中国経済がイケイケドンドンだったころの話です
中国のとある経済技術開発区の企業誘致説明会に出たことがあった。経済技術開発区とは外資と技術の導入を目的に作った工業団地のことだ。経済技術開発区は中国の各地に設置され、多数の企業が工場を建てている。広州の東側にある経済技術開発区では、そこだけでも三十数社の日系企業が集まっていたりする。
僕が出席したのは、広西チワン自治州の経済技術開発区の説明会だった。広西チワン自治州は広東省の西側にあり、そのまた西はもうベトナムだ。部長さんが出席する予定だったのだが、急遽予定が入ったため、代理で僕が派遣された。様子を見てこいとのことだった。
説明会の会場は広州の花園ホテルだった。広州でも老舗の五つ星ホテルだ。実を言うと、僕はそのホテルの採用面接に行ったことがある。日本人客も結構いるので、日本人のホテルマンを募集していたのだ。待遇は少し低いが、ホテルの部屋を無償で提供してくれ、朝と晩の賄いもついている。
「五つ星ホテルに住むなんてなかなかできないわよ。福利厚生はばっちりだと思うわ」
面接官だった中国人女性マネージャーからこんなふうに誘われたのだけど断った。当時は広州のスラム街に住んで貧乏暮らしをしていたので、五つ星ホテルに住めると言われてもぴんとこなかった。
午後四時の開始予定時刻前にホテルの会議室に入った。日系企業向けの説明会だったため、会場には日本人の企業関係者が集まった。
ところが、時間になっても始まらない。遅れるというアナウンスすらない。四時二十分くらいになってようやく「主催者が遅れているので待ってください」とアナウンスがあった。やらなければならない仕事はいくらでもあるので、僕はノートパソコンを開けてぱちぱちとキーボードを叩きながら資料の翻訳などをした。それでも待てど暮らせど始まる様子がない。
午後五時過ぎ――開始予定から一時間以上も経ってようやく主催者が現れた。開発区の責任者のおじさんと開発区のある市の女性市長の二人が挨拶を始める。おじさんは車が渋滞にあって遅れたと言い訳した。
「いい加減だな」
僕は心のなかで首をひねった。ほんとうに車が渋滞したとしても、一時間も遅刻するのはひどい。
女性市長が挨拶をしてその市の紹介をした後、日本の大手商社の日本人部長が説明を始めた。日系企業の誘致にはその大手商社もかんでいるようだ。南シナ海に面しているので、東南アジアとの貿易にはいいロケーションでこれから発展に期待できるなどと説明する。その後は、責任者のおじさんがその開発区の沿革や自治州の政府をあげて力を入れているなどと一通りの説明をした。
その開発区は日系企業が少なく、僕の勤め先にとって進出するメリットはあまりなさそうだ。様子がわかったので六時になったら会場を抜け出ようと思った。ちょうど週末で、夜はプライベートの予定が入っていた。一時間も遅れて始まり、しかも用のない説明会に最後まで付き合う必要はない。
終了予定時刻の五時四十分になった。あと四五十分は続くのだろうなと思っていたら、おじさんは突如、直立不動の姿勢になり、
「時間になりましたので、これにて説明を終了いたします。隣の部屋に食事を用意してございます。市長がおもてなしを致します。宴席は六時から始めたいと思いますので、皆さまふるってご参加ください」
とのたまった。
一時間も遅れて始め、時間通りぴったり終わるのには驚かされた。そもそも、メインは夜の会食で、説明会は宴会のイントロダクションにすぎないのだろう。向こうは会食の席で人間関係を作り、開発区へ進出しそうな企業を引っ張りこもうという算段なのだ。コネクション重視の中国らしい。もちろん、宴席は出なかった。
会場を出る時、パンフレットとお土産の入った紙袋を受け取った。丈夫そうなしっかりした陶器のコップが入っていたので、事務所で使わせてもらうことにした。ある時、中国人の同僚がそのコップを見て、
「いいコップを使っているねえ」
と感心したように言う。
なんでも、そのコップは何年も使い続けているうちにお茶の味が陶器へしみこみ、しまいにはお湯を注いだだけでお茶の味が出るようにできた陶器なのだそうだ。とても高級な品なのだとか。お土産にそんな高価なものを配るくらいだから、開発区のおじさんたちはよほど接待に力を入れていたのだろう。コップはお茶の味がでるようになる前に、事務所の引っ越しの時にどこかへ行ってしまった。
(2016年6月30日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第358話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/