風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

帰り道のベーカリー

2015年07月29日 16時45分45秒 | 詩集

 地下鉄駅へ急ぐ人の群れ
 夕暮れがあたたかく
 人懐っこく灯りはじめ
 ぼんやりとしたけだるさが
 ため息になったりして

 僕は人の川を離れ
 君の好きなベーカリーへ
 明日目覚めたとき
 君が作ってくれる朝食の
 パンを買いに行くのです

 毎朝君は
 時計を気にしながら
 パンを頬張り
 目玉焼きにかぶりつく
 僕のそばで
 やさしく僕を見てくれます

 なんだか僕は
 満ち足りた気持ちになって
 それから鞄を取って
 勤めへ出かけるのです
 パンを買う糧を得るために

 トナーを取って
 薄い紙を敷き
 わけもなくトングを
 開けたり閉めたり
 パタパタさせて
 明日のパンを選びます

 君の好きな
 干しぶどう入りの丸パンをひとつ
 僕の好きな
 栗あんぱんをひとつ
 あとは気分次第で
 クロワッサンや
 チーズフランスパンを取ったり
 チョコレートの入った
 デンマークデニッシュにしたり

 ベーカリーの袋と鞄を
 いっしょに下げて
 夕暮れの沈んだ
 地下鉄駅へ
 ささやかな生活に
 酔いしれて
 こんな暮らしもあったのだと
 ただなんとなく

 今がやすらぎなら
 神さま
 もうすこし
 しあわせでいさせてください




(了)

中国国産ワゴン車 VS ホンダ・オデッセイ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第298話)

2015年07月22日 07時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 

 ときどき、「ドイツ製 VS 中国製」だとか「日本製 VS 中国製」といった写真をみかける。たとえば、ドイツ製の自転車と中国製の車がぶつかって、中国製の車はぼこぼこになったのに、ドイツ製の自転車はすこし歪んだだけだとか、日本製のキャベツを切ろうとした中国製の包丁の取っ手がぱっくり割れてしまったといった、中国製の安かろう悪かろうぶりを表現した写真だ。
 僕は中国に足かけ九年ほど住んでいるから、中国製の安かろう悪かろうぶりには慣れているつもり、というか日本で買ってきた本、デジカメ、CD、DVD、キンカン、金鳥蚊取り線香以外はほとんどすべてメイド・イン・チャイナに囲まれて暮らしているわけだけど、それでもときどき、中国製の品質の悪さにびっくりさせられることがある。
 ある時、事務所の駐車場で運転手さんたちががやがやと騒いでいた。
 別の人が社用車にしているホンダ・オデッセイが、僕が社用車として使っている中国国産のワゴン車の前面にコツンとぶつかってしまったらしい。オデッセイの運転手がすこし脇見をして、とまっているワゴン車にあたったようだ。
 様子を見てみると、ホンダ・オデッセイはかすり傷ひとつないのに、中国国産のワゴン車はバンパーがぱっくりと割れてしまった。
「しょうがないなあ」
 と集まったみんなは大笑いしている。ホンダ・オデッセイも実は中国産で広州本田の工場で生産しているものなのだけど、やっぱり日系車は作りが違う。昔、ジョージ・クルーニーが日本でオデッセイのテレビコマーシャルに出ていたけど、そのときの、
『いい車が好きだ。男ですから』
 というコピーを思い出してしまった。
 僕がいつも乗っているワゴン車の運転手さんは、
「今の車のバンパーなんて飾りみたいなものだからね。安物のプラスチック製だから割れるよ」
 とつぶやくから、
「プラスチックの飾りの下には鉄のバンパーが入ってるんだよね?」
 と僕は訊いた。
「ちょこっとね」
 運転手は人差し指と親指で一〇センチくらいの幅を指し示す。
「そんなに小さいんだ」
 僕はバンパーってもっと太くてごついものだと思っていたのだけど。なんだか頭がくらくらしてきた。そんなバンパーでは、ちょっとした事故でも大怪我になりかねない。
 中国はもともと人の命が安い国だから安全というのはあまり重要視されない。見栄えさえよければそれでOK、使えればそれでOKというお国柄だから品質は二の次だ。命が惜しかったら安物のワゴン車ではなく、オデッセイのようないい車に乗るしかないのだけど……。
 


 


(2014年5月15日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第298話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


労働節休暇短縮と中国国内の民族問題(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第297話)

2015年07月15日 16時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 五月一日はメーデー。労働者の日だ。
「社会主義国家」である中国も五月一日を「労働節」として定めており祝日になる。
 中国の場合、祝日を利用して三連休を作ることがほとんどだ。今年(二〇一四年)の場合、五月一日が木曜日なので、四日の日曜日を二日の金曜日へ振り替え、五月一日(木)、五月二日(金)、五月三日(土)を三連休にする。五月四日は平日扱いになる。
 もっとも、労働節休暇は二〇〇七年まで土日の調整を入れて七日間の連休だったのだが、二〇〇八年から政府は、「清明節」、「端午節」、「中秋節」を新設の法定祝日とするかわりに、「労働節」を短縮してしまった。
 祝日の変更は、単なる変更ではない。社会主義の理念のさらなる弱体化と中国の大漢民族主義の表れだった。
 「清明節」、「端午節」、「中秋節」はどれも漢民族の祝いの日だ。一見、なんの不思議もないように思えるが、中国共産党が統治する中華人民共和国は漢民族の国家ではない。社会主義の理念のもとに五十六の民族が構成する多民族国家だ。労働者の祝日を削って漢民族の祝日を法定祝日にする理由はなにもない。
 こんなふうに漢民族の風習を押し付ければ、反発する民族が出てくるのは当然だ。イスラム教を信仰するウイグル族やチベット仏教を信仰するチベット族はとくにそうだろう。
 どこの国でも民族問題はセンシティブな問題だ。取り扱いに細心の注意を要する。国民に対しては噛んで含めるように宥和を教え諭さなければならないのだが、こんなぞんざいなやり方をしていたのでは民族問題の解決などできるはずがない。
 もっとも、漢民族の政治リーダーはこれまで以上に漢族の自己主張を強め、大漢帝国主義をむき出しにするだろう。よほど開明的で強力な指導者が現れない限り、中国国内の「文明の衝突」は激化しこそすれ、解決の方向へは向かうことはないだろう。
  


(2014年5月1日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第297話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


賄賂文明3 ~素早い裏情報(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第296話)

2015年07月08日 00時15分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 僕の勤め先で設備を買うことになった。2000個くらいのパレットを収容できる大型の棚だ。ネットで調べた業者にきてもらって話をした。
 その翌日、突然、知らない会社から携帯電話に電話がかかってきた。
「荷物の保管でなにかお手伝いできることはありませんか?」
 大型の棚を扱っている会社のセールスマンからの勧誘だ。その会社は聞いたこともないし、その会社の人に会ったこともない。当然、僕の携帯電話の番号なんぞ知っているわけがない。ところが、そのセールスマンは僕に対してピンポイントで電話をかけてきた。しかも、ちょうど大型の棚を探し始めたばかりのときに。
 きっと僕の勤め先の誰かが僕が大型の棚を探しているとそのセールスマンへ連絡して、僕の携帯電話の番号を教えたのだろう。もちろん、目当てはキックバックだ。
 抜け目がないといえばそうなのだけど。
 いやはや、びっくりした。

 


(2014年4月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第296話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
 
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

名物! 山羊チーズケーキ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第295話)

2015年07月01日 08時05分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 二〇〇一年、雲南省の大理へ初めて行った。
 大理はその昔、大理国の首都だった古都だ。古い町並みが残っている。標高は約二〇〇〇メートル。ちなみに、大理石の「大理」はこの町の名前が由来だそうだ。今でも郊外では大理石を採掘している。
 大理の町からすこし道をおりていくと大きな湖が広がり、後ろは高い山脈が連なっている。有名なお寺があるくらいでほかにはこれといってなにかがあるわけでもないけど、のんびりと過ごせる町だった。バックパッカー用のゲストハウスが何軒かあって長逗留する旅人がわりといた。当時の旅行ガイドブックには「つらい中国旅行のはてにたどり着くオアシスの地」といったことが書いてあった。
 山羊のミルクで作ったチーズケーキを出す店があると聞いて、日本人の旅人たちといっしょにその店へ行った。ひなびた住宅街の一角にある地味な食堂だった。看板がなければ食堂だとわかりそうにもない。
 店へ入ったのはもう夕方だったから、夕食を食べてデザートにチーズケーキを注文することにした。人の好さそうな白族のおじさんがメモに注文を書き付ける。白族は大理を中心に居住する少数民族。大理国の主だった民族だ。
 おじさんは、
「ちょっと時間がかかるけどいい?」
 と訊く。すこしくらいしょうがないなと思って、
「いいよ」
 と気軽に答えたのが間違いだった。
 おじさんは店の奥からクラシックな自転車を出してくる。
 まさか、と思ったけどもう遅かった。おじさんはひょいと自転車にまたがって店を出てしまった。材料を買いに出かけたのだ。
 三十分ほど後、ようやくおじさんが帰ってきた。ハンドルには野菜や肉がどっさりつまったビニール袋をいくつもぶらさげている。
 ちょうどその時、高校生くらいの男の子が店に入ってきた。おじさんは、
「店が忙しいんだから手伝いなさい」
 というようなことを言う。どうやら息子さんのようだ。だけど、反抗期真っ盛りらしい彼は不機嫌そうに口ごたえしたあと、ぷいと横を向いてどこかへ行ってしまった。おじさんは「しょうがないな」と息子の背中を睨みつける。
 おじさんが帰ってきてから三十分経っても料理は出てこない。旅人同士の話題も尽きて、みんな黙り込む。待ちくたびれてしまった。さすがにお腹が空いた。
 店へ入ってから一時間半ほど経過した頃、ようやく料理が出始めた。ただし、一皿ずつ。どうやらおじさんは一人で料理をこさえているようだ。
「いやー、お待たせして申し訳ないね」
 とおじさんは一瞬だけ笑顔を作ってまた慌しく奥の厨房へ消える。一時間がかりで八皿ほどの料理が出てきた。料理はちょっと上手な家庭料理といったところだろうか。百合根の肉詰めがおいしかった。
 料理を平らげ、いよいよチーズケーキの登場になった。
 おじさんは、
「自慢のチーズケーキだよ」
 といったふうに颯爽とチーズケーキの皿をテーブルに並べる。みんな、目が点になった。
 なんと、ごく普通のスポンジケーキの横にチーズの切り身が並んでいる。これでは「チーズケーキ」ではなく、「チーズとケーキ」だ。おそらく、おじさんは「チーズケーキ」というものが世の中にあると聞き、ケーキのなかにチーズを練りこむのだとは思いもよらず、勘違いしてチーズとケーキを並べてしまったのだろう。
「このチーズは山羊の乳で作ったチーズなんだ。大理の名物なんだよ」
 おじさんはそう言って会心の笑みを浮かべる。
「おいしいって聞いていたから楽しみにしていたんだ。あはは」
 と僕は内心困ったなと思いつつむりして笑った。おじさんはこの「チーズケーキ」ならぬ「チーズとケーキ」はおいしくて評判がいいんだと素朴に思いこんでいるようだ。おじさんがおもてなしの心に溢れていることは表情を見ればわかるから、彼の気持ちを壊したくなかった。
 さて、どう食べようか迷った。
 チーズケーキを食べにきたのだから、チーズとケーキを半分ずつ口に入れて、口の中でまぜてチーズケーキにして食べるのがよいのか、やはり別々に食べたほうがよいのか。
 混ぜてもチーズケーキにはならないと思うので、やはりチーズとケーキを別々に食べることにした。スポンジは予想通りいまひとつだったけど、山羊チーズはおいしかった。
 まあ、話のネタになったからいいか。



 


(2014年4月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第295話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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