風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

経済技術開発区の企業誘致説明会(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第358話)

2017年06月27日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

中国経済がイケイケドンドンだったころの話です


 中国のとある経済技術開発区の企業誘致説明会に出たことがあった。経済技術開発区とは外資と技術の導入を目的に作った工業団地のことだ。経済技術開発区は中国の各地に設置され、多数の企業が工場を建てている。広州の東側にある経済技術開発区では、そこだけでも三十数社の日系企業が集まっていたりする。
 僕が出席したのは、広西チワン自治州の経済技術開発区の説明会だった。広西チワン自治州は広東省の西側にあり、そのまた西はもうベトナムだ。部長さんが出席する予定だったのだが、急遽予定が入ったため、代理で僕が派遣された。様子を見てこいとのことだった。
 説明会の会場は広州の花園ホテルだった。広州でも老舗の五つ星ホテルだ。実を言うと、僕はそのホテルの採用面接に行ったことがある。日本人客も結構いるので、日本人のホテルマンを募集していたのだ。待遇は少し低いが、ホテルの部屋を無償で提供してくれ、朝と晩の賄いもついている。
「五つ星ホテルに住むなんてなかなかできないわよ。福利厚生はばっちりだと思うわ」
 面接官だった中国人女性マネージャーからこんなふうに誘われたのだけど断った。当時は広州のスラム街に住んで貧乏暮らしをしていたので、五つ星ホテルに住めると言われてもぴんとこなかった。
 午後四時の開始予定時刻前にホテルの会議室に入った。日系企業向けの説明会だったため、会場には日本人の企業関係者が集まった。
 ところが、時間になっても始まらない。遅れるというアナウンスすらない。四時二十分くらいになってようやく「主催者が遅れているので待ってください」とアナウンスがあった。やらなければならない仕事はいくらでもあるので、僕はノートパソコンを開けてぱちぱちとキーボードを叩きながら資料の翻訳などをした。それでも待てど暮らせど始まる様子がない。
 午後五時過ぎ――開始予定から一時間以上も経ってようやく主催者が現れた。開発区の責任者のおじさんと開発区のある市の女性市長の二人が挨拶を始める。おじさんは車が渋滞にあって遅れたと言い訳した。
「いい加減だな」
 僕は心のなかで首をひねった。ほんとうに車が渋滞したとしても、一時間も遅刻するのはひどい。
 女性市長が挨拶をしてその市の紹介をした後、日本の大手商社の日本人部長が説明を始めた。日系企業の誘致にはその大手商社もかんでいるようだ。南シナ海に面しているので、東南アジアとの貿易にはいいロケーションでこれから発展に期待できるなどと説明する。その後は、責任者のおじさんがその開発区の沿革や自治州の政府をあげて力を入れているなどと一通りの説明をした。
 その開発区は日系企業が少なく、僕の勤め先にとって進出するメリットはあまりなさそうだ。様子がわかったので六時になったら会場を抜け出ようと思った。ちょうど週末で、夜はプライベートの予定が入っていた。一時間も遅れて始まり、しかも用のない説明会に最後まで付き合う必要はない。
 終了予定時刻の五時四十分になった。あと四五十分は続くのだろうなと思っていたら、おじさんは突如、直立不動の姿勢になり、
「時間になりましたので、これにて説明を終了いたします。隣の部屋に食事を用意してございます。市長がおもてなしを致します。宴席は六時から始めたいと思いますので、皆さまふるってご参加ください」
 とのたまった。
 一時間も遅れて始め、時間通りぴったり終わるのには驚かされた。そもそも、メインは夜の会食で、説明会は宴会のイントロダクションにすぎないのだろう。向こうは会食の席で人間関係を作り、開発区へ進出しそうな企業を引っ張りこもうという算段なのだ。コネクション重視の中国らしい。もちろん、宴席は出なかった。
 会場を出る時、パンフレットとお土産の入った紙袋を受け取った。丈夫そうなしっかりした陶器のコップが入っていたので、事務所で使わせてもらうことにした。ある時、中国人の同僚がそのコップを見て、
「いいコップを使っているねえ」
 と感心したように言う。
 なんでも、そのコップは何年も使い続けているうちにお茶の味が陶器へしみこみ、しまいにはお湯を注いだだけでお茶の味が出るようにできた陶器なのだそうだ。とても高級な品なのだとか。お土産にそんな高価なものを配るくらいだから、開発区のおじさんたちはよほど接待に力を入れていたのだろう。コップはお茶の味がでるようになる前に、事務所の引っ越しの時にどこかへ行ってしまった。



(2016年6月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第358話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


こころを月に浮かべれば

2017年06月20日 07時30分15秒 | 詩集

 こころをそっと
 月に浮かべて
 こころの音を聞いてみる

 じっと耳をすませて
 深くふかく息を吸って
 細くほそく息を吐いて

 だれかがいつも
 僕を呼んでいるはずなのに
 忙しさにまぎれて
 つい置き去りにしてしまうから

  僕は
  僕の望むことを
  しているだろうか
  憎むことばかり
  やってはいないだろうか

  間違ったことを
  正しいことだと
  思いこんでは
  いやしないだろうか

  うぬぼれた人の知恵は
  得てして
  恐ろしいことを
  人間にさせてしまうものだから

 月に浮かべたこころに
 じわじわじわり
 光が沁みいる

 ちくりちくりと
 刺す痛みは
 けがれたこころが
 洗われるから

 月に浮かべたこころは
 いきがってみせるのをやめ
 素直になって
 息をやすめる

 夜の瀬音が
 透きとおるように
 こころの音が僕を満たす

 なつかしい声がする
 僕に呼びかける声が
 さやかな光の向こうから



ぶりっ子甘えん坊作戦(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第356話)

2017年06月13日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 家内の親戚の集まりに出た。おじさんの還暦を祝うために、上海郊外のレストランに集まってみんなで食事したのである。ただ、食事して祝いの言葉をかけるだけなので、日本のように赤いちゃんちゃんこを着せたりすることはない。
 僕の隣には、家内の従弟の夫婦が坐った。三十歳過ぎの彼らは結婚して六年ほどになる。子供はまだいない。
 彼らは先月沖縄旅行をしたとのことで、食事しながら日本のことなどを話をしたのだが、途中から家内の従弟の嫁の様子がどうもおかしくなった。
「わたしは日本が大好きだわ。だって清潔だもの。あと二十回くらいは日本へ行きたいかなあ」
 などと華やいだ声でいい、しなをつくって家内の従弟の腕を取って甘えたりする。それから、彼女は恋愛を始めたばかりの十代の女の子のように甘え続けた。家内の従弟はにこにことほほえんではなにごとかを彼女へささやきかける。
 しあわせそうなのは結構なのだが、隣でべたべたされるとこちらは困ってしまう。傍目からみれば、彼女はかわい子ぶりっ子しているようにしかみえない。取り敢えず、見て見ないふりをすることにした。ふたりだけのラブラブなオーラでつつまれているので、話しかけようにも話しかけられない。
 還暦祝いが終わって家へ帰った後、
「あの二人はえらく仲がいいんだね。結婚してずいぶん経つのにさ」
 と僕が家内に言うと、
「あれはね、彼女の作戦なのよ」
 家内は目を光らせる。
「どういうこと?」
「ああやってかわいいふりして甘えたおして、旦那に言うことを聞かせるのよ」
「へえ」
「最近の若い夫婦はそういうのが多いのよ。上海人の旦那さんは奥さんを大切にするから、ああやって甘えられるとなんでも言うことを聞いてしまうの」
「なるほどね」
「だってきつい物の言い方をしたら、言うことを聞いてくれるとは限らないじゃない。だから、じゃれて甘えて旦那をいい気持ちにさせて、自分の要求を通すのよ。彼女は巨乳でしょ。だから、家のなかでは従弟の腕にぎゅっと胸を押しあてて『お皿洗って♡』なんて言うらしいわよ。それで、いつも従弟は『僕がやるからいいよ』ってご機嫌で返事しちゃったりするのよ。それもしょっちゅうだって」
「うまいなあ」
 僕もそんなことをされたら「僕が洗うから」と言ってしまいそうだけど、毎回のようにやられてはかなわない。
 上海の女の子はしたたかだ。それにしても、上海の男は本当に奥さんに弱い。


(2016年5月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第356話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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蛇口からぼうふらが飛び出た日にゃ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第355話)

2017年06月06日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 雲南省昆明で留学していた頃、通っていた大学の教職員用アパートに住んでいた。大学が六階建てのマンションを何棟も建て、それを教職員へ分配したものだ。間取りは2LDKや3LDKが多かった。教職員用アパートにはすでに退職した方が郷里へ帰ったりして貸し出している部屋がある。外国人留学生の宿舎もあったのだけど、それを借りた方が半分くらいの値段で済んだ。
 ある時、下痢が何日も続いた。変なものを食べたわけでもないのにおかしい。薬を飲んでも治らない。お粥だけの食事にしても治らない。どうしてだろうと首をひねった。
 そんなある朝、歯を磨こうとして蛇口をひねってガラスコップに水を入れると、水のなかに小さななにかが動いているのを見つけた。目を凝らしてみると、一、二ミリの細長い虫がくねくねといくつも泳いでいる。
「ぼうふらやん」
 僕は唖然とした。
 生水を直接そのまま飲むことはないけど、うがいした水が胃のなかへ入ったりはする。それで活きたぼうふらをそのまま飲み込んでしまったのだろう。道理でお腹の具合が悪くなるわけだ。
 授業が終わった後、水道局へ連絡して係員にきてもらった。事情を話すと、アパートの貯水槽の問題だろうから、まずそれを見るべきだという。水道局の職員が学校の教職員宿舎の管理事務所の担当者を呼び、いっしょに貯水槽を見ることになった。
 管理事務所のおじさんはぷんぷん怒っている。宿舎の管理事務所を飛び越していきなり水道局を呼んだものだから、おじさんの面子は丸潰れだ。でも、彼の面子なんてかまってられない。
 屋上へ出て貯水槽を見た。僕はてっきり鉄製のタンクが置いてあるものだとばかり思っていたのだけど、貯水槽はコンクリートで作ったプールだった。コンクリートの蓋がしてあるのだけど、その一部が壊れ、水面が露出している。蓋の壊れたまわりには蚊がぶんぶん飛んでいた。貯水槽はぼうふらの水溜りと化していたのだ。きれいな水のプールなんて、絶好の住処だから、卵を産み付けたくもなるだろう。それにしても、きちんと蓋をしないと、雨水が入ってしまうのだけどな。
 半年に一度、貯水槽の掃除をしなければいけないのだが、それもやっていなかったらしい。掃除しないものだから、ぼうふらが繁殖するままになった。水道局の職員にいろいろ注意され、管理事務所のおじさんはぽりぽり頭を掻きだした。最後は、悪かったねという感じで笑ってごまかして帰って行った。
 その翌々日、貯水槽は掃除され、ぼうふらは出なくなった。僕は虫下しを飲んで胃腸を掃除した。ほっと一安心だ。ただ、貯水槽の実態を見てしまった以上、水道水を煮炊きには使えない。十九リットル入り飲料水の特大ボトルとそれ専用の機械を買ってきて、炊事の時はそれを使うことにした。湯冷ましを飲むこともやめた。飲料水の特大ボトルは電話すれば新しいのを持ってきてくれる。ただ、歯磨きや洗顔に飲料水を使うのはあまりにもったいなくて水道水を使ったけど。
 まさか蛇口からぼうふらが出るとは思わなかった。


(2016年5月8日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第355話として投稿しました。
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