようもないよ。助けてよ」
同じように売られた中国人の若者がほかにも二人いた。若者の家族は、他の家族と相談していっしょにその奴隷売買会社へ行った。出てきたのはヤクザだった。
「返せだって? そいつは契約違反だろ。できないね。一生そこで漁師をするっていう契約書にサインしたのは誰だね? え?」
ヤクザは署名済みの契約書を見せてすごむ。
「お前たちが弟を騙したんだろ。家族を返せ!」
家族はヤクザと交渉し、数万元のお金を払って奴隷売買会社に航空チケットを手配させて家族を送り返させることになんとか同意させた。ただ、他の一家族は、
「騙されたのが悪いのだから、お金は払わない」
と言ってそのまま息子をカリブ海に置き去りにすることにした。たぶん、それだけのお金を用意できなかったのだろう。もしかしたら、その彼は今でもカリブ海で漁師をしているかもしれない。
若者はタコ部屋から放りだされ、三日間野宿した後、飛行機に乗って中国へ帰ってきた。今ではまともな船会社に就職して元気に船乗りをしている。
帰ってこられたからよかったようなものの、下手をすれば一生カリブ海で奴隷をするところだった。
船乗りの契約をする時は、労働契約書をきちんと読みましょう。
(2015年10月24日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第336話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/