風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

雲南の旅2012 ~石屏5

2012年10月30日 07時20分43秒 | フォト日記


 雲南名村のひとつ。石屏郊外の鄭営村。古い村がそのまま残っている。


 

 村の近くの田んぼ。


 

 陳氏宗廟の門。
 宗廟は宗族(漢族の親戚集団)の先祖を祀った廟。
 この村は、陳氏と李氏の二つの宗族が住んでいる。
 つまり、村人の大半の名前は陳さんか李さんのどちらか。
 陳氏宗廟の近くに李氏宗廟もある。



 

 陳氏宗廟の御堂。
 今では公民館みたいな感じで使われている。

 

 

 村の道。


 

 

 百年前に建てられた村の有力者の家。部屋がいくつもある。
 昔はさぞ賑やかだったのだろう。
 今は文化財として保存している。


 

 

 村のおじいさんがボランティアで観光ガイドをやっていた。雲南弁で話すのでなにを言っているのかはよくわからなかったけど、話上手のようで観光客は何度も笑っていた。


 

 

 村の近くの養殖池。池のむこうで今年二回目の稲が実っていた。 





雲南の旅2012 ~石屏4

2012年10月27日 21時18分37秒 | フォト日記

 標高の高い雲南では、空が低く見える。


 

 石屏の郊外は田園地帯が広がっている。
 米は二期作。夏と秋の二回収穫する。


 

 

 石屏郊外にある赤瑞湖。
 この湖の下と付近一帯には泥炭の層がある。


 

 網のなかには養殖の上海蟹がいる。


 

 

 網を引き上げてなかの蟹をとっているところ。


 

 面白い形をした井戸。


 

 石屏郊外にある宝秀という小さな町の市場。


 

 揚げもち。紫色の餅は紫米を使っている。


 

 石屏の豆腐。


 

 焼き豆腐。一枚買った。引きちぎってとうがらしをつけて食べるとおいしい。
 こちらではおやつに食べる。

給料の遅配が当たり前の中国の会社(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第134話)

2012年10月26日 08時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 会社がまだ給料を支払ってくれないから、お金を返すのをもうちょっと待ってと中国人の友人から電話があった。もう一か月も遅れているのだという。お金がある時に返してくれたらそれでいいよ、と僕は答えておいた。
「中国の人にとって日系企業で働くメリットってなんですか? やっぱり給料ですかね」
 と日本人に時々尋ねられることがある。
 もちろん、地場の中小企業に比べれば待遇はましだけど、中国人にとって一番魅力ある就職先は公務員や大きな国営企業だ。給与もいいし、福利厚生もしっかりしている。権力を使って賄賂をとることもできる。中国の公務員に比べれば日系企業はかなわない。
「給料もありますけど、給料の遅配がないというのも大きな魅力なのですよ」
 と僕は答えるようにしてる。
 僕の答えを聞いてびっくりする人が多いのだけど、中国の会社では給料の遅配は当たり前だ。
 こちらの友人からはしょっちゅうそんな話を聞く。それで冒頭で紹介した友人のように五百元や千元といった当座の生活費を貸してあげたりする。もちろん、信頼している友人にしか貸さないけど。
 その点、日系企業は給与の支払いがしっかりしているから、社員は安心して生活することができる。
 なぜ、中国の会社でそんなに給料の遅配が頻発するのか、よくわからない。一般的に言って中国の企業は払いが悪い、というか、支払いはできるだけ払わずにすませたいというのが中国企業の態度だから、未回収金が増えて資金繰りが悪くなり、それで給料が払えなくなるのだろうか? それとも、給料なんて払いたくないから、できるだけ支給を遅らせたいと経営者が考えるのだろうか? 中国人の行き当たりばったりでその場凌ぎな性格を考えると、そもそも資金繰り計画が甘いというのもあるとは思うけど。
 中国の工事現場で出稼ぎの労働者が給料を払ってもらえずに社会問題になったことがあった。建築会社は、給料を払ってしまえば、お金を手にした労働者が郷里へ帰ってしまうかもしれないので、それを恐れて払わなかったのだそうだ。給料を手にできなければ、出稼ぎ労働者はお金を手にするまで仕事をやめるわけにはいかなくなる。こんなことがまかり通るのが中国だ。
 以前、病院勤務の医師から給料が遅配になって生活費に困っていると聞かされた時には絶句してしまった。ちなみに、日本と違い、中国の医者の給与は一般的にいって工場勤務のエンジニアと同じ水準だ。中国は人口がやたらめったら多い分、どこの病院も人であふれかえっている。その友人が勤めている病院も入院ベッドは常に埋まっている。儲かってしょうがないはずと思うのだけど、資金繰りがつかないらしい。病院の幹部が病院のお金を横領しているとしか思えない。不思議だ。



(2011年10月29日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第134話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

雲南の旅2012 ~石屏3

2012年10月23日 06時51分21秒 | フォト日記

 雲南省石屏へ行ったときの旅の写真の続き。
 今回は石屏一中。
 1923年に創立した古い学校。中学と高校がいっしょに入っている。
 写真で紹介するのは石屏一中の古い建物。今は隣に近代的な校舎が建っていて、主にそちらが使われている。


 

 昔の門。今は閉鎖されている。


 

 

 右側には「責在師儒」と彫ってある。つまり、生徒の成績が悪いのは教師や教科書が悪いということ。
 僕が高校生のときにこの言葉を知っていたらなあと思うとちょっと残念。


 

 

 教科書を広げながら語らう生徒。


 

 「喜客泉」。客がそばにくると喜んで泉のしたからぷくぷく泡を出すのだとか。


 

 

 

 地元の名士だった陳鶴亭。学校創立の提唱者。彼が石屏の有力者から資金を集めて石屏一中をつくった。また、陳氏は石屏に鉄道を敷設するために奔走するなど、石屏の近代化に貢献した。


 

 以前、鐘のかわりに使われていたレールの切れ端。これを叩いて授業開始や終了の合図にしていたのだそうだ。


 

 大学統一試験の合格者名簿。地元の雲南省への進学者がほとんど。 


 

雲南の旅2012 ~石屏2

2012年10月21日 11時17分32秒 | フォト日記

 雲南省石屏の旅の写真の続き。

 

 バーベキューの屋台通り。
 夜になると地元の人々がバーベキューや焼き豆腐を食べにくる。


 

 廃線跡。ベトナムから続いている1000mm軌道。


 

 

 石屏人の友人と川魚の刺身を食べに行った。
 池に養殖してある魚をすくい、その場でさばいてもらう。


 



 石屏人の友人によれば、魚は「親魚」という種類だそうだ。どうも草魚の一種らしいがよくはわからない。




 刺身以外の部分は鍋にする。おいしかった。



 
 刺身にはわさびをたっぷりつけて食べるのがこちらの流儀。


池に落ちた(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第131話)

2012年10月20日 08時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 小学生の頃、家から自転車で二十分ばかり走ったところにある田んぼと小さな池へよく遊びに行った。こんなことを書いたら農家の人に叱られてしまうけど、田んぼは絶好の遊び場だ。ざりがにはいっぱいいるし、雨蛙も殿様蛙もたくさん取れる。たまに、牛蛙や田鰻を捕まえた。どろんこになって遊ぶのは本当に楽しかった。ザリガニや蛙を小エビを籠に入れて持ち帰り、家で飼育した。ザリガニが脱皮したり、小エビがお腹に卵をいっぱい抱えるのを見てはすごいなと思ったものだった。
 田んぼの隣の小さな貯水池にはちょうどいい具合に木が倒れていて、それを渡って池の真ん中へ出てはあたりを網ですくって小魚や透明な小エビを捕まえたりした。ところが、ある日、つるりとすべって丸太から落ちてしまった。さいわい、とっさに丸太にしがみついたので下半身が池の水に浸かっただけですんだ。危ないところだった。僕は丸太にはい上がって遊び続けた。
 その翌日、学校で全校朝礼があったのだけど、なんと先生は、あの池には破傷風という恐ろしいばい菌がうようよしているから入ってはいけないと言うではないか。破傷風にかかると体が腐って三日で死んでしまうのだとか。僕はびっくりしてしまった。もっと早く言って欲しかった。
 それから、どきどきしながら三日間を過ごした。死んでしまうかもしれないと思うと怖かった。もちろん、叱られるのは目に見えているから、あの池にどぼんと落ちましたなどとは、先生にも誰にも言えない。
 三日経ってもぴんぴんしているので僕はほっと胸をなでおろした。でも、その池には入りにくくなってしまった。相変わらず田んぼには通っていたけど、破傷風の池というのはおっかないのでそばを通り過ぎる時にはなるべく見ないようにしていた。破傷風は蛇よりもっと怖い。なにしろ目に見えないのだから。そうこうするうちに、破れていたフェンスが修理されて池へ入れなくなってしまい、田んぼは埋め立てられて住宅地になってしまった。遊び場が減ってさびしかった。
 小学校の時以来、あの辺りへ行ったことはないけど、あの池は今でもあるのだろうかとふと思い出すことがある。




(2011年10月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第131話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

雲南の旅2012 ~石屏1

2012年10月14日 11時35分11秒 | フォト日記

 

 雲南省南部にある小さな町「石屏」へ行ってきた。
 石屏は昆明から高速バスで四時間弱のところにある。
 とびらの写真は石屏の城門。もっとも、この城門は以前は取り壊されてしまっており、六七年ほど前に新しく再建された。


 

 民族頭巾を被った老人。石屏にはイ族というチベット系の少数民族が多い。


 

 市場のなかにある焼き豆腐コーナー。石屏の名産は豆腐。水がいいのでいい豆腐ができるのだとか。地元の人はしょっちゅう焼き豆腐を食べている。


 

 蜂の子を売っていた。
 鍋でさっと炒めるといい酒の肴になる。


 

 なまず。


 

 タレと唐辛子でつけこんだ「石屏魚」。これも石屏の名物だ。


 

 町の通り。まだ古い建物が残っている。


 

 崩れかけた家。
 地震がきたら倒れちゃうよなあと思うけど、こんな建物もあちらこちらに残っている。そのうち新しく立て直すのだろうけど。


 

 旧県政府跡。
 今は観光用になっている。


 

 旧県政府のなかの建物。


雲南の旅2012 ~昆明2

2012年10月13日 15時41分05秒 | フォト日記

 中国雲南省の旅の写真の続き。
 昆明市の繁華街をぶらぶらしてみた。

 

 写真店の前でやっていたパフォーマンス。


 

 綿菓子売りが街角に出ていた。


 

 白衣を着た人たちは路上按摩のマッサージ師。


 

 秋になると焼き紅芋売りが現れる。紅芋はオレンジ色した甘い芋。
 蒸した落花生も売っていた。
 

 

 友人の家でご馳走になった。真ん中は上海ガニ。


 

 昆明の夕焼け。向こうに旧昆明空港が見える。

雲南の旅2012 ~昆明1

2012年10月08日 04時01分47秒 | フォト日記

 中国の国慶節のときに雲南省へ旅行に行った。
 昆明で語学留学して3年ほど住んでいたので、僕にとっては懐かしい街だ。
 空港からリムジンバスに乗って、雲南弁を聞くとなんだかほっとする。ふるさとへ帰ったような感じ。もっとも、方言までは聞き取れないのだけど。
 

 

 翠湖公園の民族舞踊。毎年国慶節のときは必ず民族衣装を着た人たちが踊っている。
 雲南省には漢族を含めて26の民族が住んでいる。


 

 翠湖公園のなかにある聶耳の像。聶耳は中国国歌の作曲者。昆明生まれだ。中国共産党の党員だった彼は24歳のとき、逮捕されそうになって日本へくる。だが、残念なことに日本の藤沢市の湘南海岸で溺死してしまった。



 


 

 夜の翠湖公園。ライトアップしていてきれいだった。



 

 雲南陸軍講武学校跡。清朝末期に創設した近代陸軍の学校。
 日本の陸軍士官学校に留学した中国軍人がこの学校の教官になることも多かったのだとか。
 朱徳、葉剣英などの中国共産党の有名な将軍もこの学校の卒業生だ。



 

 

 昔の教室を再現したもの。


 

 友人の家でご馳走になった家庭火鍋。
 友人のお父さんがこしらえてくれたのだけど、昔コックをしていたというだけあっておいしい味付けだった。




ツイッター