風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

タクシーの料金メーターはなんのため?(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第218話)

2013年12月23日 07時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 成都空港の乗り場からタクシーに乗った。
 郊外の工業団地のあるところまでだと運転手に告げ、料金はいくらだとたずねると、
「一二〇元(一六〇〇円弱)だよ」
 と答えが返ってきた。丸坊主に毛糸の帽子を被った初老の運転手だった。成都の工業団地へは何度か行っているので、タクシー料金の相場もだいたいわかっている。一二〇元ならそんなものだろうなと思ったのだけど、
「メーターを倒してくれよ」
 と敢えて言ってみた。
「えっ? 普通はメーターなんて倒さないよ」
 運転手のおじさんは驚く。
 おいおい、普通はメーターを倒すものだろう。なんのためにメーターがあるんだ?
「いいから倒してよ。メーターでやろうよ」
 僕が言い張っても、
「一二〇元が相場だよ。高くないよ。普通の料金だよ」
 とおじさんは譲らない。
 そこへ、空港のタクシー乗り場の整理員がやってきた。制服の腕章には交通警察の下部組織の名称が書いてある。おじさんは、メーター倒してくれってうるさいんだよと困った様子で整理員に訴えたのだが、その整理員は運転手へ向かってなんと、
「メーターは必ず倒せ。メーターの一・五倍が規定料金だ」
 と厳しい命令口調でびっくり仰天の宣言をした。
 おいおい、普通はメーター通りに料金を徴収して、高速料金代がかかった場合は別途実費徴収するものだろう。料金メーターが基準だろう? これでは、交通警察とタクシーが共謀してぼったくっているようなものではないか。
 実を言えば、こんなふうに警察とタクシーがぐるになってぼったくりのタクシー料金をふっかけているのは成都だけではない。中国は近代化されいないところがまだまだ多い。僕が外国人だからぼったくられているというのではなく、中国人自身もぼったくられているのだ。ただ、空港のタクシー乗り場を仕切っているのは警察の下部組織だから、逆らってみたところで、マフィアに楯突くようなものでどうしようもない。
「おじさん、メーターの一・五倍でやろう」
 僕がそういうと運転手はびっくりした顔をしながらもうなずいた。彼もそんなことを言われたのは初めてのようだ。僕は、交渉で決めるタクシー料金の相場とメーターの一・五倍のどちらが安いのかを試してみたかった。
 タクシーは高速に乗り、工業団地へ向かって順調に走る。
 空はどんよりと曇り、霧がうっすら立ち込めていた。四川らしい光景だ。十年前に比べれば、建物や工場がほんとうに増えた。発展したんだなと思う。
 四十分ほどして工業団地へ着いた。メーターは九四元ほどだった。
「負けた」
 僕は素直に一四〇元を支払った。
 意地を張って二十元ほど損してしまったけど、それでもメーターと交渉での相場の違いがこれでわかったから、授業料を払ったようなものだ。しかたない。
 それにしても、いちいち料金交渉をするのは面倒だから、料金メーターで明朗会計にしてほしいんだけどな。もっとも、すべてメーター通りに料金を徴収ということにすれば、メーターがどんどん回るように改造した違法メータータクシーが増えてしまうのかもしれないけど。




(2012年12月25日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第218話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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猫ニ酒ヲ勧ム(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第216話)

2013年12月16日 07時45分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 行きつけの日本居酒屋に飼い猫がいる。
 店のなかをちょろちょろ歩いては、客のテーブルの下で餌を貰うのを待ったり、気が向くと客の膝のうえに乗って甘えたりする。
 居酒屋で猫を飼うなんて日本では言語道断だけど、ここは中国。しかもなにかにつけてゆるい広東だ。大目に見よう。
 この猫――名前は知らない――は昔はまるまると太っていて艶のある毛並みをしていた。気の強そうな、プライドの高そうな瞳をしていた。
 ところが、ある時、この猫は犬に嚙まれてしまった。それもひどい嚙まれようで、首の後ろのあたりに牙の痕が残るほどだった。
 それから、猫は変わってしまった。
 つやつやとしていた毛並みはごっそりと剥げ落ち、挑むような目つきも、どんよりと濁ってしまった。目の下にはいつも病んだ目やにをつけるようになった。
 きっと犬に嚙まれたことがトラウマになってしまって、憂鬱な気分で過ごしているのだろう。見るも憐れな変わりようだ。運が悪かったんだよな。
 今夜飲みに行った時、やはり餌をくれと近づいてきたから、秋刀魚の一夜干しの骨をあげた。猫は背中を丸めてぽりぽりかじる。はげちょろぴんになって痩せこけてしまった体から哀愁がただよっていた。
「嫌なことは忘れろ。酒でも飲むか」
 一緒に飲みに行っていた知人が猫に話しかける。彼は小鉢に梅酒を入れて猫に勧めたのだけど、猫は匂いを嗅いだままで梅酒をなめようとしない。
 そこで、秋刀魚の骨を入れた小鉢に梅酒を浸した。
 再び猫に勧めると、最初はとまどっていたものの、秋刀魚の匂いの誘惑に勝てなかったのか、猫は秋刀魚の骨をぺろりと平らげ、梅酒もぜんぶなめてしまった。
 それからしばらくして猫が生きいきとし始めた。なにより、瞳が輝いている。
 僕の膝においでと誘っても、
「にゃぁぁー―」
 とわめいて反抗し、店のなかを元気よく闊歩する。昔の威勢のよかったころの姿に戻った。
 たまには、酒で憂さを晴らす日があってもいいよな。
 生きていりゃ、いろいろあるよな。



(2012年12月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第216話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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どうして日本人は冬なのに子供に短パンを履かせるんだ?(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第215話)

2013年12月09日 07時11分26秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
「どうして日本の親は冬なのに子供に短パンを履かせるんだ? 長ズボンを履かせてやれよ」
 中国人の友人にそう言われて僕はぽかんとしてしまい、
「なんで子供が長ズボンを履くの?」
 と、聞き返してしまった。
「だって、寒いだろ。風邪を引いたらどうするんだ」
「逆だよ。寒いからこそ、子供に短パンを履かせて体の抵抗力をつけさせるんだよ。僕だって子供の頃はずっと短パンだったし、長ズボンなんて特別寒い日とかひどい風邪を引いてしまった時とか、年に数回かしか履かなかったよ」
「日本人はひどいことをするなあ」
 彼はむちゃくちゃだ言わんばかりにやれやれと首を振る。
「だから、抵抗力をつけさせるんだってば。鍛えるんだよ。子供なんだから鍛えてやらなくてどうするんだよ。そうしなかったらひ弱な体になっちゃうんだぜ」
 僕はいささかむきになって言ったのだけど、
「理解できない。子供がかわいそうだ」
 と、彼は納得しない。
 日本と中国では親のしつけかたが違う。一般的に中国では子供を猫かわいがりする。こちらでは冬に短パンを履いた子供を見たことがない。
 鉄は熱いうちに打て、というのは金言だと思うんだけどなあ。





(2012年12月9日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第215話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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