風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

カレーライス

2015年06月24日 13時15分15秒 | 詩集
 
 もうだめだわって君は
 ことりと包丁を置いた
 そんなにのぞきこんで
 切ったらだめだよ
 たまねぎが眼に染みるのは当り前さ
 君は涙をぬぐう
 
 ほら貸してごらん
 こうやって胸をそらせて
 玉ねぎの汁がなるべく
 飛んでこないようにするんだよ
 そうぐっと胸をそらせて
 僕のメガネをかけてあげる

 じゃがいもは
 小さめのほうがいいかな
 僕は大きいのが好きだけど
 女の子は食べやすいほうがいいから
 親指くらいの大きさに切っておこう
 君の口に合うように

  カレーライスの匂いは
  倖せの香り
  素敵な君と出逢って僕は
  生きることを選んだ


 初めてデートした時のことを
 君は覚えてるかな
 二人で登ったテレビ塔
 租界時代の瀟洒な洋館に
 大阪行きのフェリーが見えた
 春霞立つ黄埔江のほとり

 君の笑顔があんまりかわいいから
 僕はなんとなく
 そんな気がしてたんだ
 僕たちはいっしょに
 暮らすことになるだろうと
 なんとなく予感がしてたんだ
 おだやかな陽射しのなかで

 オリーブオイルをすこしたらして
 肉を炒めてしまおう
 いい香りが立ち上ってくるね
 玉ねぎを入れて
 すこしずつかきまぜよう
 透き通る色になるまで
 焦がさないように気をつけながら

  カレーライスの匂いは
  倖せの香り
  素敵な君と出逢って僕は
  生きることを選んだ


 お玉を取って僕に渡して
 鍋の端に浮いた灰汁をすくうから
 心のゴミもいっしょだね
 すこしずつ取ったほうがいい
 ささいなことでも僕に話して

 お玉のなかに割ったルーを入れて
 箸でかきまわして
 ゆっくり溶かすんだよ
 箱には五分でいいと書いてあるけど
 二十分くらいは煮込もうか
 愛情もじっくり煮込んで

  カレーライスの匂いは
  倖せの香り
  素敵な君と出逢って僕は
  生きることを選んだ




披露宴のイスラム教徒専用テーブルin雲南(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第294話)

2015年06月17日 06時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 雲南省のとある町で結婚披露宴へ行ったことがある。
 中国の披露宴は日本と違って自由参加型だ。もちろん家族と主だった親戚はステージの近くに坐るけど、あとの人たちは自由席。当日、飛び入りで参加してもまったく問題ない。食事は大皿料理をみんなでつつくから、多少人数が増えたところで椅子と食器を追加すればそれですんでしまう。
 雲南人の友人が元同級生の結婚披露宴へ行くというので連れていってもらったのだけど、ホテルのレストランの会場で適当に坐ろうとすると、
「そこはだめ」
 と友人が言う。
 なんでも、イスラム教徒専用のテーブルだそうだ。言われてみればそのテーブルだけ違う料理がならんでいる。イスラム教徒は豚が御法度なので豚肉抜きのイスラム教徒用メニューを用意してあるのだ。雲南省は回族と呼ばれるイスラム教徒がわりと多い。回族の顔立ちは漢族とあまりかわらない。イスラム教徒に改宗した漢族といったところだ。友人は回族ではないので、普通の席に坐った。回族料理もおいしいから舌鼓を打ってみたかったのだけど。
 友人は、披露宴が始まる前に回族のテーブルへ行って回族の同級生とすこしおしゃべりをした後、普通のテーブルへ戻った。披露宴の開始前から終了まで、回族は回族同士だけでかたまって坐ったまま。回族とほかの人たちが会話することはあまりなかった。
 いっしょに食事をしながらおしゃべりをして仲良くなるというのは社交術の基本だ。だが、料理もテーブルも違っていたのでは仲良くなるのにも限度があるのかもしれない。食べ物のタブーは信者同士の結束を固めるのには都合がよいだろうけど、他の宗教の人々との交流のさまたげになってしまう。
 もちろん、食事がいっしょにできないことはほんの一例に過ぎないのだけど、イスラム教徒がほかの民族と打ち解けるのはなかなかむずかしいのかもしれないとそのときふと思った。

 


(2014年4月6日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第294話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


うちで働いてみない? in 広州(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第292話)

2015年06月10日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 以前、勤め先の日系企業で日本人スタッフを募集して面接したことがあった。
 採用の条件は中国語が話せることとある程度の社会経験があること。ごく簡単な条件なのだけど、この人集めはかなり苦労する。パソナやテンプスタッフといった人材派遣会社に仲介を依頼しても履歴書がまわってこない。現地採用の日本人はまず市の中心部に事務所がある会社で面接を受ける。郊外の工業団地に勤めようという人はあまりいない。市の中心で勤めたほうがなにかと便利だし、土地勘もない郊外で働くのは不安だろう。僕も初めて広州へやってきたときは、やはり市の中心に事務所がある会社で働いた。
 勤め先の立地の問題もあるのだけど、そもそも中国で働こうという日本人の数自体が減っている。二〇一三年の内閣府の調査では、中国に親しみを感じる人が二割弱、反対に親しみを感じないとした人が八〇%もいたそうだ。例の島の問題もあるし、日中間でトラブルが続いて関係が冷え込んでいるときに中国へやってくる人が少なくなるのも当然だろう。人材会社に訊いてみるとやはり若い人の応募が減っているのだとか。中国に留学する日本人の数もかなり減ったようだ。
 何か月かかけて数通の履歴書がきたのち、X君の面接を行なうことにした。
 面接の当日、人材会社から電話がかかってきた。
 なんでもX君は面接にくる途中、地下鉄に乗っていたところ大量の鼻血を出してしまいワイシャツが真っ赤になってしまったそうだ。
「すみません。本人は張り切っていたのですけど、どういうわけか鼻血が出てしまって、とても面接できない状態になってしまったんです。面接を延期していただけないでしょうか。本人も落ち込んでいますので」
 人材会社の人は申し分けなさそうにX君をかばう。僕は、面接に行くというだけで興奮して鼻血を流してしまうだなんてもしかしたら変な人なのかもしれないなと若干不安に思いつつ次の面接日を指定した。
 面接してみるとX君はさわやかな青年だった。物腰や話し方からもきちんとした会社できちんとしてきた人なんだなということがわかった。彼は雲南省の昆明で二年間留学していたそうだけど、その時、偽ユースホステルの相部屋に泊まりながら生活していたという。入れ代わり立ち代わり泊まりにやってくる中国人を相手に話をして中国語の会話能力を磨いていたそうだ。根性があるなと僕は思った。僕はバックパッカーをして半年ほどあちらこちらを転々としながらずっとゲストハウスの相部屋に泊まり続けた時期があったけど、見知らぬ人と寝起きをともにし続けるのはかなり疲れる。ましてや相手が中国人となればなおさらだ。それをものともせずに果敢に立ち向かうのはなかなかできることではない。根性がなければ中国人のなかで仕事などとてもできない。
 僕は彼の採用を決めてしまおうと思った。
 彼の希望の待遇を聞き、面接に行ったほかの会社が提示した月給を聞き出したところ、本人の希望待遇も他所の会社の提示額もすこし低いなと感じた。X君は広州へやってきたばかりで事情があまりわかっていないようだし、よその会社は彼の持っているキャパシティがわからずに安い待遇でいいだろうくらいにしか考えていないようだ。X君本人と僕の上司の両方が納得する金額はこれくらいかなと心のなかで弾き出して彼に告げた後、
「どう、うちで働いてみない」
 と持ちかけた。
 X君は案の定、「えっ」と驚いた後、
「ありがとうございます」
 といいながらもとまどった表情をした。面接してその場で採用と言われたのでは誰でもとまどってしまうだろう。ほかにもよそで面接を受けていろんな会社を見てみたいだろうし、考える時間だってほしいだろう。X君はさかんに首を振りながら考えこむ。
 今この場でX君の決心がつかないのは当然だけど、それでも、ぜひ来て欲しいという期待を伝えられたらと思って、この職場はチャレンジしがいのあるところだというようなことを言って口説いた。X君はやはり考えこむ。仕事の内容に興味は持ってもらえたようだ。
 今すぐ決めてもらえるのならそれに越したことはないけど、無理強いはもちろんできないから、
「ゆっくり考えてみて」
 と僕が言おうとしたらX君は、
「わかりました。お世話になります」
 と承知してくれた。採用したいと僕が切り出してから返事をくれるまで五分間くらいだっただろうか。漫画みたいな展開だ。
 面接が終わった頃、ちょうどお昼時になったので、他のスタッフといっしょに蘭州ラーメンを食べに行った。X君はまだびっくりが冷めないようだったので大丈夫かなとすこし心配になったけど、数日後に開いた課の忘年会もきてくれたし、一週間後には出勤し始めてくれた。
 X君とは一年半ほどいっしょに働いていろんな話をした。残念ながらその後別々の職場になってしまったのだけど、今でも交流は続いている。人の縁は不思議なものだ。もし彼がよそで勤めることになったら、いっしょにいろんな経験をすることも、腹を割って話すこともなかっただろう。
 今でもあの面接の時のことを思い出すと愉しくてくすくす笑ってしまう。




(2014年3月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第292話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


中国語にはストレスという言葉がない(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第290話)

2015年06月03日 17時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
「中国語にはストレスという言葉がないんですよ」
 中国人のW君が言った。
 言われてみれば確かにそうだなと思った。
 中国語にはプレッシャーという言葉はある。「圧力(ヤーリー)」だ。中国人はよく「圧力好大 (プレッシャーきついよ)」などと愚痴をこぼしたりする。だけど、「プレッシャー」と「ストレス」は似ているようだけど、やはり違う言葉だ。「プレッシャー」は外からかかる力であり、「ストレス」は負荷がかかってゆがんだ心の状態だ。
「ストレス」という言葉があれば、「ストレス」という概念を認識できるが、逆にそれがなければ、当然「ストレス」という概念もない。
 日本語には「ストレス」という言葉があるので、日本人はストレスがたまっているなと自覚できる。自覚できるということは、それを分析して対処することができるということだ。「ストレス」のもとになっているものから少し距離を置いてみたり、気晴らしをして心にたまったストレスを解消したりする。
「中国語には「ストレス」に当たる言葉がないから、中国人は自分はストレスがたまっているだなんて認識できないんですよ」
 W君は言う。彼は日本語が上手だ。日本で何年か生活していた経験もあるから日本と中国の違いもわかるし、ストレスという概念も認識できる。もちろん、中国語に「ストレス」という言葉がないからといって、中国人がストレスを抱えこまないのかといえばそうではない。中国人だってストレスはたまる。ただ、それを自覚できないのだ。
「自分がストレスを抱え込んでいることがわからないものだから、ストレスを解消しなくちゃいけないということもわからないんですよ。心の疲れやむしゃくしゃした気持ちをどう処理すればいいのかわからないんです。それで、酒を飲んで喧嘩したりだとかへんな暴れ方をするんですよね。小さなグループを作って、グループ同士で決闘したりだとか。その点、日本人はストレス解消がうまいですよね」
 ストレスをストレスとして認識できるかどうかは、自我の在り方と関わりがある。ストレスひとつをとってみても、日本人と中国人の自我の形はずいぶん違うのだとW君の話を聞きながらあらためて感じた。





(2014年3月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第290話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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