西門豹の話は『史記列伝』の『滑稽伝』に載っている。
以前、中国に語学留学していた頃、外国人向けの北京標準語の教科書で読んだ。もちろん、古代文ではなく、読みやすく仕立て直した現代語訳で。小テストがあって、一部分を暗記して先生の前で暗誦したりした。
西門豹のことを中国人の友人に話したら、みんな楽しそうに笑う。現代語訳が中国の教科書に掲載されていて、学校で勉強したのだとか。日本ではあまり知られていない話だが、本場の中国ではわりあい有名な話のようだ。
西門豹伝に描かれた「毛沢東作戦」
『史記』に描かれているこの話のエッセンスを権力闘争の面に絞って抽出すると、次のようになる。
1、鄴は洪水によって疲弊しており、庶民の生活は困窮していた。そこへ西門豹が改革を実行するために送りこまれた。
2、中央政府と地方政府の間に反目があった。また、地方政府には激しい腐敗があった。
3、西門豹は、地方政府の腐敗と生活の困窮にあえぐ地元の村長や古老たちの支持を取りつけた。
4、西門豹は地方政府上層部の権力を剥奪し、中央政府の意向に従わせ、地元の村長などの支持のもとに改革を実行した。
なんてことはない。これは農民の支持を取りつけて、都市の支配層を追い出す話だ。つまり、農村が都市を包囲するという「毛沢東作戦」である。
中国の歴代王朝はたいていの場合、疲弊した農村の支持を得て政権を奪取した。中国の伝統的な権力の握り方が西門豹伝には書いてある。毛沢東もしかり。もちろん、中国全土を支配するのと一地方都市を支配するのとではスケールがまったく違うが、その構造は同じだ。中国は古代から「毛沢東作戦」で政権を掌握する国だったのだ。
龍退治、もしくは自然への挑戦
もちろん、この話の面白味は別のところにある。
西門豹伝は、いわゆる「龍退治神話」のジャンルに属するものだ。
龍は川の化身。そして、洪水のシンボルでもある。洪水に悩まされ続けてきた人類にとって、川をどう治めるかは大きな課題だった。龍を退治するということは、暴れ川を治め、洪水を克服するということ。つまり、自然への挑戦物語である。
中国神話の一番最初は禹の治水物語。言い換えれば、治水をはじめるところから、「開発の文明」がはじまるといっていいかもしれない。ちなみに、中国の歴代皇帝のシンボルは龍だった。中国では川を治める者が皇帝となるのだ。
神話には人の心を揺さぶる物語の原型《アーキタイプ》がある。龍退治もその一つである。西門豹伝は神話ではなく史実だが、この自然への挑戦物語という原型が変形した形で話の骨格として使われており、これが人の興味を惹きつける。洪水という巨大な敵をどうやって打ち負かすのか、ここにこの話の旨味がある。
『史記』にかけられたバイアス
『史記』には、さまざまな歴史上の事実やエピソードが載っている。
だが、それらの事実やエピソードはすべて司馬遷の視座《パースペクティブ》によって描かれており、さらにいえば、『史記』は客観的な歴史的事実を述べるために執筆されたものではなく、漢王朝、とりわけ漢の武帝の正統性を証明するという別の目的のために書かれたものだ。つまり、『史記』は司馬遷の目を通して描かれた括弧つきの「歴史」であり、司馬遷の見解が「正しい」わけではない。また、描かれた事実やエピソードも司馬遷の考え方や執筆意図に沿うものが選ばれている。歴史書にかけられたバイアスをどう読み解くのか、ということも大事なことだ。
『史記』の西門豹伝では、地方政府の腐敗と信仰を食い物にした詐欺事件が描かれている。このようなことは現代でも枚挙に暇がない。話としては面白い。いつの時代でも政治と宗教に腐敗はつきものだ。だが、果たして本当なのだろうかと疑ってしまう。先にも述べたようにこの話には、中央政府と地方政府と間における権力闘争の一面が色濃くある。権力闘争に敗れた側は悪く書かれるのが「歴史」の常なので、三老や巫女の地方政府がほんとうにそこまで激しく腐敗していたのかどうか、慎重に考えたほうがいいだろう。「歴史」は往々にして勝者によって書かれるものだ。とはいえ、勝者が必ずしも正義とは限らない。敗れたものが悪とも限らない。
東洋的な古い「近代」
西門豹伝の最後には、漢王朝の時代に西門豹が建設した水路を変更する命令が出たが、地元の人々は西門豹のおかげで暮らしがよくなったのだから、それを変える必要はないと反対し、西門豹の水路はそのまま使われることになったという話がエピローグとして紹介されている。それほど、西門豹は鄴の人々から感謝されていた。後代まで感謝される知事はなかなかいるものではない。西門豹が善政を敷いたのは確かなことだろう。
西門豹は河伯が空想の産物であることを看破し、それを人々に証明してみせた。龍の幻影に怯えていた人々はその恐怖から解放され、その結果、開発が進み生活が向上した。生活がよくなったのはとてもいいことだ。西門豹の事業は高く評価されるべきだと思う。
ここに東洋的な古い「近代」の形がある。
西門豹伝は、一面からいえば、精霊信仰《アニミズム》の否定と人間中心主義《ヒューマニズム》によって描かれたエピソードということができる。龍=自然を崇めるという「信仰」を「迷信」として切り捨て、人間をこの世の主人とみなして「開発」を進めるというものだ。
ここで注意しなければならないのは、西欧的な近代だけが近代のすべてではない、ということだ。中国には中国流の「近代」がある。
中国は遅れた国と思われがちだ。たしかに、西欧近代科学による産業振興や民主主義による国造りといった西欧的な尺度をとれば、遅れをとっている。しかし、中国には悠久の歴史がある。日本にまだ文字がなかった時代に、政治、哲学、医学、歴史、兵法、詩などの各ジャンルにわたって数多《あまた》の書物が執筆されていた国だ。近代的な文明という観点からみれば、中国は日本よりもはるかに長い歴史を持っている。
「近代」とは神々を追放し、人間が世界の王座に坐ることだ。自然を人間に隷属させることだ。この点については、洋の東西に変わりはない。
『史記』の西門豹は、中国流の近代化の観点から好ましい人物として描かれている。西門豹は、龍信仰を迷信として切り捨てることで開発への道を切り拓いた。宗教によって制限されていた人間の活動領域が拡大した。現代流にいえば、開発独裁といったところだろう。
西門豹は、人間中心主義《ヒューマニズム》と開発の推進という東洋的な古い近代を体現している。
ヒューマニズムと開発の流れの先に
西門豹の政策によって洪水が減少し、鄴は発展したわけだが、近代的なものがすべてよいと、手放しで賞賛するわけにはいかない。
人間中心主義《ヒューマニズム》は、一歩間違えれば非常に危険な思想となる。不完全な人間が神になれるはずもない。なれるはずもないのだが、神になれるものだと思い上がってしまう。なにか崇高なものや理想といったものに対する敬虔な気持ちがなければ、優しさや理性の源泉がなくなってしまい、人間はすぐにでも野獣化してしまう。そんながらんどう人間中心主義人間の行き着く先は袋小路でしかない。行き場を失い、やがて文明そのものが終焉を迎えることになるだろう。
小説では、ヒューマニズムに対置するものとして、精霊信仰の世界に生きる巫女の彩を描いた。彼女の考え方は、人間は自然のなかでしか暮せないのだから、やはり自然と共生する道を選ぶよりほかにない、そして、自然と共に生きるためには自然に対する敬意がなくてはならない、というものだ。
西門豹のヒューマニズムの流れの先に今日の文明がある。ギリシア神話のギルガメシュも、森の神を殺す話だ。精霊信仰だけでは現代のような世界は出現しない。自然を殺すことで人の世は栄えた。
今は非常に便利な世の中だ。行きたいところへどこへでも行くことができる。世界中を飛び歩くこともできれば、ネットに接続して世界中の情報を集めることができる。自動車も飛行機もカメラもパソコンも、西門豹の時代の人間から見れば魔法のようなものだろう。しかし、精霊信仰を完全に切り捨ててしまうのは、やはり問題ではないだろうか。
もちろん、現代において、自然へ帰れといっても、今更後戻りはできない。たとえば日本で精霊信仰を取り戻そうとしても、もはや大多数の人々は自然のなかでは暮していない。精霊信仰は自然のなかでの営みによって生まれたものだから、コンクリートジャングルの都会や郊外の住宅地で暮らしながらそれを取り戻そうとするのは至難の業だ。とはいえ、「自然を殺す文明」ばかりが発展しすぎた。開発もある一定の線を越えれば、プラス面よりもマイナス面のほうが増えてしまう。たとえば、公害問題もその一つだ。黄河の水は奪いつくされ、季節によってはあの大河が断水するまでになった。かつては豊かな森だった平野も砂漠化が進み、北京は毎年猛烈な砂嵐に見舞われる。小説中の彩のようにとまではいかなくとも、「自然と共生する文明」の道を模索する必要があるのではないだろうか。もちろん、人間と自然の間ばかりではなく、人間同士でも共生する道を。どうやら、人間は自然と共に暮すことを忘れた時、人間同士共に生きることを忘れてしまうもののようだから。
『史記』の西門豹伝に描かれた西門豹は有能で非常に魅力的な人物だ。彼の功績は大きい。だが、ヒューマニズムと開発の行き過ぎた現代においては、逆の角度から、つまり精霊信仰の視点から物事を眺めることも重要ではないだろうか。
(あとがき)
本文は『史記』の西門豹伝に潜む構造を筆者なりに解き明かしてみたものです。筆者の視座《パースペクティヴ》によって書かれたものであり、当然、筆者のバイアスがかかっていることは言うまでもありません。
当ブログの『西門豹』の第1章のページはこちら↓
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