風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

司令官の差で負けたミッドウェー海戦(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第107話)

2012年05月29日 08時10分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 子供の頃、家の風呂場を改装してくれた大工のおじさんが空母飛龍の元乗組員だった。艦橋の真下にある伝令所で任務についていた彼は、昭和十七年六月五日、ミッドウェー海戦に参加した。ミッドウェー海戦は、主力空母四隻を擁した日本の南雲機動部隊と主力空母三隻のアメリカ機動部隊が激突した天王山の戦いだった。

 当時の日本機動部隊は世界で最強の部隊だった。ゼロ戦隊、雷撃機隊ともに精鋭揃いで、とりわけ、急降下爆撃隊の命中率は神業としかいいようのない高さを誇っていた。機動部隊の兵力、練度、士気の高さは、どれを取ってもアメリカを大きく上回っていた。
 ただし、日本の軍令部(艦隊司令部)と機動部隊首脳の力量はアメリカよりも劣っていた。
 ミッドウェー作戦は、急遽決定した作戦だった。
 準備が間に合わないので、もう一か月遅らせられないかと各方面から要請が相次いだのだが、そのまま強行してしまった。また、作戦目標がミッドウェーであることを誰にも知られてはいけないにもかかわらず、海軍基地のある呉では町の誰もがミッドウェー作戦のことを知っていた。徹底的な緘口令を敷かなかったのは気が緩んでいたとしかいいようがない。敵に作戦がばれないように暗号の乱数表を変更すべきだったが、開戦当時のものをそのまま使用し、その結果アメリカに暗号を解読され、ミッドウェーが攻撃目標であることがアメリカに知られてしまった。
 一番致命的だったのは、敵空母が現れないだろうと甘い希望的観測を抱いたことだ。本来であれば、敵も必死で反撃に出てくることを考慮し、ミッドウェー沖で米空母と対決するための戦術を十全に練っておかなければならなかったにもかかわらず、それを怠った。
 機動部隊同士の戦いは一瞬で勝負が決まる。
 そして、戦いは錯誤《エラー》の連続だ。
 エラーを最小限に抑え、敵が見せた一瞬の隙を突き、相手方の空母を破壊したほうが勝利する。
 戦うためには、まず敵のありかを知らなければいけない。敵の所在がわからなければ攻撃のしようがない。だが、機動部隊司令部は索敵をおろそかにした。
 黎明二段索敵――つまり、夜が明けないうちに第一弾の偵察機を出発させ、夜が明ける頃に同じ偵察ライン上に二機目の偵察機を出発させるという二段構えで敵を探すべきだった。日の出の頃には、一機目の飛行機が索敵ラインのほぼ先端――つまり一番遠い地点で偵察を開始し、二機目は味方の機動部隊に近いところから偵察を始める。こうすれば敵の発見率が格段に高くなる。
 だが、日本の南雲機動部隊は、一つの索敵ラインにつき偵察機を一機だけを使用する一段索敵しか行なわなかった。加えて、偵察ラインの間隔をもっと狭く設定して、きめ細かく偵察しなければならないのに、索敵網が粗かった。このような偵察軽視のために、敵艦隊の発見が遅れ、攻撃が後手に回ることになった。
 攻撃隊の使用方法もまずかった。
 第一次攻撃隊にミッドウェー島の基地を攻撃させ、第二次攻撃隊を艦隊出現に備えて艦隊攻撃用の兵装で待機させるという方法を採っていたのだが、第一次攻撃隊がさらに基地を攻撃する必要があると打電したため、第二次攻撃隊の爆弾と魚雷を陸上基地攻撃用の兵装へ転換する作業を行ない、ミッドウェー島を再度攻撃することになった。そして間の悪いことに、ちょうどこの作業中に敵艦隊発見の知らせが入った。
 この時、空母蒼龍と飛龍の二隻で編成した第二航空戦隊司令官の山口多聞提督は陸用装備のまますぐに出発することを機動部隊の最高司令官である南雲忠一提督に進言したが、機動部隊首脳部はこれを却下した。
 たしかに、陸上攻撃用の兵装のまま敵艦隊を攻撃しても効果は薄い。判断のむずかしいところだが、急降下爆撃隊だけでも先に発進させる必要があっただろう。
 機動部隊首脳部は艦隊攻撃用の兵装で敵空母を叩く正攻法を決定。今度は装着したばかりの陸上攻撃用の兵装を艦隊攻撃用へ再度兵装転換作業をしなければならなくなった。艦隊攻撃用の兵装のまま待機していれば、すぐに出発できたのだが、むだな作業のために一刻を争う貴重な時間を浪費してしまった。
 実は、この兵装転換問題は、ミッドウェー海戦に先立って行なわれた四月のセイロン島沖海戦の際、すでに同様の事態が出現していたものだった。セイロン島沖海戦はイギリスの弱小部隊を相手にした戦だったために大事には至らなかったが、セイロン島沖での教訓を活かして問題解決の対策を講じていれば、ミッドウェー海戦ではスムーズに敵を攻撃することができただろう。
 ようやく二度目の兵装転換が終了し、攻撃隊の発進準備に入ったその時、アメリカの急降下爆撃機が日本機動部隊へ襲いかかってきた。空母赤城、加賀、蒼龍に爆弾が命中。これが甲板上と格納庫に転がっていた陸上攻撃用爆弾の誘爆をさそい、三隻は大破炎上。戦闘不能となった。唯一生き残った空母飛龍が孤軍奮闘して攻撃隊を二度発進させ、米空母ヨークタウンを大破させたが、この日の午後、命中弾を喰らい、航行不能状態に陥ってしまった。
 最終的には、主力空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四隻、重巡洋艦一隻が撃沈され、母艦艦載機二百機以上を喪失した。三千人強の戦死者が出ている。これに対して、アメリカ側のそれは、空母一隻と駆逐艦一隻の沈没にとどまった(空母ヨークタウンは最後に潜水艦伊一六八がとどめを刺した)。開戦以来、初めての敗北。それも空母部隊壊滅という大敗北だった。日本海軍は太平洋を所狭しと暴れ回った騎虎の勢を失い、進撃がほとんど止まってしまった。

 負けたといはいえ、日本海軍の兵士はよく戦った。戦闘機隊はアメリカの攻撃機を多数撃墜し、機動部隊の各艦は対空砲火で多数の敵機を叩き落した。各空母は命中弾を受けるまで、見事な操艦技術によって何十発もの爆弾と魚雷をかわし続けた。生き残った飛龍の攻撃隊は少数機での攻撃にもかかわらず一回目の攻撃でヨークタウンを射止めている。
 優秀な乗組員や搭乗員を擁していたのだから、機動部隊首脳部が敵機動部隊の出現を予想し、それに備えて入念に戦術を練っておけば十分に勝機を摑ことができた戦いだった。ただ、現場がいくらがんばりを見せても、司令官の戦略や指揮がまずければ戦いに勝つことはできない。勝負にすらならない。指揮官の戦略ミスや判断ミスを個々の兵士がカバーしようとしても限界がある。戦いというものは、しかるべき戦略としかるべき戦術があってはじめて勝利できるものだ。戦力を活かすも殺すも、司令官の指揮次第。もちろん、これはどんなプロジェクトにもいえることだが。
 日本の拙劣さに対して、アメリカは徹底的に手段を講じた。
 全力をあげて日本の暗号を解読し、日本海軍の次の攻撃目標がミッドウェー島であることを突き止めた。ミッドウェー島の航空基地の防備を固め、陸上航空機を増強したことが、先に述べた日本の機動部隊の兵装転換を誘うことになった。また、五月の珊瑚海海戦で大破した空母ヨークタウンをたった三日で修理してとりあえず航行可能な状態までもっていき、約千人の修理員を乗せたまま出航してミッドウェー島沖へ向けて航海しながら修理を続けた。空母ヨークタウンは最低三か月は再起不能と思われ、日本側はまさかミッドウェー島沖へ現れるとは予想だにしなかった。逆に、日本海軍は珊瑚海海戦で無傷だった空母瑞鶴を搭乗機不足という理由からミッドウェー海戦への参加を見送っている。
 ミッドウェー海戦にかけた日米の意気込みは、まったく違う。アメリカはできるかぎりのことをやったが、日本は甘い見通しのまま打つべき手を打たず必勝体制を敷かなかった。ミッドウェー海戦は、司令官の重大な戦略ミス、戦術ミス、判断ミスの連続によって負けた戦いだったといえる。負ければいろいろとぼろが出るものだが、それにしてもぼろが多すぎた。負けるべくして負けた戦いだった。なによりも惜しいのは、現場の必死の努力が水泡に帰してしまい、鍛え上げた優秀な乗組員や艦載機搭乗員を多数失ったことだ。

 若き日の大工のおじさんは、アメリカ軍の攻撃を受けて大破した飛龍から脱出して一命を取りとめた。毎年六月五日、ミッドウェー海戦の日がやってくると断食をして、亡き戦友たちの冥福を一日中祈るのだと言っていた。彼はずいぶん前に逝去されたが、今はあの世でかつての戦友たちと盃を交わしているのだろうか。



(2011年6月5日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第107話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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スロー散歩のススメ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第106話)

2012年05月26日 19時39分40秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
  
 食事の後、たまにゆっくり散歩する。
 歩く速度を普段の半分から三分の一くらいに落としてみる。老人がぶらぶらとゆっくり歩くような感じで。
 そうしてみると、見慣れた町でも新しい発見があったりする。
 通りの店の店員の何気ない動きが目に止まったり、道行く人のふとした表情や連れ立って歩く恋人たちの仕草が目に飛びこんできたりする。気分がゆったりして落ち着く。
 物事を考えるのは歩きながらがいい。
 血の巡りがよくなるから、僕のぽんこつな頭でもすこしばかり冴えてくれて、考えがすすむ。
 京都には「哲学の道」と呼ばれる遊歩道がある。観光名所になっているので行ったことのある方もいるだろう。水路沿いの気持ちのいい道だ。哲学者の西田幾多郎はその道を歩きながら思索に耽ったのだとか。
 イタリアにはニーチェが思索に耽ったという哲学の道がある。
 こちらは、ほとんど断崖絶壁とも思える急斜面の階段を昇り降りすることになる。一度そばを通ったことがあるけど、しんどそうなので昇るのはやめにした。さすが、「神は死んだ」などとのたまったニーチェだ。スケールが違う。でも、あんな心臓破りの坂道を昇り降りしながら思索になんか耽っていたら発狂してしまうのもむりはない、とちょっぴり思った。
 今の季節は夜の散歩にちょうどいい時期だ。榕樹《ガジュマル》が植わった街角で涼しい夜風に吹かれながら、最近読んだ本のことや書きかけの小説のことをぽつりぽつり考えたりする。




(2011年5月26日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第106話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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蜀犬、日に吠ゆ (エッセイ)

2012年05月21日 02時03分33秒 | エッセイ

 バックパッカーをしていた頃、八月末から十二月の初め頃まで成都に滞在したことがあった。いわゆるパッカー用語で言う「沈没」で、のんびり日々を過ごした。
 僕は、小学校五年生の時に岩波ジュニア文庫の『三国志』(抄訳《しょうやく》版)を読んで以来、大の三国志ファンだ。NHK人形劇『三国志』の初放送は欠かさず見ていたし、岩波文庫の『三国志』(こちらは全訳版)も、吉川英治の『三国志』も読んだ。お向かいのおじさんに湖南文山版の挿絵つき三国志を借りて読んだ。大人になってからは、北方謙三の『三国志』にはまり、DVDになったNHK人形劇『三国志』はタバコ代を削って全部そろえた。コーエーのゲームも初代から八代目くらいまで毎回買って、中国大陸を二百回以上、征服した(今から思うと、むだに征服しすぎたと反省している)。
 諸葛孔明や蜀の将軍が大好きなので、成都がどんなところなのか、この目で見て、肌で感じてみたかった。
「めっちゃ大都市やん」
 それが初めての印象だ。
 成都の市街地へ入ったバスは、どこまでもビルの谷間を走る。
 実際、成都市は人口一千万人の大きな街だけど、山ばかりで人がまばらな四川省西部のチベット族居住地域を抜けて成都入りしたから、よけいに都会に見えたのかもしれない。
 八月の末はまだ雨季なので、一日中雨がしとしとふっている。一瞬やんだかと思うと、また雨が降る。
 雨の武候祠(孔明の祠、劉備の墓もある)や杜甫草堂は、なかなか風情があってよかったのだけど、困ったのは洗濯物だった。四川盆地一体に湿気がこもっているので、干してから二日経っても乾かない。そのうち、水分が腐ってへんな臭いを放つ。しかたがないので、洗濯した後はホテルの部屋の扇風機を全開にして、その前に洗濯物をぶら下げて乾かすことにした。これだと二三時間で乾いてくれる。なにせバックパッカーなので、ホテルのクリーニングサービスなんて高くてとても利用できない。十円、二十円を節約する貧乏旅行だ。
 九月の末くらいに雨季が終わり、乾季になった。
 だけど、ずっと曇り空が続いてなかなか晴れてくれない。日本でいえばうす曇りの天気が毎日続く。
 洗濯物はそこそこ乾いてくれるようになったし、激辛の四川料理にも慣れてきた。四川料理の辛さは、「麻辣(マーラー)」と呼ばれる。「麻」は、痺れるという意味で、山椒をたっぷり使うので舌がピリピリする。「辣」は唐辛子の辛さ。初めはとても食べられなかった。痺れすぎて辛すぎて、舌ばかりか、唇や口の感覚すらもなくなってしまう。だけど、慣れれば四川料理のピリピリ・ヒリヒリ感に中毒になる。なんとなく舌をピリピリ・ヒリヒリさせたくなって、夜、ふらりと横丁の屋台へ行っては串焼きを買って食べたりする。きのこに山椒と唐辛子をふったバーベキューが好物だった。
 閑話休題《はなしをもとへもどして》。
「蜀犬《しょくけん》、日に吠ゆ」
 という諺がある。
 四川省、つまり蜀の地はなかなか晴れず、太陽をほとんど見ることができない。だから、たまにお日様が顔を出すと、犬が「なんか変な奴がいる」と怪しんで太陽に向かって吠えるというものだ。ここから意味が転じて、浅知恵の者が優れた人物の立派な言行に対して軽率に非難・攻撃するということにたとえられるようになった。テレビに出演しているコメンテーターたちの言動を見るとわかりやすいだろう(もちろん、なかには優秀な人もいるけど)。あるいは、不当な国策捜査を繰り返す東京地検特捜部もこの範疇に入るかもしれない。
 三か月すこし成都にいて、快晴になったのは一度だけだ。
 あの時は、ほんとうに青空がまぶしかった。うれしさのあまり日光浴したほどだった。太陽がこんなに貴重なものだとは、思わなかった。だけど、その一日以外は、雨かうす曇。
 司馬遼太郎が『街道を行く』のなかで、この「蜀犬吠日《しょくけんはいじつ》」のことを書いている。司馬先生はうす曇の天気を見て、地元の四川人に、
「この天気は晴れでしょうか。それとも、曇りでしょうか?」
 と尋ねたところ、
「晴れですよ」
 と、こともなげに返事が返ってきたそうだ。
 僕はこの話を確かめたくて、太陽のありかがぼんやりとわかるくらいのうす曇の天気を指しながら友人の成都人に訊いてみた。
「この天気は晴れ、それとも曇り?」
「晴れに決まってるじゃない。当たり前でしょ」
 彼女は、なんでそんなことを訊くのかと不思議そうに答えてくれた。
 司馬先生の書いた話はほんとうだったんだ。僕はうれしくなった。司馬先生が嘘を書いたとは思わなかったけど、自分の目と耳で確認できて心底納得した。四川人は、うす曇を晴れだと感じている。
 十一月へ入って気温がさらに下がると、よく霧が立ちこめるようになった。
 ロマンティック、あるいは幻想的な雰囲気なのだけど、湿度が高い分、寒さが骨身にしみる。心底しみる。
 インナーを着込んで、ジャンパーを羽織っても寒くてたまらない。
 ホテルの部屋には暖房がない(中国の長江以南は基本的に暖房を使わない)ので、ベッドへ入ってもがたがた震えてばかりでなかなか寝付けなかった。掛け布団は冷たく湿っぽいし、冷蔵庫のなかにいるようだ。
 こんな気候の蜀で劉備を皇帝にするために激務をこなしていた諸葛孔明は、さぞ体を痛めたことだろう。さすがの張飛や趙雲もすこしばかり気分が滅入ったに違いない。
 そんな寒くて凍える夜は、激辛料理がいちばん効く。
 屋台まで行って串焼きを買いたかったけど、寒がりの僕はとても外へ出られなかったので、ホテルの部屋で激辛インスタントラーメンを寝る前に食べることにした。
 効果覿面《こうかてきめん》。
 体がほくほくしてぐっすり眠れるようになった。
 汗もかくので、湿気でだるくなった体もしゃきっとする。
 四川人が激辛料理を常に食べるのには、わけがあった。
 太陽をなかなか拝めず、雨が降り続いたり、霧が立ちこめたりして、おまけに四方を山に囲まれた盆地なので、その湿気が風で吹き飛ばされることのないじめじめした気候では、体を温め、発汗作用のある唐辛子と山椒は彼らにとって生活必需品なのだ。激辛料理なしでは、彼らは元気になれない。
 それにしても、と思う。
 三国志の時代はまだ唐辛子がなかったはずだ。
 蜀の諸将はいったいなにを食べて体を温めていたのだろうか。やはり、塩分の濃いものをとっていたのだろうか?
 張飛は、酒で温まっていたのだろうな。
 塩を肴にして、くびくび酒を飲み干す張飛の姿が目に浮かぶ。





成都・武候祠に飾ってある張飛像。


 了


小説家になろうサイト投稿作品
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2012年05月16日 21時37分37秒 | 詩集

 波の音が 心を打つ夜は
 しずかに独り たゆたっていたい

 運が悪かったとそれだけで
 すませられたら いいのだけれど

  悲しみの海 なぐさめの月明かり
  揺られ揺られて この舟はどこへ行く


 月の光が 胸を射す夜は
 なにも考えず うつろっていたい

 自分を恨んでみたところで
 なにも変わらないと わかってるけど

  諦めの夜 なぐさめの星明かり
  流れ流れて この舟はどこに着く


 夜空の灯火《ともしび》は誰のため
 凍える手に息を吹きかけても

  悲しみの海 なぐさめの月明かり
  揺られ揺られて この舟はどこへ行く
  この舟はどこに着く



コーポラティズムについて(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第105話)

2012年05月10日 23時33分53秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
  
「コーポラティズム(Corporatism)」という言葉はあまりなじみのないものだろう。
 ひと言でいえば、大企業による社会の支配だ。
 大企業は社会の一部でしかないのにもかかわらず、その一部が社会全体を支配する。この現象がアメリカやヨーロッパはもちろん、日本をも蝕《むしば》んでいる。このコーポラティズムは、企業や経済活動の自由を最大限に尊重するという新自由主義とコインの裏表をなすものだ。

 コーポラティズムの最大の問題は、民主主義が損なわれてしまうことにある。
 民主主義の理念とは、国民一人ひとりが投票権という名の権力を持ち、国民が政治のあり方、方向性、政策を決めるということだ。「国民の、国民による、国民のための」政治を行なうための手段である。もちろん、民主主義が最善のものというわけではない。民主主義には様々な欠陥がある。かつて、英首相のチャーチルがいみじくも言ったように独裁制や貴族政治に比べれば「まだまし」なものに過ぎない。
 とはいえ、現在のところ、民主主義よりもいい方法は「発明」されていない。とりあえずは、民主主義をいい方向へ発展させるよりほかに、人々の暮らしをよくするための方法はないといえる。
 民主主義は、ご存知のように、投票によって政権を選択する。二〇〇九年に日本で起きた自民党から民主党への政権交代がそうだった。民主党は「民意」によって選ばれた政権だった。
 ところが、コーポラティズムに支配された社会では、この「民意」が民衆の知らないところで無視されることになる。大企業は政治家へ多額の献金を送って政治家をコントロール下に置き、自分たちに不利な政策の実現を阻止しようとする。または、民意が反対している政策を実現しようとする。
 民主主義の原則にしたがえば、政策を決定するのは投票権を持つ国民によって選ばれた代議士だ。しかし、企業は投票権を持ってない。投票権を持っていないものが政治をコントロールすれば、社会がゆがむのも当然だ。
 典型的な例が政府による大企業の救済だ。
 リーマンショックによる金融恐慌が起きた際、アメリカの三大自動車メーカーの首脳は政府の救済を求めて、ホワイトハウスへ駆けつけた。新自由主義においては、経済活動のすべての結果は「自己責任」ではなかったのか? 「自己責任」を主張し、多くの人々の生活を破壊した者たちがなぜ自分たちだけ例外扱いしてもらおうとするのか? しかも、最高経営責任者たちは、多数の従業員を解雇するリストラ策を発表する一方、自分たちの高額な報酬を契約だからと言い張り、カットされることを拒んだ。彼らは自分たちの金儲けが順調にいっている時だけ「自己責任」を標榜し、自らが行き詰まると民意もかえりみずに勝手にルールを破ろうとごり押ししたのだ。しかも、彼らの救済に使われたのは税金――つまり公共の財産だ。最高経営責任者たちは「大きすぎて潰せない」という大義名分によって公共の財産を使わせ、自らの私利を図った。無理を通せば道理が引っこむ。まったく、道理を外れた話だった。

 コーポラティズムは、政治家のほかにマスコミをも支配する。
 代表的な例が今回の原発事故だ。
 電気事業連合会という電力会社の関連組織から、毎年、多額の広告費がマスコミに流れている。この広告費があるため、マスコミは電力会社に対して物が言えない仕掛けになっている。
 東京電力は福島第一原発の事故から二か月が経過してはじめて、炉心溶融――メルトダウンを認めた。これは事故当初からさんざん指摘されたことだった。重大な隠蔽である。メルトダウンばかりでなく、様々な危険情報を隠し、ずいぶんと日にちが経った後で発表する。本来なら、批難轟々となってもいいはずだが、大手マスコミはなぜかこのことを正面切って深く追及しようとしない。東電を批難すれば電気事業連合会からの広告をとめられてしまうため、それを恐れているのだ。大手マスコミが世論に与える影響は大きい。コーポラティズムはマスコミをコントロール下に置くことで、世論を操作する。

 コーポラティズムの世の中にあっては、民衆とはかけ離れた場所で重大な政策が大企業の都合のいいように決定されてしまう。陰謀といっても差し支えない。民衆がいくら投票で民意を示しても、この陰謀によって様々なことがなしくずしにされてしまう。現在の日本の民主党もこのコーポラティズムによって蝕まれた状態にある。民主党のなかにもコーポラティズムに反対する一派がいるが、彼らの闘争はまだ成功していない。
 もちろん、企業が自らの私利利益を図るために社会へ働きかけを行なうことは昔から常にあったことだ。しかし、それがある限度を超えれば、社会そのものを破壊するようになる。なぜなら、企業の目的は利潤の追求であり、社会の構築や安定ではないからだ。社会を破壊すれば最終的には企業も潰れてしまう。いわば宿主と寄生虫の関係にあるわけだが、そのようなことはコーポラティズムの眼中にはない。ひたすら宿主の体を貪り食い、自らだけが肥え太ろうとする。
 出来事の表面だけを見ても、実際のところなにが起きているのか、正確なことはつかめない。その出来事の背後にある構造を把握しなければ、表面上のできごとや政府やマスコミのプロパガンダに振り回されるだけでなにも理解できない。社会全体に生じていることも、一個人の身の上に起きていることも。
 コーポラティズムの行き過ぎた世の中にあっては、「公利公益」がたえず企業の「私利私益」によって侵される。現在進行している日本の社会を蝕む様々な現象の背後にはこのコーポラティズムも大きな一因として潜んでいる。





(2011年5月19日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第105話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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